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不老不死の薬『マクロプロスの処方箋』銀河鉄道999の思想的な原作

カレル・チャペックの戯曲『マクロプロスの処方箋』

ここではカレル・チャペック『マクロプロスの処方箋』の内容と、魅力。書評、感想をしています。

なぜこの本を読もうかと思ったかというと、すっかりカレル・チャペックのファンになってしまったからです。チャペックの他の書評についてはこちらをご覧ください。

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『マクロプロスの処方箋』の内容、魅力、感想、書評

20世紀初頭のプラハ。裁判所では1遺産相続裁判が行われています。

その裁判に、若いオペラ歌手が現れて、誰も知らないはずの重要書類の隠し場所を言い当てます。周囲の人々は、彼女に疑問を抱き始めます。

調査が進むにつれ、エミリアの正体はエリーナ・マクロプロスという女性であることが明らかになります。彼女は16世紀末に錬金術師である父親によって不老不死の薬を与えられ、300年以上生き続けていたのです。

しかしマクロプロスは、生きることの虚無を痛感しています。感情を喪失しており、長く生きられることによろこびを感じていません。

そして彼女は不老不死の処方箋を焼却し、普通の死を迎えることを選ぶのでした。

『マクロプロスの処方箋』の詳細

子供? どうしてご存知なんです?

だいじょうぶ、足りているから。足りているという言葉を使うのは貧乏人だけ。裕福な人間は満足を知らない。

どうして私を子ども扱いするのです? あなたの近くにいると子供のように感じる。

→ 謎の女エミリア。彼女こそが作品のキーマン。人間と対比することで人間を浮き彫りにする存在です。彼女の謎が戯曲冒頭をぐいぐい引っ張ります。

女が人を好きになる、それがどういうことか、あなたはわかってない。恋って自尊心を捨てることなの。誰かを愛したら自分のことなど顧みず召使のように愛する人を追いかけるはず。自分を捨て、相手と一緒になって。

すべてを彼女のもとに置いてきました。そのあと、生きた感じはしなかった。

おやおや坊やは父さんが怖いの。それは単なる形見なの。特段価値のないもの。ただ喉から手が出るほど欲しいの。

→ エミリアは時代感覚の合わないことを口にします。そうです。彼女は不老不死なのでした。不老不死の薬の処方箋こそが作品タイトルの「マクロプロスの処方箋」です。

つまり年齢は三十七歳ということですか? 三百三十七歳よ。

マクロプロスの処方箋。私の子供がどれだけこの世で駆けずり回っているかなんて知らないし、私はそれが欲しかった。もう私は終わりが近いから。もう一度試したいの。作り方が書いてあるの。人が三百年生きられるように、若いままでいられるように。

→ マクロプロスの薬は一回300年。しかし繰り返し飲めば永遠に生きることができるという設定です。

六十年という人生で、人は何ができる? 何を享受できる? 自分が植えた木の果実を手にすることはできないのか? 自分という作品を完成できず、自分という見本を残すこともできない。ちゃんと生きるよりも早く死んでしまう。

喜びを感じる時間もなければ、ゆっくり考える時間もなく、日々の糧を得るためにあくせく働くばかりで余計な時間は全くない。

→ 映画『銀河鉄道999』のことを思い出しました。銀河鉄道999では、不老不死の代わりに機械化人間というのが登場します。こちらもメンテナンスさえすれば永遠に生きられるという設定です。しかし永遠に生きられることになった機械化人は人間らしい心を失い、人狩りをして楽しむなど、優しい心を失ってしまったのでした。

人間は亀やカラスを超えた存在であるはず。人生が短いのはあまりにも不公平だ。

ありがたいことだ。三百年も、事務員でありつづけたり、ストッキングを編み続けたりするのだから。

役立っている仕事のほとんどは人間が無知だからこそできているのかもしれんぞ。

私たちの社会制度は短命であることを前提としている。

小さなものは途切れることなく繁殖していく。大きなものだけが死をむかえる。力と能力を有するものだけが死ぬ。なぜなら替えが効かないからだ。

命の特権。長寿の貴族制度。

こんなに長く生きるべきじゃない。人間は耐えられなくなる。百三十年までは耐えられる。その後知る羽目になる。魂が死ぬのを。あとは退屈だけ。人間が良くなることはない。何も変えることもできない。何も起きない。あなたたちの生き方が軽やかに見える。

あなたたちから見ればすべてに価値がある。だって十分にそれを満喫することはないから。あなたたちは幸せなの。私にはわからないものを信じている。

戯曲のラストでマクロプロスの処方箋は若く美しい女の手で焼失してしまいます。

永遠の命が! 人類は永遠に探すことになる。ここに、ここにあったものを……

子供。それこそ、永遠の命だ。誕生のことを考えるのだ、死の代わりに。生は短くはない。生命の源になりさえすれば。

戯曲をハッピーエンドにするには、限りある命を積極的に肯定する、高らかに謳うしかありません。生命は有限だからこそ短いからこそ価値があるというわけです。

しかし退屈して心を喪失してしまったマクロプロスさえも、300年の薬の期限が来たときに、死ぬのが怖いために「もう一度試したい」と考えたのでした。

たしかに永遠に生きられるなら、今日という日を大切にする意味はないでしょうし、一生懸命生きる意味はないという理屈はわかる気がします。

マクロプロスは一時的に「もう一度生き直す」ことを考えたものの、生き続けることに価値がないと悟って自ら終止符を打つのでした。長生きは退屈で孤独です。すべての感情や関係がやがて無意味になります。記憶が積み重なりすぎて、生きる意欲も感動もなくなってしまいます。彼女は最終的に、処方箋を他人に渡さず、自ら破棄します。

「限りある命だからこそ人間は生きる意味を感じられるのではないか」

本戯曲はこのことを強く考えさせるものです。9が三つならぶ作品も、まったく同じテーマでした。そういう意味では、銀河鉄道999の思索的な原作は、銀河鉄道の夜ではなく、マクロプロスの処方箋だと言えるでしょう。

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しかし私だったら、堕落するなら堕落してもいいから、可能な限りは生きてみたいと思います。とくにこれからのデジタル革命は世界をどのように変えるかまったく予測もできません。スマホ以前の世界を私は知っていますが、このデバイスは世界を劇的に変えましたよ。でもこれで終わりじゃありません。科学はもっと世の中を変えていくでしょう。その姿を見てみたい気がします。

私もマクロプロスの処方箋が欲しい!!

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