葛飾北斎、オッパイに興味なし! かつて、おっぱいは性の対象ではなかったのではないか?

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「蛸と海女」触手系エロ画像の元祖と呼ばれる春画

日本最高の絵師である葛飾北斎の浮世絵に「蛸と海女」という春画があります。画像は検索すればすぐに出てくるので見てみてください。わたしは熱海市にある熱海城というところでこの春画を見たことがあります。この画については、触手凌辱系画像の元祖だとか、いろいろと批評されているんですけど、わたしがもっとも感じたことは「北斎、おっぱいにまったく興味ねえな」ということでした。

男性器、女性器の部分は陰毛まで描かれているのですが、オッパイは三角をふたつ書いただけ。この画狂老人卍はオッパイには一切興味がなかったんだなあ、と感じました。

昔、おっぱいは性の対象ではなかったのではないか?

江戸時代は男女混浴だったというし、人前で子供におっぱいを含ませることも日常だったようです。西洋人が来るまでは、そもそもおっぱいは日本人の性の対象ではあまりなかったのかもしれませんね。ほかの浮世絵師の春画を見ても、おっぱいに情熱を燃やしている画はすくないように感じます。

おっぱいというのは、女性が隠すようになってから、はじめて男の興味をそそるようになったのかもしれません。南の島の裸族たちも、つねにむき出しの女性のおっぱいにいちいち興奮していないですからね。

あるいはほとんどの日本女性が栄養の問題で貧乳だったから、興味の湧く対象ではなかったのかな? ぺったんこだったら、それほど興味がわきません。だって男の胸と同じだもの。見慣れたものは興味の対象から外れます。

あるいはあの和服というやつが、絵を生業とする人たちに、胸をそそらせなかったのかもしれません。着物は胸のふくらみを隠してしまいますから。洋服のようにオッパイを強調しません。

わたしは今、オーストラリアの恋愛ドキュメンタリーを視聴しているのですが、オージー女性たちがやたらとおっぱいを強調した服を着ていて、もしも同席していたら目のやり場に困るだろうなあ、とオージー男性陣のことが気の毒になりました。わたしは葛飾北斎なみに女性のおっぱいには興味がなく、日本で暮らしていて女性の胸に目が吸い寄せられて変質者あつかいされることはないタイプなんですが、でも白人女性たちの巨大なおっぱいが、ほとんど乳首だけ隠れているようなカクテルドレスを着て目の前でブラブラされたら、さすがにそこに目が行ってしまいます。「なんだこれは?」同じ人間なのにどうしてこんなふくらみがブラブラぶら下がっているのか、と、純粋に学術的好奇心で見てしまいそうです。

葛飾北斎には「萬福和合神」という別の春画もあります。顔が性器になっているという珍妙な図画です。女性の顔が女性性器になっているのですが、やはり胸はまったく描かれていません。北斎の対象は性器100%、おっぱい0%です。

葛飾北斎の春画は、性器は詳細なのに、おっぱいについてはおざなりもいいところです。腹のたるみの線ぐらいにしか描いていません。

「あと5年いのちがあったら、もうすこしましな(オッパイの)絵が書けただろうに」と、いまわのきわに言ったとか言わなかったとか、伝わっています。

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