言霊信仰は「縁起でもないこというな」と思考停止してしまう温床

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言霊信仰の国・日本では東京オリンピックが中止になるシミュレーションはやりません。なぜならそういうことを考えることは、中止を望んでいることと同じことだからです。縁起でもない、不謹慎だ、と糾弾されるのです。だから東京オリンピックが中止になった時のシミュレーションを日本はぜったいにやらないのです。

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仏教国なのにヒンズー教の神様が祀られている謎

「タイって仏教国なのに、どうしてヴィシュヌやガルーダやガネーシャ神が信仰されているんだろう」

イロハが不思議そうに言います。タイの街中には祠があって大勢のタイ人がお参りしているのですが、祠の下には仏像ではなく、バラモン(ヒンズー)教由来の神様が鎮座していることが多いのです。

仏教は人間は平等っていう宗教だから、王族など支配階級にとっては、不都合がある部分もあるんだよ。身分があった方が王家は安泰じゃない? だから王家がヒンズー教を取り入れたらしいよ

腑に落ちない表情でイロハは聞いている。

「そうか。世界にはいろんな風習があるのね」

「そりゃそうだ。イロハは冷蔵庫に貼っていた観光マグネットを全部撤去しちゃったけど、どうして?」

「だって貧乏になるっていうんだもの」

※風水的に、そういう説があるそうです。

「迷信だからね。どこにそんな根拠があるっていうんだ。葬式をあげるなら友引は?」

「絶対ダメ! 友を冥界に引っ張っていく日だよ」

「迷信だからね。タイ人に通用しないことは、迷信だよ」

他国の人に通じない風習、習わしは基本的に迷信だと思っていいでしょう。ネイティブ・アメリカンに通じないことは、まず迷信です。

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言霊信仰は「縁起でもないこというな」と思考停止してしまう温床

日本人の迷信で今でも残っているものが「言霊信仰」です。これは簡単に言うと、口にしたことは叶ってしまう、という思想です。言葉には怨霊のようなものがあって、口にしたことは実現化させる力があると信仰されています。

今、あざわらった人、わかっていませんね。この信仰は今でも根強く生き残っています。

「夢は大声に人前で言おう」「そうすれば後に引けなくなって努力するから夢は叶う」みたいなことを言う自己啓発本の作者がいますが、ベースにあるのは言霊思想です。「強く願ったことは叶う」と魔術のようなことをいう人のベースにあるのは言霊信仰です。

言霊信仰は「縁起でもないこというな」と思考停止してしまう温床になっています。

東京オリンピックが中止になるシミュレーションはやりません。なぜならそういうことを考えることは、中止を望んでいることと同じことだからです。不謹慎だ、と糾弾されるのです。だから東京オリンピックが中止になった時のシミュレーションを日本はぜったいにやらないのです。

大平洋戦争時の戦争シミュレーションでも、敗戦した場合のシミュレーションはやらなかったそうです。敗戦を想定した作戦計画書は「縁起でもない」からです。だから「敵の弾は全部外れて、見方の弾は全弾命中」というやっても意味のないシミュレーションが行われたそうです。

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どうせなら戦勝国の神様を信じた方がまだマシだ

大平洋戦争中、日本人は必死に神道の神様に戦勝を祈願しました。アメリカ人は必死にキリスト教の神様に戦勝を祈願しました。そしてアメリカが勝ったわけですから、信仰するなら神道よりはキリスト教にした方が、まだご利益がありそうです。

どうせなら戦勝国の神様を信じた方がまだマシではないですか?

そんなキリスト教も、中世の終わりとともに「神は死んだ」ってことになっています。

宗教は迷信だといえる日がはやく来るといいですね。

ドストエフスキーは今日の日本人にとっても本当に名作といえるのか?
「裸の王様の感覚」がドストエフスキー評にも必要なのではないでしょうか? すぐ隣で暮らしている人の心さえわからない私たちが、キリスト教に飛躍する人の心を理解していったい何になるでしょうか? その前にもっと知るべきことがあるはずだとわたしは思うのです。
カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え! 
結局のところ、聖書の神の実在・不在と信仰、教会論争であり、神は死んだってことにすれば、すべては無意味です。 日常生活とかけ離れた問題であるため、すくなくとも人生観を変えるようなテーマでないことだけは確かです。 あなたは現実からみずから学んだことを信じますか? それとも聖書に書いてあることを信じますか? いかに大文豪でも、生まれ育った環境と、取り巻く状況の奴隷にすぎないのだと、思いをはせるのが、宗教に依存しない日本人の正しい『大審問官』の鑑賞態度だと思います。
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