なぜわたしはアントニオ猪木を好きじゃなかったのか?

感動・ライフ・お金・仕事
『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。『バックパッカー・スタイル』『海の向こうから吹いてくる風』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』Amazonキンドル書籍にて発売中です。

どちらかといえば嫌いだったアントニオ猪木

このあいだ、アントニオ猪木さんが亡くなりました。アントニオ猪木がどういう人物なのか、それはもういいでしょう。燃える闘魂を知らない人は即座にこのページから離れてください。

わたしは最晩年の難病にかかって立ち上がれなくなった猪木のYouTubeのチャンネル登録をして眺めていました。でも猪木の全盛時代、大ファンだったというわけではありません。どっちかというと嫌いでした。

フィニッシュ技、必殺技あの「延髄斬り」がイカンのだ。

なぜわたしはアントニオ猪木を好きじゃなかったんでしょうか?

いろいろ考えてみたのですが、理由のひとつに猪木の必殺技があります。猪木のフィニッシュ技は時代時代で変化しています。コブラツイストとか、卍固めとか。そしてわたしがプロレスを見ていた時代の猪木の必殺技は「延髄斬り」でした。

わたしがアントニオ猪木をあんまり好きじゃなかった理由のひとつはこの必殺技「延髄斬り」のせいだと思います。あれはいくらなんでもあんまりな技でした。

運動における延髄の効果とは?

わたしはシリアスランナーです。かつてわたしは自著「市民ランナーという走り方」の中で「かかと落としを効果的に決める走法」というのを提唱しています。

速く走るための技術『踵落としを効果的に決める走法』

「踵落とし」という蹴り技を無効化するのは簡単です。振り上げた踵(これを運動エネルギーがゼロの上死点といいます)から脳天を逃がすのではなく、むしろ運動エネルギーがゼロの上死点に打点ポイントをみずから積極的に近づければ、この技の威力を消すことができます。動いているバスの前に身を投げたら死んでしまいますが、動かないバスの前に身を投げても痛くも痒くもない、という理屈です。

またシリアスランナーとして市民ランナーの三冠王・グランドスラムを達成する過程で、延髄に水をぶっかければ、心身が覚醒してゴールを目指す意識がシャキッとするという実体験を何度もしています。延髄に関してわたしは無知ではありません。

延髄というのは脳と脊髄をつなぐ部分にあって、呼吸など生命維持をつかさどる司令塔の機能をもっています。寒い時にマフラーを首に巻くのは、首の大動脈の血管を冷やさないようにしているのではなく、じつは延髄をあたためているのです。その証拠に首はむき出しで延髄だけをあたためるフードのようなものでもじゅうぶんに防寒効果があります。

だから延髄を斬れば、敵は動けなくなる……という理屈はよくわかります。

×   ×   ×   ×   ×   × 

雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論。言葉による走法革命のやり方は、とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。あなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法
腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は?
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。
(本文より)
マラソンクイズ「二本の脚は円を描くコンパスのようなものです。腰を落とした方が歩幅はひろがります。腰の位置を高く保つと、必然的に歩幅は狭まります。しかし従来のマラソン本では腰高のランニングフォームをすすめています。どうして陸上コーチたちは歩幅が広くなる腰低フォームではなく、歩幅が狭くなる腰高フォームを推奨するのでしょうか?」このクイズに即答できないなら、あなたのランニングフォームには大きく改善する余地があります。
ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
・鳥が大空を舞うように、クジラが大海を泳ぐように、神からさずかった肉体でこの世界を駆けめぐることが生きがいです。神は、犬や猫にもこの世界を楽しむすべをあたえてくださいました。人間だって同じです。
・あなたはもっとも自分がインスピレーションを感じた「イメージを伝える言葉」を自分の胸に抱いて練習すればいいのです。最高の表現は「あなた」自身が見つけることです。あなたの経験に裏打ちされた、あなたの表現ほど、あなたにとってふさわしい言葉は他にありません。

https://amzn.to/44MwjHs

×   ×   ×   ×   ×   × 

「延髄斬り」は無効化できる。逃げられる。当てにくい。当たっていない。そして地味!

延髄が人間の弱点だ……という理屈はよくわかるのですが、猪木の必殺技の「延髄斬り」はどうでしょうか? アレって効いてるの?

「踵落としを効果的に決める走法」流にいえば、私はサブスリーランナーとして「延髄斬り」を無効化する方法を簡単に思いつくことができます。「柳の枝に雪折れなし」というように、固く屹立しているから折れてしまうのであって、蹴られた方向に柔軟に運動エネルギーをいなせばかなり力を逃がすことができるはずでしょう。延髄かすりはあるかもしれませんが、延髄を斬るのは難しいと思います。

さらに言えば、延髄というのはかなり蹴りにくいところにあります。プロレスラーというのは肩の筋肉が発達しているので、下から上に蹴ったら肩や腕が邪魔して延髄に当たりません。そしてプロレスラーはだいたい大巨人です。きわめて当たりにくい場所にあるんですね。

実際にアントニオ猪木の「延髄斬り」というのは、ほとんどが敵レスラーの延髄というよりは後頭部をキックしています。レスラーの発達した僧帽筋が邪魔して延髄に当てられないのです。ひどいときには後頭部の髪の毛を蹴っていたと思います(笑)。

また太ったプロレスラーが相手だった場合はどうでしょうか。首の後ろにまで脂肪がついて波うっているようなデブがよくいます。首が脂肪に埋まっているような太っちょレスラーが相手だった場合、仮に延髄にヒットしても厚い脂肪の層にガードされてしまいます。

要するに子供心にも効かねえだろ、こんなキック」とバレちゃっていたんですね。その「後頭部毛髪蹴り」でバッタバッタと相手レスラーを倒していくアントニオ猪木に「なんかおかしい」「うさんくさい」「こいつは嘘つきだ」と感じていたんでしょう。だからわたしはあまりアントニオ猪木が好きじゃありませんでした。

派手! スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットには熱狂した。

わたしが好きだったスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットなんか「いかにも効きそう」な大迫力のフィニッシュ技でした。実際に相手選手の首の骨を折ったこともあったと聞きます。ふっとばされた相手が後頭部をマットにぶつけて、もんどりうってひっくり返るのがものすごい迫力でした。熱狂しました。拍手!!!

それに対してアントニオ猪木の必殺技は地味でした。コブラツイストもジミ、卍固めもジミ、後頭部毛髪蹴り(おっと失礼。延髄斬り)もジミでした。その地味さが好きじゃなかったんだろうなあ。

帝王然としていたのも好きじゃありませんでした。正義のリーダーみたいな立ち位置にいたのがアントニオ猪木でした。昔からそういう人が生理的に嫌いな人間でした。

大人になった今から考えれば、アントニオ猪木は新日本プロレスの社長で、実業家だったんだなあ、ということがよくわかります。けっして肉体の強さだけで帝王然としていたわけではなかったというわけです。また派手な技が効いて、地味な技が効かないわけじゃないということも、大人になった今ならわかります。そもそもプロレスはエンターテイメントショーだということも。

実業家としても秀でていたアントニオ猪木

でも罰ゲームでどっちかを食らわなきゃいけないとしたら、ぜったい延髄斬り(後頭部毛髪キック)がいい。ウエスタン・ラリアットはいやだ。

しかしプロレスを引退したスタン・ハンセンがアメリカの農夫になったのに比べて、アントニオ猪木は国会議員になったり、外国でプロレス興行したり、輸入会社を経営したり、レベルの違う活躍を見せました。ブラジル移民の経験から、南米系のビジネスもやっていて、タバスコとかマテ茶を日本に紹介したのはアントニオ猪木だったといわれています。

燃える闘魂。みごとな生き様。偉大な人生。

わたしは一度なまのアントニオ猪木に会ったことがあります。わたしは海外の日本人学校出身なのですが、その日本人学校を猪木が表敬訪問してくれたのでした。自分が行けば外国暮らしで寂しくしている子どもたちに夢や希望があたえられると考えての行動だったと思います。その時の子供が今でもその時のことを覚えているぐらいですから。とても大きな男でした。四年間ほど海外で暮らしましたが、有名人で日本人学校を訪れてくれたのは猪木だけでした。政治家も芸能人も誰も来なかったのに猪木だけが来てくれました。そういう配慮のできる男だったのです。そういうところが愛されたんでしょうね。

ソウル日本人学校の偏差値レベルと韓国語。卒業生の進路。公立? 私立? 

そして「世界一強い男」看板を掲げていた強い男が、病み衰えてベッドから立ち上がれなくなる様まで見せてくれました。人生を通して語り継ぐにふさわしいストーリーをもつ男。劇的な生涯。見ていたくなる人生。人から放っておかれない男。その姿を見て、ようやくここにきて男の偉大さにわたしは気づいたのです。

燃える闘魂は偉大でした。みごとな生き様だったと思います。

あの世に行ったら闘魂ビンタしてください。男の魂を、気合いを注入してください。

タイトルとURLをコピーしました