京都には紅葉を見に行ったのである。
それは見事な紅葉を見ることができた。
そして夏と秋の境目も見ることができた。
緑が夏、赤が秋である。色の境が季節の変わり目だ。
ちなみにこちらが冬と春の境目である。
蕾が冬。桜が咲いているところが春である。その境が季節の変わり目だ。
冬は着こめば何とかなるが、夏は全裸になっても暑い。夏の家に冬服で住むのが日本式
見事な紅葉が見られただけあって、肌寒い日もあった。
とくに床下がすかすかで風通しのいい場所が寒い。
夏は涼しくていいんだろうが、冬に向いた建築ではない。
残念ながら日本は夏は暑く冬は寒い。サンダルマンには住みにくい国だ。
モンゴル帝国のように夏の都・ザナドゥ、冬の都・大都のように、国家ごと引っ越せればいいのだが、わが日本でそのようなことは不可能だ。
だからどうしても夏の暑さ、冬の寒さに苦しむことになる。
せめて光源氏の六条院のように夏宮、冬宮を建築できる財力があれば、それぞれふさわしい夏仕様、冬仕様の建築ができるんだろうが、普通の人間にそのような贅沢は不可能だ。
ひとつの家に春夏秋冬住み続けなければならない。
冬は着こめば何とかなるが、夏は全裸になっても暑い。
すると風通しのいい涼しい夏仕様の家に、十二単のように冬服を着込んで過ごすことになる。
和風建築はたいていこのようなものだ。夏の家に冬服で住むのが日本家屋なのだ。
そんなことを京都の寺院の廊下で考えた。
エアコン以前の話しである。