旅の目的は「冒険」ではなく「お経」
西遊記の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵が西へと旅立ったのは「冒険」がしたかったからではありません。「お経」を手に入れたかったからです。「この世に生きることの意味」「どうすれば苦しみから救われるのか」を知りたかったからです。旅のどんな苦難にも耐えられたのは、西域の経典の中に自分の求めているものがあると信じていたからでした。
旅をするのは「何かを探しているから」
この本の著者であるアリクラハルトは、バックパッカースタイルで世界30か国100都市以上を旅してきた旅人です。その私にも似た思いがあります。旅したのは冒険がしたかったからではありません。どこかに、何かを探していたからでした。楽園探求の旅——言うのは簡単です。しかし楽園とはどんな場所でしょうか。そこに何があれば満足できるのでしょう。そんな私が旅路の果てに掴んだ楽園の思想とは? それをまとめたのが本書になります。
幸せに生きるとはどういうことなのか。そもそも幸せとは何なのか。それを追求せずに旅をすることに私はあまり興味がありません。
大切なのは「どこにいるか」ではなく「心に何が映ったか」
百聞は一見に如かずの精神で、自分とは違う価値観を生きている人々をこの目で見てきました。彼らの価値観を、自分の人生に反映させることはできないものでしょうか。
やればできる、というのが本書の結論です。旅から感じたこと、学んだこと。それこそが西天取経の旅の「お経」に相当する私の人生の言葉です。
本書は人間の魂に一時代を画する哲学というようなものではなく、私のための備忘録にすぎません。バックパッカースタイルで生きてみたら、アリクラハルトはこんなものを見つけた。アリクラハルトはこんなことを感じたというようなことが書いてあります。
しかしだからといって、それを伝えることが無駄だとは思っていません。
私にとって真実でも、あなたにとって真実とは限りません。そのことはよくわかっています。それぞれの人にとっての真実は、各人の具体的な状況、具体的な経験の中で、それぞれが見つけるものでしょう。
しかし見つけるための方法論は伝えることができます。それが本書の説くバックパッカースタイルです。ユーミン主義であり、プアイズムであり、新狩猟採集民としての生き方であり、お客さまという権力であったりします。
自分が何を求めていたのか。自分がどうしてそんな場所をさまようことになったのか。道に迷ったときに、ここに戻って確認できるように。そのための書物です。それが同じように人生の旅に出ようとするみなさんの参考になれば、これにまさるよろこびはありません。
また、あらたなる旅立ちの前の、決意表明でもあります。人はいつまでも旅人です。人生という旅を、私はバックパッカースタイルで通り過ぎてみようと決めたのです。
2025年8月 アリクラハルト

