ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』の内容、あらすじ、感想、書評

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『ドラクエ的な人生』とは?

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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ノーベル文学賞『ジャン・クリストフ』の説明文体

ここでは1904年から1912年にかけて発表されたノーベル文学賞受賞作品ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』について書評しています。

現実に目の前でドラマが展開されているような会話文ではなく「こういうことがあった」「これこれこうだった」と説明文を連ねる文体がつづくため、なかなか読むのが辛い作品でした。ノーベル文学賞という冠がなかったら、途中で読むのをやめていたかもしれません。

【読書】若いと、読めない!

作者ロマン・ロランはフランスの小説家ですが、主人公クリストフは(フランスにやってきた)ドイツ人です。ベートーベンがモデルだと言われています。

だからといってクリストフが作曲家として大成功する過程を描いているわけでもなく、フランス文化を異邦人として批評する文筆家として名をなしたりするので、あくまでも作者ロマン・ロランが投影されたオリジナルの人物だといえるでしょう。

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『ジャン・クリストフ』の内容、あらすじ、感想、書評

自分の両親さえ万事が思い通りにやれるものではない。人間のうちには命令するものと命令されるものがある。家の人も自分も前者に属するのではない。彼の心身は激しく猛り立った。屈辱を感じた。

彼があれほど誇りにしていた両親が意地悪い軽蔑すべき他人の前に頭の上がらないこと。すべては揺り動かされた。獰猛な力のためにおしつぶされた。息が詰まった。絶望的な反抗のうちに全身を凝り固めた。ぶつかり、わめきたて、痙攣に襲われ、突き当たって怪我をしながら倒れてしまった。

→ ベートーベンがモデルだといわれるだけあって、頑固に自分を貫く人物としてクリストフは設定されています。

母がどんなに苦しんでいるか、どんなに心を痛めたか、それを彼は夢にも知らなかった。

→ 全能に思えた親がそうでもなかった、ことをクリストフは知るのでした。私にも同じ経験があります。

死——彼が死んでしまった後もみなは快活にしてるかもしれない。死なない先から、自分自身を、自分の死を、嘆き悲しみたくなった。

ただ、後になって、わしがもういなくなった時、おまえはこれを見て、おまえの年取ったお祖父さんを思い出してくれるだろう。ねえ。お祖父さんを忘れやしないね。

→ 「ジャン・クリストフ」は、クリストフの誕生から死までを描いた一代記です。最初の別れは祖父との別れでした。やがては母と別れ、愛する人と別れ、世界と別れることになります(自分の死)。

自分より長い命があるに違いない孫の作品。おまえが立派な音楽家となり、芸術の光栄となったときに、有名になったときに、おまえを最初に見あらわし、将来を予言したのは、この年取ったお祖父さんだったということを、思い出してくれるだろうね。

それじゃあ——わしは死ぬのか! お母さん! この老人が臨終の苦しみにおいて自分の母を呼びかけるその呟き。

→ 老人がとっくの昔になくなっている「お母さん」と呼びかける。それが人間なんですね。

いたずらな努力を尽くして生命を取りとめようとしても、生命は刻々に腐乱してゆく。しかしそういう考えは、彼を圧倒するどころか、かえって憤激と憎悪とに燃え立たした。少しも諦め顔をしなかった。不可能に向かってまっしぐらに突進していった。自分の方が弱いとわかろうと、さらに意に介しないで、苦悩に対し反抗することを少しもやめなかった。運命の獰猛さにたいするたえざる闘争。

→ 死などの不条理に対して怒ることができるのは若者だけです。クリストフも老境になると死を受け入れるのでした。そういう意味ではちゃんと人生を描いている大河小説といえるでしょう。

小さな諍いは友情を維持するものだということは誤りである。

はじめての愛をあじわうと、自分の全部をあたえるとともに、また向こうからも全部をあたえてもらいたかった。

→ はじめての友情です。それは自分だけの幻想の友情でした。相手にこちらの気持ちを投影しているだけで、相手はいていないようなもの。だから相手が自分の思い通りに行動しないとムカついてしまいます。

谷間から立ち上る靄のように、それらの考えは心の底から湧き上がっていた。未知の欲望のまわりをただぐるぐる回るばかりだった。それは自然の盲目な力のにわかの沸騰であった。

愛する。愛する。たがいに身を捧げ、たがいのために死にたいという欲求にかられていた。もはや自分がわからなかった。もはや平素の自分ではなかった。純潔の、無我の、絶対的献身の、瞬間であって、もはや生涯にふたたび来ることのない瞬間であった。

→ 自分の命を捧げようとし、相手にも同じものを求める。ひとりよがりの幻想の愛情にありがちの情景です。だから「自分だけの幻想」だって言ってるでしょ(笑)。

彼に財産がないことや、身分も……。それはなんでもないことで、自分は金持ちにも有名にもなろうし、名誉や金や、ミンナの欲するものはなんでも手に入れようと言い張った。

あなたは私を弄んでいらした。私はあなたの慰みになり、気晴らしになり、召使でもありました。しかし今は誰の召使でもありません。私は伯爵ではないにしても、伯爵以上の名誉を自分のうちに持っています。さようなら、あなたは私を見誤りました。私はあなたを蔑みます。

→ プライドゆえに人と別れる。これも多くの人に経験があるのではないでしょうか。傷つけられたことで相手のことを許せなくなってしまうのです。

不当な非難には答えることができる。しかしかかる丁寧な無関心さの空虚に対してはどうすることができよう。彼は狂わしくなった。そして万事終わった。

→ 愛の反対は憎しみではなく無関心、というやつですね。

ときとして少年の心を噛みさいなむ愛憎の発作は、いかに激しいか想像以上である。それはクリストフの幼年時代のもっとも恐ろしい危機であった。この危機のために彼の幼年時代は終わりを告げた。

クリストフは声を立てた。他の世界はすべて消え失せ、他の心痛はすべて吹き払われてしまった。父の死体の上に身を投げた。そして二人はいっしょに泣いた。

→ 父との別れです。母親の面倒をクリストフは見るのでした。出来の悪い弟がいますが、頼りになりませんでした。その後、弟たちは登場しません。

人生は容赦なき不断の争闘であって、人を卑しくなし滅びさせんとするものと、たえず闘わなければならない。往け。往け。決して休むことなく。

どこへ往っても、終わりは常に同じではないか。

→ 激しく生きてものんべんだらりと生きても人生の終わりは同じです。人生に意味がないとしたらどんな生き方もしても同じようなものです。それでも激しい生き方を選ぶ。それがベートーベンであり、クリストフなのでした。

死すべき汝は死に往け。苦しむべき汝は苦しみに往け。人は予が掟を履行せんがために生きているのだ。苦しめ。死ね。しかし汝のなるべきものになれ——一個の人間に。

→ クリストフの心の中の神との問答です。そもそもクリストフというのはクリスチャンと語源を同じくしているのでキリスト教的な話しだろうなあと思ったそこのあなた正解です。この神との問答はラストシーンにも登場します。むしろどんな相手(人間)との問答よりも神との問答の方が重要だったりします。

人間をつくるものは、思想よりもむしろ体質の方であるから。人類の最も大なる区別は、健康な人と、そうでない人とである。

→ こういう「健康・肉体思想」大好きです。

肉体宣言。生きがいとは何だ? 肉体をつかってこその生き甲斐

瀕死のものは生命にとりすがる。しかし自分の内に太陽と生命とを有する者は、なんで自分以外のところにそれらを求めに行く用があろう。

こんな身体に生まれるとはなんの因果だったろう。なんと醜く見えることだろう。ザビーネは人に愛されるだけのことをしたのか? なんにもしないでいる。そんなことで人に好かれているのだ。クリストフに。

→ 人間、見た目ってことですね。「人間は中身だ」と信仰している人には許しがたいことかもしれません。

マラソン呼吸法。「フォームを維持することに力を使いすぎてしまう状態」にならないように気をつける。

幾度となく不正の苦しみを受けたことのあるクリストフは、今や他人に不正の苦しみを与えることをおぼえた。

愛するものの常として、彼女を通してすべてを見ていた。彼女の喜びのおののきを一々感じ、彼女の情緒を高まらしていた。恋人とひとつに溶けあいながら、自分の一身を挙げて彼女に与えきっていたのである。

×   ×   ×   ×   ×   × 

主人公ツバサは小劇団の役者です。

「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」

恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。

「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな

アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。

「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」

ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。

「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」

惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。

「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ

劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。

「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も

ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。

「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」

ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。

「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」

「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」

尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。

妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ

そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。

「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」

そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。

「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」

そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。

「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って

Bitly

×   ×   ×   ×   ×   × 

愛するものをあえて享楽することができず、むしろそれを恐れた。愛することは、愛するものを穢すことによってしか可能ではないのか?

そのなまあたたかい接触の思い出だけが、あの愛する身体から得た唯一のものである。彼女はまったく知られないままで去っていった。魂も肉体もすこしも知ることがなかった。彼女の愛? その証拠さえあったのだろうか。

人は皆順次に幾世紀となく十字架に上っていく。かつて死とたたかい、死を否定し、そして死んだ人々、彼らの足跡そのまま、各自にたどってゆく。

彼女は食べ飲み歌い踊り叫び笑い眠ることだけを心にかけていた。大食であり、怠惰であり、淫蕩であり。

自分はその軽蔑に相当する者ではない、という自覚があった。それでも彼はついに狼狽してしまった。自分に罪があると考えた。

彼は激高して叫んだ。言われたって自分は雨が落ちかかったほどにも思わないということ。夫人は大声をたてた。かつて誰からもそんな調子でものをいわれたことはなかった。小僧っこから自分の家で説諭を受けるものか。彼を侮辱的な態度で取り扱った。

彼らの罪ではなかった。無愛想な生活の罪であった。大悲惨ではなく、たえず繰り返される不運、一滴づつ落ちてくる小さな悲惨から変化されてしまっていた。

→ 仕事を聞けば人がわかる、というやつですね。「仕事では嫌なヤツ、家族には優しい素敵な人」という人を私は信じません。同じ人間のすることであり、境界はどこにもなく、いやな面、いい面がどちらにもにじみ出るはずだと思うからです。

「私のために音楽を捨ててくださって」「そんなことはできるものかね」「それでも私を愛してるというの? 悪いことでもしてくださって?」「いやだよ」「私があなたを愛さなくなっても愛してくださるの?」「そうは思えない」「私が変わったらどうなるの?」「今のままのおまえを愛しているんだ。まったく別の者になったら愛するかどうかうけ合えない」「私はそういうふうに愛してもらいたいのよ」「おまえは人を見違えたんだ」

→ 人は変われる、という人がいますが、私はどうかな、と思います。変わらないから「あの人はこういう性格」と言えるのであって、そう簡単に人が変わったら、個性、性格、人格なんてものは「無いのと同じ」ではありませんか?

憤怒の身振り。眼を閉じて、両手で胸を押さえた。心臓が裂けそうだった。嫌悪と絶望の発作に打たれた。

いや、メルキオルさんだ。よく見覚えがある。一つの作品もなく、ひとつの思想もなく、ひとつの持続した努力もなかった。

もし誰の気にも逆らうまいと欲するならば、生涯のあいだ、凡庸者どもが同化し得るような凡庸な真実だけを凡庸者にあたえることで満足するがいい。人生の此方にとどまっているがいい。

彼は人々を無関心にはさせないと自信していた。聾者でもなければ作品に力がこもってることを拒み得まい。

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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
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※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。

Bitly

星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

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造作もなく得られると思っていた成功に対する信頼の念。

もはや一人の味方をももたないことであった。

僕が有名な人間になりたがっているとでも思っているのか。聴衆だの著名だのということには少しも関わりたくないんだ。

小さな町の人々の好奇心と批評とを招いている。あちこちに激しい視線を投げ返してやった。

殿下、私は嘘をついてると言われたくありません。おまえにはただ黙る権利しかないんだ。

自分の希望は人生において実現困難。過去の音楽家が通った恐るべき艱難な道。泰然たる堅忍さ。おのれの道をたわまずたどっていった。今日書くものは明日のために滅ぼされるかもしれなかった。聴衆がなかった。未来がなかった。それでもかき続けた。自分自身と神のために。

学生らの上に愛情を移していた。しかし報いられることはまれだった。

老人は異なった時代の人である。青年は自分の努力の悲しい終局からは本能的に眼をそらすのである。

メメント・モリ。死を忘れるな

死人を相手に話をしていた。死ぬ前に二三事言おうとしたが、それができなかったので、悲しい微笑を浮かべながらあきらめて、夏の夕べの平和のうちに目を閉じたのである。

ヴィクトール・フランクル『死と愛』子供のいない女性は無意味なのか? 生きること。人生の意味を問う格好の命題

息子が犠牲にしてくれたすべてのものを彼女は感じた。

ああ、みんないっしょに生まれていっしょに死ぬことができるのだったら。

かくして彼は母を置き去りにしたのであった——一生の間。

蹴ってくださいとお尻を出していたね。も少しでお礼でも言うところだったろう。恥ずかしくないんですか? お前たちは男じゃない。あの人を助けるか、いっしょに祝杯を挙げるかが本当です。

彼は人間の卑しさをどん底まで感じようとした。くたばるまではなんでもやってみなけりゃいけない。

激しい闘いによってのみ得られる享楽。芸術とは征服せられたる人生なのだ。シーザーになりたくば、シーザーの魂をもたなければならない。

【肉体宣言】走るために生まれた

死が存在するところには芸術は存在しない。芸術、それは人を生きさせるものだ。

周囲をながめて、自分も同じようなことをし、その人たちのように平凡になってしまう。

時は過ぎていき、年は流れ去り、青春は去ってしまいます。美しいもの、善良なものが、私たちのうちにはあったんですのに……母親たちはただ私たちを結婚させようとばかりしています。

聖書は夢想の源であった。ヘブライのイーリアスともいうべき書物の精神力、生命力は魂を洗う泉であった。

小説のはじまりは「怒り」。詩聖ホメロス『イリアス』は軍功帳。神話。文学

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心の中の神との対話。心の中の先人との会話

兄弟よ、われわれが控えている。しっかりせよ。われわれもまた、不当に大きな悲惨をなめたのだ……。なに、どうにか切り抜けてゆけるものだ。

→ この言葉を発したのは過去の作曲家たちです。いわばクリストフの心の中の幻想の会話です。神との対話もそうですが、『ジャン・クリストフ』では心の中の会話が重要な意味をもつのでした。

自由であることのよろこびのために生きている。その魂はもう他のところでは生き得ないだろう。

「私は女性を愛した。しかし常に自由をより愛した」byカサノヴァ

ジャコモ・カサノバ『回想録』世界一モテる男に学ぶ男の生き方、人生の楽しみ方

一緒につまらなく暮らすというだけの国や家族の愛し方。立派な人間は皆息がつけないでいる。そんなところでは窒息して死ぬのほかはないだろう。

もし死ぬことがあっても愛する者たちの幸福のために奮闘しながら死ぬのは無為無能のうちに消えてしまうよりはましじゃないか。

おう人間よ、汝自身を助けよ! おう人間らよ、たがいに助け合え!

どうして我慢できるか。優れていることを自分で知っていながら、手向かいもせずに踏みつぶされるままになっているじゃないか。

自分の心に従いますか? それとも社会のルールに従いますか?

殴れれるよりも人を殴るほうがずっと怖かったのだ。

いっぺんうんとやっつけて片をつけてしまえ。

ある民衆が聖書で身を養っている間は、僕はそれを全くの文化の民だとはけっして信じないだろう。

ジョン・バニヤン『天路歴程』の魅力・あらすじ・解説・考察

なかなか自分らの境遇を改善できなかった。

誰もいない聴衆席「素敵だ! おれの音楽はこの方がよく響くだろう」

フランスをユダヤ国たらしめようと望んでもらいたくない。向こうが支配する場合には女にしてもユダヤ人にしても、とてもたまらないことになる。

ピーター・フランクル『世界青春放浪記』ユダヤ人問題は被差別部落問題に似ている。人間の集団は差別せずにはいられないのかもしれない。

祖国フランスが危機に瀕している。きみたちの無情無感がそれを殺すのだ。きみたちの思想が諦めに入るにつれて。

世間的活動の雄々しい習慣をもっていない人々は、必ずや世間的活動の玩具となされてしまう。

われわれの魂に血を塗る権利はない。われわれが生まれ出たのは光明を広めるためであって、光明を消すためにではない。

真理は他人の心の中に求むべきだ。自分の頭の中に求むべきではない。

ぼくはきみを愛している。しかし生以上には愛していないのだ。

行動のみが生きているものだ。焼き尽くす炎か闇夜か、そのひとつを選ぶばかりである。快楽をも苦痛をも利得をも損失をも勝利をも敗北をもすべて意に介せずして全力をもって戦え。

空腹な思いをする。金があるときには平素の二倍も食べて補っていた。けれどそれも長い間には結局身体を弱らす摂生法だった。

→ むかしから「節制」という考え方はあったんですね。

断食。エンザイム。オートファジー現象。血管内プラークで生きていく断食派の悟りの境地について

後には女が隠れていて、その女から身を滅ぼされているのであった。愛情は天才を飼いならし、平にし、枝を切り、自分の感受性や小さな虚栄心や平凡さと同程度のものとなし、自分たちの社会の平凡さと同種のものとなしてしまう。精力は鈍くなり、独特な性格は摩滅していく。享楽し眠ることばかり考えている死にかけている者。もう自分の考えもあえて口に出さず、もはや考えることもなく、残骸になっている驢馬。

文体とは魂に他ならないのだ。

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主人公ツバサは小劇団の役者です。

「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」

恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。

「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな

アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。

「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」

ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。

「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」

惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。

「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ

劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。

「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も

ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。

「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」

ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。

「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」

「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」

尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。

妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ

そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。

「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」

そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。

「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」

そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。

「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って

Bitly

×   ×   ×   ×   ×   × 

ジャックリーヌは自分に敵対するオリヴィエの信念を粉微塵にしてやろうとつとめた。彼女は彼を自分の一反映としてしまいたがっていた。

落伍者と才能者とを区別する者は結局成功の如何であると信じるようになっていた。オリヴィエはもっともよき力を失った。

成功を博した役者はすぐに自分の芝居と自分の脚本を持つようになるのだった。

病気の原因たる無為閑散。寝床に長くなったまま腹いっぱい食わせられて過ごすむなしい日々。なぜ血液を頭から心へ戻らせる利己心の出血療法を行わないのであろうか。

早急に乱読する現今の人々は、いい書物をゆっくり味わうときにそれから輝きだす霊妙な力をもはや知りえないのである。

これまでに読んだ最長の本は何ですか? 読書はマラソンに似ている。

この世で人が幸福になり得られる程度には幸せ。

他人の上に太陽の光を注がんためには、自分のうちにそれをもっていなければならない。

強者をしいたげ利用している。病弱で貧乏で愚昧で打ち負けていることが一つの勝ちとでもなったかのようだ。強くて健康で打ち勝つことが一つの不徳とでもなったかのようだ。

オリヴィエを目指したのではないある剣先が、彼の左の胸に達した。アントアネットが身を犠牲にしたのが何の役に立ったか? 困難と希望……それらにいかなる意義があったのか。生の無意義さ。死の無意義さ。一人のものが消し去られ、なんらの痕跡も残らない。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』人生の意味、意義はフィクション。おのれが選んだ物語

相手の目の中に殺意を認めた。そして彼のうちにも殺意が目覚めた。殺してしまった。彼は怒号した。暴動となった。

→クリストフは人を殺してしまいます。その後、国を出るので官憲に追われたり牢獄に繋がれたりすることはありません。いい時代だったのですね。でも現代小説としてはどうでしょうか。

人が失うのは、愛した友をばかりでなく、愛するすべての理由をであり、愛したすべての理由をである。なんのために友は生きたのか? なんのために自分は生きたのか?

人は芸術をただ不幸によってのみ判じ得る。不幸こそ試金石である。死よりもさらに強い人々は、ただ不幸のうちにおいてのみ知られる。世界の美も苦悩の指で叩かれると、いかにうつろな音をたてることぞ!

キリスト教が世界一の信者数を誇る不滅の宗教であるのはなぜなのか?【獄中記】オスカー・ワイルド

生には存在理由がないことを知らされながら、行きる理由をこしらえ出す。実は言ってもらいたいと思う言葉を死者に無理に押しつけているのだということをみずからよく知っているのである。

自分だけが絶頂に達したのだと思いこみ、今度は新米者の石の下に打ち倒されて滅び失せる。死滅の空虚を満たすことのできない芸術の空虚。

→ 芸術や文化の世代間の相克のことです。ヘーゲル哲学ですね。

種族の本能以外には、その宇宙的な力以外には、ただ塵埃のごとき情緒が存ずるばかりである。

プライマル・スクリーム(原初からの叫び)

無制限に没頭する者こそ、もっとも偉大な人である。

それは恋愛ではなかった。しかも恋愛より千百倍以上のものだった。いかなる代価を払ってもアンナを得たい。

すべてが知られている。この街においては誰も自分の本心の秘密を守る権利をもたない。個人は生涯を通じて後見されている子供のようなものである。彼のもの何ひとつ彼の所有ではない。彼は町に属しているのである。

町から去った。自分の心を埋め、自分の考えを眠らし、忘れるのだ。忘れるのだ。

霊こそは、肉の重みにたゆまずば、常に戦の勝利者なるぞ。

キリスト教信者でない者が聖書を精読してみた

折れくじけはしなかった。さあおれを倒せ。なぜおれを打ち倒さないのか?

予は虚無と戦う生である。予は闇夜のうちに燃える火である。予は永遠に闘争する自由なる意志である。汝も予とともに戦い燃えるがよい。

→ 予、とはクリストフの心の中の神です。このセリフが作品の大団円を導きます。

汝自身のことを考えずに、汝の軍隊のことを考えて見よ。汝は汝自身のものではない。汝はよし打ち負けるとも、決して負けることのない軍隊に属しているのだ。汝は死んでもなお打ち勝つであろう。神と言えども戦っている。予はただ勝利によって己が道を開いているのだ。常に闘わなければならないのだ。

共同生活ではもっとも純潔なものもついには汚れてしまいます。幸福な結婚というのはめったにありません。二人の意志をいっしょに結び付けるには、両方でないまでもその一方を、不具にしてしまわなければなりません。

×   ×   ×   ×   ×   × 

このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

×   ×   ×   ×   ×   × 

娘。一つの女の魂から咲き出た花。美しいとともに物悲しい。移りすぎるのが見て取れるから。クリストフは自分の愛する女をその一連の全種族においても愛したかった。やがて彼女の美しい目が閉じるときに現れてくる一人の者の告知者ではなかったろうか。

自分の伴侶のうちに老年の衰えまでも愛する。その小さな皺を私はよく知っている。それが刻まれるのを私は見てきた。いつそれができたかを私は知っている。そして悲しいかな、多少は私のせいで色を失ってきたのだ。

おう、生は、そして死は、こんなだったらいかに美しいことであろう!

若い者たちは老人らを墓穴の中に投げ込むものだ。現今では人の歩みがずっと早い。一つの時代はずっと早く疲れてしまう。奴らだって長続きしない。大急ぎで我々を軽蔑して日向をのさぼり歩くがいいさ。彼らは我々の努力を取って豊かになっていて、われわれよりいっそう遠くへ進み、われわれが試みたことを実現するんだ。

→ 老境となったクリストフは次世代に託します。もはや自分でどうこうしようとは考えませんでした。

あまりにも老いすぎているならば、彼らのうちに自分自身を眺めて楽しみたいものである。

彼らの喜びは我々の涙から出てきたものです。ひとつの時代の苦悩から咲きだしたものです。

われわれは約束の土地の入り口まで方舟を導いてきた。方舟はその土地へ、我々の力によって入っていくだろう。

たとい旧世界の美が自分とともに滅びようとも、世界の新しい曙のほうを祝福したかった。

主よ。私の愛した女が住んでいたのは、あの身体の中にであるのか。彼女はどこにいるのか。そして私自身も、彼女を愛した男はどこにいるのか。何が残っているか。灰ばかりだ。火はどこにあるのか。

彼の神は答えた。予のうちにある。

前進せんかな。彼は肉体から遠ざかりかけていた。病みほうけた粗末なその肉体……その中にかくも多年のあいだこもってきたことはなんと不名誉なことだろう。もう長くはもつまい。

自分の芸術の存続を信じることの幼稚なる幻よ。他のいかなるものよりもいっそう早く音楽上の言葉は燃え尽きる。やがては忘却のうちに崩壊するだろう。

芸術は自然の上に投げつけられた人間の影である。

『月と六ペンス』サマセット・モーム

生涯の終わりに、もっともひとりぼっちの時にも孤独ではなかったとみずから考えるのはなんといいことだろう。私へ君たちをさずけてくれた運命に祝福あれ。私の心は満たされている。

私たちが皆いっしょに集まる場所へ行くのです。

わがなせしところははなはだわずかであった。されどわれはそれ以上をなし得なかった。われは闘い、苦しみ、さまよい、創作した。我をして汝のやさしき腕の中に息をつかせたまえん。

→結局、キリスト教の天国なんですね。『カラマーゾフの兄弟』でドストエフスキーが最後の救いをキリスト教に求めたように。

カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え! 

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
Bitly
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
https://amzn.to/3OBWtUR
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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