原爆の日に観る『はだしのゲン』
本日8月6日は広島に人類史上はじめて(人間の生活する市街地に、殺傷兵器として)原子力爆弾が落とされた日です。
というわけで、原爆にちなんだ映画『はだしのゲン』を見ました。長らくタイトルは知っていたが、作品(1983年公開のアニメ映画)を通して見たのははじめてです。
これまでに原作漫画を手に取って、ぱらぱらとめくって見たことはありました。しかしちょっとめくっただけで、とても最後まで読もうという気になれませんでした。
どうしてこれまで見なかったのか? 原作の絵がおどろおどろしかったことも大きな原因ですが、それだけでありません。それは読まなくても、たぶん原爆とか空襲とかで人間がゾンビみたいに焼けただれてボロボロになっちゃう作品であることをなんとなくわかっていたからだと思います。作品のテーマも読む前からほとんど想像がつきました。
たぶんあなたにだって読まなくても想像がつくでしょう。この作品のテーマや、悲しいシーンが。
想像のつくストーリー、想像のつくテーマで、爽快感のない、悲しい作品をどうして好んで観る(読む)気になるでしょうか? 観る(読む)なら原爆の日の今日しかない。そう思って映画を見てみました。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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予想通りのストーリー、予想通りのテーマ、それでも一度は観るべき映画
結論から言うと、予想通りのストーリー、予想通りのテーマでした。もしかしたら過去にこの作品を見たことがあったのではないかと思うぐらい心の中にえがいた通りの作品でした。誰でも思いつく作品というよりは、後発の作品がお手本にした原典のような作品なのかもしれません。
何の責任もない子どもの目線で、戦争反対を訴えるテーマでした。原爆が落ちて、生活がめちゃくちゃになって、家族と死に別れ、それでも生きていくという作品でだろうと予想していましたが、予想どおりです。
だからといって『はだしのゲン』に観る価値がないとか、意味がないなどというつもりはありません。むしろあの戦争や原爆の悲惨さを再確認する意味でも、一度は見ておくべき作品だと思います。
ここではストーリーや、テーマのことは語りません。むしろ作中、ひとつだけ気になったシーンがあったので、そのことを掘り下げてみたいと思います。
なぜ原爆被爆者は水を飲むと死んでしまうのか?
映画『はだしのゲン』の中に次のようなシーンがありました。
黒い雨が降ってきます。その雨は放射能を含んだチリの雨であり、放射能の影響で、悪寒が走り血便が出て髪の毛が抜けた上に血を吐いて死ぬ人もいます。放射能は細胞を遺伝子DNAレベルで破壊するから、毛が抜けたり、血を吐いて死に至る人がいる理屈はこれまでの学習で知っていました。東日本大震災の福島原発事故のくだりで放射線の恐怖についてはよく学んでいたからです。
こんなシーンもありました。喉の乾いた被爆者に親切心からゲンが水を飲ませてあげます。すると水を飲んだ被爆者が次々と死んでしまうのです。「えっ? なんで?」私は唖然としました。水を飲むと死んでしまう原因が、映画の中では一切説明されていません。
被爆者が水を飲むと死ぬってみなさん知っていましたか?
私は知りませんでした。どうして水を飲むと死んでしまうのでしょうか。謎だったので調べてみました……っていうか映画の中で解説してくれるのが親切ってものだと思いますけど?
被爆者が水を飲むと死ぬ医学的解説が欲しい
広島平和記念資料館を見ていますが、展示の字は一切読みませんでした。字は本やネットでいつでも読めます。だから展示だけを見ていました。モノが語り掛けてくる言葉に必死に耳を傾けていたのです。
被爆者が水を飲むと死ぬ。その理屈が展示の中で解説されてあったのでしょうか??
どうして被爆者は水を飲むと死んでしまうのでしょうか? 医学的な解説が欲しいところです。
調べてみると、どうやらこのシーンは実話のようでした。『はだしのゲン』は作者中沢啓治の体験から生まれた自伝的作品だとされていますが、すべてが自身の体験ではないでしょう。同じ被爆者の悲惨な体験を取り入れつつ話を膨らませていったに違いありません。
実際に飢えて水を欲しがる被爆者に水をあげたら目の前で息絶えてしまったという体験を語っている人がいます。その人の体験を『はだしのゲン』はエピソードに取り入れたのでしょう。
四千度の熱線と爆風と火災によって人体の表皮のみならず体の内側まで火傷してしまった被爆者が水を飲むと、喉や気管支が腫れて膨れ上がったり水泡ができたりして窒息してしまうということが調べると書いてありました。
曖昧ですね。体内まで火傷していたり、火傷が腫れあがって窒息したりすることもあるかもしれないが、水飲んだ直後に死んでしまうほど即効性のものかね。
医学的な説明よりも、心理的な説明の方が腑に落ちる8月6日
思うに、被爆者が水を飲んだ直後に死んでしまった現象は、医学的な意味では謎のままなのではないでしょうか。
だからこそ映画の中では、ちゃんとした解説ができなかったのでしょう。ただ、そういうことがあったと事実は事実としてエピソードだけを描き残したのだと思います。
医学的には説明できない現象に対して、心理的な解説をしている人もいました。
「大ヤケドした人は、水が欲しくてその気力で生きていられた。だから水を飲ませると安心して死んでしまうんだ」と。
なるほど、そうかもしれません。すこしだけ、わかる気がします。
たとえば仕事を退職したら急に生き甲斐を失って老け込んでしまう人や、妻を失ったら後を追うように死んでしまう人がいます。希望を失うと、ガッツを失って、腑抜けてしまうタイプの人が存在します。
窒息説よりも、気力説の方が、私には理解できる気がしました。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。