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『1984年』はディストピア小説。『すばらしい新世界』はユートピア小説

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自由イコール幸せ、自由は幸福の象徴か?

このページではオルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』という書籍を通じて、幸福とは何かをみなさんと一緒に学んでいきたいと思っています。

また明示されていないラストについても解説します【ネタバレあり】。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

野蛮人ジョンは、新世界のつくられた安直な幸福の中に生きることができませんでした。他の世界を知っていたからです。生まれ育った場所が違ったからです。

たしかに自由だったのはジョンでしょう。しかし、幸せだったのは、新世界の住人か、野蛮人ジョンか、どちらでしょうか。

自由とは、ほんとうにしあわせの象徴なのでしょうか?

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Amazon.co.jp: 片翼の翼: なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? ツバサ 電子書籍: アリクラハルト: Kindleストア
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オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』はユートピア小説

作品世界に描かれる楽園とはこのようなものです。

最終戦争の後、人類は過ちを繰り返さないように、新世界を建設しました。神や過去の歴史などは抹殺しました。その代わりに大量生産、大量消費がルールとなっています。

子どもは培養瓶から取り出されるため親子関係は存在しません。フリーセックスなので夫婦、恋人関係も存在しないのです。

蚊やハエの絶滅した世界です。媒介者もなく、病原菌もなく、病気になることはなく、60歳でコロリと死ぬまで老醜をさらすことはありません。

らんちき騒ぎを好むような若者特有の嗜好は生涯変わることはなく、性欲も若いままに続きます。若者らしさ、老人らしさの喪失した世界です。人々は孤独になることはなく、常に誰かと一緒にいます。

万が一、意に添わないことがあったとしても古代インドの神の飲料の名を持つ「ソーマ」を飲めば、問題は解決してしまうのでした。

ソーマは幸福感をもたらす副作用のないドラッグです。幸福とは、せんじ詰めれば、脳内に幸福ホルモンが満たされた状態なのだから、幸福ホルモンを摂取すれば無条件で幸福になれるのです。だからソーマを飲めば、脳内に幸福を感じるホルモンと同じものが満たされて、とにもかくにも人は幸福の中に眠りこけてしまうのでした。

この世界では、たとえば原爆など、いきすぎた科学は人類を不幸にするだけだと考えられているので、一定のところで科学の発展は止められています。遺伝子操作で人間は職業別に階級分けされていますが、洗脳によりそのことに不満を持つことはない。なによりもソーマさえあれば……。

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『すばらしい新世界』はユートピア小説

ディストピア小説(暗黒郷、反ユートピア)小説とされているが、それほど反ユートピアと思えないと感じました。「すばらしい新世界」のどこが暗黒郷、反ユートピアだと評価されたのでしょうか?

現代人の感覚を保存している「野蛮人ジョン」が感じる疑問がそのままこの疑問に対する答えになっています。

結局、ジョンは神を要求し、母を要求し、不幸になる権利を要求するだけなのです。ふるさと、を要求しているようなものです。幼い頃に見た世界を——

いわば「リアル」を要求したのでした。

老いもなく、孤独もなく、禁欲の必要もない、不幸感をソーマで消してしまえる世界に対して、ジョンはそれしか要求のしようがなかったのです。

私などは「それでいいではないか」と思ってしまいます。反証として、たとえば多くの人にとって理想郷のように郷愁を持って語られる少年時代は、けっして「リアル」ではありません。親に守られ、親に養われていたからこその黄金時代です。リアルというのは、労働のことであり、生存競争のことであり、思い通りにならないということです。

リアルを要求する気持ちがわからないわけではありませんが、リアルに直面したことで不幸になることは、たくさんあります。知らない方がよかった、ということは世の中にいっぱいあるのです。

新世界はすばらしくありませんか?

西暦3020年を人類は無事に迎えられるでしょうか? これからも科学技術が際限なく発展し続けたら、人類はあと千年もたないのではないか?

それがリアルです。でも幸せな人はそういうことには目をつぶってお祭りを踊っているのです。

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ジョージ・オーウェル『1984年』は胸糞わるくなるディストピア小説

これに対して、同時に読んだジョージ・オーウェルの『1984年』は、正真正銘の反ユートピア小説でした。『1984年』も最終戦争の後の世界を描いているSF小説です。

やはりリアルな歴史は改ざん、抹消されていて、現体制だけが正しいものとされています。常に監視されている世界で、主人公は網にかかって拷問されて、思想転向させられるのです。同じディストピアと評される小説ですが、『1984年』は、途中で気が滅入っていやになってしまいました。いかに斬新な未来像を提示していようとも、気が滅入るような地獄の描写など読みたくありません。楽しむために、生きているのだから。

しかし『すばらしい新世界』は楽しく通読できました。作品の大半を占める世界観が気が滅入るような暗い世界ではないからです。むしろ『すばらしい新世界』はユートピア小説なのではないか、とさえ思います。

この小説を反ユートピアとしか見られない人は、人生の成功者で、今の自分、今の世界が大好きで、それを否定されたくない人でしかないのではないでしょうか? ジョンが「ふるさと」「リアル」を要求したように。

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物語は進化する。現代読者は単純な勧善懲悪ストーリーでは満足しない

作劇術は歴史を重ねて進化します。作品は進化するのです。

自分の心に従いますか? それとも社会のルールに従いますか?
人間本来の人道的な性質(ヒューマニズム)と、社会的正義(法や規則)が対立した場合、あなただったらどちらに従いますか? 自分の心に従いますか? それとも社会のルールに従いますか? このページでは、家族の正義と社会的正義が対立した場...

たとえば昔の「ヒーローもの」は、誰が見ても悪を相手に、誰が見ても善が戦うという単純なものでした。たとえば『マジンガーZ』では私利私欲のために世界征服をたくらむ悪の帝王の野望を打ち砕くべく正義のヒーローが戦うというような単純な勧善懲悪ストーリーでした。

しかし『宇宙戦艦ヤマト』ぐらいからでしょうか。敵には敵の正義があるってことになってきました。ガミラス軍が侵略戦争を仕掛けたのも自らの生存権のためにやむを得ずだった、というように。戦艦大和がモデルなので、現実の戦争を作品に取り入れたために、アメリカ軍にはアメリカ軍の正義があるかもしれないが、日本軍にも日本軍の正義があったのだ、というふうに思えるようになってストーリーに深みが出てきました。

これが『機動戦士ガンダム』ぐらいになるともうジオン軍と連邦軍のどっちが正義かわかりません。サイド3のすなおに独立を認めてやればよかったんじゃないか?

そのような意味で、同じディストピア小説でも『1984年』の架空世界は、あきらかに悪の世界が支配しています。それに正義が負けて呑み込まれてしまうというストーリー展開をしていきます。そういうところが通読できなかった理由の一つでもあります。新世界の世界観に共感できないと、読んでいて面白くないのです。勧善懲悪ストーリーと同じです。底が浅く、しかも良心の主人公サイドがラストで潰されてしまうわけですから後味が悪いったらありません。現実の政治の世界に照らせばそれが「リアル」ってことかもしれませんが。

それに対して『すばらしい新世界』が描く新世界には一定の「すばらしさ」があります。現代よりも、こっちの新世界の方がいいじゃないかと思わせる魅力があるのです。野生児ジョンと新世界は対立するのですが、ジョンの理屈よりも、新世界の理屈の方が説得力のある幸福論に聞こえます。

だってみなさん、野生児じゃないでしょ? スーパーマーケットで白砂糖や、アブラやアルコールを購入して食べている都会人じゃないですか。それらは一種のソーマです。そんな近代人である我々が、即座に野生児の理屈に共感するのは無理があります。いまの自分を否定することに繋がるからです。

本書の文学的な深みは、そこにこそあるともいえるでしょう。

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不幸になる自由を要求する

『すばらしい世界』はユートピア小説なんじゃないか?

しかしその世界観と対決する感覚をもっている「野蛮人ジョン」は、神を要求し、母を要求し、不幸になる権利を要求します。

老いて醜くなり、無力になる権利はもちろん、梅毒や癌にかかる権利、食料不足に陥る権利、虱にたかられる権利、あしたどうなるかわからないという不安をつねに抱えて生きる権利、腸チフスになる権利、あらゆる種類の言語に絶する苦痛に苛まれる権利も。そのすべてを要求します

ジョンが要求したものは、要するに「不幸」です。「昔からあったもの」です。逆にいえば、これらはもうこの「すばらしい新世界」にはないのです。

私の人生を変えた本『サド侯爵夫人』にも似たようなセリフがあります。

ルネ「人に笑われ蔑まれるためのお金は、びた一文もお使いにならなかった」

『サド侯爵夫人』三島由紀夫の最高傑作
『サド侯爵夫人』は三島由紀夫とサド侯爵の共著といってもいい作品。きわめてキリスト教的な作品です。神の敵について考えれば考えるほど、神についても考えざるを得ないからです。サドの光はイエスの光あってこそのものでした。神の天敵は、神のごとき存在なのです。

原初の闇から発する言葉には力があります。人間の根源から発した問いや要求には人の心を震わせる力があります。

作中でジョンは野生児とされていますが、それは新世界の基準から見ての評価で、実際には現代の私たちの感覚に近いものを持っています。いわば我々が野生児なのです。私たち読者は、ジョンと同じ境遇です。母がいて、家族があり、病気や貧困の不安を抱えて生きています。ジョンの不幸の肯定に私たちは感動します。しかし、それは「自分を肯定したい気持ち」からかもしれません。

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ジョンはヨハネ。自由としあわせとは違う

野蛮人ジョンは新世界のつくられた安直な幸福の中に生きることができませんでした。

他の世界を知っていたからです。生まれ育った場所が違ったからです。

ジョンは荒野の修行僧のような暮らしをはじめます。

知っていますか? ジョンというのはイエスを洗礼した預言者ヨハネの英語読みです。

ヨハネは真の救世主の先駆けとなるような人物でした。ハクスリーの新世界にも、ジョンの後に続く救世主は現れるでしょうか?

キリスト教が世界一の信者数を誇る不滅の宗教であるのはなぜなのか?

しかし「すばらしい新世界」の同一、均質な人たちは、自分たちとまるで違うジョンに過剰な干渉をよせ、彼の修行を邪魔します。そしてとうとうジョンは、自分がしょっちゅう唱えていたシェイクスピア作品のオセロやロミオのように、自殺してしまいました。

「すばらしい新世界」の住人は自殺なんかしません。自殺する理由がないからです。シェイクスピア作品なんて読みもしないし、知りもしないからです。

自殺する自由、自分の命を好きなように使っていい自由を、野蛮人ジョンだけが持っていたのです。

死ぬ権利とは何かに命を賭ける権利のこと。死ぬ自由がなければ人間の他の自由は死んでしまう。
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たしかに自由だったのはジョンでしょう。しかし、幸せだったのは、ソーマを飲む新世界の住人か、野蛮人ジョンか、どちらでしょうか。

同じディストピア小説だとされる「1984年」と「すばらしい新世界」ですが、「1984年」の世界観があからさまにディストピアだったのに対して、「すばらしい新世界」の世界観はそれほどディストピアとは思えないのです。

ジョンの生涯は悲劇に終わりましたが、彼が認識を変えればどうにか防げた不幸だという気がします。「すばらしい新世界」は、悲劇ではあるが、ディストピアではないと感じました。

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