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【作り手と受け手の差】推しのコンサートにのれない人。歌手のリサイタルに夢中になれない理由

推しのコンサートにのれない男。歌手のリサイタルに冷めてしまう、夢中になれない理由

 

いい齢(五十代)して、推しのコンサートを見に行くことに熱狂している人を知っている。

イロハ

推し」がいるだけ心が若いよね

ハルト

いや。アホなんじゃない? 十代、二十代ならまだしも五十代でしょ?

イロハ

そういえば、私たち、歌手のコンサートとかまったく行かないわね

ハルト

だってアホみたいにノれないんだもの。どっちかというと冷めちゃうの、おれ。

なぜ私は歌手のコンサートで熱狂することができないのか?

イロハ

なぜハルトは歌手のコンサートで熱狂することができないの? 没頭感を味わうことができれば楽しいのに。

 

ハルト

なんというか……もういい齢なんだからさ、他人に熱狂するのはやめて、自分に熱中すればいいじゃないか。

イロハ

みんな自分に熱中したうえで、元気や勇気を推しにもらいに行くんじゃない?

ハルト

五十代にもなって、年下の歌手に勇気や元気を与えてもらわなきゃならないのか。そんな人生でいいのかな。

イロハ

単純に音楽が好きなだけかもしれないよ。

ハルトも音楽大好きじゃない?

ハルト

たしかにノーミュージック、ノーランニングのおれだから、毎日ランニングをしながら音楽を聴いているよ。

曲に合わせてステップを刻むわけだから、これは一種のダンスみたいなものなのかもね。この快楽にくらべると、ただコンサートで乗るだけというのは面白くないんだ。費用対効果があわないよ。無料で好きな音楽聞きながら走った方がいい。

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(本文より)
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ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
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オタ芸サイリウム(ペンライト)ダンス

イロハ

身体を動かした方が快楽だというのはわかる気がするわ。

サイリウム(ペンライト)を振り回して、音楽にあわせてダンスを踊ったら(笑)?

ハルト

ヲタ芸ダンスな。あそこまで振り切れたら楽しいかもしれん。

肉体宣言。生きがいとは何だ? 肉体をつかってこその生き甲斐

 

作り手になると、創作物を昔ほど純粋に楽しめない

自分がどうして好きな歌手のコンサートに行こうとも思わないのか検証してみました。

自分の人生が充実しているから推しから元気や勇気をあたえてもらう必要が全くない」とか「すでに音楽はランニングしながら楽しんでいるからわざわざコンサートに行く必要がない」とか、まあいろいろな理由が考えられます。

しかし最大の理由は、もはや自分が受け手ではなく送り手の側にいるからではないかと思います。

作り手になると、創作物を昔ほど純粋に楽しめないのです。アーティストの表現の意図、テクニックが見えてしまうのです。歌詞のテクニックが見えるし、コンサートの演出の意図などがわかってしまうのです。

すると、没入して熱狂するというよりは、勉強しに行っているようです。

ハルト

私はすでに表現者であって、受け取り手ではないため、大人のつくったコンサートに我を忘れて熱狂することができないのです。

だってそれは演出されたショーだから。

この境地になると、推しのコンサートだけでなく、映画や芝居でも同じことになります。

熱狂できるものがひとつふたつと減ってしまうのですが、それが学んだ、成長したということなのでしょう。仕方ないかな、と思っています。

すこし残念な気もしますけどね。いつまでも初恋の気持ちをあじわえたらいいのにね。

でも私はそれを乗り越えようと決めたのです。プロの漁師が魚が釣れたぐらいで大騒ぎしないようなものです。マラソンを完走したぐらいでいちいち「成し遂げた」なんて思わなくなるようなものです。

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(本文より)

カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。

「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」

金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。

あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。

あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。

人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。

むしろ、こういうべきだった。

その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。

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