将棋八冠 なんでそんなにタイトルがあるのか?

橋に将棋の駒の名前がついている
将棋の藤井聡太さんが将棋のタイトルを総なめにして八冠に輝いたとか。。。さぞや将棋が強いんでしょうね。八冠王ですから、将棋がものすごく強いことはよ~くわかりました。しかし彼が強いことを証明するために八冠も必要でしょうか?
これはいってみれば日本チャンピオンが八人いるようなものです。それは厳密には日本チャンピオンとはいいません。日本に1人しかいないから日本チャンピオンなのです。八人もいたらチャンピオンとはいいません。
将棋は運で決まるものではないでしょう。実力が勝負の結果にモロに出ます。だから藤井棋士が出ればどのタイトルだって勝てるに決まってるじゃん。タイトル全部取るのがあたりまえじゃん。むしろこれまでの棋士で一冠とかしか取れなかった人は本当の意味では日本一じゃなかったんだろうと思います。他の七冠で負けているわけですから(もしくは不戦敗)。
将棋のタイトルが八冠と多い理由。
これほど将棋のタイトルが多いのは新聞社をバックにしたスポンサーがそれぞれの将棋王のタイトルをつくったからです。そういう意味ではボクシングと同じです。ボクシングには三、四団体あるから厳密には三、四人の日本チャンピオンがいるのです。「それは厳密には日本チャンピオンじゃないだろう」とツッコミたいところですが、万が一にもラッキーパンチから一気にノックアウトがあるから、ボクシングは将棋ほど「出れば全部勝って当然」の世界ではないと思います。またボクシングは団体の中で上がっていくのが基本で、団体をまたいで試合をすることは例外です。だから団体別にチャンピオンがいてもそれほど違和感はありません。
しかし藤井聡太さんなり、羽生善治さんなりを見てもわかるとおり、将棋の場合は団体(タイトル)またぎで試合に出るのは普通のことです。すると八冠というのはそんなに凄いことなのかしら。こけおどしじゃない? ただ日本一強い棋士が一人いたってことだけじゃないかしら?
すくなくとも従来の日本一の棋士よりも八倍も強いということではないと思います。
一冠だけって……八冠取れない方がおかしいんじゃないか?
わたしはずっとマラソンを走ってきたのでよくわかるのですが、勝てる選手はどのレースに出たって勝てるんですよ。逆に勝てない選手はどれだけたくさんレースに出たってひとつも勝てません。マラソンは運で決まるものではないからです。実力が勝負の結果にモロに反映します。下位の選手は上位の選手に何度やったって勝てないんですよ。順位のヒエラルキーはだいたい決まっています。入賞できる選手はどのレースでも入賞するのです。ずるいよなあ、とずっと思っていました。そのマラソンでもトップ中のトップは入れ替わりがあります。体調のよしあしや、一発勝負でそのレースに賭けてきた人にはかなわなかったりします。でも将棋はどうでしょうか?
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将棋でこれまで一冠とか二冠とかしか取れなかった人は、むしろ他のタイトルをもっている人に気を使ってそちらのタイトル戦は本気を出さなかったんじゃないか、という気がします。プロ棋士ごとに棲み分けしていたんじゃないか。相手にも生活があるから将棋界の共存共栄のために勝ちを譲ったんじゃないか、という気がしてなりません。忖度とでもいいましょうか。
だってそうでしょう? 将棋のような頭脳戦の場合、勝てる人はどのゲームに出たって勝てると思いませんか? むしろ一冠しか取れずに、残りの七冠は負けてしまった人は、その一冠はまぐれに過ぎないという気がします。
何か間違ったこと言っていますかね?