動画サブスクリプションで見る『名探偵コナン』の一気見がおすすめ
動画サブスクリプションで名探偵コナンを見ています。アニメは前後編の二本立てであることが多いのでテレビだと一週間の空白のせいで見る集中力が途切れてしまいますが、動画サブスクだと連続して見ることができるので一気に見られて楽しめます。
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推理小説が書けないのは殺人トリックを思いつかないから
ところで私は推理ものは苦手です。トリックとかさっぱりわかりません。純文学小説を書いていますが、推理ものは書けません。売れている本は推理サスペンス小説ばかりなので本当はそういうのが書けた方が印税収入的にはいいんでしょうけどね。
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主人公ツバサは小劇団の役者です。
「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」
恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。
「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」
アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。
「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」
ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。
「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」
惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。
「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」
劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。
「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」
ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。
「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」
ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。
「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」
「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。
「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」
そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。
「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」
そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。
「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」
そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。
「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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殺人トリックなんてさっぱり思いつきません。なぜ殺したか、なぜ死ななければならなかったのかといった文学的な追及に興味はありますが、どうやって殺したのかトリックについてはさっぱり興味がわきません。推理小説を書くには文学とはまた別の才能が必要なのでしょう。
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文学的な手法でプロファイリング。
そんなトリック音痴な私ですが、不思議と名探偵コナンの犯人は言い当てることができます。トリックはさっぱりわからないけれど、なぜか犯人を当ててしまうのでした。もしかして俺って名探偵なんでしょうか?
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どうしてこれほど犯人を当てられるのか、自分で分析したところ、やはり得意の文学的な手法によってプロファイリングしているみたいです。
こんな場面でこんなこと言うやつは犯人だ、という類型・パターンがあるように思います。たくさん視聴してきましたからね。
たとえば誰かが犯人だとかなり強引に主張する人は、そいつが犯人です。
たとえば犯行現場の状況をやけに詳しく知っている人は、そいつが犯人です。
たとえば犯人を追いかけていたら向こう側から飛び出してきてぶつかって「怪しい声がしたんで僕も追いかけてきたんだ」という人は、そいつが犯人です。
このように推理ものの犯人には類型があります。すこし言葉にしにくいところもあるのですが、におい、雰囲気、違和感、直感的に犯人が分かってしまうのです。コナン本人ほどではないが、かなりの犯人的中率だと思います。
毛利小五郎が犯人だと指摘した人物は犯人ではない、というような消去法で犯人が分かることもあります。
視聴者にこの人物を犯人と思わせてミスリードしてやろう、というブラフのキャラクターについても独特のにおい、雰囲気があります。つまりそいつじゃないやつが犯人なのでした。
犯人はお前だ! 大物声優が演じるキャラクターが犯人だ
アニメが好きなので声優さんについても聞き分けることができます。誰が大物声優で、誰がそうでもないのかもだいたいわかっています。
すると、大物声優が演じるキャラクターが犯人だったりします。
その他大勢のキャラクターのことをアニメではモブキャラというのですが、大物声優がこんなモブキャラで出演するはずがないという制作サイドの大人の事情を読み取って犯人が分かってしまうこともあります。
名探偵コナンでは主要キャラクターたちが客演キャラと出会って物語が展開します。客演の中でいちばんセリフが多いのはなんといっても犯人です。探偵に犯行が暴かれた後に、どうして自分が犯行に及んだのか、過去の軋轢と苦しみを語り出します。そこが見せ場になっているわけですね。次にセリフが多いのは「殺される人」です。殺される人も憎まれるだけの濃いキャラクター造形だからセリフが多い場合が多いのです。それ以外の人はモブキャラです。たいてい大物声優が演じるのは「犯人」か「殺される人」です。セリフの少ないモブキャラをノッている声優さんが演じていることは少ないです。
たとえば「大学のサークルの同級生が集まった」みたいな人間関係では基本的にはみんな対等なはずじゃないですか。誰かひとりがセリフの数が極端に多いのはたぶん「殺される人」でしょう。威張りくさって傲慢だから怨みを買って殺されたんですね。犯人は最初は無口で目立たないかもしれません。でもコナンに犯行が暴かれた後でちゃんと見せ場(せりふ)があるから大丈夫です。
「おれは許せなかったんだ。あの時あいつは……」と喋りはじめます。大物声優さんのお仕事はここからが本番です。こういうことからも犯人が分かってしまうんですね。
犯人はお前だ! おそらく大物声優が演じるキャラクターが犯人です。わかりましたか?