このページでは私サンダルマンハルトの過去の大悪夢。運転免許一発取り消しの実体験について述べています。
もう思い出したくもない昔の話しですが、しかし他人から見れば興味津々の話題ではないかと思います。
他人の不幸は蜜の味といいますからね(汗)
このシリーズは、
①運転免許一発取り消しの実体験
②一年間の免許取り消し欠格期間(車を捨てると行動範囲がひろがります)
③免許取消処分者講習会と運転免許一発試験(反吐が出るような思い出したくもない体験)
④一発試験合格後の車社会とのつき合い方、距離感
と4回シリーズでお届けします。
「1トリップを二重に罰していないか? 同じ行為が北海道なら罰せられないというのはどうか?」
簡易裁判所の判事にいいたかったあの時の叫びが、この記事を書かせるのです。
同じ殺人が、北海道なら懲役で済むが、本州だと死刑になるとしたら、その法は不公平ではないでしょうか?
県警単位でスピード違反を取り締まっているために、ひとつのスピード違反がそれぞれの県で別のもののように扱われて、それぞれで罰せられてしまうのです。
たとえば化学工場が有害汚水を河川に放流した時、その河川が流れている都道府県でそれぞれ別個に罰するとしたら不公平が生じます。
同じ有害汚水の放流という罪に対して、河川が流れている都道府県の数で量刑の重さが違ってくるからです。
毒の放流は同じ行為なのに河川が単独の県内ならば罪が1で、河川が4県にまたがっていたら4の罪でしょうか?
これでは同じ罪には同じ罰という原則が成り立っていません。
ヨーロッパの河川のように国をまたいで流れているなら国ごとに企業を訴えてもいいかもしれません。しかし日本はひとつの国なのです。
都道府県ごとにそれぞれ罰することは正当なことでしょうか?
交通事故で他人を傷つけても免許を失わない人がいる不公平感。
青森県から千葉の自宅に帰る東北自動車道で二回オービスを光らせて、私は、運転免許一発取り消しとなりました。
簡易裁判所で私は主張したくてなりませんでした。
「この裁きは公正なのか?」「1トリップを二重に罰していないか?」と。
「パーソントリップ調査の定義でいう1トリップなのに、縦割り行政のために、一つの行為を二重に罰していないか?」
しかし裁判沙汰になることは避けたいのが本音でした。
いくら争っても、きっと判例というものがあるはずです。
インターネットでいくら探しても事例が出てきませんでしたが、私が初めてのケースとは思えない。
過去に同じ行為をした人と同じ量刑でオートマチックに裁かれるのが判例法です。同じケースはごまんとあるように感じました。
万が一、私が最初のケースだとしても、争って最初に判例をつくる事例にはなりたくありませんでした。
最初の事例としてマスコミ沙汰になったりするのも避けたかったのです。
もうひとつ私が判事にいいたかったことがあります。
世の中には、交通事故を起こして、他人の身体をめちゃくちゃにしても、免許取り消しにならない人がたくさんいます。
無免許運転、酒酔い運転、スピード違反したわけじゃありませんから、人を傷つけても、免許を失わない人がたくさんいます。
「おれは速く走っただけ。誰も傷つけていないし、何も壊していない」
スピード違反で免許取り消しになった人は、みんなこういいたいのだと思います。
他人の血を流し、他者の骨を折って耐えがたい痛みや苦しみをあたえても、免許取り消しにならない人がいるのです。その一方でスピード違反の私は誰にも痛い思いをさせていません。
ただ空気を速く動かしただけです。
「これが公平な裁きですか?」
速いことは、そんなに罪なのでしょうか。
いや、罪ですよ。罪は認めます。でも他人の足の骨を折って走れなくするような人でも免許を失っていない一方で、どうして風を速く動かしただけで免許を失わなければならないのか。公平さにおいて納得ができません。
免停ではありません。免許取り消しです。欠格期間一年です。
交通事故で他人を傷つけても免許を失わない人がいる一方で、何も傷つけていない自分が免許取り消しとなるのは不公平だと感じずにはいられませんでした。
運転免許一発取り消し。言葉には聞きますが、あまりそんな人を見たことはないのではないかと思います。
その滅多にいない人がここにいます。それが私です。
いいたいことはたくさんありましたが、すべてを呑み込みました。
「認めます……」
私は言いたいことを呑み込んで判事の前で罪を認めました。
叫びだしたいほど主張したいことがありましたが、すべてを呑み込み、免許取り消しとなったのです。
免許取り消し欠格期間の過ごし方(車への禁断症状への対処法)
免許は失いましたが、車は残っています。
当時、これで車社会と縁を切るという選択肢は考えませんでした。
あまり運転が好きではないとはいえ、車社会にどっぷりとつかっていたのです。
「免許を再取得しよう」
漠然とそう思いました。
免許を再取得するためには、一年間の取り消し期間(欠格期間)を経た後に、免許取消処分者講習を受けなければなりません。
この講習を受けると、ようやく運転免許試験を受ける資格が得られるということでした。
私は速すぎる相棒・愛車シルビアを駐車場に封印しました。
こうして徒歩と自転車と電車と飛行機の日々がはじまったのです。
免許取り消し期間中は一度たりとも車に乗りませんでした。
ずっと車社会にどっぷりとひたってきた人物は、急に車に乗れないとなると禁断症状がでます。
日常のルーティーンに組み込んでいた車が急に失われたため、日々が断絶してしまったように感じるのです。
時々テレビで「事故を起こした人が無免許運転だった」ニュースが流れることがありますが、私はちょっと気持ちがわかるような気がします。
若者の場合ははじめから免許をもっていない無謀な運転でしょうが、運転者が中年の場合はたぶん免許取り消しになった人でしょう。
その人物がどんな違反をして免許取り消しになったのか知りませんが、免取り(めんとり)なのに車に乗ってしまった心理プロセスは私も経験しましたから。
青森までの一般道があまりにも遠く「もうしばらく運転はしたくない」と思った私ですら、車への禁断症状が出たのです。
もともと運転する技術はあるのです。そして車もあるのです。
ただ返納していますから免許証だけがありません。
これまでの免許不携帯で車に乗ってしまったことは何度もあります。その状況とあまり変わらない気がしてしまいます。
普通に運転していて、免許証の提示を求められることなんてまずありません。車社会での経験値があるため、「そこらへんまでなら問題なし」と判断してつい乗ってしまうのでしょう。
一度乗ってしまうと、禁断症状に負けた麻薬中毒患者のように、次から次へと乗ってしまいます。
家族などに免許取り消しのことを隠していると、見栄から乗ってしまう人もいるかもしれません。
家族サービスのちょっとした買い物など、車がないと不便なことは多いからです。
そうして誤魔化してきたことが、ある日、事故を起こしたことで表面化してしまうのでしょう。
私は一度たりとも乗りませんでしたが、免取りなのに車に乗ってしまう気持ちはわかります。
その対策ですが、私の場合は、免許取り消しになったことを周囲に隠しませんでした。
もう乗れないのだ、ということを認識してもらって、運転手としての頭数に数えられることを期待しないでもらったのです。
免許取消を隠していて、周囲から運転手の役割を期待されるのは辛いものがあります。
自分から役割を降りてしまうのがいいと思います。
免許取り消し欠格期間の過ごし方(車を捨てると行動範囲が飛躍的にひろがります)
最初の一二カ月は時々禁断症状に襲われました。これまでクルマでしたことの数々が思い出されます。
買い物。デート。どこへ行くのもクルマでした。大きな買い物をするときには本当に車は便利でした。
しかし突然車に乗れなくなったのです。
これから今まで通りのまともな生活をしていけるのだろうか。そう思いました。
とにかく乗れないものが仕方がありません。
さいわいにして私の場合は「どこまでだって走っていける脚力」がありました。
自慢の脚力をフル活用することにしました。
買い物は近くのスーパーでしかしません。買ったものは足を使って手で運ぶのです。
それはスポーツクラブで運動しているようなものでした。
私は頭を切り替えることにしました。
世の中にはわざわざお金を払って自分の時間をスポーツクラブでのトレーニングに割いている人たちがいます。
トレッドミルの上を歩いたり、重たい鋼鉄を持ち上げたりしています。
そう考えると、買い物に歩いたり、買い物かごを持ち上げたりすることは、スポーツクラブに通っているようなものです。
基本、どこへ行くにも走りました。
走るのが面倒なときは、自転車です。
ちょっとした用事はママチャリに切り替えました。
取り消し免許期間中、一度たりとも車の運転をしませんでした。
車社会と強制的に縁を切られたのです。
すると不思議なことが起こりました。なんと行動範囲がひろくなったのです。
とくに旅行先の範囲が圧倒的にひろがりました。
車に乗れない以上、公共交通機関を利用するしかありません。
どこへいくのも電車です。
するとこういうことが起きたのです。
これまでは車で熱海や箱根に旅行していたものが、電車で京都や広島に行くようになりました。
車で福島や山形に旅行していたものが、飛行機でイタリアやハワイに行くようになったのです。
車で行けるところは所詮は近場です。
自分で運転する以上、寝て行くわけにはいきません。
車は確かに便利な乗り物ですが、車によって人間の行動範囲がひろくなるというのは人によっては誤りです。
私の場合は、車を捨てて行動範囲がもっと広くなりました。
車の代わりに飛行機に乗れば、海外に行けます。
車がなくてもできること、車がないことのメリット、そういうものを見つめることにしたのです。
いつしか私の車に対する禁断症状はなくなっていました。
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このブログの作者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』のご紹介
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードをガチンコで競うようになるところまでを描いた自転車エッセイ集です。
※書籍の内容
●スピードこそロードバイクのレーゾンデートル
●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。体重ライディング理論。体重ペダリングのやり方
●アマチュアのロードバイク乗りの最高速度ってどれくらい?
●ロードバイクは屋外で保管できるのか?
●ロードバイクに名前をつける。
●アパートでローラー台トレーニングすることは可能か?
●ロードバイククラブの入り方。嫌われない新入部員の作法
●ロードバイク乗りが、クロストレーニングとしてマラソンを取り入れることのメリット・デメリット
●ロードバイクとマラソンの両立は可能か? サブスリーランナーはロードバイクに乗っても速いのか?
●スピードスケートの選手がロードバイクをトレーニングに取り入れる理由
初心者から上級者まで広く対象とした内容になっています。
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免許がないと顔写真つきの公的身分証明書がない時代だった
免許取り消しになって一番困ったのは「身分証明」でした。
いまではマイナンバーカードという顔写真付きの身分証明書があります。これは高齢者が免許を返納しやすいように作られた一面があります。
当時は運転免許証以外に公的に有効な顔写真付きの身分証明書がなかったのです。
海外での身分証明書といえばパスポートですが、パスポートの問題は現住所の記載がないことです。
たとえば新規にビデオ屋さんに会員登録したかった時に、顔写真付き身分証がなくて入会を諦めたことがありました。
ビデオ屋さんとしては返却のために現住所が知りたいのです。パスポートには「日本国」としか書いてありません。パスポートは国内の身分証明書としては使えないところがあります。
免許停止の場合は車に乗れないまでも免許証は手元に所持しているので身分証明書としてつかえるのですが、免許取消の場合は免許を返納していますので、手元に有効な公的な身分証がないのです。
社員証なんかでは、公の身分証明書とはいえません。
困ったり、諦めたり、そのようにして何とか車のない社会と折り合いをつけて生きていたところ、反省期間(欠格期間)の1年間が過ぎていました。
私は免許を再取得しようと思いました。
もう一度車に乗りたいという禁断症状があったわけではありません。
車への禁断症状はすっかり抜けて「べつに車なんかなくても生きていける」とさえ思っていました。
「仕事と身分証明さえクリアできれば免許証なんかいらない」
車社会と縁を切ってもいい。そんな境地になれたのも、スピード違反一発免許取消のおかげでした。
あのような強制的な荒療治でなければ、今でも惰性で車に乗り続けていたのではないかと思います。
しかしそれでも免許は再取得しようと思いました。
ひとつには仕事で使う可能性があることと、もうひとつは公的な身分証明証として非常に便利な免許証は再取得しておいた方がいいという気持ちが強かったです。
事故で車をオシャカにしたわけではありません。スピード違反でしたから、車は健在です。
もう日常的に車に乗る生活にまた戻ろうとは思わないが、まあ何か困ったことがあったら乗ればいい、と思いました。
免許を再取得しよう。
そうして、私はいわゆる免許取消処分者講習会に参加することにしたのです。