運転免許一発取り消し実体験。1トリップを都道府県で重複して罰していないか? 

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

このページでは私サンダルマンハルトの過去の悪夢。運転免許一発取り消しの実体験について述べています。

もう思い出したくもないのだが、しかし他人から見れば興味津々の話題ではないかと思います。

他人の不幸は蜜の味といいますからね(汗)

このシリーズは、

①運転免許一発取り消しの実体験

②一年間の無免許反省期間(車を捨てると行動範囲がひろがる)

③免取講習と運転免許一発試験(反吐が出るような思い出したくもない体験)

④その後の車との距離感

と4回シリーズでお届けします。

「1トリップを二重に罰していないか? 同じ行為が北海道なら罰せられないというのはどうか?」

「これが公平な裁きといえるのか? おれは風を強くかき回しただけ。誰も傷つけていないし、何も壊していない。」

簡易裁判所の判事にいいたかったあの時の叫びが、この記事を書かせるのです。

同じ殺人が、北海道なら懲役で済むが、本州だと死刑になるとしたら、その法は不公平ではないでしょうか?

県警単位でスピード違反を取り締まっているために、ひとつのスピード違反がそれぞれの県で別のもののように扱われて、それぞれで罰せられてしまうのです。

運転免許一発取り消し実体験。1トリップを都道府県で重複して罰していないか? 
一つの行為をそれぞれの場所で罰する今の交通法の制度(都道府県単位の縦割り)は正しいといえますか? 同じ殺人が、北海道なら懲役で済むが、本州だと死刑になるとしたら、不公平ではないでしょうか?  県警単位でスピード違反を取り締まっているために、ひとつのスピード違反がそれぞれの県で別のもののように扱われて、それぞれで罰せられてしまうのです。
免許取り消し欠格期間の過ごし方(車を捨てると行動範囲が飛躍的にひろがります)
ずっと車社会にどっぷりとひたってきた人物は、急に車に乗れないとなると禁断症状がでます。しかし車から電車や飛行機に乗り換えれば行動範囲は飛躍的にひろがります。 慣れれば、車社会と縁を切ることも可能です。
免許取消処分者講習会と運転免許一発試験の合格のノウハウ
わたしが運転免許一発試験に合格できたのは、インターネットのおかげです。ネットで情報を収集していなかったら無理だったと思います。試験官のチェック項目さえわかっていれば、免許取消・再取得の人なら一発試験で合格できます。
車を手放す。車社会と縁を切る。運転免許再取得後のクルマ社会との距離感について
車を捨てたら行動範囲が飛躍的にひろくなりました。車で熱海や箱根に行く代わりに、飛行機で台湾や香港に行くようになったのです。 そしてその方がずっと面白かった。 車を維持して国内旅行しかできないのと、車を捨てて海外旅行に行くのだったら、私は車を捨てる方を選びます。
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【この記事を書いている人】

瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのサンダルマン・ハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。

初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。月間走行距離MAX600km。ランニング雑誌『ランナーズ』の元ライター。『市民ランナーという生き方(グランドスラム養成講座)』を展開しています。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。

また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。

そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべてのスピード狂。ロードバイクって凄いぜ!!

山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。

その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。

登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。

千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!

※この稿の内容は以下のとおりです。

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日本は狭いという認識は交通安全運動の標語由来の偏見。日本はひろい

市民ランナーの世界には「国獲りマラソン」という言葉があります。日本中のすべての都道府県のマラソン大会を完走しようというきわめて個人的な旅ランの挑戦のことを国獲りマラソンといいます。

私も以前はこの国獲りマラソンに挑戦していた時期があります。

私は千葉県民なのですが、青森県のマラソン大会にエントリーしたのは、国獲りマラソンに挑戦していたからでした。

その時期に近場で他にいいマラソン大会が無かったこともエントリーした理由の一つです。

私はいまでもそうなのですが、できるだけ高速道路はつかわない主義です。バックパッカーの生き方を普段から貫いているために、時間がかかってもなるべく安く庶民が使う手段で移動をすることにしています。

一般道を使えば無料で行けるのに、高速道路にお金を使うのはもったいないという気持ちで、その時も車で一般道を北上していました。

さて、みなさんの中には、ぐるっと日本一周したことのある人はどれぐらいいるでしょうか?

やったことがない人が大半ではないかと思います。そういう人は「狭い日本」という言葉をそのまま信じていませんか?実は「狭い日本」というのは間違いです。日本は広いのです。ここでキッパリと認識を改めてください。

私は以前、インドで、同じく旅行者だった大学の教授(日本人)と「日本は広いか狭いか論争」をしたことがあります。

大学教授は「インドは広い。日本は狭い」という意見でした。
私は「日本が狭いというのは交通安全の標語イメージが植え付けた偏見。日本はひろい」と主張しました。

日本の国土面積ランキングは194か国中61位です。上位三分の一に入ります。ドイツやイギリス、イタリア、マレーシアやニュージーランドよりも広いのです。

排他的経済水域(海を含めた面積)の面積ランキングでは世界第6位です。ロシアや中国、ブラジルよりも広いのです。

インドの旅が移動時間が長かったので、暇つぶしが必要でした。必要以上に教授とは議論が白熱し、議論は「たしかに日本は狭くはないが、山国だから人が有効に活用できる面積が狭い」という引き分けの決着をみました。

その時は、それで納得しました。

しかし、その後、世界中を旅して、日本は人が有効活用できる面積が狭いという意見さえも「それは日本だけじゃない」と思っています。

世界には砂漠も永久凍土も山脈も渇いた大地もあり、他国だって有効に活用できる面積は少ないのではないでしょうか。

エジプトの南部(ヌビア砂漠)もロシアの東北部(シベリア)も、スイス全域(アルプス)も、有効に利用できる面積は限られています。日本だけが有効活用面積が狭いわけではないのです。

いちばんいい例が南極大陸です。南極大陸オーストラリア大陸よりも巨大ですが、全然利用できませんよね。

「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」

スピード違反を取り締まる全国交通安全運動の標語があまりにも有名になったために、みんな頭から日本は狭いと思い込んでいます。

私はバーチャルランニング地球一周走り旅という企画をやっていますが、本州から走り抜けるのだってそう簡単ではありません。

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ランキングのような数字でなく、実際に日本一周した者の肌感覚からいっても「日本はひろい」と思います。

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「道に迷う」カーナビ以前のドライバーは自分がどこにいるかわからなくなった

「日本はひろい」ということを思い知ったのが、青森へと車でマラソン旅行した時のことでした。

当時は今のようにカーナビもなく、膝の上で地図を回しながらの旅でした。

もともと私は運転があまり好きではないのですが、青森県の遠いこと遠いこと遠いこと。

途中で運転にうんざりしました。

しかし運転手はひとりしかいない(一人旅)ので、ドライブを続けるしかありません。

大きな国道は赤信号が多く、渋滞していたためわき道を行ったのですが、道にも迷いました。

自分がどこにいるかロストしてしまったのです。カーナビ世代の方にはこの感覚はわからないかもしれません。

とくに三桁国道の狭さ、みすぼらしさにはまいりました。

国道なのにセンターラインがありません。

国道なのに狭くて対向車とすれ違うことができません。

国道というか、ほぼ林道です。

道を譲るためには数百メートルバックしないとならなかったでしょう。

対向車が来ないように祈りながらドライブを続けました。

寿命が縮むような思いがしました。

明日の早朝にはマラソン大会があります。なんとか一日で青森まで行く必要がありました。

急ぎに急いだのですが、行けども行けども青森県は遠く、ぜんぜん着きません。

「ふざけんな! ここはアメリカか!」

しまいに私は毒づいていました。

アリゾナ砂漠をまっすぐに走るルート66のように行けども行けども本州最北端には着きませんでした。

こうして私は青森県につくまでに、身も心もすり減らして、消耗しきってしまったのです。

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吐くほどうんざり。もう運転したくない。

一般道を使って千葉県からなんとか一日で青森県までたどり着きましたが、本州のあまりのひろさに消耗しきってしまいました。

心身ともに疲れ切ったマラソン大会でいい成績がおさめられるわけがありません。

ただ完走した、というだけの大会でした。

しかし旅はゴールまで走って終わりではありません。

家に帰らなければなりません。

いくら車の通行にお金を使わない主義だったとしても、もはや行きと同じように一般道を使って千葉まで帰る気にはなりませんでした。

もう運転に吐くほどうんざりしていたのです。

帰りは高速道路を使って帰ることにしました。

東北自動車道に乗ると、死ぬほど車を飛ばしました。

どんなに飛ばしても、家は死ぬほど遠くにあると、往路で思い知っていたからです。

アクセルをベタ踏みでした。

マラソン大会でスピードを出せなかった悔しさを、ここで晴らそうとしていたのかもしれません。

車でスピードを出すのは簡単です。アクセルを踏むだけ。なんのトレーニングもいりません。

当時、乗っていた車は日産シルビア。ツーシーターのスポーツカーです。

追い越し車線を走りますが、前の車にあっという間に追いつきます。さすがニッサン・シルビア。

私があまりにも早いので、追い越し車線を走っていた車も、おそれをなしたように道を譲ってくれました。

まるで呂布奉先が無人の野を赤兎馬で行くかのように、私は車を飛ばしました。

スピードが目的、スピードが命。今でも時々呟く言葉を、その時も脳裏に思い描いていました。

往路のストレスの亡霊に取りつかれていたのです。

その時ぴかっと眩しい光に照らされました。

しかし吼えるように走る私は、何かの光の反射など気にしている余裕はありません。

とにかく運転に全神経を集中させていました。

往路があまりにも長かったため、私の頭の中には、走っても走っても目的地にたどり着かない広い日本というのが、悪夢のように刻み込まれていました。

これでもか、これでもか、とスピードを上げます。

もう一刻も運転なんかしたくありませんでした。もう一刻も早く家に帰ってベッドで横になりたかったのです。

マラソン大会ではどんなに速く走ってもトップでゴールを切ることはできませんでしたが、シルビアの最速スピードは周囲の車を圧倒していました。

いちばん速いこと。それは快感でした。

しかしそれでも家にはたどり着きません。

その後、もう一度ぴかっと眩しい光を感じましたが、とくに気になりませんでした。

スピードを出すことに全神経を集中させていたからです。ハンドルを取られたら一巻の終わりです。

東北自動車道をひた走ります。

埼玉県内に入ったあたりで「あれ?」と思いました。死ぬほど遠い距離と思っていたのに、いつの間にか家の近くまで来ていたからです。

その後、スピードを緩めて、人々の車の流れの中に紛れ込みました。

家にたどり着いたときはホッとしたことを覚えています。

結局、高速道路の通行料金は、時間というよりもこの「楽さ」を買うためのものだ。そう思いました。

行きは死ぬほど遠かったが、帰りはそうでもなかった。それほど飛ばしていたからでしょう。

時速180km弱でずっと走っていました。

しばらく運転するのも嫌になるぐらいの大遠征でした。

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東北自動車道。福島県警と栃木県警から呼び出し通知書が来る。そして簡易裁判所

その後、警察から通知書が来ました。福島県警と栃木県警から……

通知書の内容は「速度違反の写真撮影された件でお聞きしたいことがあるので出頭してください」という内容でした。

東北自動車道でぴかっと光ったのは太陽が金属に反射して光ったのではありませんでした。

速度違反自動取締装置、いわゆるオービスのストロボ光だったのです。

「そんなことも知らなかったのか?」と知っている人なら思うでしょうが、当時、私はオービスとよばれる自動スピード違反取締装置のことを知りませんでした。

「あなたがスピード違反をした疑いがあります」

法律を違反してやろうと思ってした行為ではないが、たしかに言われてみればスピード違反をしていました。

今日中に家にたどり着けるか、ひろい日本に挑戦しているような気持でした。

本人の感触としては、無邪気な冒険家のような気持で必死にスピードを出していただけです。
悪の意識があってのことではありません。

しかし実際にスピードメーター上の限界速度180kmぐらいは出ていたと思います。

「アクセルべた踏みしても、なかなかスピードメーターが最後まで振り切れないな」と感じたことを覚えていますから。

同じ内容の手紙が福島県警と栃木県警から来ました。

これはやばいな、と思いました。

わたしとしては「ひとつの行為」です。それなのに二カ所の県警から呼び出しを食らいました。

そして「ひとつの行為」に対して、それぞれの県警で別個に点数を引いて、罰金を取ろうとしているのです。

6点以上の重大な交通違反に科せられる刑罰=刑事処分です。

「罰金・禁錮・懲役」の量刑は簡易裁判所で決まるのです。

もちろん自分が人生の中で裁判所のお世話になろうとは、青森大遠征以前には想像もしていなかったことです。

私は家庭裁判所に呼び出されました。正装して向かいます。

検事の前で罪を認めれば、当日中に略式裁判として罰金刑に処せられることは確実でした。禁固や懲役までは考えませんでした。

私は「誰も傷つけていません」「何も壊していません」。それなのに懲役に処せられそうだったら正式な裁判を最後まで争ったと思います。

罰金刑を認めるか、否か。

罪を認めなければ略式裁判ではなく、正式な裁判を受けることも可能になります。

しかし正式な裁判をして何かが変わるでしょうか?

私と同じようなケースの人は過去にもいたに違いない。

判例という過去の事例があるはずです。

インターネットを調べても、私と同じ判例(事例)は見つかりませんでしたが、私がこの日本でただひとりのスピード狂の愚か者だとは思えません。

私の言い分はひとつ。「一つの行為を二重に罰していませんか?」それだけです。

しかし私と同じような事例は過去にあるはずであり、今回もその事例と同じ処分が適用されているはずであり、だとしたらいくら正式な裁判をしても、何もひっくり返すことはできません。

時間の無駄です。

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PT調査の定義では1トリップ。それを二重に罰していいのか

判事は状況を確認、説明し、短く「罪を争うか否か」と尋ねました。

このまま罪を認めたら、それぞれの県警で点数が引かれて、合計点で一発免許取り消しになるということがわかっていました。

私は迷いました。

罪を、認めるか、認めないか。

いや、スピード違反をしたことは認めます。

問題は、一つの行為を二重に罰せられることを認めるかどうかです。

私は一回の旅しかしていません。私の行為は1トリップです。決して2トリップではないのです。

パーソントリップ調査PT調査)という交通量調査があります。

国土交通省もデータを利用しているパーソントリップ調査では1トリップと定義されている行為に対して、A地点とB地点で二重に罰せられることに関しては、納得がいきませんでした。

法の精神からいって、同じ罪に対しては、同じ罰が適用されるべきです。

ひとつの行為に対して二重に罰せられたのは、県がわかれていることが原因です。

たとえば私の行為が北海道で行われていたならば、免許取り消しにはならないのです。福島県と栃木県がまるっと北海道に入ってしまいますから、北海道警に一度だけ罰せられるだけです。

同じ殺人が、北海道なら懲役で済むが、本州だと死刑になるとしたら、不公平ではないでしょうか?

県警単位でスピード違反を取り締まっているために、ひとつのスピード違反がそれぞれの県で別のもののように扱われて、それぞれで罰せられてしまうのです。

しかし私は知っていました。県警には交通違反摘発のノルマがあることを。そのノルマ達成のために巨悪を追わず小さな違反から実績の数字を積み上げているのです。

ノルマ達成に貢献しているものを、あえて情状酌量してくれるでしょうか?

そんなに温情的だろうか。世の中には罰金でメシを食っている人がいるのです。

罰金は高額でしたが、泣く泣く納付しました。福島県警、栃木県警にそれぞれ納付しました。

ここでひとつ問いかけたいと思います。

一つの行為をそれぞれの場所で罰する今の交通法の制度(都道府県単位の縦割り)は正しいといえますか?

たとえば化学工場が有害汚水を河川に放流した時、その河川が流れている都道府県でそれぞれ別個に罰するとしたら不公平が生じます。

同じ有害汚水の放流という罪に対して、河川が流れている都道府県の数で量刑の重さが違ってくるからです。

毒の放流は同じ行為なのに河川が単独の県内ならば罪が1で、河川が4県にまたがっていたら4の罪でしょうか?

これでは同じ罪には同じ罰という原則が成り立っていません。

ヨーロッパの河川のように国をまたいで流れているなら国ごとに企業を訴えてもいいかもしれません。しかし日本はひとつの国なのです。

都道府県ごとにそれぞれ罰することは正当なことでしょうか?

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罪を認め略式裁判で罰金額が決まる

パーソントリップ調査では1トリップと定義されている行為に対して、私はA地点とB地点で二重に罰せられることに納得がいきませんでした。

同じ殺人が、北海道なら懲役で済むが、本州だと死刑になるとしたら、その法は不公平ではないでしょうか?

県警単位でスピード違反を取り締まっているために、ひとつのスピード違反がそれぞれの県で別のもののように扱われて、それぞれで罰せられているのです。

しかし私は罪を認めました。簡易裁判として即日結審する方を選んだのです。

争って得るもの(何もないかもしれない)と、争わないことで得るもの(手間と時間)を考えて、争わないで罪を認めることにしたのです。

これまで多くのスピード違反の人たちと同じように福島県警には時速50キロオーバーで12点、罰金額は8万円。栃木県警には時速40~50キロオーバーで6点、6万円の罰金でした。

これまで交通違反はありませんでしたが、ひとつの行為を二重に罰せられたことで12点+6点=18点。

15点以上で免許取り消し(行政処分)です。

こうして私は、運転免許一発取り消しとなってしまったのです。

刑事処分は罰金。行政処分は免許取り消しです。免許の欠格期間は1年間でした。

これは一年間は免許を再取得できないということです。

考えてみれば、これも一つの行為をダブルで罰する行為と言えなくもありませんが、多くの人が「ワンセット」だと思ってるので、一塊の罰として受け入れています。

運転免許一発取り消し実体験。1トリップを都道府県で重複して罰していないか? 
一つの行為をそれぞれの場所で罰する今の交通法の制度(都道府県単位の縦割り)は正しいといえますか? 同じ殺人が、北海道なら懲役で済むが、本州だと死刑になるとしたら、不公平ではないでしょうか?  県警単位でスピード違反を取り締まっているために、ひとつのスピード違反がそれぞれの県で別のもののように扱われて、それぞれで罰せられてしまうのです。
免許取り消し欠格期間の過ごし方(車を捨てると行動範囲が飛躍的にひろがります)
ずっと車社会にどっぷりとひたってきた人物は、急に車に乗れないとなると禁断症状がでます。しかし車から電車や飛行機に乗り換えれば行動範囲は飛躍的にひろがります。 慣れれば、車社会と縁を切ることも可能です。
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わたしが運転免許一発試験に合格できたのは、インターネットのおかげです。ネットで情報を収集していなかったら無理だったと思います。試験官のチェック項目さえわかっていれば、免許取消・再取得の人なら一発試験で合格できます。
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車を捨てたら行動範囲が飛躍的にひろくなりました。車で熱海や箱根に行く代わりに、飛行機で台湾や香港に行くようになったのです。 そしてその方がずっと面白かった。 車を維持して国内旅行しかできないのと、車を捨てて海外旅行に行くのだったら、私は車を捨てる方を選びます。

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★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
Bitly
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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