断食。エンザイム。オートファジー現象。血管内プラークで生きていく断食派の悟りの境地について

健康-体のケア-美味飲食
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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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断食の効果。オートファジー現象の発動について

世の中には断食が健康にいいという人たちがいます。断食すると体が飢餓状態になって、生命維持に必要のない細胞が分解されて再吸収されるというのです。

つまり脂肪肝の脂肪がつかわれ、血管内のコレステロールの詰まりも栄養素としてつかわれ、ガン細胞なども分解されて、生命維持に必要な箇所へと再生されるというのです。

この効果をオートファジー現象といいます。健康になるだけでなく、病気がなおり、若返ることができるといわれています。汚れた血が各種炎症の原因なので、血の汚れが使われてサラサラになれば、炎症にも効果があるとされています。

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体内のエンザイム量は決まっている。長寿(サーチュイン)遺伝子

オートファジー現象が発動するためには、16~18時間の断食で十分だとされます。つまり半日断食です。すると肉体が飢餓状態になることがスイッチとなり、糖質から別のエネルギー源へとシフトします。脂肪を分解してエネルギーを得ようとし、体毒の排泄モードになります。働かせすぎの胃腸を休めることによって、胃腸は消化・吸収の仕事ではなく排泄の仕事に専念できるのが理由です。その胃腸の消化・吸収を休める時間が16時間以上。肉体が飢餓状態になるためには時間が必要なのです。人間の体内のエンザイム量は決まっていて、それを活動に向けたり、治療に向けたり、消化吸収に向けたりします。現代人はなかでも消化吸収にエネルギーを使いすぎている、というのがこの派の主張です。この学派を断食派と命名しましょう。断食派は「これまでのフォイト栄養学は栄養過多、タンパク質過多で間違っている」と批判します。

生命維持を肉体は最優先にします。つまり肉体の飢餓状態によって、細胞の融解と再構成が行われます。これを自己融解といいます。要らない細胞を壊して、必要な細胞をつくる仕組みです。この自己融解によって腫瘍などの不必要な細胞が壊れることを病巣融解といいます。

また肉体の状態によって生殖能力が高まり、長寿(サーチュイン)遺伝子が発動するという人もいます。実際にめんどりに卵を産ませる秘訣があって、それは餌を断つことなのだそうです。栄養を断つことで生殖能力、繁殖能力が加速される証拠です。断食が性能力の回復にも役立つというです。

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断食は遺伝子を活性化する。

飢餓状態というストレスに対する反発力が、体質を変換させて、治癒力となる。

脂肪が分解されたケトン体をエネルギー源とすると、脳にはαエンドルフィンが増える。断食は快楽をもたらす。

クローン羊ドリーは、体細胞クローン。どうして発育できたかというと断食という初期化を行ったから。栄養を二十分の一にしたら、飢餓状態のショックで遺伝子がオフからオンに切り替わった。

鈍重肝臓=右の肋下部に鈍い痛みを感じる。とくに脂肪分が多い濃厚な料理を食べた後に。

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空腹力をあげる。空腹感こそが生きがい、生きてる実感なのだ

肉体の飢餓状態は、むしろ生物としては自然な状態だと考えられます。肉食獣は腹が減ったときにはじめて狩りをします。つまり「腹が減るほど元気になる」と断食派は説明します。満腹のライオンは寝転んで動こうとしません。

ただし脂肪細胞が分解する過程で、脂肪細胞内にたまっていた悪いものが溢れ出ることから好転反応と呼ばれる一時的な副作用がでるそうです。

もちろん太っているよりも痩せている方が異性にモテます。さらに記憶力がよくなり頭もよくなるそうです。断食派の主張を聞いていると「いいことだらけ」のように聞こえます。病気もなおり頭もよくなりエネルギーに満ちあふれモテるようになるとすれば、これをやらないほうがアホだという気がします。

ただしそれには空腹感こそが生きている実感なのだと感じられることが絶対に必要です。あるいは空腹を何とも思わない、空腹こそあたりまえの状態だと放置できる空腹力とでもいうべき感性を身につける必要があります。

空腹感こそが生命力の源泉なのだ、という信仰が。断食派は先鋭化すればするほど宗教じみてきます。血管内プラークで生きていけるとするならば、仙人が霞を食べて生きていたように見えるからでしょう。

イエス・キリストが言ったという「まずしきものはさいわいなるかな」とは、食えない人ほど病気にならないことだとこじつける断食派もいます。

キリスト教信者でない者が聖書を精読してみた

※ただしガンがすでに体内に発生している場合には空腹が逆効果になるおそれもあるので注意が必要とのことでした。

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運動するよりも食わない方が効率よく痩せられる。

運動するよりも食わない方が効率よく痩せられます。いくら運動してもその後たらふく食べたら胃腸には消化吸収の重労働を強いているだけです。体重を減らすには食わない方が効率がいいのです。ただし運動における強負荷や血糖値の消費も一種の肉体への飢餓状態であり、オートファジーが発動します。また筋肉からはマイオカインという活性ホルモンが分泌されます。スポーツ選手が溌溂として若々しいのはこれが理由です。

空腹時間を16時間以上あけても、ドカ食いすればやっぱり太ります。いくら運動をしても、それ以上のカロリーを摂取すれば太るのです。「なまじっかな運動は食欲を刺激してかえって太る」というデータもあるくらいです。断食すると栄養不足で脂肪といっしょに筋肉も落ちてしまうから筋トレしながら断食することが二重の意味で推奨されています。

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断食派はクスリによる治癒にも否定的です。病気になったら「食うな、動くな、寝てろ」といいます。

オートファジー効果は半日断食でも見込めます。しかしできれば一日断食にも挑戦したほうがいいようです。野菜ジュースは飲む野菜ジュース断食のような酵素だけは摂取する断食でいいそうです。ガンジーダルマみたいな「水だけ」「座禅」である必要はありません。有名人でも半日断食を実践する人は多く、タモリビートたけしも一日一食なんだそうです。成功者がやっていると聞くと「自分も!」と思う人が多いのではないでしょうか。

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正岡子規の大食死。食べ間違い。

断食で有名人と言えば明治の文豪、正岡子規です。いや、逆の意味で。

正岡はすさまじいまでの食欲で病気の体をみずから痛めつけました。この人の仰臥漫録を見てみると、結核菌ではなく、食い死にしたのではないかといいたくなります。

ひと昔前のおばあちゃんのように「病気は栄養のある食べ物でなおす」と頭から信じ込んでいるのです。だから吐いて気持ちが悪くなっても食べ続けています。栄養をつけてなにがなんでも治りたかったんでしょうね。一日三食なのはあたりまえで、毎回大量に食べています。菓子パンやフルーツも大好きで十個以上をまとめ食い。糖分のとりすぎでインシュリンが過剰に分泌されて血糖値は乱高下して食欲はおさまることを知らず頭は狂ったようになります。

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もうダイエットは諦めた。もはやモテることは望まない。デブの生き方

正岡子規ほど極端でなくても、この世界にはデブに振り切ってしまっている人たちがいます。もうダイエットは諦めた、という人たちです。アメリカ人なんかにこのタイプが多いように思います。

性欲は人間の三大本能のひとつといわれますが、食欲ほど強烈なものではないでしょう。

食欲は毎日のことであり、性欲は毎日のことではありません。モテるため(性欲)にダイエットするというのは、わりにあわないと考える人の気持ちが、私にもわからないわけじゃありません。

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食うために生きている? 何のために生きているのか? 長生きして何をするのか?

わたしたちは何のために生きていくのか? 哲学の本質的な命題のひとつです。それに対する明快な答えのひとつとして「食うために生きている」というものがあります。わかりやすく、強烈な論理です。食べることは、生きがいになりえます。でもさ……食えないじゃん。断食生活だと。

断食をするのは、ほとんどの人は健康長寿のためです。病気がなおるのだったら、食欲だって我慢できます。死にたくはないので断食するとします。その結果、健康を取り戻したとして何をしましょうか? 健康長寿になって何がしたいのでしょうか? 飢えている人間は全員こう答えますよ「腹いっぱい、メシが食いたい」って……でもさ、食えないじゃん。あなたの健康が断食によって支えられているとしたら。

完全健康体になるための断食。完全健康体なってやりたい最大のことは「お腹いっぱい食うこと」。この矛盾につきあたるのです。だからもうダイエットはしないというデブに振り切った人の気持ちが私にもわかるというのです。

「お腹いっぱい食うこと」は完全健康体にならなくても、実は今すぐにでもできるのです。血液の健康の数値を悪くしますけどね。

健康長寿になるために「あれもやっちゃいけない。これも駄目」と禁止事項ばかりでは、なんのための健康長寿だかわからなくなってしまいます。

フィリピンにはゴミ山があって、そこではゴミを拾い集めて暮らす最底辺の貧しい人たちがいます。彼らは一日一食しか食べられずいつもお腹を空かせています……なんて記事がフィリピンの旅本には書いてあります。

でもおれと同じじゃん。一日一食で腹をすかしているのは、断食派もゴミ山生活者と変わりありません。ゴミ山生活者は「一日一食の空腹の暮らしから逃げ出そうと必死に努力する」という希望がありますが、断食派は「一日一食の空腹の暮らしから逃げ出す」ことはできません。みずからの意志でその暮らしをしているのですから。貧乏暮らしからいつでも逃げ出せますが、それは不健康状態へとまっしぐらなのです。

なんて矛盾だ!

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欲は捨てろ、という仏陀の悟りが断食によって見えてきた

こう考えると、ますます何のために生きているのか、長生きして何がしたいのか、わからなくなってきます。なんのためにいっしょうけんめいお金を稼ぐのか? これもわからなくなってきます。これだけ食わない暮らしをしていたら、生活費なんて知れたものです。食費がかからないわけですから。ゴミ山の最底辺と似た食生活をしているのですから。

人生において大切なものは「時間」だけではないか、そんな気がしてくるのです。

もしも断食派の言うことを信じるならば、食欲は「なかったこと」にして煩悩滅却するしかないのです。空腹を普通の状態だと感じる。別に腹が減ったとも思わない。

食欲に悩まされている限り、心の平安はありません。ただ生きてるだけでいい。そう思えるようにならない限り、断食による苦悩は終わりません。あるいは「ただ生きてるだけでいい」さえも、煩悩かもしれません。誰もがやがては老いて病気になって苦しんで死ぬのですから。

極楽往生とか阿弥陀仏とかいっさい説かなかった元祖仏陀の教えは、煩悩を捨て去らない限り苦悩は終わらないというものでした。こう考えると仏陀の教えは宗教というよりは哲学ではないでしょうか。

欲は捨てろ、という仏陀の悟りが断食によって見えてきました。食欲を捨てる、だから断食派は宗教ぽいとのです。ヨガ行者のようでもあり、カスミを食って生きる仙人のようでもあり、仏陀のようでもあるからです。

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万病一元、血液の汚れから生ず

東洋医学では「万病一元、血液の汚れから生ず」というそうです。血液を汚れさせる最大の原因は「食べ過ぎ」です。海や川も栄養素が多すぎると汚れるように、血液も栄養がいきわたりすぎると汚れます。だから断食して血をきれいにしましょうというわけですね。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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