本文全体をパリの写真で飾っていますが、本文とは関係ありません。
ランナーは晴走雨読
晴耕雨読という言葉があります。晴れた日は田畑を耕し、雨の日は読書にいそしむ生活です。勤勉であるとして「美徳」とされました。
昔はほとんどの人は農民だったのです。だから晴耕雨読。
しかしランナーです。農家ではありません。
いわば晴耕雨読ならぬ、晴走雨読ですね。あたらしい言葉をつくっていい気になっていました。
しかしよく考えてみると、この言葉では足りません。
何故ならよほどどしゃ降りでない限り、雨の日にも走っているからです。
シリアスランナーは、晴走雨走
わたしはシャワーランニングと称して、雨の日にも走っています。
いわば晴走雨読ならぬ、晴走雨走ですね。あたらしい言葉をつくっていい気になっていました。
しかしよく考えてみると、まだまだこの言葉では足りません。何故なら雨の日も本を読み、晴れの日も本を読んでいるからです。
ランニング隠者、走る哲学者の生き方。晴走雨走にして晴読雨読
いわば晴読雨読ですね。そして晴走雨走でもあります。
そもそも一日のうちに、どちらか両方しかできないと考えるのは、おかしいのです。
両方やればいいのです。
そう考えると、晴耕雨読というのは、今どき通用しない古いタイプのライフスタイルですね。
晴読雨読ですね。そして晴走雨走。これがランニング隠者、走る哲学者の生き方です。
晴耕雨読なんてオールドタイプのライフスタイルだと思いませんか?