手塚治虫先生の『どついたれ』を読んでいたら、あっという間に時間が過ぎ去っていた。続きを読みたいと思って探したが、どうやら未完成の作品だったようだ。未完成の理由は「作品の人気がかんばしくなかったため、作者みずから打ち切った」というのが原因らしい。敗戦ニッポンの戦後を手塚風に描いたいい作品なのに残念なことだ。
作品の中には自分をモデルにした「高塚修」という漫画・アニメーション作家志望の学生も出てくる。宝塚出身のオサムだから手塚先生そのものである。もちろん漫画で見れば例の団子っ鼻に黒縁メガネのデフォルメされた手塚治虫が出てくるから、高塚修が誰かは一目瞭然になっている。
手塚治虫『どついたれ』。戦後を描き残しておきたかった
「戦後」を手塚は描き残しておきたかったのだろうと思う。物語は空襲、敗戦からはじまる。何もかもなくしてしまった人たちが焼け跡から立ち上がろうとする姿を描く。ひとりは起業家として、ふたりはやくざ者として、最後のひとりは自分たちの暮らしをめちゃくちゃにしたアメリカ軍への復讐にマッカーサー元帥を暗殺しようとするテロリストとして。手塚をモデルにしたアニメーション作家志望が登場するが、主人公としての登場ではない。父母を戦争に殺されたテロリストはマッカーサーを撃つためにピストルを手に東京へ向かうが……
ここで未完である。いやいや、読みたいのはここからなのに、肝心のところで未完というのはどういうことだろうか。
元々は「手塚先生の自叙伝のような漫画」を出版社から依頼されたらしい。それが『どついたれ』になったようなのだ。誰もが「ただの少年」が「マンガの神様」になった来歴を知りたいと思う。出版社の要求はもっともなものだったはずだ。それなのにどうして完全に自分が脇役の『どついたれ』になったのだろうか。
ここで思い出すのは、手塚治虫のライバルとされる梶原一騎の自叙伝的作品『男の星座』である。
梶原一騎『男の星座』。「自分」を描いた自叙伝漫画
「劇画界のドン」と呼ばれた梶原一騎は、自分の引退作品として『男の星座』を書き残している。ここで梶原は「戦後」を描こうなんて思っちゃいない。自分がどうして『あしたのジョー』や『巨人の星』のような作品を残せたのか、作品に影響をあたえた事件は何か、どうして「劇画界のドン」と呼ばれるようになったのか。映画製作、プロレス界、空手界でのプロモーター活動などリア充になったのはどうしてか。有名女優と浮名を流せるほどの男になれたのはどうしてか。男の生きざまとは何か。そういう「自分」「男」というものを描こうとしている。『どついたれ』同様に作品は未完に終わる(作者の死のため)のだが、人気は高く、関係者による作品の完結を求める声が強かったという。人気がなくて作者みずから打ち切った『どついたれ』とは大違いなのである。
同じ「作者自身」が登場する未完の作品でありながら、どうしてこうまで両者にへだたりがあるのだろうか。まさに出版社が『どついたれ』で手塚に求めたのは『男の星座』のように「手塚自身」を描く作品だっただろう。手塚自身の生い立ちや、作品に影響を与えることになったエピソードを語りながら、手塚治虫そのものを描くことを求めていたに違いないのに、どうして自分は脇役に引っ込み、闇市のヤクザ・テロリストなんか描いて作品打ち切りにしてしまったのだろうか。
そこが謎なのである。
生活を芸術にするのに忙しく、作品を残している暇がない
そもそも作家は自分を主人公に作品を書きたがるが作家(志望)がフィクション抜きで主役を張るのは無理がある。たいてい作家志望は「読む」「書く」の青春を送っていて、絵になるようなキャラクターでないことが多いためだ。日本の私小説が面白くないのはこれが原因である。内省的なキャラクターは漫画に向いていない。手塚が女にモテモテで、熱血漢で男とすぐに決闘するような波乱万丈タイプだったら、後にマンガの神様と呼ばれるような作品群は生まれなかったに違いない。手塚自身もきっとそれを自覚している。彼はいい漫画を描くためには「いい映画」「いい絵画」たくさん見て芸術的な体験をしろと後輩マンガ家たちに薦めているが、ヤクザにケンカを売って命のやり取りの中で男の魂を磨けという地獄変とか、女が描けなければ男が描けるはずがないみたいな人間凶器ふうなことは口にしていないからだ。そのへんのキャラ立ちを自覚して、手塚は自ら作品の後ろに引っ込んだのではないかと思う。梶原一騎の後半生は波乱万丈だったが、メチャクチャだった時期は人生として面白すぎる反面、いい劇画作品は残せなかった。「生活を芸術にするのに忙しくて、芸術作品を残している暇がない」と言ったのは、かのオスカーワイルドだったかな? リア充ほどいい作品は遠ざかるのだ。いい作品には机に向かう膨大な時間がどうしても必要であるが、本当の意味で充実した人生にとって机にひたすら向かう膨大な時間は必要ないのだから。
手塚先生は死ぬ間際まで「マンガのアイディアはバーゲンセールするほどある」と言って死んでいった。「自分」を描いていては限りがある。「自分」は他人とそんなに違わない。
違うのは自分のイマジネーションだ。イマジネーションだけはバーゲンセールするほどある。他人がめったにしていない体験なんて大空襲と闇市、敗戦ぐらいだ。
だから『どついたれ』になったのだろう。
その点、梶原一騎は違った。他人がめったにしていない体験を売るほどもっていた。アントニオ猪木を監禁して、大山倍達にケンカ売って、超有名女優とつきあうなんて、ほかの誰に出来るだろうか?
手塚治虫先生のエピソードで私が忘れられないものが一つある。
超多忙に手塚に構ってもらえなかった人がへそを曲げて
「先生は忙しい忙しいと言いながら、よくお子さんを三人も作る時間がありましたね」
と、ちょっと皮肉を言ったところ、
「あんなの五分もあればできますから」
と言ったとか。あ、ここ笑うところですよ! そりゃソーローだろ(笑)!
近年、日本が大好きだと来日する外国人がたくさんいる。日本が好きになったきっかけを聞くと、大半の人はアニメと答える。ジャパニメーションといわれる日本のアニメのおかげで、世界中の人が日本を好きだと言ってくれるのだ。そのきっかけをつくったのは、まぎれもなく手塚治虫である。
手塚治虫が死んだとき、私は韓国ソウルにいた。
その時、韓国の漫画雑誌の表紙で鉄腕アトムが泣いていた。日本のことはすべて否定するような時代・国ですら、手塚治虫は悼んでもらえる存在だったのである。