『プレイボーイ~創刊者ヒュー・ヘフナーの物語』から。普遍的な成功の法則について
このページではプライムビデオ・サーフィンをしていて見つけた『プレイボーイ~創刊者ヒュー・ヘフナーの物語』について感想を書いています。
Amazonオリジナル作品です。
作品の中で女優さんの胸もお尻もまる出しです。やるね、プライムビデオ!!
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
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雑誌『プレイボーイ』は、マリリン・モンローのヌード写真からはじまる。
プレイボーイと書いただけでエロいシーンが目的で見たんだろうと思う人が大半だと思います。
しかしそんなことはありません。だってエロいだけならもっと過激なものがいくらでもあるじゃないですか。プライムビデオなんかよりも、インターネット見たほうがずっといいですよ。
このことは本作のラストシーンに関係してきます。ヌードで雑誌が売れるプレイボーイの時代はインターネットの普及で終わったからです。
さて、雑誌『プレイボーイ』の創刊号がマリリン・モンローのヌード写真からスタートしたことを、私は知っていました。さすが天下のプレイボーイの創刊号は出だしから違うなあと感想をもったことをおぼえています。しかし情報はそれだけだったので、お金持ちがマリリンを脱がせて、雑誌を始めたのかと思っていました。
でも実際にはマリリン・モンローではなく、売れない女優ノーマ・ジーン(マリリンの本名)がヌードカレンダー用に撮影したものを転載しただけだったのですね。本作で初めて知りました。
プレイボーイの創刊者ヘフナーはただの編集者でお金持ちではありませんでした。彼が大金持ちになるのは雑誌プレイボーイが成功した後のことです。
時代を超えた成功の法則。PLAYBOYとFACEBOOK(meta)の共通点
創刊号で大女優マリリン・モンローを載せてしまったことから、次のヌードモデル(プレイメイト)にヘフナーは困り果てます。
誰を持ってきてもマリリン・モンローのインパクトを超えられないからでした。
そこでヘフナーは学生時代に大学の学内誌の編集をしていた頃のみずからの経験を思い出します。
「今月の女学生(キャンパスのカワイ子ちゃん)」企画が学内誌ではウケたのです。その経験から、輝かしいスターではなく、身近な女の子をプレイメイトに起用することを思いたつのです。
ここらへん普遍的な成功の法則を見るような心地がします。
現在大成功をおさめているFacebookのザッカーバーグは、大学時代の「カワイ子ちゃん年鑑・顔出し情報」からスタートしたといいます。ヘフナーと全く同じではないですか。
我が国でも「AKB48」や「おニャン子クラブ」で大成功をした秋元康さんの「輝かしいスターじゃなく身近な女の子」戦略は、ヘフナーのプレイメイト戦略と同じです。
プレイボーイのヒューヘフナーの成功事例をザッカーバーグや秋元康がマネしたかどうかは知りませんが、遠くの美女より身近な女の子作戦は洋の東西、時代を問わず通用するようですね。
成功には時代を超えた法則があると言えるでしょう。
プレイボーイはただのポルノ雑誌ではなかった
プレイボーイがどれだけオピニオン系雑誌として役割を果たしたといっても、ヌードが売り物の雑誌だったことは間違いありません。その証拠に後続誌ペントハウスが誕生すると読者を奪われています。
エロスで大儲けしてハーレムをつくった村西とおる(全裸監督)とヘフナーはひじょうに似たところもあるのですが、ヘフナーが村西氏と違うのは、ヌードの節度を守ったことと、やはりヌード以外の文化的な活動が社会に評価されたところでしょう。雑誌プレイボーイはオピニオン系の情報誌でもありました。
もちろん売れるだろうという計算はあったでしょうが、性の抑圧からの解放も、そうすべきだという信念があってのことでした。1950から1960年ごろの話しです。人間は、抑圧ではなく、自由を選ぶべきだ、と。こう訴えられたら、エロスだけで済ませる問題にするわけにはいきません。
やがては「女性の中絶賛成のキャンペーン」までプレイボーイはすることになります。中絶できないと望まない子に縛られる人生を女性が送らざるを得なくなるからですね。プレイボーイはヒューマニズムを訴えた雑誌でした。
やがてプレイボーイは性だけでなく、一流の独身男性のライフスタイルの見本を志向する雑誌に変化を遂げていきました。文学、ジャズ、おしゃれなどの記事を特集し、独身男性のトレンドをつくるようになっていったのです。
更には女性を口説く方法を教えるようにもなりました。女性を口説くためのスーツ、ワイン、音楽を教えました。シャネルやマルボロ、バドワイザー、ダイナーズなど広告も一流のブランドとしか組まず、そのことでプレイボーイ・ブランドが確立していきます。
広告主を説得し、経営を安定させて、記事に専念しました。独身男性のライフスタイル、すべてのページがプレイボーイライフスタイルで統一されました。服、靴、ネクタイ、そしてデートプランまで。
雑誌の中で編集者兼ライターとして、とにかくヘフナーは自分の好きなこと、やりたいことを雑誌の中で訴えました。
プレイボーイフォーラムで読者に意見を述べる機会をあたえ、プレイボーイ基金を設立、ベトナム戦争反対や、死刑反対など、差別とたたかい、抑圧とたたかいます。
それはヘフナー自身が自由だったからできたことです。人を苦しめる価値観に疑問を投げかけました。自分が嫌いなことに我慢がならなかったのでしょう。
雑誌の推奨する価値観も時代とともに変化を見せます。
黒人と一緒にテレビ番組をやりました。いいジャズをやっているのが黒人でした。いいと思うコンテンツを紹介しただけ。肌の色なんて気にしなかった。
ジャズからサイケデリック、ロックンロール、ヒッピー文化、ポップカルチャーに記事の主戦場は変わっていきます。ときに時代を見つめ、ときに時代を先取りしていました。
ヘフナー自身が雑誌のライフスタイルを体現したプレイボーイになろうとしました。自社ビルを買い、いい雑誌作りの環境を整えました。豪邸を購入して、プレイボーイハウスとしました。
雑誌の夢を現実に体験させようとしたのです。黒人の人権を積極的に認め、公民権運動に協調し、マルコムxなどを雑誌でとりあげた。
そんな中、わいせつ出版として突然逮捕されたりもします。
サド裁判、チャタレー裁判、そしてプレイボーイ裁判、世界はずっとわいせつをめぐって争ってきたのですね。ヘフナーはこれを、わいせつの定義をめぐる闘争ではなく、表現の自由を勝ち取る闘争として闘います。
そこでプレイボーイのライフスタイル提案をはじめとするヌードピンナップ以外の部分が生きてきます。ただのポルノ雑誌ではなかったため、裁判でプレイボーイを潰すことはできませんでした。
雑誌以外の活動に進出
ヘフナーはシカゴにプレイボーイクラブを設立します。ホステスはプレイメイトで、彼女たちをバニーと呼びました。バニーは若さが条件、客とのデートは禁止です。こういうところも秋元康っぽいよね。
雑誌の世界を一般にも体験させるというお題目はありましたが、完全なクラブ事業です。酒を販売するライセンスを得るためにニューヨークの役人にワイロを配ったりもします。
やがてクラブはカジノ化します。本業の雑誌販売の利益を凌ぐほどの儲けをカジノはもたらします。ヘフナーは世界を飛び回り、プレイボーイジェットと名付けた飛行機で暮らしはじめます。
秘書が麻薬捜査にはめられて自殺したり、プレイメイトが他殺されたり、カジノ経営のライセンスをはく奪されたりする中、プレイボーイは有線放送などに営業を切り替えて経営危機を乗り切ります。
そしてプレイボーイ・ブランドとしてブランドを確立していくのでした。
「最高の人生だった。やりなおすとしても句読点を打ちかえるぐらいだ」
本作の主人公ヒュー・ヘフナーはもう亡くなっています。
雑誌『プレイボーイ』も、紙媒体としては、もう発行されていないようです。すでにインターネット上の存在となっているのですね。
苦労も多かったんでしょうが、いい時代を生きた人だなあと思いました。
インターネット時代にヌードで「プレイボーイ帝国」を築くことはもうできないでしょう。1960年だからできたことです。
そしてヌードで売れた雑誌でヒューマニズムの論陣を張ることができました。たくさんの著名人にインタビューをすることができました。
やりがいがあっただろうな、と思います。まだ社会が未熟で敵が多かったからこそ、主張にも力がこもりました。
性の自由も、中絶の自由も、公民権も、現代に同じ主張をしても、当時ほどの意義も力も持ちえないでしょう。
雑誌『プレイボーイ』は時代がつくりだしたものでした。アメリカ人の性の解放には最大の功績があったとされています。
ヒューヘフナー本人も言っています。
「最高の人生だった。やりなおすとしても句読点を打ちかえるぐらいだ」と。
いやあ。最高です。こういう人生を見ると、こっちまで幸せになれます。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。
私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。
たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。
あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。
作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。
人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。
しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。
作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。
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