映画がエンディングを迎える前に飛行機が目的地に着いてしまい、続きが気になって仕方がない
ロングフライトの飛行機では、機内エンターテイメントで映画を楽しむことにしている。かつてジュラシックパークを見て恐竜王ティラノサウルスが小さなトカゲに見えてちっとも怖くなかったこともあったが、小さなディスプレイは物語性の高い映画の場合はそれほど気にならない。画面が小さいが、目から近いもんね。ストーリーは心で感じるものだ。
ストーリー映画の場合、むしろ問題になるのは機長やCAのアナウンスによる映画の中断であり、目的地に到着しちゃったことによるストーリーの中断である。とりわけ飛行機が到着しちゃったことによる映画の強制終了には身もだえして悔しがったことのある旅人は数えきれないほどいるに違いない。映画の続きが気になればなるほど、もう少し早く映画を見始めればよかったと思うのだ。その続きが最高に気になる場合、まだ着かなくてもよかったのに、とさえ思う。げに映画はおそろしい。
映画『万引き家族』
映画『万引き家族』は私にとってそのような映画であった。かつて飛行機の機内でなにげなく見始めたのだが、物語がエンディングを迎える前に飛行機が目的地に着いてしまい、続きが気になって仕方がなかった映画のひとつである。
(以下、ネタバレあるよ~)
さて、どこで映画が強制終了したかっていうと、妹の「りん」の万引き発覚を避けるためお兄ちゃんの「祥太」がわざとバレるような万引きをして店員につかまりそうになったところである。絶体絶命、逃げ場のない橋の上で前後から大人が万引き少年に迫ってくるところで、我先にと乗客が飛行機から降りはじめ、ついに私も飛行機を降りざるを得なくなったのであった。いや、その後、映画どうなったのよ??? これで続きが気にならないわけがないわな。しかしいくら映画が気になっても飛行機を降りた瞬間から放浪の旅はもうはじまってしまった。海外を宿も決めずに歩き回る放浪の旅の中では、映画の虚構よりも、リアルな現実の方がずっと切実に心に迫るものである。そうして現実に虚構は負けて、続きに興味がなくなる映画もたくさんあった。しかしそれでも続きが気になって、忘れられない作品もある。そういう作品こそ名作なのではあるまいか。私にとって『万引き家族』はそのような映画の中のひとつである。
映画が途中で強制的に終わってしまうなんてことは、普通はあまり経験しないのではないかと思う。私も機内エンターテイメント以外では経験したことはない。映画館でこんなことになったら「金返せ」って文句をつけるところだもんね。
ストーリーが中断すると、人の心は勝手にエンディングをつくる
こういう場合、心がどうなるか、わかるだろうか。
心はずっと気になるストーリーを追い続けるのである。そして自分の中でストーリーが展開していくのである。
あまりにもその期間が長いと、映画は自分なりのエンディングを迎えてしまう。私の中でも『万引き家族』はエンディングを迎えてしまった。
今回、是枝裕和監督の正式な映画をエンディングまでちゃんと見たので、それがその自分なりのエンディングがどれほど違ったか、それを検証してみたい。
是枝版エンディングの奥深さ
わたしくハルトのイマジネーションでは、いかなるかたちであれ嘘息子「祥太」が「お父ちゃん」と呟くエンディングであった。リリー・オカンキー(?)演じる誘拐父ちゃんは自分を「父ちゃん」と自称し、祥太に「父ちゃんと呼んでみろ」とせがむが「いつか言うかもしれないけど今はまだ…」ってな感じに祥太に焦らされていた。こいつは物語上、重大な伏線なはずであり、たぶん疑似家族の絆が崩壊した時にこそ「父ちゃん」と呟いて『終わりこそが始まり』という展開になるだろうなと予想しておりました。
世間のモラルに疑似家族が負けた時こそ、気持ちの上で本当の家族が浮かび上がってくるという、いわゆるハッピーエンディングを予想していました。
ところが是枝版エンディングでは最後まで「父ちゃん」と呟くことはなく、なすすべもなく疑似家族は瓦解していく。ばあちゃんは死ぬし、奥さんはムショ暮らしだし、オカンキーは独りぼっちだし、お兄ちゃんは養護施設入りだし、妹は虐待家族のもとに戻されて元の木阿弥だし、家族はちっとも再生されず、バットエンドそのものであった。疑似家族は逃げている間だけ肩をよせあっていただけで、世間にバレたら一巻の終わりでした。心のつながりなんて一切関係なく世間に負けた。ちっとも同監督の「そして父になる」のような疑似でも親子といったようなハッピーエンドではなかった。
しかしその変化こそが監督の5年間の思想の進化だったのではあるまいか。同じテーマで作品を撮り続けるのも芸術家だと思うが、変わるのもまた芸術家である。作品は、観客の心に何かを問いかけてブツ切りで終わってもいい。考えさせるけれどよく結論のわからない作品でもいい。すっきり腑に落ちる作品ばかりじゃつまらない。人生はそんなに単純じゃないんだ。作品だって予定調和じゃなくたっていいと思う。
そういった意味で『万引き家族』は長くエンディングが気になっていた作品だけのことはあった。是枝版は私の予想したラストを遙かに超えてきたし、考えさせられた。家族とは何か。血縁とは何か。絆とは何か。
ラストシーンの意味は何だろう?
とくに気になったのはラストシーンの妹「じゅり」である。また外廊下に出される虐待生活に戻ってしまった少女は、本来の親元に戻されたことによって明らかに幸福ではなく不幸になったのである。万引き家族と一緒にいた時の方が、彼女は明らかに幸せであったのだ。しかし幼いゆえに自分の意思で道を選べず、周囲の常識的善意の導きで、幸福を失い、不幸になってしまった。
その彼女がラストシーンでふっと塀の外に吸い寄せられるようなシーンで映画は突然終わるのだ。
ん? 最初、私はよく意味がわからなかった。一緒に映画を見ていたイロハは「飛び降り自殺をしたんじゃない?」と言った。「いくらなんでもまさか」と私は思った。初登場シーンの外廊下は一階だったが、ラストシーンの外廊下は二階に見えた。「引っ越したんだよ」イロハは言った。「二階から飛び降りたんじゃない? 幸せを知って、同時に不幸も知ってしまったから」
いやいやいやいやいや。いくら何でも少女が飛び降りないだろ!
ではあのラストシーンにどのような意味があったのか? 是枝監督の結論はない。「どうぞみなさん、お好きに考えてください」ということである。そしてまた私は『万引き家族』のエンディングをめぐり、想像をめぐらすことになったのである。イヤハヤ、想像力を刺激してくれる映画であることよ。
そして今、私は、ラストシーンで妹は「お父ちゃん」を見たのではないか、と想像している。独りぼっちで寂しくなったリリー・フランキー演じるオッサンが、一時でも娘だった娘の顔を見に来た。あるいは身元がばれないようにこっそり二階に引っ越していたとしたら、偶然通りかかったオカンキーに虐待少女が気づいて思わず吸い寄せられた。それほど慕っていた。本当の親にもまさる関係だったから。
そんなエンディングだったのではないかと思っている。
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