ドラクエ的な人生

親の海外赴任。高校生の転校・転入。家族で引っ越すか、単身赴任するか

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親の海外赴任で人生が変わる子供たち。帰国子女が語る転校のリアル

学園もののテレビドラマなどで「今度、転校してきた××くんだ。みんな、仲良くしてやってなー」なんて、小学生の子供がおそるおそる教室に入ってくるシーンがよくあります。

たいてい親の転勤の都合で、新世界に引っ越してきたから、新しい学校に転校するわけですね。

かくいう私も親が商社マンで転勤族だったので、よく転校しました。そのうち一度は韓国ソウルへの赴任でした。私はソウル日本人学校出身の帰国子女です。パフィーの亜美ちゃんの先輩ですな。

第二の故郷。愛憎の韓国ソウル。

自分の体験からいっても、小学校、中学校の転校ならば、よくわかります。転校の時期が年度当初でないと、友だちができにくかったり、部活に入りにくかったりしますが、とくに問題なく転校することができます。

そもそも義務教育だから、引っ越した先の学区の学校へ通うしかありません。

ソウルには日本人学校がひとつしかありません(プサンにも日本人学校がありました)から、そこに通う以外にありませんでした。

日本人学校というのは所在地が外国にあるだけで、文部省傘下の日本と同じ教科書をつかった普通の義務教育の学校です。……あれ、でも週に一回、英語と韓国語の授業があった気がします。カリキュラム的にはすこし違うのかな??

まあとにかく、義務教育の場合は、引っ越した先の学区の学校へ通うしかありません。

選択の余地がない分、何も考える必要がないということになります。

ところで子供が高校生だったら、あるいは大学生だったら、どうなるのでしょうか?

義務教育じゃないから、最寄りの学校に行くというわけにはいかないでしょう。高校には入学試験というものがあります。学力別です。

たとえば地方の偏差値の低い高校の子供が、親の転勤で都内に引っ越してきたからって、最寄りの学芸大附属高校(偏差値高い学校)に入学するというわけにはいかないでしょう。それが許されるならお金持ちの子は受験勉強なんかしないで、親が転勤すればいいってことになります。

でも、実際に子供が高校生だからって、会社の転勤命令は容赦なく発令されます。

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子どもが高校生、大学生だった場合、転校はどうなるのか、ひじょうに気になるところです。

実は、私と弟は、大学生と高校生で引っ越すという可能性がありました。弟が高校2年生、私が大学3年生の時、父親が香港に赴任することになったのです。

いろいろと(親が)考えた結果、父は単身赴任することになり、私たち兄弟の生活は何も変わりませんでした。

「香港、家族みんなで行くか?」と相談されたことはありません。すべて親が決めました。その時、どんなことを考えて単身赴任を決めたのか。それを確認してみましょう。

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子どもが高校生だったら、転校はどうなる?

外国に転勤するのは特殊なので、まずは国内に転勤した場合に限って、転校はどうなるのか調べてみました。私立や公立、学校によって状況は違うようですが、概ね下記のような状況になるようです。

①義務教育と違ってどこにでも転校できるというわけではありません。学力試験を受けて合格する必要があります。

②そもそも(編入する生徒の)募集がなければ、学力試験を受けることさえできません。学校に個別に対応してもらうことができない場合、編入学試験は年度末3月に行われることが多いようです。

③親の引っ越しの時期が年度末でない場合、タイミングが合わないと、高校生の子供は行く学校がないということになりかねません。

④大都市のように学校がたくさんある地域に引っ越すなら選択肢がありますが、地方に引っ越す場合、高校生の子供が通う学校がなくて単身赴任を選ぶ人が多いようです。募集もあって、合格したとしても、子どもの学力よりはるかに低いレベルの不良校しかない場合、転校させられませんよね?

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子どもが大学生だったら、転校はどうなる?

子供が大学生だった場合、大学にも入学試験があります。やはり転勤先の学校とレベルが合わないことは考えなければなりません。

高校生と違って大学生の場合、子どもが一人暮らしを選択して、今の大学にそのまま通い続けるというのが基本的な選択肢になります。

親は単身赴任でもよし、夫婦同伴でもよし。

いちおう大学には「編入」というものがあります。短大を出て四年生大学の三年次に編入するとか。

もちろん試験があります。転校というのはありません。

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親の赴任先が海外だったら? 休学して親の金で留学できちゃうという選択肢

ウチのケースです。商社マンだった父は香港に赴任を命じられたのでした。

ウチの場合は、父が単身赴任して、高校生の弟と大学生の私が母と日本で一緒に暮らすというスタイルで解決しました。子ども目線からいえば、ほとんど何も生活は変わらなかったという実感です。

親の目線からすれば、子どもの将来をよかれと考えた上で、単身赴任という選択をしてくれたに違いありません。

しかし……国内転居の場合、デメリットしかない高校生・大学生の引っ越しですが、海外赴任となると見える景色がガラリと変わってきます。はっきりいえば親の費用で留学できちゃうようなものですからね。

親のすねをかじっていることになりますが、どうせ授業料など払ってもらっていたので、しょせんは同じことです。今の私の感覚だったら、ぜひとも家族みんなで香港に行きたいところです。カジカジ。

現在のようなインターネット情報化社会で英語を使いこなせた方がはるかに有利な立場に立てる世の中で、香港で英語や中国語を学んだりしていたら、おそらく人生が変わっていたことでしょう。

すでに大学生だった私には「休学」という手段もありました。一般的に大学では最長4年まで休学できます。休学中の学費については全額免除だったり、授業料の一部を支払うケースがあったりなど、大学によってまちまちです。私の母校早稲田大学の場合は、在籍料+学生健康増進互助会費として年間101,500円が必要のようです。四年で四十万ですか……バカになりませんね。国立大学などは休学中の学費は全額免除となることが多いようです。

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海外放浪しているバックパッカーの中には大学を休学してさまよっているという人もいます。現代のような時代に焦って四年でフツーの日本の大学を卒業するメリットはあまりなく、むしろ香港を拠点にマカオでギャンブルをおぼえたり、深セン特区を視察したり、中華料理屋でバイトして中国料理マスターになったり、チョンキンマンションでインド人と交流したりするなど、若いうちから豊かな人生経験を積むことができたのではないかと思うのです。

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一流大学に合格したのに、最終学歴が高卒になった可能性がある

当時の私の英語力は「英会話はうまくできないが、文字で書いてあることはだいたいわかる」というレベルでした。英語偏差値はかなり高い方で、ワセダでは英語の原書で授業を受けていました。全部忘れた今とはまるで別人です(笑)。

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しかしそれでも……現地の大学には入れなかったと思います。大半の語学留学の人がそうであるように、レベルの低い語学学校に通うのが精いっぱいだったのではないかと思います。ペーパーテストは強くても、カンバセーションが無理だったので(笑)。

四年制大学を卒業して、大卒として日本の企業に就職しようと思ったら、やはり日本の大学を休学状態にしておいて、父の帰国と同時に復学して、元いた大学を卒業する以外にはなかったでしょう。

(ちなみに父の香港赴任の任期は3年でした)

そもそも海外の大学ですが、日本の制度上は「大卒」とは認められない場合があります。その場合、ちゃんとした現地の大学を出ても日本では「高卒」扱いになってしまいます。

海外放浪の経験を経た今の私だったら、帰国するか、そのまま香港に居残るか、出たとこ勝負でその場の成り行きに身をまかせてみたいという気もします。

運命に導かれる生き方をしよう。失意の場所で、今まで以上の幸せを探すことが運命を生きること

しかし二十歳前後の当時の私には、そんな心の余裕はありませんでした。もし香港に家族で行っていたとしても、おそらく父と一緒に全員帰国したことでしょう。すると……やはり「行かなければよかった」かもしれません。

往々にしてアメリカやフランスの帰国子女が「外国かぶれ」になるように、ソウルやタイペイの帰国子女は「日本びいき」になるものなのです。

結局、世界で暮らすか、日本で暮らすか、その選択を二十歳前後でしなければならなかったということになります。ハードすぎる選択です。

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たとえ英語と中国語がペラペラでも、日本では中卒扱いされる

当時高校二年生だった弟の場合、さらに状況は難しいものがあります。これから受験勉強というときに香港に行くのでは、日本で暮らす「フツーの人たち」とは明らかに違った人生を歩むことになりそうです。

やはり香港のフツーの高校に編入するのは、まず無理でしょう。単位の換算もできませんし、そもそも授業についていくことができません。まずは言葉の勉強からです。

すると……たとえ英語と中国語がペラペラになったとしても、いまだ高校を卒業していません。日本では中卒扱いされてしまいます。

大検大学入学資格検定)に合格して、上智大学とか東京外国語大学を卒業するという手が残されていますが、めんどくさいことこの上ありません。私だったら、このまま日本でフツーに高校生やらしてください、と親に頼むかも。

もう日本に帰らないぐらいの確固たる気持ちがなければ、選べない選択肢だったでしょう。

日本の学歴なんて中卒でもいい。もう日本には帰らない、と固い決意で国際人の道を選んでいたら、もしかしたらその後の中国経済の大躍進の中で、今頃は億万長者になっていたかもしれませんけれどね。

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もしも人生が二度あれば……親の転勤で人生が変わる子供たち

親の転勤によって家族が引っ越した場合、子どもの学校はどうなってしまうのか、検証してみました。

結論は、子どもが小学生、中学生なら転校で問題なし。子どもが大学生ならひとり暮らしをさせる。子どもが高校生の場合は親が単身赴任を選ぶケースが多い。ということでした。

そして特殊な例として、親が海外赴任だったケースについても検討しました。その結論についても、基本的には国内転勤の場合と同じでした。

ただし海外赴任の場合「親のお金で留学できちゃう」というスペシャルなメリットを享受できる可能性があるということです。

あのとき父と一緒に香港に家族で引っ越していたらどうなっていたのか? 長年、心に引っかかっていたことを、現実的にはどうだったのかここでは検証してみました。

ウチの場合は、父が単身赴任して、高校生の弟と大学生の私が母と日本で一緒に暮らすというスタイルで解決しました。子どもを思う親の目線になって考えてみれば、これ以外の選択肢はなかったらしい、ということがわかりました。ありがたいことだったと感謝しています。

当時はまさか中国のGDPが日本の三倍の経済大国になるなんて想像もできませんでした。2027年にはアメリカを抜いて世界一の経済大国になるという予想もあります。

わたし自身のその後の海外遍歴を考えると、あの当時、香港で暮らしてみたかったな、という現在目線からの「ありえたかもしれない可能性」を惜しむ気持ちがあるにはあります。今の感覚で二十歳前後に戻っていたら、家族を説得してぜったいに香港に行っていました。

書評『青年は荒野をめざす』

しかし……二十歳前後の当時の感覚からすると、外国で暮らすことは、当時のレベルではしきいが高かったかな、と思います。

当時、私がいちばんほしかったのは「恋人」でした。日本国内でも恋人ができないのに、外国で恋人ができるというのは考えられません。そもそも言葉が通じないんですから……。ニーハオ。シェシェ。その最初の関門で意気阻喪していたというのが、当時のレベルだったのではないかと思います。

今の私の感覚からすると、香港人と恋をして、香港人として生きて、という未来も面白かったかなあと思いますけど。ずいぶんとレベルが上がったものです。

リアルドラゴンクエスト。世界はディズニーランドだ

しかし実際のところ、中国経済発展の波にのって億万長者になったけれども、雨傘革命に巻き込まれて自由を失い悲惨な最期を迎えていたかもしれません。

そういうことはわからないのです。現状に満足しましょう。今を幸せと思いましょう。

ありえた苦労のことは考えず、ありえたかもしれない楽しいことばかり思い描いてもしかたがありません。

もしも人生が二度あれば……香港に行かなかった現実に感謝して、行った場合の可能性については「夢をふくらませて」楽しむだけにしておきましょう。

両親よ、ありがとう!

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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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