マノン・レスコーの後継作品。『女と人形』
メインのキャラクターは三人です。最初の語り部アンドレ・ステヴノル。そしてアンドレが出会った女コンチャ・ペレス。アンドレとコンチャの恋愛話しかと思ったら、途中から登場するドン・マテオとコンチャとの恋愛話がメインテーマです。語り部もドン・マテオに引き継がれます。そして傍若無人なコンチャと堕ちていくマテオ……そうです。この構成はあのマノン・レスコーにそっくり。
史上最高の恋愛小説『マノン・レスコー』の魅力、内容、書評、あらすじ、感想
『女と人形』は男を堕落させる運命の女(ファム・ファタール)の系譜に連なる物語。『カルメン』と同じ系統の物語なのでした。
『女と人形』の魅力、あらすじ、書評、感想、評価
わたしのためなら死をもいとわぬと、常々そう言っているあなた、それなら死んでちょうだい、そのときこそほんものよ。
こちらが求めれば、女は自分を差し出す。これが世の中のおきまりだ。
→コンチャをナンパすることに成功したアンドレは有頂天ですが、知り合ったマテオにたしなめられます。
女には気をつけることです。私自身が女のことで人生をすり減らした男だし、それでいてもう一度人生をやりなおせるものなら、そんなふうにして過ごした一生をもう一度繰り返してみたいとさえ思っているくらいなんですから。
→こうして語り部がアンドレからマテオに切り替わり、運命の女に翻弄されるマテオのストーリーが語られるのでした。
あなたにとってわたしがただ一人の女ってわけでもないでしょ? わたしは、わたしよ。わたしは他にいないわ。だから市場のお人形みたいに買われたくはないの。だって取り上げられたら、もうわたしの代わりは見つからないんだから。
→ファム・ファタールに共通する特徴は、男を虜にするくせに貞操観念が皆無ということでしょうか。自由を愛する女は、男に依存して生きていません。しっかりと自分を持っていて、わがままにも見えますが、しっかりと自分の人生を生きているのです。女性から見るとうらやましいような生き方をしているとも言えますし、悪女というだけではすまされない魅力を持っているのです。欠点は、性別が男だったらすべて許されるといった程度のものにすぎません。だから受け入れられるのです。というよりも拒否しきれないのです。
ほんとうにわたしを愛してくれていたら待てたでしょうに。それなのに貴方はわたしをお金で買おうとなさりました。二度とお目にかかることはないでしょう。
→女にすべてを捧げた男に対して、女は「おあずけ」。現代でもキャバクラにこのタイプの女がいますよね。
情け知らずの女は粗い布を裁ってこしらえた下ばきをはいておりました。込み入った頑丈な紐で帯と太腿に結び付けられています。気も狂わんばかりの情熱の真っただ中に見出したのはなんとこれでした。この女を絞め殺してやりたい衝動に駆られました。
→ようやくセックスできると思ったら貞操帯のようなものを女みずから履いているという(笑)。降ろせないじゃん、コレ!
わたしの魂。わたしの血。これだけじゃ物足りないっておっしゃるの? 貴方が愛しているのはわたしじゃなくて、わたしが拒んでいるものだけなのね? そんなものならどんな女だって差し上げられてよ。どうしてわたしにお求めになるの、嫌がっているわたしに?
→拒んでいるもの=性交です。愛を捧げているのだから、性を捧げなくても満足するべきだ、という理論で女はセックスを拒否します。
舞台の真ん中では素っ裸のコンチータが、狂おしいホオタを踊っているところでした。
→そのくせイギリス人のお客様の前では全裸ダンスを見せるのでした。
彼女らにとっては苦痛をあたえる楽しみの方が肉体の楽しみよりも勝るからです。
→コンチャは精神的なサディストだと仄めかされます。
東洋の男子は女の目をやさしくするために爪を切り取ってしまいました。女の肉欲を発揮させるために敵愾心を押さえつけました。
私にとってコンチャはとうてい打ち負かせる女ではなかった。
わたしはわたしのものよ、だから自分を大事に守っているの。わたしには自分より大切なものは何一つないのよ。わたしからわたしを買い取れるほどのお金持ちは一人もいないわ。
→歴史に名前を残した女性が男性にくらべて極端に少ないのは、世の中のシステムがそうなっていたからです。とくに古い時代は女性にとって結婚は「自分を失うこと」だったのでしょう。だからこんなセリフが火のように激しく吐かれるのです。ファム・ファタールは嫌なだけの女ではありません。自分の気持ちに忠実であり続ける。それがファムファタールの特徴です。そのためにはたたかわなければなりません。
運命の女ファム・ファタールの変化球。SM気質で、男を破滅させない
→さて、ここまで見てきただけでは『女と人形』は『マノン・レスコー』の劣化コピーという感じが免れません。しかし作品のオチだけはさすがにピエール・ルイスも『マノン・レスコー』からは変えてきました。さて、どう変わったのでしょうか?
縛られるもんか! 貴方の思い通りになんかなるものか! 一生縛られないわ! わたしの身体は、わたしの血はわたしのものよ! 心に思っていることをぜんぶ貴方にぶちまけちまわないとわたしは幸せになれないの。
マテオ、あんたなんて大嫌いよ。どんなにあんたを憎んでいるか言葉では表せないくらいよ。
→マノンはグリューを「愛している」けれども富や遊びに目がなくて男を困らせてしまう女でした。しかしコンチャはマテオを「愛していない」と叫びます。これはマノン・レスコーとは変化球をつけてきたな、と思いました。マノンはそんなことは言いません。
殴りつける。鳴き声をあげる。悲鳴がとつぜんすすり泣きに変わる。
おお! マテオ! ほんとにわたしを愛してくれているのね! よく殴ってくださったわ、いとしいひと! なんていい気持ちなんでしょう。許して、マテオ! このいじらしい気持ちをわかってちょうだい。目が覚めたみたいな気分。
そうしてやっと結ばれるのです。彼女は処女でした。
→グリューはマノンに暴力を振るうようなことは決してありませんでした。グリューが暴力を向けたのはマノンを苦しめる相手に対してだけです。それに対してマテオはついにコンチャに対して拳をあげます。絶望のあげくの暴力でした。しかし決定的に嫌われたと思ったら彼女はすすり泣きながら体を許すのでした。しかも奔放な女だと思っていたのに処女でした。マノンは処女ではありません。グリュー以外のたくさんの男に抱かれています。コンチャとマノンが別人だとわかります。
若い男との浮気をほのめかす。殴るマテオ。
いとしいひと。今の話しはでたらめよ。
なぜあんなことを言ったんだ?
貴方にぶってもらいたいからよ。あなたの力を感じたとき、あなたを好きになるからよ。あなたに泣かされると、どんなに幸せな気分になるか。
マテオ、またぶってくださるわね? 約束してよ。うんとぶって! 殺してちょうだい! 殺すといって!
罰を受けたいと望むだけではなく、罪を犯したいという激しい願望も彼女は持ち合わせていました。悪事を行うのは誰かを苦しめるのが面白いから。人生における彼女の役割はこれだけに限られておりました。
→コンチャはサディズム・マゾヒズムの気質を秘めていたのです。精神的にはサディズム嗜好でマテオをじらして苦しめるのに、肉体的にはマゾヒズム嗜好で打たれるほど愛を感じて燃え上がります。
彼女は必死で私の生活にしがみついている。どんな犠牲を払ってでも、どんな方法を講じてでも、彼女の腕の囲いの中に私を閉じ込めておきたかったのです。——とうとう私の方から逃げ出してしまいました。
→グリューは何があっても決してマノンと離れようとはしませんでした。しかしマテオはコンチャの異常性に耐えられず一度は自分から離れていきます。
しかし結局忘れられず、別れられず、マテオの方からやりなおしを申し出るのでした。
ファム・ファタールにとりつかれたら、もう逃げられないということなのでしょう。
ファム・ファタール。運命の女とは?
ファム・ファタール、運命の女とは、どう定義すればいいのでしょうか?
男を破滅させる女。離れられない悪女。貞操観念のない性的魅力のある女。
いろいろな言い方ができるでしょう。
しかしそのもっとも特筆すべき特徴は「自分らしさに固執しつづける女」ではないかと思います。誰かの女になることは、ファム・ファタールにとって自分らしくいられないことなのです。だから自由を手放さないのです。それが女を自分の意のままにしたい男にはもどかしく怨みさえ抱かせるのです。自分らしさとは、誰かに押しつけられるものではなく、自分自身が決めることです。その決定権を誰にも渡さない。それがファム・ファタールではないでしょうか。