できるだけ自給自足で金を使わずに生きていく狩猟採集民族の生き方
『氷点下で生きるということ』というドキュメンタリー動画が好きでよく見ています。アラスカ人は私の人生の師匠です。
『氷点下で生きるということ』(LIFE BELOW ZERO°)の魅力、内容、評価、感想、ツッコミとやらせ疑惑
アラスカ人たちの生き方は、できるだけ自給自足でやっていこうというものです。人生をスーパーマーケットの買い物だけで終わらせないスピリッツですね。
自給自足生活なんて無理。スーパーマーケットのない場所で、人はどうやって生きていけるのであろうか?
石器時代のほとんどの生活必需品は木造だった
アラスカ人たちは、ハンターです。ライフルで肉を狙い、ショットガンで鴨などを鳥撃ちし、鳥の巣を狙って卵を採集します。魚網でサーモンなどを漁獲しています。そしてワイルドベリー(ブルーベリーやサーモンベリー)を採集しています。農耕がはじまる以前の、狩猟採集民族の生き方をその血脈に強く残している人たちです。
腐る木は歴史の彼方に消え去って、石器だけが残った
実際にはアラスカ人もスノーモービルやリベット艇や四輪駆動バギーのガソリンなどを使用しているのですべて自給自足というわけにはいきません。さすがに石油を掘り当てて精製するのは個人レベルでは無理です。しかし家も、ソリも、菜園グリーンハウスも、犬小屋も、食料貯蔵庫も、肉干し台も、狩猟につかうカヌーも、ほとんどは木材で自作しています。寒さから身を守ってくれるハードシェル(家)も、燃やして部屋を暖めてくれる燃料(薪)も、すべては木からつくられます。
アラスカ人だけでなく、かつて全人類がそういう生活をしていました。その時代のことを「石器時代」と呼ぶのですが、私はこの言葉に違和感を感じます。なぜならおそらく「石器時代」の人たちはアラスカ人と同様、ほとんど石器を使っていなかっただろうと思うからです。今のアラスカ人と同じようにほとんどの生活品を木造ですませていたに違いありません。それをなんで「石器時代」と言うかというと、遺跡、遺物に石器しか残っていないからでしょう。木は腐るので時代の彼方に消え去ってしまいました。
石器時代は本当は木器時代
たとえばアラスカ人は斧をつかいます。斧の刃は鉄製で、さすがに自作ではないでしょう。鋳鉄されたものを街で買ってくるのですが、柄が壊れたら自分で自作して使用しています。石器時代というのはこの斧の鉄の刃が石でできていた時代のことです。柄は同じく木造でした。そして現在、斧の刃の石だけが残って、斧の柄の木は腐ってなくなったのです。だから石器時代と呼ぶのですね。半分は木でできていたのに。
つまり「石器時代」というのは誤解の元で、本当は「木器時代」と呼称するのが正しいのです。石器はせいぜい木の工作のときにつかったぐらいで、主たるマテリアルはあくまでも木です。
アラスカ人の暮らしを見ていると本当によくチェーンソーを使います。チェーンソーの燃料である混合燃料は、狩った肉や、獲物から剥いだ革製品などを売ったお金で買っています。つまりは「狩らなきゃ生きていけない」という意味では完全に昔の狩猟採集民族と同じ地平線で暮らしているのです。
現代のアラスカ人たちは、今も「木器時代」を生きています。つまり「石器時代」を生きているのです……ほらね、やっぱりこの「石器時代」って言い方はどこかおかしいんですよ。だってアラスカの人たちはさすがに石器は使っていません。石は加工に難ありですからね。石の斧では鉄の斧に切れ味でかないません。
日本家屋などを見ると今でも木からすべて造られています。あんがい木器時代は今も続いているのかもしれませんね。
家を建て、食料を火で調理し、暖をとる為につかう木材。燃料にして、建築資材。この木器時代は人類が終わるまで続くのではないでしょうか。