過去の入試問題(赤本)をやるか、やらないか。自分にがっかりするのが嫌だった
みなさんは受験勉強はやったくちですか? 私はやったくちです。問題集は解きまくりましたいが、過去問題集(いわゆる赤本)には取り組みませんでした。正直、そこまで手がまわらなかったということもありますが、やっぱりやらなかったのにはやらなかっただけの理由があったと思っています。
最大の理由は、自分に失望するのがいやだったからでしょう。
通常、大学受験の本番のテスト問題は、これまでやってきた中でいちばん難しい問題であるはずです。それで合否が決まるわけですから、みんなが100点とるようなテストだったら誰を不合格にしたらいいのかわかりません。
基礎的な問題集を解いてきたすべての解法を総動員して、本番で最難関な問題に取り組むというのが受験勉強だと私は思っていました。
入試の過去問題集は、高校生活の最高レベルに到達しないと解けない
そもそも入試問題は、最高点に到達しないと解けません。初心者レベルでは解けないような問題が出ます。高3のラスト、高校生活の最高レベルの学力でやっと解けるか解けないかレベルの問題が出るはずです。そうじゃないと不合格者がいなくなってしまいます。
と、いうことはつまり、受験勉強の初期に過去の入試問題にチャレンジしても、まず解けません。たいていはがっかりすることになります。とくに難関大学であるほど、高1とか高2の段階では解けません。私の場合は、ガッカリするのが嫌だったんだと思うんですよ。私にとって受験勉強というのは、簡単な練習問題でレベルを上げて、受験本番ではじめて最大の難問にぶつかって勝負するというものでした。ドラクエでいうところのラスボスが入試問題だったのです。
受験勉強の時と同じスタンスでマラソンに取り組む
私はその後、市民マラソンに真剣に取り組むことになりますが、その時も同じスタンスでした。練習のときからサブスリーペースで42.195kmも走るのは無理でした。
受験勉強の時と同じように、簡単な練習でレベルを上げて、サブスリーペースで42kmも走るのは、本番レースのときだけでした。
普段の練習の時からレースペースで走らなかったのはやはり「こんなハイペースで42kmも走るのは無理」と思い知って目標を諦めてしまうのが恐かったからだと思います。
運転免許証、一発試験体験記。もう過去問しかやらない
実は私、一度、運転免許を喪失しています。スピード違反で免許を失いました。
運転免許一発取り消し実体験。1トリップを都道府県で重複して罰していないか?
もう一度クルマに乗ろうと思ったら免許を取り直す必要がありました。学科試験からやり直さなければなりませんでした。
しかし運転教習所に通って高い授業料を払う気にはなれませんでした。私がやったのは一発試験というやつです。自分で勉強して学科試験を合格し、運転免許センターで実技試験を受けて免許を取るという手法です。免許は失っているものの、スピード違反するほど車に乗れるスキルはあるのですから、18歳の最初の時とは違います。
私はあの退屈な運転教則本をまたいちから勉強する気になりませんでした。二度目の免許取得に時間、労力をかけたくありませんでした。だからテキストをはじめから勉強するのをやめて、過去問題集だけをやって試験に臨みました。そうしたら一発で学科試験に合格しました。運転免許学科試験は大学受験ほど難しい問題ではありません。そのことがよかったのでしょう。過去問題集はひっかけ問題などもあり楽しんで勉強できました。ここをこうやってひっかけようとしているのだな、という問題の癖を知ることができました。
もちろんすでに知っていることばかりという有利さもありましたが、全体的に勉強して受験した一回目の学科試験よりも、過去問題だけをやって全体勉強はしなかった二回目の学科試験のほうが、圧倒的に時間がすくなくてすみました。
もう一度大学受験に挑戦するなら過去問題集を最重要視する
もしも私が今、もう一度、大学受験に挑戦しなければならないとしたら、かつてやらなかった過去問題をまっさきに攻略すると思います。それは人生経験を経て、見方、スタンスが変わったからでもあります。
かつては過去問題集なんかやらずに受験したけれど、今ならまずは解けなくてもいいから過去問題に挑戦して、その解法、答えを丸暗記することから勉強をはじめると思います。
ナイーブだった高校時代には、「だめだ、解けない」というガッカリ感をあじわいたくないばかりに、過去問を避けましたが、今ならばなんてこともありません。
さんざん自分にがっかりするのはあじわってきましたし、好きな女性にフラれることにくらべたら、入試問題が解けないことぐらいなんてことありません。ノープロブレムで過去問題に真っ先に挑戦して、そこから逆算するようにお受験勉強をやると思います。
スライムのような簡単な問題集をこなしてレベルをあげて、最後に入学試験というラスボスに挑むのがドラクエ的な正攻法です。
しかし今ならば真っ先にラスボス(赤本)に挑戦すると思います。もちろん負ける(解けない)わけですが、そこから逆算して対策すればいいじゃありませんか。
ホリエモン多動力。国立大学に合格する人の時間(脳ミソ)の使い方
日本人旅行者のラスボスは南米。もう怖くない
このブログのタイトルは「ドラクエ的な人生」です。このタイトルに込められた意味は、たとえば旅行なら、まずは国内からはじまって、韓国や東南アジアなど簡単なところで旅のレベルを上げます。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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次にヨーロッパなど遠方に行って、イスラム圏の砂漠地帯などで経験値をたくさん貯めます。そして最後には南米という地球の裏側(ラスボス)を制覇するというような順番がイメージされていました。
しかし今ならば、まっさきにラスボスの南米行きを考えると思います。それはもう自分にがっかりすることが恐くなくなったからにほかなりません。

高校の時に、この精神状態だったら、もうすこしいい学校に行けたかもしれませんね