遊民主義。遊民哲学

旅行-放浪-車中泊-アウトドア
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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

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遊民主義・遊民哲学とは何か?

放浪のバックパッカーとして世界中を旅してきて「何を学んだ」とか「何を得たのか」とか聞かれることがあります。旅から私は何を得たのでしょうか?

マレーシアのマラッカでのことです。わたしは公園やベンチに寝転がっている人たちをたくさん見ました。薄っぺらい小汚い格好で、ラフなサンダル履きの男たちです。

そのマラッカの市場で、パリっとしたスーツ姿のサラリーマンを出会ってギョッとしました。日本では当たり前のスーツ姿のサラリーマンですが、マラッカでは違和感しかありませんでした。

なんでこの人はスーツを着て仕事をしているんだろう。かわいそうに……。その黒い靴、窮屈じゃない?

なんだかビジネスシューズを履いたスーツ氏が、可哀想な貧しい人に見えてしかたありませんでした。そして自分の感じたことに愕然としたのです。

自分はもはや普通の日本のサラリーマンとは違う価値観を生きているのではないか?

そのとき感じたのはそんな思いでした。

実際には公園に寝転がっているサンダル男たちよりもスーツ氏の方がお金はたくさんもっているのでしょう。平日の真っ昼間のことです。日本の社会ではスーツ氏のほうが標準です。むしろ日本だとぶらぶらしているサンダルマンの方が奇異の目で見られるはずですが、どう見ても私には寝転がっているサンダルマンの方が豊かに見えました。どっちになりたいかと聞かれたら、ビジネスシューズよりもサンダル履きの方になりたい、と。

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人生の豊かさとは貯金残高で決まるものでしょうか。

この時の強烈な印象が、わたしの遊民主義の原点です。遊民主義とは、社会的地位や資産の有無で人生の豊かさを判断しない新しい生き方のことです。自分の好きなことができる時間の量、したくないことをしなくてもいい自由、遊びたい時に遊び、のんびりしたい時にのんびりできる生活を大切にする考え方を遊民哲学、遊民主義と呼んでいます。

遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。縛りのない豊かな時間こそが遊民のもつ最も価値あるものです。

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放浪のバックパッカー≒登山家≒キャンパー

ある日のこと、散歩していた私は、首都高速の下にホームレスの仮の住まいを見つけました。完全に登山用のテントもありました。わたしの目は釘付けになりました。「なんだかおもしろそうだ」と思ったのです。なんともいえない同類のにおいがしました。放浪のバックパッカーとホームレスは同種の人たちという気がします。ホームレスは、長期間のキャンパーといっても過言ではないという気がします。

私はバックパッカーは「歩く人」だと思っています。歩かずにバックパッカー旅は成立しません。その姿はまるで山を歩く登山家のようです。歩くのが外国か山域かという違いはありますが「バックパックを背負って歩く人」であるという本質は同じです。

私は登山して幕営地にテントで泊まることもあります。町のキャンプ場ではほとんどすべての登山用具を流用して使うことができます。つまりバックパッカー≒登山家≒キャンパーという図式がなりたつのです。ここにホームレスも加えたら登山家やキャンパーやバックパッカーの人から怒られますかね?

つくづくホームレスはロングステイの「キャンパー」のようです。ホームレスというとイメージが悪いのですが「ちょっとばかりキャンプ生活が長引いているだけだ」と視点を変えれば、なんだか楽しそうに見えてきます。

週末ごとにキャンプに行っている知り合いがいます。平日は忙しいサラリーマンをしている彼なんか、毎日キャンプしているホームレスを羨ましがるのではないでしょうか?

そして世界各地を放浪してきたバックパッカーのひとりとして、日本のホームレスが何もしないで寝転がっている人「遊民」にどうしてなれないのだろうか、と疑問に思います。

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車中泊≒ホームレス。寝るだけなら何の問題もない

車中泊で日本全国を巡った経験があります。車中泊≒ホームレスという図式も成り立つのではないでしょうか。するとこういう図式が成り立ちます。バックパッカー≒登山家≒キャンパー≒車中泊≒ホームレス

この世界をリアルに感じて、充実した人生を生きたかったら、アウトドアはむしろ必然ではないかと思っています。自宅はぬるま湯です。ずっと自宅で暮らすのは、ずっとぬるま湯につかって生きているようなものです。そんな人生で満足ですか?

それでは物足りないから旅人は旅にでるのです。外敵の恐怖のようなものがないと脳に刺激が足りません。旅の恐怖や危機意識によって脳の生存本能が覚醒します。

そんなアウトドア目線からするとホームレスの生活を「一度ぐらいは体験してみたい」「ショートなら面白そう」と思ってしまったのでした。誰もが目を背けるホームレスの生活も、こちらの見方が変われば評価も変わるのです。

ホームレスの辛さは「やめたくてもやめられない」ところにある

実際ホームレスの暮らしは、短い期間ならばそれほど辛くないだろうと思います。だってキャンプしているのと同じだもの。そのことをキャンパーとして、登山家として、自分の経験から想像することができるのです。お風呂やトイレなどが自宅内にない不便さをイメージすることができます。室内で立ち上がれない窮屈さは車中泊で経験しています。寒さは山の上で経験しています。ベトナム・ハノイの安宿に泊まったときのことです。夜中にバイクが轟音を鳴り響かせてホテル前を飛ばしまくっていました。まるで暴走族の集会の中で眠っているようでした。あのハノイの安宿にくらべたら、まだ墨田川のテントの方がずっと静かなはずです。

ホームレスの辛さは「やめたくてもやめられない」ところにあります。「いやになったらいつでも止められる」という条件なら「体験してみてもいい」とさえ思えます。

もともと我らがご先祖は今のホームレスのような暮らしをしてきたのです。ホームレスの暮らしもそれほど悪いものじゃありません。すべては比較の問題です。

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安全地帯から一歩も外に出ない生活を楽しいと言えるか

放浪の旅人で東南アジア諸国を回っていると、何もしないで寝転がっている人「遊民」を少なからず見かけます。暖かいため、外の風がいい気持ちです。汚れたTシャツに短パン、そしてサンダルです。サンダルは自由の象徴みたいなものです。

暖かいため、こういう生き方ができるのです。自宅はあるのでしょうが、昼間はホームレスのように暮らしています。仕事は……あるのかな? 夜の仕事をしている可能性はありますが、仕事や時間に追われている風はまったくありません。

この遊民のように日本で暮らそうとすると、春、秋はいいのですが、夏、冬は無理だと思います。夏場は暑く湿気が多く外で過ごすのにいい季節ではありません。また日本の冬は寒すぎて、外で寝転がっていては凍死してしまいます。だから家の中で暮らすことが常態となってしまうのです。何の刺激もない家の中。安全地帯から一歩も外に出ない生活。こうして「ぬるま湯」が普通になるのです。気候のせいで日本人は「ぬるま湯」の自宅に戻ってしまうのでしょう。

アリンコ・ジャパニーズ。外国のホームレスには、悲壮感がない

冬のあいだ家に閉じこもると遊民の思考がリセットされてしまいます。「ずっと寝転がってばかりいちゃいけない。遊んでばかりじゃいられない。働かなきゃ」と考えるようになりるのです。『アリとキリギリス』のアリンコのように。寒くて貧しいから、日本人は遊民になり切れないのです。気候が最大の要因だと思います。黒潮で暖かい南房総がハワイになりきれないのは冬があるせいでしょう。

諸外国にはホームレスがたくさんいます。でもなんかみんな気楽そうで、日本のホームレスのような悲壮感がありません。きびしい顔つきをしていません。なんだかのんびりとしています。常夏の国では、いったんのんびりしたら、そこから思考がリセットされず、一年中のんびりできます。思考がリセットされなければ、一生そのまま生きていけます。彼らは遊民になれるのです。

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しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝もの

東南アジアでは、スーツ姿で仕事をしている人が貧しい人に見えました。働かざるを得ないから働いている、という風に見えたのです。かわいそうに。みんなが遊んでいるのに、自分だけ働かなきゃならないなんて。それは強烈な印象でした。そして公園で寝転がっている遊民が実に豊かに見えたものでした。どっちになりかいと思ったかは言うまでもありません。

決まりきった時間に決まりきった場所に行って決まりきったことをしなければならないのはいちばん貧しい生活なのかもしれません。黒革靴で仕事しているエリートよりも、サンダル履きの遊民の側に行きたいと私は感じました。

放浪の旅が私にあたえた最大のものはこの遊民主義です。

遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝ものです。

ほんとうに美しいものは、すべて無料です。地球が人にもたらしてくれるからです。お金を出して買えるようなものではありません。

暇なサンダルマンたちはいつも友人たちと何かを喋って遊んでいます。時間が人間関係をつくりあげているのです。遊民は豊かです。

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映画『タイタニック』は「お金持ちよりも、貧乏の方が人生楽しい」という映画

ひるがえって日本のホームレスが「遊民」に見えないのは、やはり気候の影響が大きいと感じます。日本でホームレスを「豊か」だなあ、とまでは思えません。悲惨なかわいそうな人に見えてしまう。本質的には何も変わっていないというのに。そう見えるのは寒い冬のせいでしょう。たくさんの時間を持っていることは彼らも変わらないと思います。

わたしにとって映画『タイタニック』は「お金持ちよりも、貧乏の方が人生は楽しい」という映画です。ヒロインのローズはお金持ちの暮らしにうんざりして死のうとしますが、貧乏人のジャックと知り合って、貧者の生活の中に人生の楽しみを知ったのでした。

遊民の豊かさを知るものとしては、どうにかしてこの文化を日本に輸入できないものかと思うのです。

寒さの力は強力で、人間の思考を変えてしまいます。暖房と食事のために人は労働するのです。なにごとも天候しだい。マザーネイチャーにはかないません。

わたしはバックパッカーとしていろいろなものを見すぎてしまったのかもしれません。もう日本のサラリーマンの価値観には戻れません。黒革靴よりもサンダル。一生、遊民として生きていくのもいい。いやむしろ遊民になりたい。あの人たちがなれたんだ。私にだってなれるはずだ。

そういうことを私たち放浪のバックパッカーは見てきたのです。

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FIREファイア とユーミン主義は似た概念

FIRE(ファイア)という概念があります。FIREというのは Financial Independence, Retire Early 経済的に自立した早期リタイアという意味です。親のすねをかじるニートのような寄生獣ではなく、ちゃんと自活した上で、サラリーマン生活から早期に退くというムーブメントですね。投資運用などをして自由な時間を生きていく生き方です。

わたしのとなえる遊民主義と、ファイアは、とても似ています。違うところといえば遊民主義は積極的に貧乏やアウトドアライフを楽しもうとしているところでしょうか。

FIREには「貧乏に陥らないようにする備え」のニオイがプンプンします。それに対して遊民主義はそんなものはケセラセラです。貧乏なんて意に介しません。

FIREは「とにかく仕事を辞めたい」という動機が見え隠れしています。それに対して遊民主義は「しばりのない豊かな時間を遊んで暮らそう」という積極的動機の行動のことです。遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝ものなのです。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。
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雑誌『ランナーズ』のライターだった筆者が贈る『市民ランナーという走り方』。 「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか? いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状打破、自己ベストの更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。 ●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何? ●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム? ●ピッチ走法とストライド走法、どちらで走るべきなのか? ●ストライドを伸ばすための「ハサミは両方に開かれる走法」って何? ●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは? ●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は? 本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く効率的に走ることができるようになります。 ※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。 あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

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私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
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●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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