たとえ夢がかなわなくても……勇気をくれる金言、格言

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『ドラクエ的な人生』とは?

心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

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みなさん、夢はありますか? わたしには子供のころからの夢があります。

ところがもうとっくに夢をかなえていなければならない年齢になっているのに、まだ何も達成していない自分に気づいてメチャクチャ焦ることがあります。そんなときにある格言に出会いました。

「人生には二つの悲劇がある。一つは心から欲するものを手に入れられないこと。もう一つはそれを手に入れてしまうことである」

西洋哲学の始祖ソクラテスの言葉だそうです。

ときどきあるんですよね、こういう「どっちでも同じ」系の名言。

こういう「どっちでも同じ」系の名言、金言、格言についてどう感じますか? ガッカリして意気阻喪してしまいます? わたしは逆に元気が出てくるんですが……。

ここでは「やってもやらなくても、どっちでもいい」系の名言、格言について語っています。それも「どっちでも不幸」というマイナス系のアフォリズムについて語っています。in vain

「どっちにしてもアンパッヒー」バッドエンド系のアフォリズム

このページでとりあげようとしているのは「どっちでもいい」系の金言・格言です。しかも「どっちに転んでも幸せ」という言葉ではなく「どっちに転んでも不幸」系のバッドエンドの格言です。

このマイナス系「どっちでもいい」系の金言・格言に意気阻喪してしまう人がいたらごめんなさい。

しかしわたしはなぜかこのマイナス系「どっちでもいい」になぜか勇気が湧いてくるのです。

「人生には二つの悲劇がある。一つは心から欲するものを手に入れられないこと。もう一つはそれを手に入れてしまうことである」

「人生には二つの悲劇がある。一つは心から欲するものを手に入れられないこと。もう一つはそれを手に入れてしまうことである」

最初はこちら。「どっちに転んでも不幸」系の格言シリーズ。夢バージョンですね。

わたしはまだ「心から欲するものを手に入れられない」ステージにいますが、しかしなんとなく言わんとしていることの感覚がわかります。これはこういうことでしょう。たとえば「プロ野球選手になるのが夢」だったとして見事プロ野球選手になれたとしても、まだ「ただなれただけ」で「スーパースターになったわけじゃありません」上には上がいるし、競争や努力は終わらないし、もしかしたら再来年には戦力外でクビになっちゃうかもしれないし、「プロ野球選手になる」夢のラインに到達しても思ったより安定していなかったり幸せを感じられなかったりして途方暮れてちゃうってことなんだろうなあと思います。「スーパースターになれた」としても「伝説の永久欠番」には程遠かったりして、けっきょくまだ手近な目標だった「プロ野球選手になるのが夢」だった子供の頃のほうが幸せだったとすれば、やっぱり「それを手に入れてしまうこと」は悲劇に違いないでしょう

巨人の星をおれの新しい人生のにおいて こんどはどんなゆめの星にするかな?」と呟いて去っていった星飛雄馬のように「夢の星」には果てがないからです。

受験時代「早稲田大学に合格」しようと勉強して合格し、心から欲するものを手に入れたのはいいけれど、入学しても特に何かやりたかったことがあるでもなく大学に行ってもとくに面白いこともなく、燃え尽きたように何もする気がなくなってしまった人のようなものかもしれません(すいません。これはわたしのことです)。

「結婚したまえ、君は後悔するだろう。独身でいたまえ、君は後悔するだろう」

ところでこの言葉、なんとなく似た言葉を知っている気がしました。何だったか考えを巡らせて思い出しました。

「結婚したまえ、君は後悔するだろう。独身でいたまえ、君は後悔するだろう」

こちらは実存主義哲学の始祖セーレン・キルケゴールの言葉です。

わたしは一度結婚し、その後、離婚しました。離婚した時は二度と結婚しないと思っていましたが、別の人と再婚し、今にいたります。

ソクラテスの夢の格言の場合「経験しないおまえに何がわかる?」という反論にぐうの音もでませんが、キルケゴールの結婚の格言の場合は、経験した者として語ることができます。

いやこの言葉、正しいよ……。そう感じました。

「どっちに転んでも不幸」系の格言シリーズの結婚バージョンですね。

どっちにしても悲劇。どっちにしても後悔。

両者の格言に共通するのは「なんだよ。どっちにしても後悔するんじゃん!」っていう感覚です。

ソクラテスの夢の格言も、キルケゴールの結婚の格言も、どっちにしても悲劇、後悔です。

どっちにしてもハッピーならよかったのですが、どっちにしてもアンハッピー、バッドエンドという格言です。

こういうのを聞くと意気阻喪してしまいます? わたしの場合は、なぜか不思議と勇気をもらえます。

お金持ちになりたいとか、社長になって事業で成功したいとか、世の中にはいろいろな夢があります。もちろんそれが手に入らないことは悲劇に違いありませんが、それを手に入れたとしても悲劇でないとはいえません。

夢をかなえても、幸福になれるとは限りません。

むしろ問題は別のところにあります。

ねたみ、競争意識を捨てられない限り「キリがない」

ハートランド・ラッセルは著書『幸福論』の中で、ねたみ、競争意識を捨てられない限り「キリがない」と語っています。欲したものを手に入れることはある程度までは幸福に寄与するが、いくらでも幸福になれるわけではないというのです。

たとえあなたが政治家として成功してこの日本で天下をとっても、次は世界や歴史が相手です。日本の総理大臣になってもアメリカ大統領をねたみ、アメリカ大統領になっても歴史に名前を残したナポレオンをねたみ、ナポレオンはカエサルをねたみ、カエサルはアレクサンダーをねたみ、アレクサンダーは実在しないヘラクレスをさえ羨んでキリがない、というわけです。

これはお金も似ています。お金もある程度まで不幸を遠ざける効果がありますが、ある一定のラインを超えるとそれ以上幸福になれるわけではありません。だから「お金で幸せは買えない」という人がいるのです。

これはつまり『現状に満足することを知れ』ということです。現状に満足する心がない限りは、たとえ心から欲するものを手に入れられたとしても決してそこで満足することはできないでしょう、ということです。

「現状に満足することを知れ」

見てきたように幸福になるカギは「現状に満足することを知れ」ということです。その心もちでない限りは心から欲するものを手に入れられたとしても悲劇だということですね。

結婚で後悔しないためにも同じ心もちであることが重要なようです。もっと他にいい結婚相手がいたのではないか? なんて思っていたら「結婚しても後悔する」だけです。もちろん独身でいてもやはり後悔することでしょう。

ところがここで問題がひとつあります。

心から欲するものを手に入れても悲劇。その悲劇におちいらないためには「現状に満足すること」が必要だとします。しかしもし「現状に満足する心」があったとしたら心から欲するものを手に入れられなかったとしても「満足」ってことになりはしないでしょうか。「現状に満足する心」があれば夢がかなわなくても飢えたり焦ったり悩んだりしないのではないでしょうか。

もちろん夢がかなっても決して悲劇にはなりません。つまり「現状に満足する心」さえあれば、どっちにしても悲劇にはならないってことですね。

心の持ち方ひとつで「どっちにしても悲劇」だったものが「どっちにしても満足」ってことになりました。

同じように結婚の格言も「どっちにしても後悔」だったものを「どっちにしても満足」ってことに変えることができます。

こういうことを既に知っているからこそ、わたしは「マイナス系どっちにしても格言」に元気を失うことなく、むしろ不思議な勇気をもらえるのかもしれません。

「どっちでも同じ」だとしても勇気をもって生きていきましょう。成功しても失敗してもどうせ死んじゃうんですから「どっちでも同じ」です。だからといって隅っこにうずくまって顔を伏せているのですか?

ときに死もまた勇気をあたえてくれるのです。

「結婚しても後悔しない」人はハッピーメール、ワクワクコミュニケーションズ

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