【身体尺は滅びない】華氏と摂氏。マイルとキロメートル。日本と違うアメリカの単位

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日本と違うアメリカの単位

『氷点下で生きるということ』というドキュメンタリータッチの映像作品を見ています。もっかこの『氷点下』をパンツ一丁でかき氷を食べながら見るのがマイブームとなっています。主にアメリカ人に向けたコンテンツだと思うのですが、映像の温度表示が華氏表示だったのがとても気になりました。なんでこんな尺度を使っているの?

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いうまでもなく日本では摂氏をつかっています。これは「人間にとってもっとも大事な物質である水」を基準にしています。水が氷る温度(凝固点)が0度。水が気体になる温度(沸点)が100度というとてもわかりやすい理屈の通った指標です。

「人間にとってもっとも大事な物質である水」を基準にするのは、尺度としてとても合理的で使いやすいものだと思います。お茶をたてるのに最適な温度は何度ぐらいなのか。かぼちゃの糖度が増す温度はどれぐらいなのか。お風呂の温度は? 山頂でカップラーメンを沸かしたら水温はどれぐらいになるのか? スープをつくるときの温度は? など料理と水はダイレクトに関係してきますので、摂氏をつかうことは非常にわかりやすく合理的であると思います。

ところが華氏はどうでしょうか? なんでそんな基準ができたんでしょうか? そして何でそんな基準をアメリカ人は使っているのでしょうか?

【身体尺】人間の尺度とは、人間にとって都合のいいものからできている

古今東西を問わず人間が十進法を使うのは指が十本だからです。ダース計算の十二進法よりも十進法の方がわかりやすいのは指が十本だからです。もし人間の指が十二本だったら数学は十二進法で発達していたでしょう。このように人間が使う単位というものは、人間にとって合理性があるものなのです。

たとえばアメリカではフィートとかインチとかマイルという単位が使われています。私はマラソンが趣味なのですが、ニューヨークシティーマラソンもボストンマラソンも42.195kmではありませんでした。26マイル385ヤードでした。走るペースをつかむためにマイル表示にあわせたペース表を腕に書き込んで走っている日本人ランナーもいましたよ。

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(本文より)
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ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
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フィートというのは「足」という意味で足の長さを基準にしています。いちフィートは約30cmです。かなり大足ですね。西欧人を基準にしているからでしょう。こういうのを「身体尺」といいます。インチは親指から。マイルは歩幅を1000倍したものだそうです。この場合歩幅は1.6メートル計算になります。千歩歩けばいちマイル進むと計算した方が、キロメートル表示よりも使い勝手がいいという理屈は理解することができます。三マイル先と言われたら3000歩歩けばいいわけです。わかりやすいですね。

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昔の日本でも、とかとかいう単位が使われていました。これも身体尺だそうです。尺は手のひらを広げたときの幅から、寸は親指からだそうです。

人間の尺度というものは、しょせん人間にとって都合のいいものからできています。人間はしょせん自分の身体の大きさから世界の大きさをはかっているのです。たとえばトンボのような小さな昆虫でも単細胞生物から見れば巨大生物に他なりません。人が身体尺を使うというのは合理的な選択です。もしも巨人がいたら彼らは人間とはまったく違ったもっと大きい単位の尺度をつかっているはずです。

華氏は身体が基準。摂氏は水が基準。

これらのことを踏まえた上で、では華氏というのはどういう基準・哲学でできたものなのでしょうか?

この華氏というのはファーレンハイトという科学者がつくった基準です。その基準には諸説あるのですが、自分の体温を100として、自分の測ることのできた身の回りの最も低い室外温度を0度としたという説が有力なのだそうです。つまりこれも一種の身体尺なんですね。華氏100度は37.8度、華氏0度はマイナス17.8度になります。ファーレンハイトはダンツィヒで暮らしたドイツ人です。ダンツィヒの最低気温はマイナス17.8度にもなるんですね。じゃっかん体温が高めですが、ファーレンハイトは白人です。訪日外国人を見てください。日本人がコートにくるまっている真冬に、白人たちは半そでTシャツだったりします。基礎体温が日本人よりも白人の方が高いというデータがあります。個人差はありますが、妥当なところだと思います。

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ポンド、ガロンも身体尺

私はラスベガスで、ガソリンの値段を見て「高い!」と思ったことがあります。もちろん私はリットル表示だと思って「高い!」と思ったのですが、実はガロン表示でした。ガロン換算ならば思った通り日本よりも安い価格でした。いちガロンは3.78541リットルです。ガロンというのは10ポンドの水の体積を基準としています。そしてポンドというのは人間が1日に消費する食糧量を基準としています。胃袋を基準にしたこれも一種の身体尺なんですね。

かつて日本でも身体尺をつかっていた

かつて日本でも、身体尺が使われていました。主食のお米の数え方は人間の食欲を基準としていたのです。

かつては人が一年に食べる米の量を一石と表現していました。家族四人を一年間養うためには四石必要だったのです。一石は三俵なので、およそ十二俵あれば家族四人が一年間くらせました。わかりやすいですね。加賀百万石は100万人の人間を養えたというわけです。胃袋を基準にした身体尺、とてもわかりやすいですね。そして一石を収穫できる田んぼの面積を一反と言ったのです。昔の日本の単位は胃袋の大きさを基準とした一種の身体尺だったんですね。

身体尺はほろびない。だって人間だもの

さて、摂氏と華氏です。

化学実験や料理には摂氏の方が便利だという気がします。水が基準ですからね。しかしアウトドアライフには華氏の方が便利かもしれません。華氏100度を超えたら外気温が体温よりも高いということでそこを基準に外気温に気をつければいいのですから。

華氏、摂氏いずれにしてもただの気温の尺度です。実際にはどちらでもいいのです。使う人間にとっては要は慣れの問題なのでしょう。

現在、アメリカがつかっているマイルや華氏を、国際的に多数派であるキロメートルや摂氏にすべきだ論争がもちあがることがあります。私はボクシングが好きでよく見るのですが、ボクサーの計量はポンド表示ですよね。日本人の私はわかりにくいなあと思いますが、アメリカ人はそうは思いません。そちらに慣れていますから。キログラムもポンドも、華氏も摂氏もどちらもただの単位、尺度にすぎないので、慣れればどちらでも問題はないのです。製品を輸出入するときに相手国の基準からするとどうなのか、という点だけが問題なのです。

でも身体尺を使うのは合理的なのです。アメリカに「尺をなおせ」と言っても通じないのではないかと思います。昔から人間は身体尺をつかってきました。身体尺をつかうことには大きさのイメージがつきやすいという利点があります。

マラソンで42.195kmを走るといわれても、走ったことのない人にはどれぐらいの距離か漠然としてわからないだろうと思います。でも26マイルならばある程度イメージがわくかもしれません。いちマイルが1,000歩だから、26,000歩あるけばゴールにたどり着くことができるのだ、とある程度計算することができます。

※走る場合のストライドは宙に浮いて進むので、歩く場合の歩幅にくらべてはるかに大きくなります。

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アリゾナの砂漠で車が故障してしまったときに、やっぱりキロメートル表示よりもマイル表示をつかっていたほうが、自分がどんなところにいるか、イメージがつきやすいんじゃないでしょうか。マイル=千歩ですからね。

身体尺は滅びません。だって人間だもの。

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