ネットフリックスの映像『全裸監督』ではなく、評伝『全裸監督』
ネットフリックス配信で全世界的にヒットした山田孝之主演『全裸監督』。もちろん私はこの映像作品を見ています。しかしここでは「そっちじゃないほう」の本橋信宏氏の評伝『全裸監督』の書評をしています。今後、この稿で何の断りもない場合『全裸監督』は本橋信宏氏の評伝のほうを指します。ネットフリックスの方をいう場合には映像『全裸監督』とあえて映像と書きますのでご注意ください。
評伝『全裸監督』では、村西とおるの生い立ちからバブル崩壊、そしてその後を描いています。ほぼ映像作品と全体構成は同じです。『SMぽいの好き』も含めて、私はもちろん村西とおる監督のAV作品を見たことがあります。。しかし……好きか嫌いかというと、嫌いでした。なんというか……エロくないんだよな。お笑いみたいで。評伝『全裸監督』の中に私と同じ感想がでてきます。甲高いオカマ声でアホらしいトークを繰り返す村西とおる作品は「お笑い」でした。エロにお笑いなんか必要ないでしょ? そもそも男の実況声なんかまったく聴きたくないっちゅーの。『SMぽいの好き』も私にとって性的興奮とは程遠いものでした。バカバカしくてあきれちゃった、と記憶しています。そして最後まで見通さず途中で見るのをやめてしまいました。(早送りしたかもしれません)
村西とおるの個性が強すぎる。AVにお笑いも革新的な衝撃もいらない
ネットフリックス映像『全裸監督』でも主演の山田孝之が村西とおる本人に似せた演技をしていました。しかしどうしても演技を透かして村西本人の姿を思い浮かべてしまいます。それほど個性の強い男でした。村西本人がもっと若かったらいっそ主演自分で見たかったぐらいです。役者よりも本人で見たいと思うというのはよほどの異常事態です。それぐらい村西とおるの個性は強すぎました。そしてセクシービデオなのに女優よりも監督が前に出過ぎました。だからAV監督としては駄目な部類だったと思っています。女優のことよりも監督のことが気になる。そんなセクシービデオってあります? エロモードというよりも、なんか別のものになってしまう。いやね、そんなAV見たくないんですよ。AVっていうよりはなんか別の違うものを見せられているような気がする。それが村西とおる作品でした。しかしAVではなく、村西とおるにだけ思い切ってカメラを寄せていくというのなら話しは別です。それは面白いものになるのではないでしょうか。完全にエロではなく別の作品として違った興味で見ることができるのならば。それが『全裸監督』でした。
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応酬話法って何だ? 買わない人に買わせるセールステクニック
評伝『全裸監督』では、村西のトーク術を天才的な「応酬話法」だとしています。この応酬話法というのは営業セールストークの一種です。セールスマンは常に「買わない」というお客様の反応に常に直面するのですが、そのネガティブな気持ちをポジティブに切り替えていくトーク術のことをいいます。買わないという相手を買わせなければセールスマンはつとまりません。そのためには相手の言い分を受け入れてトークを継続しつつ相手の価値観をひっくり返すことが必要です。実際に村西は、この応酬話法でセールスマンとしては超一流だったそうです。後にAV監督になった後も、脱ぎ渋る女優を口説き落とす際に使ったそうです。そういえばオレもこのテクニック、オンナを口説くときに使ったなあ。むしろ自分を説教強盗のようだと思ってましたけど、あれを応酬話法というとは知らなかった。ちゃんと名前がついてたのね(笑)。
説得の哲学は、相手を理解して、おのれの成功体験に基づいた情熱で語りかけることだそうです。口説きは普遍的じゃなくて流動的です。体系化して方法論にすることはできないもので、直感、センス、瞬発力だということでした。村西は英語教材の営業日本一のセールスマンのかたわら、女房に浮気されて離婚してしまいます。英語教材の次はゲームセンターのテーブルゲーム機の販売を手掛けます。この本は商売人の本としても読むことができます。「バブルと寝た男」の狂乱の日々としても。
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北大神田書店。ビニール本(ビニ本)と裏本。
若い頃は今でいうホストクラブ的なバーのボーイをしていました。客商売でお笑いのセンスを磨きます。男気と体力で女遊興の世界で生き抜きます。その中で国鉄の未亡人に「駅弁」体位を教わる。これも映像『全裸監督』に出てきたとおりですね。
ビニ本を出版すると同時に北大神田書店をつくり狂気の拡大主義に走ります。裏本の出版と販売に手を出して裏社会とつながります。裏現像所、裏製版所、裏印刷屋。エロは儲かるのでみんなが手掛けるようになりました。村西が人と違ったのは、ビニール本(ビニ本)の流通を抑えようとしたことです。ただのエロ事師じゃないのです。「流通を制する者は資本主義を制する」なんてまるでアマゾンのようじゃないの。警察に賄賂を渡していましたが、ついに逮捕されます。そして北大神田書店は解散します。
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個性的で鮮烈な登場人物たち
作中、ミツトシというボディーガード的な部下が登場します。満島真之介が演じたトシがこれでしょう。ビニ本の編集から山崎紀雄(宇宙企画、デラべっぴん)が登場し、日本のヒュー・ヘフナーと呼ばれます。出版王にしてハーレムの主という意味です。白夜書房やコアマガジンを手掛けた中澤慎一。写真時代の末井昭。なんと梶原一騎まで登場します。ワンシーンだけですが。松坂季実子。田中露央沙。卑弥呼。野坂なつみ。桜樹ルイ。飯島愛。そして乃木真梨子。沢城昭彦監督。伊勢鱗太郎監督。豊田薫監督。清水大敬監督。
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あの人は今? 黒木香の引退理由。なぜ今も顔を隠して生きているのか?
評伝『全裸監督』には卑弥呼など往年のAV女優が実名(芸名ですけど)で登場します。しかし映像『全裸監督』ではぼかされてAV女優だということはわかっても誰かはわからないような設定となっていました。その中でもごまかしきれなかったのが黒木香。この人だけは本人を登場させないわけにはいきませんでした。映像では森田望智さんが腋毛を見せていましたね。ところで黒木香は今どこに? あの人は今? どこで何してる?
このSNS時代に、どうせここまで注目されているんだから、村西とおるがそうしたように、いっそ再登場したらいいと思うんですが、どうも雲隠れしているようです。
何故でしょうか?
その理由は……本人じゃないので、想像するしかありませんが、おそらく当時とは見る影もなく別人になってしまっているからじゃないかな? そういう自分を恥じて再登場できないという羞恥心なんじゃないかな、と推察します。
この日本で姿を隠しきれるものじゃないから外国に暮らしているという噂もあるようですがドラマ全裸監督は全世界でヒットしました。この再ブームのことを本人が知らなかったはずがありません。それでもSNSなどに名乗りをあげず登場しなかったというのは……やはり容姿が衰えて、滑舌も悪くなり、頭の回転も当時のような当意即妙な受け答えのできなくなった自分を見せるに忍びないのではないか。きれいな夢のままにしておきたいのではないか、と推察します。この時代、有名人というだけでお金を稼ぐことができるんですけどね。それをやらないのは人々の夢を壊したくないからだろうと思います。
当代随一の論客たちと知性で渡り合った淫乱AV女優という唯一無二のポジションという夢を。
AV引退後は酒乱となりホテルのベランダから落下したというニュースもありました。おそらくもうセクシーでもなければ、期待される頭の回転も発揮できないことを本人がわかっているから出てこないんじゃないでしょうか。だってそうでも考えないと有名税だけ払って損するばかりです。ちょっと名乗りを上げるだけで大金を手に入れられるチャンスをふいにするっていうのはそういうことなんじゃないかな。名乗りをあげるだけで、出版社から自伝の依頼があり、回想録を出版することができるでしょうに。
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狂気の疾走。乱作こそ我が命。
評伝『全裸監督』では作者が村西とおると昔馴染みで懇意らしく、インタビューをそのまま文字起こしした文章もたくさん載っています。生の村西節が息づいているのです。
「エゴイストだよガキは。社会と接点がないんだから。ラスコリニコフと同じだよ。自分だけ許されると思っている」
【罪と罰】ドストエフスキーは今日の日本人にとっても本当に名作といえるのか?
「オリジナルな生き方を自分の頭で考えることを勉強した方がいい」
村西は活字の虫だったそうです。実際に裏本を発行するかたわら一般書の出版も手掛けています。エロ抜きのまともな出版社でした。新英出版という名でFOCUSのような写真週刊誌をつくろうとします。別口の利益を一般書で食いつぶすという……幻冬舎の見城社長と経営理念は同じなんじゃないの?
狂気の疾走。乱作こそ我が命。粗製乱造。量産時代。量が質を凌駕する思想でした。
→ わたしはマラソンをやっていたのでよくわかるのですが、どんなに少数精鋭の質の高い練習をしても、ただやみくもに走り込んでいる人にかなわなかったりします。量が質を凌駕するという思想は私にとって無縁のものではありません。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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乱作ゆえに酷評されます。評価は10点。ここでの村西AV評こそわたしの感想とまったく同じものです。まったくエロくない。なんか違う作品。室内で脱くだけでいいのに、なぜか豪華な海外ロケを頻繁に行います。そんなこと必要ですか? ワーカホリックのご褒美的なものでしょうか。しかしこれが後に海外での逮捕や放漫経営に繋がってゆくのです。
偶然から顔面シャワーを発明します。このシーンも映像『全裸監督』にありましたね。乱作の中で映像制作のコツをつかみ、とうとうビデオ大賞を受賞します。
ジャニーズ北公次の復活を助ける。損得抜きの喧嘩好き。意気地なしだったり臆病だったり引き籠っていたらやっていけない仕事でした。
謹慎すると言いながら自己存在の証明欲求はどこまでも強かったのでした。
日本の裁判システムの中で弁護士が弁舌をしたって99.9%は有罪なんだから。大丈夫、大丈夫ってニコニコって笑うんだ。こういう笑顔ってほんとに必要なんだよ。
空からスケベが降ってくる。
昔は地下からスケベが湧いてきましたが、これからは空からスケベが降ってきます。
人間はけっして同時に二つの人生を歩めない。だからこそ別の人生を歩むことは最大の願望である。自分以外の人間を演じられる役者というのは、それゆえ最大の願望をかなえる職業でもある。
村西とおるはギリギリの限界を撮影することがAVの存在意義だと思っていた。
→ いや、だからね、エロはどうなったのよ! ドキュメンタリー映画じゃないっつーの(笑)。
自分がエッジを歩いているので、体を張っていない男を軽んじる。
三度の食事を共にしセックスさえも目の前の女とおこなう。食と性のまさしく原始共産制そのものだった。ハーレム状態だった。金と体と出演保証で専属女優たちを支配した。
→ こういう状態を「日本のヒュー・ヘフナー」というのです。これは村西とおるのことですが。ちなみにヒュー・ヘフナーというのは『プレイボーイ』誌の創業者です。インターネット時代となってもはやヌードピンナップの時代じゃありません。2020年にプレイボーイは廃刊されています。けっしてヌードだけの雑誌ではなく、男性のモードを牽引した雑誌だったのですが、時代の流れには勝てませんでした。
バブルの時代は、金を借りてくれ、と銀行からにじり寄ってきた。
ダイヤモンド映像の社長自ら商品の横流し。若い頃の恩返しで社長に迎えたが裏切られた。あんなにいい思いさせてもらっているのにさらに使い込みして……。
一度だけ仕事抜きで卑弥呼を抱いた。せつない恋情が爆発した。恋愛に昇華した。この女性だけなんですよ。防波堤を一歩越えていってもいいなというのが卑弥呼だった。
皺が一本入った。もう綺麗さ、可愛さで勝負できない。ここがわたしの売りどき。あの人の爪はいまもきれいなんだろうか?
飯島愛。やる気があるのかないのかわからないというタイプが売れたりする。本来、性というのは努力や真面目さとは真逆の世界にあるからだろう。AVからテレビのゴールデンに進出するというのは並大抵のことではない。高い壁を乗り越えたほとんど唯一の成功例となった。その彼女も自宅で遺体となって発見された。運不運は背中合わせにやってくる。
村西とおるの右眼球から噴き出した血。毛細血管が切れて血があふれだした。凄まじいストレスで体の抵抗力が落ちて粘膜の毛細血管が破れ出血することがある。
嘘しか本物って描けない場合がある。
脛に傷を持つ人間が好きだった。そこに自身を投影し、苦行を負わされた人間を応援したくなるのであろう。
矢沢永吉が三十五億の負債を返し終わったというのに、なんで村西とおるが五十億の借金を返せないのか不思議です、と本気で思ってくれてる人たちだっている。
一般女性を天才的な応酬話法で脱がせるという時代はすでに過去の話しになりつつあった。現金もいまではそれほど強い魅力ではなくなった。
ギミックによって専属女優たちはより印象深くなり、ドラマ性が生まれる。
かつての精悍な顔つきはかき消え、死相さえ浮かんでいた。呼吸がままならず、意識が薄れかけていく。「残念ですが、一週間以内にまず百パーセント死にます」
雑菌が侵入したのか、心臓の弁にカビが生えている。いきなり歩けなくなって入院したら死亡宣告。二十年におよぶ借金返済の筆舌に尽くしがたいストレスが影響をもたらしたといってもいいだろう。
儲けはしたけど、成功しちゃいねえよ。
これだけ自分に情熱を込めて語りかけてくる男はいない。人間にとってもっとも辛いことは存在を無視されることだ。人間は他者からどれだけ必要とされているかがもっとも生きる上で重要になってくる。
エロスとは心の落差。永遠なんてくそくらえ
スケベというのは性器それ自体ではなく、人間の頭の中で考えることなんですよ。生と死のもつ希望と絶望、この心の揺れ幅がエロスなんです。振れ幅によってドキドキハラハラ。エロスとは心の落差なんです。それが「お姫様のようなあの方のものだ」と想起したときに興奮するんですよ。誰々のものという所有者のイメージがないと性器それ自体は何も物語らない。人の心を揺さぶらない。
高槻彰監督『ナイスですね 村西とおる』。困窮した村西とおるは、それまで耐えてきた緊張の糸がぶつんと切れたのか号泣するのだ。精根尽きたかのような、尾の長い悲痛な鳴き声だ。拍手が鳴りやまなかった。
エロが空から降ってくる、なんて言って、何言ってるんだと思ったけどそれが現実になったでしょう。あの人天才だから。でも金正恩みたいだったから、意見を言える人がいなかった。
あのころはいつ潰れてもおかしくなかったよね。
運が良かったというのが大きいよね。努力して物事がうまくいくんならみんなうまくいってるよ。草野さん(村西とおる)と知り合ったことが大きい。最大の運は飯島愛。
死の向こうに花園が永遠に続くなんてことになったら、そんな世界は退屈だよ。有限の生だからこそ、泣き叫んだり、わめくということがあるわけだよ。だから楽しいんだよ。その極みってのはエロスなんだ。自分が死というものを受け入れる存在なんだということを納得したときに、目一杯生きる意味、生きる喜びを確認して死んでいこうと思えるんだ。だから生きている限り、生をむさぼるんだ。なぜ興奮するかっていうと、死ぬから。なぜ欲しいかっていうと、死ぬから。死がなければ何も感動もしないし、何も思わないんだよ。死があってこそ、性のたぎりがある。だから生きるんだよ。永遠なんてくそ食らえだよ。
→このセリフこそ評伝『全裸監督』のクライマックスでしょう。映像『全裸監督』にも使ってほしかったですね。
物語はまだつづいている。
→ その言葉どおりに物語は終わっていませんでした。この後ネットフリックスで『全裸監督』は世界的に大ヒットすることになります。
「池田エライザのリベンジポルノ(ハメ撮り動画)が流出している」という情報ソースにビックリした話し
村西とおるはただのエロ親父ではありませんでした。評伝『全裸監督』はひとりの経営者の生き様としても読むことができます。
ぜひ一読をおすすめします。