『聖母』マゾッホ文学をマゾヒズム文学として読むと理解できない

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サドの聖女。マゾッホの聖母

言わずと知れたマゾヒズムの語源となった作家ザッヘル・マゾッホ。最近ではザッハー・マゾッホと表記されるようですが。これと対になっているのがサド侯爵ですね。

『サド侯爵夫人』三島由紀夫の最高傑作

サド侯爵に関しては、キリスト教に性欲をぶつけて戦ったアンチ・クリストという目線で見なければ、彼の文学は理解できないことを『サド侯爵夫人論』で述べたところです。

鞭打ちの描写は加虐趣味というよりは、キリスト教の美徳は報われないことを証明するためといったほうが本質的なところをついています。聖女と呼ばれるような美徳の女性が無意味に辱められ虐げられているのが証拠です。

キリスト教信者でない者が聖書を精読してみた

それでは並び称されるマゾッホの「聖女」はどんな扱いを受けているのでしょうか? 『聖母』を読んでみました。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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マゾヒズムの語源となった作家ザッハー・マゾッホとはどんな作家?

1836~1895を生きたオーストリアの作家です。キリスト教に決定打をあたえたダーウィンの『種の起源』が1859年の発行なので、彼と同時代の人物です。

『種の起源』人類はやがて絶滅する(ダーウィン名探偵はDNAを知らない)

『聖母』の出版は1886年。「地質学者たちがわたしを放っておいてくれればいいのに! 聖書の行の終わりごとに、彼らのハンマーの音がガンガン響く」ダーウィンの進化論によって、神が人間をつくったということが決定的に疑われ、聖書の神のことばへの疑いがガンガン響いていた頃に『聖母』は書かれました。

科学という新しい宗教を信じる人たちが増えていく中、マゾッホは信仰を失うことを「魂の危機」と見なしていたようです。『聖母』の主人公マルドナは、イエスに変わる新しい救世主、新しい宗教の教祖です。新しい救世主は美しい女でした。

作家マゾッホも性倒錯の教祖として歴史に名前を残しています。

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性描写はモンタージュ。ヘンタイ作家の脳髄性欲

父を殺し母と交わったオイディプスは恥辱から世の中から消えてしまいたかったのに、エディプスコンプレックスとして永遠に後世に名を残すことになってしまいました。さぞや意外だったことでしょう。

エディプス・コンプレックス。「親父を乗り越える系の話し」は無数にある

それと同じようにマゾッホも作家としての名声とは別に、一種のヘンタイとして名前を歴史に残すことになります。さぞや意外だったことでしょう。

ところが読んでみると、それほどヘンタイ作家とは思えません。もしもマゾッホがマゾヒズムという性倒錯の元祖として名前を残すことを知っていたら、もっと遠慮容赦なく性倒錯の描写をザ・教祖らしく書き残したことでしょうが、本人はまさかそんな風に不滅の名前を手に入れるとは思ってもいませんでした。だから筆は抑え気味です。

文学作品によくあるように性描写はモンタージュ(抱きしめたところで場面が変わり、次の場面では翌朝になっていることでセックスを暗示するような手法です)で露骨なところはありません。

この点、サド侯爵の方は表現が露骨すぎてまるで生体解剖しているかのようです。まったく性的にそそられないところは同じですが。ただの性欲ではなく、脳髄から発している何かなのです。

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『聖母』あらすじ。異端のカルト宗教の教祖に惚れた男の物語

マゾヒスト文学という先入観で読んでいるので、いろいろなところが非常に意外に感じました。

さえないモテない中年男が主人公かと思いきや、語り手のサバディルは勇気もあってイケメン。自然を愛する男です。しかしマルドナという美女と出会って運命が狂っていきます。

マルドナはカルト宗教の教祖です。カトリックに代表される既存のキリスト教の教えをマルドナは否定します。

最後の審判の日、イエスではなく女(聖母)が人々を救うという異端の宗教でした。キリスト教の本質は「この肉体この意識のまま死者が復活すること、そして永遠の命を得ることができるということ」ですが、マルドナは「肉体はよみがえらず、魂だけがよみがえる」という異端の教義です。

そして信者たちの上に女王のように君臨しています。ちょっと「オウム真理教」を彷彿とさせます。麻原彰晃は信者の複数の女性を愛人にして、真理勝者の血を授けることを功徳にしていたといいますから。

やはりキリスト教がアンチテーゼとして登場します。マゾッホもサド的な展開でしょうか? その歪んだ性欲でキリスト教とたたかおうとするのでしょうか?

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人間の自然な本性、本質的な衝動が罪の源だなんて……反キリスト教的な主張

マルドナのカルト教団は、性には奔放で自由でした。離婚できないカトリックとは違い、離婚も簡単です。そして結婚も簡単です。たとえば性のような人間の本質的なよろこびを否定しない宗教でした。性欲を罪とし、犠牲と諦念を求めるのがクリスト教でした。だからサドが叛逆したわけです。動物が同じようにもっている本質的な衝動が罪の源だなんて……マルドナはサドと同じように性欲を否定しません。無理に押さえつけず、寛大に扱う。現世の欲望を抑え込むのではなく、最初から考えに入れるという宗教でした。

配偶者が宗教にハマりそうなタイプだったらどう対処すればいいか?

マルドナの教団は、秘蹟や聖人も信じないというカトリックとは別の宗教でした。崇拝するのは神によってえらばれた聖女(=マルドナ)です。キリスト教は肉の部分を恥じ隠し否定しようとしました。肉欲を敵視し軽蔑した。それがわざわいだという考え方の新興宗教です。

肉体宣言。生きがいとは何だ? 肉体をつかってこその生き甲斐

人間が追い出された楽園というのは、人間の自然な本性のことだとマルドナの教団は説きます。

ジョン・ミルトン『失楽園』を、現代サラリーマン劇に書き換えてみた

そしてかつての無垢な境地に立ち返れと訴えます。自然なるものを恥じるな。聖母は人間を楽園へと連れ戻す存在だ、と。

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十字架に口づけするように、聖母の足に口づけする

教団体の教祖のようなマルドナは、神に選ばれたものとして超然とした態度をとります。

立派な男サバディルは、普通の男として扱われること、男女対等な存在を望みますが、かなえられません。

自分がいったい誰なのか? 自分が無駄と感じなさい。マルドナはサバディルに問いかけます。わたしの中の神を敬いなさい。全能の神に対する聖母のとりなしが必要だと訴えます。

サバディルは踏みつけにされました。マルドナは信者の誇り高さを泥にまみれさせるのです。

サバディルもついには平伏し、靴にキスします。

わたしたち日本人は土下座には慣れ親しんでいます。しかし、靴をなめろ、というのはあまり日本人にはなじみのない屈辱ではないでしょうか?

よくアニメで傲慢な悪役が「オレの靴をなめろ」と言って怒ったヒーローにぶっ飛ばされていますが、アレです。

屈辱というのは文化的なものなので、靴をなめる=屈辱、という記号が頭にインプットされていないとなかなか頭に血がのぼるところまでいかないのではないでしょうか。もしわたしが誰かに「オレの靴をなめろ」と言われたら、そのズレた感覚に失笑してしまうかもしれません。

キリスト教の文化では十字架に口づけするということがあります。その感覚で足に口づけしろという感覚なのでしょう。足というのは家畜の糞などを踏んだ体のうちでもっとも不潔な場所です。その不潔な場所にひれ伏して、足や靴にくちづけする。つまり不潔なことを強制できるという力をもっているということでしょう。

想像してみましょう。靴に唇を押し当てている時の感覚を。やる方(ひざまずく側)、やられる方(キスされる側)にも身を揉むような快楽があるのかしら? 想像して心の何かがうずいたら、マゾヒストの芽があなたの心の中にもあるということです。

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妖精嗜好(フェアリータ)という性倒錯

男としてマルドナに見てもらえないサバディルは不満をもっています。そこにつけこんだのがソフィアという女でした。ソフィアは自分の貫通(離婚してから交わるのは自由だが、結婚した状態で夫以外と交わることは許されていない)の罪をマルドナに罰せられて恨みを抱いていました。

マルドナに復讐するために、マルドナが好意をいだいているサバディルを籠絡することにしました。最初はソフィア自らが関係を結びますが、サバディルの心まで得ることはできません。

すると若く美しいニンフォドーラをサバディルに当てがいます。サバディルはニンフォドーラに惹かれます。

これだって妖精嗜好(フェアリータ)というりっぱな性倒錯じゃないか?

ニンフォドーラを愛したことでマルドナを裏切ったサバディルを、教祖としての力を使ってキリストさながらに十字架に釘付けにし、ついには心臓に釘を打ち込んて殺してしまいます。

世の法律でマルドナは裁けません。悪魔のような魅力で裁判官を籠絡しているからです。逃亡しつつ、マルドナは泣き崩れます。

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<脳髄から発する性欲>マゾッホ文学をマゾヒズム文学として読むと理解できない

やはりサド文学をサディズムとして読むと理解できないように、マゾッホ文学をマゾヒズム文学として読むと理解できないだろうと思います。

だいいち被虐趣味というほど虐待をよろこんではいません。そして裸になったり、まぐわったりするような、露骨な描写はありませんでした。もっとサドは露骨でした。マゾッホはサドを読んでいたのかな?

宗教の教祖であるマルドナは現世の法に裁かれますが、なんと裁判官までひざまずかせて、足に口づけさせてしまうのです。やっは尊師と聖母はぜんぜん違うわ。

裁判官はマルドナの罰金を肩代わりして、貢物までもってくるのです。そして密会をよろこび、ひれ伏して、跪いて、足にくちづけするのです。

マゾッホ本人も複数の女性に対し奴隷のように隷従したそうです。

インテリにマゾが多いといいますが……サド侯爵もとてつもなくインテリ(衒学的)なので、ここでは性欲は脳髄から発すると言っておきます。

性器を刺激してエクスタシーを得るといったいとなみにくらべると、ひじょうに精神的なものです。人間という高等動物にしか、このようなエクスタシーはないのではないでしょうか。

脳髄から発した何かを否定して忘れ去ろうとした宗教と、それを真正面から見つめた文学というのは、やはりどこかで対決する運命なんだろうと思います。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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このブログ著者の小説『ツバサ』
小説『ツバサ』
主人公ツバサは劇団の役者です。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
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