まえがき
みなさん、はじめまして。アリクラハルトと申します。
私自身シリアス市民ランナーとして長年ランニングの世界に関わってきた知見を総動員して、このたび書籍を発行することにしました。
オリンピックの金メダリストをはじめとするたくさんの陸上経験者が引退後にマラソンの本を出版しているのに、どうして私ごとき市民ランナーが書籍を出版するのか、まず最初にそこを明らかにしておきます。
まず私はランニング雑誌に記事を執筆してきた物書きです。ランニング雑誌の執筆者として、またひとりのシリアス市民ランナーとして、たくさんのランニング関係本を読破してきました。
著名なランニングコーチが書いた本でも、そんな説明じゃダメだよ、と思うことが、読んでいる最中によくありました。説明がうまくないなあ、と思う点がたくさんありました。たとえばそれはこういうことです。このことをわかっていただくために最初にひとつマラソンクイズを出します。
「二本の脚は円を描くコンパスのようなものです。腰を落とした方が歩幅はひろがります。腰の位置を高く保つと、必然的に歩幅は狭まります。しかし従来のマラソン本では腰高のランニングフォームをすすめています。どうして陸上コーチたちは歩幅が広くなる腰低フォームではなく、歩幅が狭くなる腰高フォームを推奨するのでしょうか?」
このクイズに即答できないなら、あなたのランニングフォームには大きく改善する余地があります。意識改革と言葉の力で、自己ベスト記録が大幅に向上する可能性があります。
あなたの陸上コーチに、同じ質問をしてみてください。この質問にスラスラと答えられないようなコーチだったら、その人から教わるのはやめて、この本を最後まで熟読してください。きっとその方があなたの記録は向上するでしょう。
「歩幅が狭まっても、空中でストライドを稼いでいるから」というのが正解です。歩幅とストライドは違います。ストライドには宙に浮いて空中で前に進んだ距離が含まれます。マラソンで問題にするべきはストライドであって、開いた股の距離(歩幅)を問題にしても意味がありません。本書ではこういうことをわかりやすく解説することを心掛けています。
もうひとつマラソンクイズです。あなたのランニングコーチに質問してみましょう。
「フォアフット着地、ミッドフット着地、ヒールストライク着地、結局のところ、どの着地を意識するべきなのですか?」
一流の陸上コーチが書いた「マラソン本」にも、フォアフット着地すべきとか、ミッドフット着地(フラット着地)が正解、とかいろいろと書いてあります。しかし私にいわせれば、そのような答え方をしているランニング本を選ぶべきではありません。なぜならこの問いにはこう答えるべきだからです。
「足裏のどの部分が着地するかを意識してもしかたがありません。意識を向けるべきは大腿骨や肺や脊柱であって足裏ではないからです」
真っ先に意識を足裏に向けて、フォアフット着地が正解とか、ヒールストライク走法は間違っているとか言ってもしかたがありません。「意識するのはそこじゃねえ!」とツッコミを入れるのが正解です。
足裏は結果です。結果としてそうなっているだけであって、足裏からランニングフォームを考えるのは本末転倒なのです。枝葉末節の足裏を意識してランニングフォームをそこから改造すると、正しいフォームをミスリードすることになってしまいます。
そういう指摘を正しくできるランニング本を選ぶべきなのです。とくに市民ランナー相手であればあるほど平易な表現が求められます。
ちゃんと状況を他者に説明できない執筆者はおどろくほどたくさんいます。たとえばAコーチとBコーチの教えていることが真逆だったりすることがよくあります。しかしAコーチはスピード走法を教えているのに、Bコーチはスタミナ温存走法を教えているとすれば、それぞれ違ってあたりまえです。しかしその前提がわかっていないために、未熟な市民ランナーは戸惑います。誰に対して、何を教えているのか明確にしないで、唐突に理想のフォームを教えているランニング本が世の中には溢れかえっています。この本はその風潮に一石を投じようとするものです。
- 筆者の紹介
- 初心者から上級者まで対応している本
- サブスリーの難易度
- 関門突破ゲームは楽勝だったら面白くない
- ランニングは単調な運動。単純だからこそ、わずかな違いが大きく効いてくる
- 動的バランス走法
- 絶対にやってはいけない「スクワット走法」
- 踵落としを効果的に決める走法
- アトムのジェット走法(足裏ジェット走法)
- ジャンプしない走りなんて走りじゃない
- 市民ランナーはピッチよりもストライドを意識すべき
- マラソンの極意。複数のフォームを使い回す
- ハサミは両方に開かれる走法
- ヤジロベエ走法
- 脱力する技術。主動筋にだけ力を込めて、拮抗筋の力を抜く
- ハサミは両方に開かれる・ヤジロベエ・フュージョン走法
- 骨格走法
- 腰で走る走法
- 「くの字」走法
- ランニングの呼吸。腹圧をかける走法
- ランニングの奥義「最高の走り方は、自分の肉体に聞け」
- ランニングフォーム矯正方法(二種のトレーニング意識革命)
- スピード練習。スピードプレイ
- ヘルメスの靴。足についている宙に浮くための二種類のバネ
- マンガに学ぶ実走。竜巻走法
- ひたひた忍者走法
- 言葉の力。「ランナーが走るときの意識」と「結果としてのフォーム」は違う
- マラソン大会メインレースの選び方
- 厚さは速さだ。ナイキの厚底ランニング・シューズ
- マラソンは何歳から始めても10年はタイムが縮む
- マラソン。サブ・エガって何だ?
- 足を高く上げない着地筋温存走法
- わざと遅く走るな
- ベスト状態でないのが普通の状態
- プルス・ウルトラ。心理的限界と生理的限界
- レースウエア選びは最重要
- ばあちゃん走法(内股高速ピッチ走法)
- デスクワークの上半身を活用する走法
- 本書のサブスリーフォームは富士登山競争には通用しない
- 富士登山競争は渋滞する。しかし渋滞をつくっているのは「あなた」かもしれません
- 先導者を見つけて、登山道脇から抜いていく
- 人生は関門突破ゲーム。壁は人生をおもしろくするためにある
- ゴールがあるからこそ走ることができる
- 原始的な快楽は、文化的な快楽に勝る
- そうはいっても肉体(バネ)がすべて
- 市民ランナーに引退はないって本当か?
- 失敗体験。敗北の体験を積み重ねると負のマインドセットになってしまう
- 視覚障がい者の伴走ランナー・ガイドランナーのやり方・はじめ方
- 世界が美しく見える魔法。ランナーズ・ハイ
- 禅ランニング・瞑想ランニングのやり方
- 走るために生まれた
筆者の紹介
この書籍は、市民ランナーの大きな目標である『グランドスラム』の達成を目指すためのノウハウを提供するものです。市民ランナーのグランドスラムとはマラソンのタイムが3時間切り。100kmウルトラマラソンのタイムが10時間切り。富士登山競争の制限時間内の登頂。その三冠を達成することをいいます。
がむしゃらの練習による達成ではなく、走り方の効率化、言葉のイメージ喚起力による意識改革によって目標を達成するというスマートな達成方法を本書では狙っていきます。
わたし自身、ひとりのシリアス市民ランナーであり、グランドスラムの達成者です。どのような人物が執筆者なのか知らなければ、どんなにいい内容が書いてあっても読んでいただくことはできないと思いますので、まずはじめに筆者の紹介をさせていただきます。執筆動機ともかかわる部分ですので、しばらくお付き合いください。
マラソン大会での実績としては、大きなものでは、ボストンマラソン正式選手、ちばアクアラインマラソン招待選手などがあります。地方の小さなマラソン大会ではいくつか入賞経験もあります。海外マラソンも多数完走しています(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ユングフラウ、ホノルル)。地元走友会のリーダーを長年つとめていました。
そして、ランニング雑誌で執筆をしていたライターです。マラソンのタイムが2時間30分を切っているアスリート系市民ランナーを取材して記事をつくったりしていました。ここで私は、たくさん学んだと同時に、大きなフラストレーションをいだきました。
フルマラソンのタイムが2時間30分を切っている人というのは、女子なら優勝してもおかしくないレベルの男たちです。当然ちょっと「普通の市民とは違う生活習慣とか考え方の持ち主」なのですが、雑誌のコーナーではそういうことは書けませんでした。どのようなトレーニングをすれば市民ランナーがそんなに速く走れるのか「トレーニング方法を学ぼう」というコーナーだったからです。主役は「市民ランナーのトレーニング方法」でした。「月間走行距離何キロ」とか「スピード練習はキロ何分で何本走る」といった正確な情報が求められていました。忙しい本業(市民ランナーですから本業があります)とトレーニングを両立させる工夫などは書くことができましたが、しかしなぜそうまでして走るのか。マラソンに根性はどれほど有効なのか、など心の内面に関することは書けませんでした。
こんな記事がおもしろいのか? と私は思っていました。実際、書いている私がおもしろくありません。たとえば、Aさんはキロ3分のスピード練習をして、Bさんはキロ3分20秒までしかスピードを上げないとしても、それが大きな問題でしょうか? AさんとBさんが国の威信を賭けてオリンピックの金メダルを争っているならば、競争相手の詳細なトレーニング強度を知ることには大きな意味があると思います。しかし市民ランナーが対象の記事です。ここでのトレーニングの差異は、各々の能力や体調に応じた差に過ぎません。数字にたいした意味はないでしょう。
その記事に興味がある人がいるとすれば、それは「あなた自身もマラソン2時間30分を切ることを狙っている本気の市民ランナー」である場合だけでしょう。しかし、そんな人たちが、いったいどれほどいるのでしょうか? あなたの身の回りに、そんなハイレベルの人は一人もいないのではありませんか?
実際、トレーニングなんて「故障しない範囲で、超回復が見込めるギリギリのところまで、適度に休養も取り入れつつ、限界まで追い込んだ方がいい」に決まっているのです。言葉にすればただそれだけのことです。以上、終了。もうすでに語るべき内容は語りつくしてしまいました。
同じ執筆スタイルで「サブスリー養成講座」を開講するとすれば、キロ3分20秒の練習がキロ4分の練習に代わるだけです。私は本書でそういうことが書きたいのではありません。書くつもりもありません。
走り方を洗練させることで速くなることはできないのか? 言葉のイメージ喚起力で走り方を洗練させることはできないのか? 練習の強度ではなく、生き方を変えて走り勝つことはできないのか?
私が書きたかったことはそういうことでした。この本にはそういうことが書いてあります。先に結論を書きましょう。言葉のイメージ喚起力で走り方を洗練させて、速く走ることは可能です。それをこの本で証明するつもりです。
初心者から上級者まで対応している本
この本はいわゆるトレーニング本ではありません。トレーニングの本には、キロ何分といった数字の羅列の他に、陸上の専門用語がたくさん出てきます。「レペティション」とか「LT走」とか「ミドルペース走」とか。それらの言葉の定義がわかりますか? 多くの人はよくわからないのではないでしょうか。
私はランニング雑誌の執筆者だったのでこれらの言葉を使いこなすことができますが、この本ではそれらの言葉や数字はいっさい使いません。この本は「トレーニング用語を解説する本」ではないからです。
サブスリー、グランドスラムを目指すようなシリアス市民ランナーは、上級者です。専門用語や数字を使って解説したほうが、効果を実感しやすいかもしれません。しかし「これから走りだそうとしている初心者」のことを私はどうしても無視することができませんでした。
マラソンで2時間30分を切る人たちのことを書いた数字の羅列記事に私が興味を持てなかったように、サブスリーを目指すランナーに向けた数字の羅列記事は、大多数の市民ランナーの興味をひかない本ということになってしまいます。
ほとんどの市民ランナーの実力はマラソン4時間30分前後のはずです。その人たちにも届く何かがなければ、市民ランナー向けの本を私が執筆する意味はありません。
市民ランナーに「目標を達成するよろこびをあじわってほしい」動機のほか、もう一つの本書の願いは、これから走りはじめようという人の背中を押すことでした。一人でも多くの人が市民ランナーとなり私たちの仲間になってほしいと執筆に際しては常に心がけていました。「今、走っていない人を、走らせることができるか?」を執筆に際しては意識しています。
そういう意味では、この本は初心者から上級者まで対応している本です。それは専門用語や数字を使わずに「市民ランナーの走り方」を説明しているからです。
これから走り始める人に必要なのは、トレーニングの種類や強度を示すことではないはずです。トレーニング方法の提案には、「走っていなかった人を走らせる」力がまったくありません。
いちばん大切なのは「走っていなかった人を走らせる」そのきっかけとなる感動です。アスリートが偉大なのは、この力を持っているからです。テレビに映るアスリートたちは「走っていなかった人を新たに走らせる」チカラをもっています。これは市場経済でいうと、業界が新規顧客を獲得したのと同じことです。今後数年をかけて、ランニングシューズを買ったり、マラソン大会にエントリーしたりして、業界の発展に力となってくれる顧客を新たに増やしたということです。
物書きとして私が追求したかったことは、トレーニング方法の提案ではありません。テレビに映るアスリートのように、言葉の力で「走っていなかった人を走らせる」ことはできないものでしょうか? この本にはその工夫が詰まっています。
たとえば「アトムのジェット走法」というのはどうでしょうか? この本に出てくる表現です。「アトムのジェット走法」とは足裏に鉄腕アトムのジェットエンジンが仕込まれているとイメージして、地面と水平になるぐらいまで膝を折りたたむという走法です。たったこれだけのことで奇跡のように速く走ることができるようになります。その理由は本文でくわしく説明しています。
「ハサミは両方に開かれる走法」「ヤジロベエ走法」「踵落としを効果的に決める走法」「ヘルメスの靴」などなど……これらの表現は、入力ワードです。効率的に速く走るためにはイメージを身体が再現できることが必要です。脳から筋肉への指令が、言葉によるイメージ喚起によって生き生きと伝わり、身体によって実現され、走り方が効率化して速く走ることができるようになるのです。
ランニングというのは歯車がかみ合って回る機械のようなものです。一つの歯車が動き出すと、すべての歯車が噛み合って回転します。ひとつひとつの表現が、あなたの歯車を回転させる点火装置となるのです。
この本は、ライバルたちに数秒でも速くゴールするためのノウハウを刻んだ書物ですが、それだけではありません。
なぜ走るのか? 走ることで、人生をよくすることはできるか? 走ることで人は幸せになれるのか? そのような心の内面、走る哲学についても語っています。それらを語らずに私の本を終わらせることはできませんでした。
魂が「ゾーン」「境地」にたどり着くことが、本当の意味での走ることだと信じています。
私は走る技術だけの本を書くつもりはありませんでした。たとえば、古くは剣術について書かれた書物がたくさんありました。しかし剣豪がどんなに剣術を磨いても現代の戦場ではまったく無力です。どんな技を磨いても機関銃の前では役に立ちません。そういう時代になった今、剣術のテクニックだけしか書いていない書物が読まれることはもうなくなりました。ただ剣術を追求する先に「人生に通じる何か」「心の修練につながる何か」がある剣術書だけが現代でも読み継がれています。
私の書物も同じことだと思っています。走る技術だけを書いた書物は、剣技だけを解説した剣術書と同じです。力に頼るものは、自分より力のあるものに対して無力です。速さに頼るものは、自分より速さのある者の前では無力です。つまり自分のマラソン実績に頼ったマラソン本は、それ以上の実績を持った人の書いたマラソン本に対して無力ということになります。
私は相手次第で無力になってしまうような書物を書くつもりはありません。走ることを通じて人生に通じる何かが表現されていなければ無意味だとすら私は考えているのです。そのことを本文から感じとっていただけたらさいわいです。
それでは一風変わったアリクラハルトの『市民ランナーという走り方(サブスリー・グランドスラム養成講座)』を開講いたします。どうかよろしくお願いします。
サブスリーの難易度
統計によるとサブスリーランナーは市民マラソン大会の上位3~4%とされています。しかしもともと足に自信がある人や走るのが大好きな人がエントリーしているのが市民マラソン大会です。全人類から見ると、サブスリーランナーはどれぐらい上位に位置するのでしょうか。
日本のマラソン大会の中で、最もお祭り色が強く、最も一般市民がエントリーしているのが東京マラソンです。その東京マラソンですとサブスリーランナーは上位1%ぐらいになります。
サブスリーランナーというのは「そこらへんの一般市民100人がマラソンを走ったら、トップでゴールできる人」ぐらいのイメージでいいのではないかと思います。まあなかなかの難易度なのではないでしょうか?
関門突破ゲームは楽勝だったら面白くない
私は市民ランナーにとって「サブスリー」というのは「関門突破ゲーム」だと思っています。2時間台でゴールに駆け込むというゲームクリアの目標に向けて「呪文(入力ワード)」をつかったり「体力を回復」したりしながら関門を突破するというリアルなゲームです。
この関門突破ゲームが面白くなるかどうかは、その関門が「突破できそうでなかなかできない」ギリギリ強めに設定されている必要があります。
あっさりと突破できる関門ではぜんぜんおもしろくありません。ところが生きるか死ぬかぐらい頑張ってやっとクリアできるぐらい高い目標を設定すると、ゲームはいきなりおもしろくなってきます。なかなか目標を達成できず、もう走るのをやめてしまおうかと自分に絶望し、それでも走ることを選択して必死になってはじめて見えてくるものがあります。生きているという「リアルな濃い感情」をあじわえます。やるかやれないかギリギリまでヒヤヒヤした方が、ゲームとしてはおもしろいでしょう。
難しい関門はすばらしい人生のために存在するといってもいいのではないかと思います。この本ではその「難しい関門」をいちおう「市民ランナーのグランドスラム達成」に設定しています。
しかし「難関」は人それぞれの目標でいいのです。たとえばマラソン3時間30分切り(サブ3.5)を自分にとっての難しい関門に設定してもいいでしょう。あるいはサブエガ(マラソン2時間50分切り)にしてもいいと思います。この本は関門突破ゲームをしようとするあらゆる人に通用するように書かれています。
ランニングは単調な運動。単純だからこそ、わずかな違いが大きく効いてくる
ランニングは単調な運動です。世の中にはマラソンのテレビ中継をゴールまで見ていられないという人もいます。「退屈だ」と言ってテレビの前から離れてしまうのです。確かにランニングは動きとしては単調です。テニスなどの球技の複雑さとは比較にならないほどマラソンは単純なスポーツです。
しかし単純だからこそ研究しようという気になるのです。ランニングフォームの工夫ひとつで成績が劇的に変化するからです。これはまるで単純な習慣ひとつで人生が劇的に変化するようなものです。
脚を出しては戻すという反復運動に過ぎないものに、どうしてここまで知恵をしぼるのかといえば、自己研鑽の結果が目に見えてわかりやすいからではないでしょうか。
たとえばテニスだったら状況によって使う筋肉はその都度違いますし、いちいち頭を切り替えなければなりません。でもランニングは走るシステムが非常にわかりやすく「型にはめる」ことが可能です。同じ動作の繰り返しですから、わずか1cmのストライドの差が、ゴール地点では大きな差になるのです。わずかな違いが大きく効いてくるのです。単純だからこそ、研究しがいがあるというわけです。
そして単純だからこそ思索的になれるのです。動きが単調だから走りながら思索、瞑想する余裕があります。
究極の走り方は、走る歓びだけを感じて、走り方など意識せず、筋肉をつかっていることすら意識せず、楽に、軽く、心を自由にして走ることです。するとランニングは禅に似てきます。無我の境地を理想とするところも同じでしょう。
第一章 マラソン・サブスリー養成講座
動的バランス走法
バランスには静的バランスと動的バランスがあります。なかでも「動いてはじめてバランスがとれる状態」のことを動的バランス(が保たれている)といいます。いわばアンバランスな状態で保たれているバランス、その状態で走るのが動的バランス走法です。
自転車は止まると倒れてしまいますよね? しかし前に進んでいれば倒れません。まさにあれが動的バランスが保たれている状態です。スピードがゼロになったら倒れてしまうような角度を維持してランナーは走るのです。
背筋をまっすぐに伸ばして骨盤から前に倒れるようにすると、転びたくないから反射的に足が前に出てしまいます。「動的バランス走法」ではこの恐怖反射を利用して走ります。「おっとっと走法」です。倒れる恐怖から足を前に反射的に出してしまうためには、思い切って上半身を腰から前に投げ出さなければなりません。
「丹田を前から引っ張られているようなイメージで走れ」とか「後ろから腰を押されているようなイメージで走れ」という陸上コーチがいたら、この動的バランス走法のことを言っているのです。前から引っ張られると感じるにせよ、後ろから押されると感じるにせよ、どちらにしても「自分以外の何かの力を借りて走っているように感じる」でしょう。重力を利用して走るのが「動的バランス走法」です。
この動的バランス走法と同じ境地を示すもっとも有名な入力ワードは、「まっすぐな一本の棒が倒れるようなイメージで走る」でしょう。頭からつま先までまっすぐな一本の棒だと自分の体をイメージして、その棒が前に倒れるようにすることで自然と脚が前に出るというわけです。この「まっすぐな一本の棒が倒れるようなイメージで走る」はなかなか秀逸な表現だと思います。それほど素晴らしい入力ワードであるため、ランニング本ではいろいろなところでこれを目にします。これも動的バランス走法と同じものです。
この動的バランス走法は、鈍足ランナーのランニング概念を劇的に変えてくれます。ぜひ自分が走る時にもイメージして走っていただきたいと思います。
上半身ごと体重を前に投げ出して普通だったら倒れるものを、足を次々と前に送ることでギリギリの動的バランスで支えていきます。その時のバランスはそのスピードで前に進んでこそ維持できるものです。決してスロージョギングのときと同じバランスではありません。そのスピードにふさわしいバランス、動きながらでしか維持できないバランスというものがあり、それを支える筋力というものがあります。それはスロージョギングでは養成できません。
スピード練習しなければ、スピードにふさわしいフォームは身につかない
ときどきゆっくりジョギングするだけで速く走れるようになるかのように言うプロコーチがいますが、真に受けてはいけません。他にもたとえばピッチ走法の方がストライド走法よりもすぐれていると指導するプロコーチはたくさんいます。しかし彼らが教えている選手は、市民ランナーのあなたよりも何十センチもすでに大きなストライドで走っています。それを無視してピッチ走法というところだけを真似しても決して速くはなりません。相手の言葉を真に受けてはいけません。
スピード練習しなければ、スピードにふさわしいフォームは身につきません。なぜならスピードを出さなければ、スピードに相応しい動的バランスにならないからです。
静的なバランスで早く走れる人は誰もいません。ジョギングにはジョギングのバランスがあり、それはレースの動的バランスとは違うものです。
逆にいえば、動的バランスでゆっくり走ることも難しいのです。だから「レースが練習」という実戦練習法があるのです。競争の中でレースペースで走ることがなによりも実戦的なフォームを身につけるからです。レースのフォームは、レースのスピードで練習をしないと身につきません。
同じ理由で、練習用シューズは本番と同じシューズを使用した方がいいでしょう。ときどき練習は厚底、本番は薄底を勧めているプロコーチがいますが、私はそうは考えません。
靴底の角度で微妙な動的バランスは変わります。厚底シューズが薄底シューズよりも膝や足裏の故障を軽減するという証拠もないのです。「退役した本番用シューズ」をトレーニング用にすれば金銭の節約になるでしょう。
本番さながらの練習をすることが、本番で成功するためには重要なことなのです。
絶対にやってはいけない「スクワット走法」
反面教師という言葉があります。いっそ「悪いフォーム」を最初に伝えることが、いいフォームの伝え方のひとつの方便ではないかと私は考えています。なぜなら悪いフォームにならないようにするだけで、自然といいフォームになるからです。「悪いフォーム」を知ることは「いいフォーム」を知ることと実は同じことなのです。
ここでは典型的な「悪いフォーム」である「スクワット走法」について解説しています。「スクワット走法」とはどういうフォームなのか。なぜそのフォームでマラソンを走ってはいけないのか。それらについて解説していきます。
「筋トレランニング」をしてはいけない。
筋トレでは、鍛えている個所を意識しろと指導されます。そうすると効率的な筋トレになるとされています。ランニングでもトレーニング中は、わざと筋肉に負荷をかけて走ることがあります。この練習方法を「筋トレランニング」と本書では呼んでいます。
筋トレランニングは、負荷をかけて強くなった筋肉を、本番レースで使うために行うトレーニングです。あくまでも本番レースのための筋トレです。しかし多くの市民ランナーは、普段のトレーニングで走り慣れたフォームで本番レースも走ってしまっています。なにもレース本番まで筋トレしながら走ることはありません。筋トレランニングとは別の走り方をしなければ、速く効率的には走れません。
筋トレランニングでは「ああ、筋肉が使えているなあ」と実感します。筋肉に負荷がかかるように意識して走るわけですから当然です。その負荷のかかった感覚を、頑張って走っていることと市民ランナーは勘違いしてしまうのです。頑張るのはけっこうですが、できれば楽に効率的に走るべきでしょう。そのうえで頑張ればいいのです。
またレース後半の意識が朦朧とした局面では、どうしても普段やっていることが自然に出てしまいます。そのような理由で筋トレランニングのフォームで本番のレースも走ってしまっている人が市民ランナーには多数います。
走りながら「筋肉が使えているなあ」と感じるのは充実感こそありますが、実は要注意なのです。自重トレーニングの効果を求めすぎるとフォームが崩れてしまいます。
筋トレランニングとは真逆の、自分の筋肉をつかっていないかのような楽で軽い走りが理想の走り方です。どこにも引っ掛かりがないスムーズな走りが、いい走りなのです。筋肉が抵抗を感じないということは、筋肉の動きそのものがあまり意識にあがらないということでもあります。筋トレとは逆の感覚です。
その勝負レースで絶対にやってはいけない筋トレランニングとはどのような走法でしょうか。それはスクワットをするような走り方のことです。スクワットは「筋トレの王様」ともいわれる自重トレーニングです。空気椅子に座るようにして骨盤を上下させる運動ですが、なかなかキツく、長く続けると太ももの筋肉がプルプルしてきます。それだけ負荷が大きいということです。
スクワットは太ももの前側(大腿四頭筋)、太ももの裏(ハムストリングス)、お尻(大臀筋)、深部腹筋(腸腰筋)などを鍛えることができるので、補強運動としてランナーが積極的に取り入れたいトレーニングではあります。
しかし本番レースまでスクワットをするようなフォームで走ってはいけません。筋肉を鍛えるために本番レースがあるわけではありません。なにも本番レースまで筋トレすることはないのです。
やってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォームか?
ランナーは速く走ろうと思ったら「ピッチを上げる」か「ストライドを伸ばす」以外に方法はありません。未熟なランナーが「ストライドを伸ばす」戦略をとったときに「スクワット走法」になってしまうことがよくあります。解説しましょう。
水たまりなどを大きくジャンプして飛び越えようとする時、大きく足を下腿から前に出して距離(ストライド)を稼ごうとしますよね? 走り幅跳びの選手も足を前に出して大ジャンプしています。
未熟なランナーがストライドを伸ばそうと考えると、ロングジャンプと同じ戦略をとってしまいがちです。つまり足を前に出してストライドを稼ごうとしてしまうのです。すると腰を落として脚をガバッと開いたフォームになります。円を描くときのコンパスを思い浮かべてください。コンパスを大きく開くと、支点(骨盤)は低くなります。まるでスクワットで腰を落としたような状態になるため、このフォームのことを「スクワット走法」と本書では呼んでいます。
スクワット走法には大きな問題があります。瞬間ですが空気椅子に座っているような状態になるため、筋トレしているのと同じような負荷が太ももにかかります。スクワット走法は残念ながら長持ちしません。ばてた時にピタッと足が止まってしまうのがスクワット走法なのです。長距離向きの走り方ではありません。
スクワット走法には欠点があります。それは目先の一歩のストライドのことしか考えていないということです。さらに次の一歩を低く落ちた腰から繰り出すのはスムーズにはいきません。パワーを消費します。
ロングジャンプの選手なら一回のジャンプで勝負が決まるから大きく足を前に出す戦略で正解でしょう。しかしマラソン選手は一歩のストライドで勝負を決める競技ではありません。何千歩、何万歩とピッチを刻んだ果てにゴール前で勝負が決まります。たとえ100歩のあいだ大きくリードできても200歩300歩先で逆転されるようなら、その戦略を採用すべきではありません。
歩幅とストライドは別もの。ストライドは宙に浮いて稼ぐ
「スクワット走法」が間違いだとすれば、正解はどう考えればいいのでしょうか? 悪いフォームの真逆をイメージすれば、正しいフォームが脳裏に浮かびます。
正しいフォームは、腰を落としたスクワット走法とは逆に、腰を高く保ちます。すると歩幅を稼ぐことができなくなりますが、発想を変えます。
歩幅とストライドは別のものだと定義してください。歩幅は脚の開いた距離、ストライドは宙に浮いて空中で前に進んだ距離を含めた総距離です。たとえ歩幅が小さくなっても、ストライドが伸びれば、ランニングのスピードは速くなります。問題は歩幅ではなくストライドなのです。
ストライドは歩幅ではなく、飛んで稼ぎます。ストライドは宙に浮いて稼ぐものなのです。
ブレーキをかけなければ、効率的に速く走れる
飛ぶことを前提にしたランニングフォームに発想を転換することでフォームを改造しましょう。ストライドは歩幅ではなく宙に浮いて稼ぐのです。腰を低くして歩幅を稼ぐスクワット走法よりも、むしろ腰を高く保って浮いてストライドを稼ぐフォームの方が楽に速く走れます。
骨盤の少し上の腰椎あたりに人体の重心はあります。この重心よりも前に着地することは重心移動のブレーキになってしまいます。それをパワーで無理やり押し切っているのがスクワット走法です。
むしろ重心は「後ろから押す」もしくは「下から支える」ぐらいのほうが軽く前に進みます。そのためには足は前の方で着地するのではなく、重心直下をイメージして着地します。すると歩幅は縮みますが、ブレーキがかからない分、体が宙に浮きやすくなりストライドが伸びるのです。
筋トレランニングから脱すれば、長く維持できるフォームに近づきます。速く効率的なフォームを考えるときには、本番レースで絶対にやってはいけない「スクワット走法」を思い出して、まずは自分がそうなっていないかをチェックしてみてください。
聖人君子だけが人生を教えてくれるとは限りません。駄目人間もときには「どうやって生きていったらいいか」を教えてくれます。「スクワット走法」を知ることは、あなたを「いいフォーム」に導いてくれるものと私は確信しています。
踵落としを効果的に決める走法
みなさん、カラテの「かかと落とし」という技をご存知でしょうか? 蹴り上げると見せかけて蹴り下ろすというトリッキーなキックです。この「踵落とし」ですが「この技、本当に効くのかな?」と思ったことはありませんか?
私はカラテ素人ですが、サブスリーランナーとして、すくなくとも「踵落とし」を無力化する方法をすぐに思いつくことができます。「踵落とし」を無力化する方法を、みなさんも考えてみてください。
答えはカンタン。攻撃側が踵を振り上げて止まったポイント(これを上死点といいます)に、自ら打撃ポイント(打たれる脳天など)を近づけていくことです。上死点では運動エネルギーがゼロになっているために、破壊力もゼロです。上死点から距離をとらないことで「踵落とし」というキックを無力化できます。動いている大型バスの前の飛び出したら轢き殺されてしまいますが、停車中のバスのフロントにもたれかかっても痛くも痒くもありません。それと同じです。
逆にいえば「踵落とし」が効果的に効くためには、上死点から打撃ポイントまである程度の距離とスピードが必要です。効果的な走り方は「踵落としの効果的な決め方」を考えることで見えてきます。
ランニングのスピード=ストライド×ピッチ
この計算式以外にはない単純な運動ですが、ストライドを伸ばそうとすると、ひとつ落とし穴があります。
ストライドを稼ぎたいあまりに、未熟ランナーほど振り出した前足が最も伸びきったところで着地してしまうのです。つまり「膝が伸びきったまま」「踵から着地」してしまうのです。
これは「踵落とし」の運動エネルギーがゼロになっている上死点で着地してしまっているのと同じことです。これでは速く走ることはできません。踵落としを効果的に決めるように、ランニングも運動エネルギーをもった状態で着地する必要があるのです。運動エネルギーがゼロの上死点で着地してはいけません。
「踵落としを効果的に決める」ように、ランニングでは、振り出した前足(下腿)を空中でひと掻きして戻してきて、運動エネルギーをもった状態で着地した方が、地面に加えるエネルギーが大きくなります。この力で宙に浮いて移動します。こうすることでトータルのストライドは伸びるのです。
この走法を「踵落としを効果的に決める走法」と命名します。今後、この本の中にたびたび登場しますので、覚えておいてください。
誤解しないでいただきたいのは、「踵落としを効果的に決める走法」は必ずしも踵から着地するのではないということです。「踵落としを効果的に決める走法」では、勢いよく戻ってきた下腿は「膝が曲がった状態で」着地します。その上に乗るようにして宙に浮いて推進します。
ランナーの一歩一歩は「かかと落とし」のようなものです。膝が伸びきったスピードゼロの上死点で着地するのではなく、振り戻ってきた破壊力のある足で着地しましょう。そう。踵落としを効果的に決めるように。
アトムのジェット走法(足裏ジェット走法)
世界に冠たる日本アニメ作品の始祖鳥、鉄腕アトムはご存知ですよね。鉄腕アトムは、足底にジェットエンジンがついていて、火を噴いて空を飛ぶことができます。この鉄腕アトムにちなんだ走法「アトムのジェット走法」をご紹介します。
まず、自分にはアトムのように足裏にジェットエンジンがついていることをイメージしてください。その足裏のジェットを真後ろに噴射するイメージで走ります。
足裏にジェットエンジンがついているとイメージする。たったこれだけで速く走れます。もちろんどうして速く走れるようになるのかは、理論的に説明することができます。コマ送りで解説します。
- 足裏ジェットで前に進むイメージで、ジェット噴射口(足の裏)を真後ろに持ってきます。すると必然的に膝が曲がります。
2.膝を曲げて脚を短くしたことで、膝が伸びた状態の長い脚よりも、物理学的に「速く・省エネ」で前に戻すことが可能です。たとえば足上げ腹筋運動をする場合、膝から下を伸ばすとキツイですが、膝から下を折り曲げれば楽に膝が上がります。それと同じ理屈です。もしくはサッカーのキックを思い浮かべてください。膝を伸ばしたままで強いシュートを打つことはできません。膝を曲げて後方に振りあげなければ、強いシュートを打つことはできません。シュートというのは後ろに振った足をすばやく前に送ることです。ランニングでいえば前に振り出す足がそれにあたります。膝を折らないと、足を素早く前に振り出すことはできないのです。
3.アトムのジェット走法によって地面と水平になった下腿は、足裏ジェットの噴射力で前に水平に移動してきます。膝が折れ曲がっているため、膝蹴りするように脚が前に出ます。
4.膝蹴りの勢いで下腿が前に振り出されますが、次の「アトムのジェット走法」を決めるためには、必然的に振り出した前足は空中を掻いて「踵落としを効果的に決める走法」のように、戻ってこなければなりません。そのプロセスなしには足裏を真後ろから見られるほど上げることはできません。
5.このアトムのジェット走法を意識することで、踵落としを効果的に決める走法が自然に達成されます。ランニングは歯車が噛み合って回る運動だからです。
6. 1.に戻る。
足裏のジェットを水平までもってくるためには、うまく膝を折りたたまなければならず、必然的に前に振り出した脚をすばやく戻してこなければなりません。アトムのジェット走法を実践すれば「走り幅跳び」のように前に大きく足を伸ばした走り方は自然に矯正されます。
この魔法の走法をぜひ一度試してみてください。足裏にジェットエンジンがついているとイメージするだけで、必然的に速く走ることができるようになります。
ジャンプしない走りなんて走りじゃない
走るとは、宙に浮くことです。足はしかたなく着いているだけ。足をちょこまか動かして、宙に浮かずに速く走ろうなんてあまい考えです。そういう人は車輪(タイヤ)をイメージしているのだと思います。
しかし陸上最速動物のチーターも、ライバルのガゼルも、ジャンプして宙に浮いている合間にしかたなく足を着いているだけ、という走り方をしています。いちばんわかりやすいのはカンガルーでしょう。カンガルーは大ジャンプを繰り返して前に進んでいますが、100m走を走ったら5秒台です。
人間のランニングも、ガゼルやカンガルーのような走りをするべきでしょう。ジャンプして、落下するからしかたなく足を着いているだけというような走りを。
速く走るためには、力の限り前へジャンプするしかありません。ジャンプしない走りなんて走りじゃない。たとえ一瞬あとには地に落ちていることがわかっていても、力の限りジャンプしつづけましょう。スピードはストライドで出すものだというのがこの本の中心理論のひとつです。それにはジャンプするしかありません。
市民ランナーはピッチよりもストライドを意識すべき
「ランナーはピッチ走法で走るべきなのか、ストライド走法で走るべきなのか」
この永遠のテーマについて、本書では結論をだそうと思います。
私は競技用自転車(ロードバイク)に乗ります。そしてロードバイクに乗ればマラソン世界記録を軽く打ち破ることができます。それどころか人類最速ウサイン・ボルトよりも速く走ることができます。どうしてただの市民ランナーにこんなことができるのかわかりますか?
自転車のペダルを高速回転させたからではありません(ケイデンス=ピッチを上げたからではない)。秘密は自転車のギア比にあります。ペダルを一回転するとギア比によって自転車のホイールは数回転もします。つまりこれはホイールの数回転分のストライドをワンピッチで稼いだのと同じことです。このギア比の魔法こそが、ただの市民ランナーがウサイン・ボルトよりも速く走れる秘密の答えです。ロードバイクが速く走れるのは圧倒的なストライドをもっているからです。サイクリストのケイデンス(ピッチ)が凄いからではありません。
ランニングはピッチではなくストライドを意識して走るべきだと私は考えています。
宙に浮くストライド走法で走ると、瞬間瞬間の苦しさが違います。浮いているから「楽」なのです。ぜったいに蹴り負けるに決まっているアスファルトを延々と蹴り続けているよりも、フワッと宙に浮いてしまった方が楽に決まっています。
そもそも一流選手ほどピッチ数が多くて、市民ランナーほど少ないと思うのは典型的な「先入観」です。実際は市民ランナーもオリンピック選手もピッチ数はそんなに変わりません。違うのはストライドなのです。一歩一歩の歩幅が、一流選手と市民ランナーでは全然違うのです。
ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も簡単な方法はストライドを狭めることです。ピッチばかりを意識して、ピッチを維持しようと必死になると、いつのまにかストライドが狭まり、結果としてスピードが遅くなっているかもしれません。その証拠に、もっともすばやくピッチを刻めるのは「その場ステップ」です。前に進みながらステップを刻むよりも、その場を動かすにステップした方が細かくピッチを刻むことができます。前に進むと、その場で動かずにするステップほどにはピッチを刻めません。それはモーションにある程度時間がかかるからです。大きな筋肉を使うほど、モーションに時間がかかります。大腿骨を大きく使ったダイナミックな走法で走れば、おのずとピッチは落ちてきます。大きな骨を大きく動かすのですから、振り戻すまでにある程度の時間がかかって当然です。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
繰り返しますが、一流も二流もピッチは変わりません。違うのはストライドなのです。スピードを決めるのはストライドです。意識すべきはストライドなのです。
マラソン書籍のほとんどは、元一流選手か、一流選手を育てたプロ監督が書いています。そのようなマラソン本では、市民ランナーに向けても「ピッチ走法」を推奨していることを私は知っています。私も影響されて、かつてはピッチ走法で走っていました。しかし市民ランナーは、プロコーチの言葉を鵜呑みにしてはいけません。名のある一流の指導者は、もともと素晴らしいスピードをもった素質ある選手ばかりを見ている、ということを忘れてはなりません。それは「もともと凄いストライドの選手」という意味です。そのエリート向きの指導要綱で、市民ランナーを指導するからうまくいかないのです。
世界的なマラソン指導者の考え方のベースにあるのは「オリンピックで、凄いストライドの黒人選手に、短足の日本人が勝つため」に編み出されているということを見落としてはなりません。市民ランナーがサブスリーを達成するために考え出された指導方法ではないのです。脚の長さや生まれ持ったバネがあるため、ストライドで勝負しては、日本人選手は黒人選手にはかなわないのです。同じ走法をしていては黒人選手に勝てません。全く違う武器で勝負するしかないのです。そうです。ここでピッチ走法が登場します。過去、瀬古俊彦のようなピッチ走法の選手が黒人選手に勝ってきたから、そのイメージもあるのでしょう。カリスマ指導者がピッチ走法を提案するのは、自分の選手が黒人選手に勝つために「差別化の戦略」を指導してきたことの延長線上にあります。しかし残念ながら、差別化のためにランニングの王道を外れてしまいました。
ピッチ走法で壁に突き当たっている市民ランナーは、一度ストライド走法を試してみてください。それだけで速く走れるようになるでしょう。それほどストライド走法はランニングの本質だからです。
弱点を補うのが真の指導。だからストライド走法
カリスマコーチがエリート選手を指導する場合、選手のバネや脚の勢いを考慮する必要はありません。元々そういう条件を備えた選手をスカウトして指導しているのですから。
しかし、市民ランナーはそうではありません。もともとランニングの才能のない人たちです。身体のバネがなく、脚に勢いがない、ストライドの狭い人たちが市民ランナーなのです。はじめからジャンプして宙を飛ぶことができるエリート選手とは出発点が違います。当然、指導要領も違ってしかるべきです。
市民ランナーには「全然、ストライドのない人」がたくさんいます。市民ランナーはエリート選手とは逆にストライドを伸ばすような練習をした方がいいのです。
全身がダイナミックに躍動するためには、モーションが大きくなるはずです。体幹から大きな筋肉を駆使して走れば、膝下だけ小さく動かす「小走り」よりも、ある程度モーションの時間がかかります。ピッチ走法を意識してダイナミックな躍動を犠牲にするよりも、ストライド走法を意識して体幹の大きな筋肉を使って走るように心がけたほうが市民ランナーの場合は速く走れるようになるでしょう。
第三の解答。どっちも使え
ここでは「ピッチ走法」か「ストライド走法」かという究極の二者択一に対して「市民ランナーはストライド走法を意識すべき」であるという解答を提示しました。
しかし私は、もうひとつ別の「第三の解答」を持っています。それこそが究極の回答だと思っています。それは「フォームは複数あってもいい」という回答です。「ピッチ走法とストライド走法、どっちも使え」という回答です。これこそが本書の核心部分「マラソンの極意。複数のフォームを使い回す」になります。
マラソンの極意。複数のフォームを使い回す
みなさんは、走るときに、どこに意識をおいて走っているでしょうか? いろいろ意識する箇所はあるでしょうが、サブスリーを目指すようなシリアスランナーほど「理想のフォーム」を追求する傾向があります。スピードが出て、疲れない、「究極の走り方」を。
しかし、私は理想の追求は練習にとどめ、レース本番では理想のフォームの追求などしない方がいいと思っています。ランナーならば誰もが追求する「究極のマラソンフォーム」。そんなものが果たして本当にあるのでしょうか?
私はロードバイクに乗るのですが、あのドロップハンドルの競技用自転車は、シティサイクルにくらべて「疲れにくい」と言われています。「ハンドルのいろんなところが持てるから、乗車姿勢を変えられて、疲労が一か所にたまらないから疲れにくい」とロードバイクの本には書いてあります。私が「レース本番で理想のフォームは追求しない方がいい」というのは、これと同じ意味です。特定のフォームは特定の箇所に負担をかけます。ひとつのフォームにこだわりすぎるというのは、結局、特定の箇所に疲労をためてしまうことにつながります。
理想のフォームを追求するあまり、疲れ切った筋肉に引きつづき頼りつづけることは、結局、全体のタイムを引き下げることになりかねません。それよりも、疲れていない筋肉をさがして、そこをメインの出力場所にするような意識で走った方がいいというのが本書の主張です。
ある特定の筋肉がへたって理想のフォームの維持が苦しいときに、考え方はふたつあります。「意地でも理想のフォームにしがみつく」か「第二のフォームに切り替える」か。あなたならどっちを選びますか?
テレビのマラソン中継を見ていると、元アスリートの解説者がこう言います。
「苦しいですね。あきらかに先ほどまでとフォームが変わってきました」
ここではフォームが変わることは「悪いこと」のように言われています。しかしそれは優勝を狙う選手の場合です。優勝あらそいと、市民ランナーの自己ベスト更新は条件がまったく違います。
エリートほど究極のたった一つの走法にこだわるものです。彼らは最速を目指していますから仕方がありません。しかし私たち市民ランナーが目指しているのは「最速」ではありません。「自分史上最高」です。
すこしスピードは落ちるかもしれませんが、なにもフォームAからフォームBに変わったぐらいでレースを諦めることはありません。フォームは複数持って、疲れたら、その都度、変えていきましょう。それが本書の核心理論です。
ピッチ走法は(比較的)足が楽だが、呼吸が辛くなります。ストライド走法は(比較的)呼吸は楽だが足への負担が大きいのです。どっちがいいか決めるなんてナンセンスです。どの筋肉が元気で、どの筋肉がヘタっているかで答えは変わるんですから。勝負レースの本番では、その時々、楽な方を使えばいいのです。ストライド走法もピッチ走法も、どっちも使って、なりふりかまわずゴールに向かって走ることです。それが自己ベスト更新の最良の方法です。
スクワット走法にならないよう気をつけて、腰高のフォームで宙を飛んで走った方がいいに決まっていますが、長く走っていると腰はやがて落ちてきます。その時、腰高のベストフォームを維持しようと踏ん張るよりも、別の場所に意識を切り替えてスピードを維持した方がいいというのが「複数のフォームを使いこなせ」理論です。フォームを維持するために力を使うな、という意味でもあります。フォームよりもスピードを維持するほうに意識を向けましょう。
理想のフォームなんか追求しないほうがいいのです。唯一無二のフォームしか持っていない者よりも多彩なフォームを使い分けた者が勝つのが市民ランナーのマラソンです。42.195kmも走り続けるわけですから、その間にフォームが変わったっていいのです。
走るときに使う筋肉すべてを意識することはできません。特定の筋肉を集中的に意識することになります。この際、走りながら意識する箇所を変えれば、肉体も脳ミソも疲れが分散されます。ある特定の筋肉を動かす脳の部位は決まっています。理想のフォームを追求すると、特定の筋肉と脳の部分だけを酷使することになります。意識する場所を変えることで、脳の疲労も抑えることができます。フォームを変えれば筋肉疲労を抑え、集中力を長続きさせることができるのです。
大切なのは「フォームを維持することに力を使いすぎてしまう状態」にならないことです。
この本の中には、たくさんのマラソンフォーム(こんなふうに走れという脳の指令。入力ワード)が登場します。「そのどれが正解なんだ」と思わないで、複数のフォームを使い回すようにしてください。すべての走法を駆使して、自分史上最高のゴールを目指しましょう。
疲れていないフレッシュな筋肉を探して、その筋肉に頼っているうちに、もうダメだと思っていた筋肉が再び使える状態に戻ってきます。そうしたら、またその筋肉を使えばいいのです。それが複数のフォームを使い回すということの意味です。
理想のフォームがゴールまでずっと維持できればいいのですが、それができないのが市民ランナーです。たったひとつの最速フォームではゴールまでもたないのです。
理想のフォームはやがて崩れることを前提に、市民ランナーはベストフォームが維持できなくなってからも走り続けることができるノウハウを持っている方が、結局は、はやくゴールすることができるでしょう。崩れてからが勝負です。
型にこだわりすぎるのが、日本文化のよくないところです。茶道も、舞踊も、武道ですらそうです。カタを追求するあまり、ダイナミズムを失うことがある。強さを失うことがある。面白さを失うことがある。私はそう思っています。
ランニングでいえばカタというのは理想のフォームのことです。この理想を追求することが目的ではありません。目的は速く長く効率的に走ることです。
フォームというのは現在いちばん使える筋肉によって変わってくる、というのが私の考えであり、この書物の核心のひとつとなっています。
ハサミは両方に開かれる走法
複数のフォーム(入力ワード)をもちつつも、市民ランナーはピッチ走法ではなくストライドを選択すべきだと説明しました。ではストライドを稼ぐためにはどうすればいいのでしょうか。ここではストライドを伸ばす決め手となる「ハサミは両方に開かれる走法」について解説します。
大きなストライドを確保するためには、大地を後ろに蹴って前にジャンプする方法がまず思いつくと思います。しかしそれよりも大腿骨を前に大きく展開した方がずっと楽に大きなストライドが稼げます。これが「ハサミは両方に開かれる走法」です。支脚(大地に着いている脚)ではなく遊脚(宙に浮いている脚)を動かしてストライドを稼ぐ走法です。
遊脚を膝蹴りするように前に突き出すだけで、まるでハサミが両方に開かれるように、股関節が前後に開き、支脚は地面をプッシュしたようなフォームになります。蹴る脚ではなく突き出す脚を意識するのが「ハサミは両方に開かれる走法」です。
多くの他のマラソン本では「大地を踏みしめる力」を重視しています。しかし「ハサミは両方に開かれる走法」では大地を踏みしめる力は無視します。
「体の後ろ側の筋肉を使って走れ」と陸上のコーチからは指導されます。しかし「ハサミは両方に開かれる走法」では全く別のアプローチをします。前に振り上げる脚を意識するので、体の前側の筋肉を使います。後ろ側の筋肉はあえて意識しません。
ハサミはどちらか一方の刃だけを動かすことはできません。片方の刃だけを意識しても、もう一方の刃も同じように開き、同じように閉じます。走っている時の二本の脚はまるでハサミのようなものです。どちらか一方だけを動かすことはできません。蹴る脚を意識しても、振り上げる脚を意識しても、ハサミは両方に開かれます。だから両方の脚を意識することはないのです。片方の脚を意識するだけで、結果として両方の脚を動かすことができます。
「ハサミは両方に開かれる走法」がなぜ有利なのかを説明します。股関節は前方には「踵落とし」ができるほど可動域が広いのに、後方にはほとんど可動域がありません。サッカー選手のキックは骨盤ごと後ろに傾けているのです。大腿骨を前後どちらに展開した方が有利か、誰にでもわかります。
もうひとつ。地面をプッシュするということは、ものすごい抵抗を受けなければなりません。硬いアスファルトが相手では人間が蹴り負けるに決まっています。しかし空気に膝蹴りを決めるのは体に負荷がかかりません。絶対に勝てない大地を相手にキックするよりは、空気に向かって膝蹴りを決めた方が楽に走ることができます。体へのダメージが違います。
「ハサミは両方に開かれる走法」とは、支脚を意識しても、遊脚を意識しても、どっちを意識してもハサミは両方に開かれるのだから、ストライドを伸ばすためには、支脚で地面をプッシュする意識よりも、遊脚を膝から前に空中に突き出して進んだ方がずっと楽にストライドが稼げるという走法です。片方の脚を意識するだけで、結果として両方の脚を動かすことができます。なぜならハサミは両方に開かれるからです。
「ハサミは両方に開かれる走法」で大腿骨を前に大きく振り出すためには骨盤を立てなければなりません。同じ角度で大腿骨を前に振り上げても、骨盤が寝ていてはその分ストライドが小さくなります。
ヤジロベエ走法
サッカーやラグビー選手の走りと陸上選手の走りは違います。サッカー選手は横からチャージされるのが前提なので腰を落として足を踏みしめて走ります。それに対して陸上選手は接触がないのが前提なので骨盤をフワッと浮かせて走ります。まるで支点の上でバランスをとっているヤジロベエのように、骨盤を立てたまま腰椎の上でバランスをとって走るこの走法をヤジロベエ走法と本書では呼んでいます。
ヤジロベエ走法をラグビーでやったら横からタックルされてふっ飛ばされてしまいます。そのかわり鈍足ラガーマンを軽く振り切るほど速く走ることができるようになります。宙に浮くのが走りならば、どうせ浮かせる骨盤はいちいち沈み込ませない方が効率的です。そのほうが楽に、軽く走ることができます。
ヤジロベエ走法で走るときには、骨盤は立てるようにします。「骨盤を立てる」というのは文字通り「骨盤」が地面から直角になるぐらいのイメージで「立てる」という意味です。骨盤だけでなく脊柱も一緒に立てます。骨盤を立てればぐっと肛門がしまります。その状態からさらに上半身を直立させて宙に浮いたようなイメージのフォームをつくると、脚が軽くなったのがわかるでしょう。スクワット走法のように沈み込まなくなったからです。この状態でスピードをあげて走れば、上半身の浮遊感を感じることができるでしょう。
実際には骨盤・腰椎から上半身が浮かび上がることはないので、オモチャの「ヤジロベエ」のように腰椎の一点で浮いた上半身を支えるイメージになります。上半身の重さを腰椎にささえてもらうのです。体重は筋肉で支えるのではなく、骨に支えてもらいましょう。
ヤジロベエ走法とは腰椎の一点で上半身のバランスをとる走法です。ランニング中の上半身の重みを腰椎の一点でヤジロベエのようにバランスをとって処理するという走法です。そのため前のめりだった「動的バランス走法」にくらべて、上半身が直立、中立するフォームになります。そして体重を支えるのに筋力を使わないため、腹と背中の筋力をリラックスさせることができます。筋肉を弛緩させることができるということは、その筋肉を緊張させることもできるということです。それが大きなパワーを生み出します。
脱力する技術。主動筋にだけ力を込めて、拮抗筋の力を抜く
全力で走るのは簡単なことです。子供でもできます。しかしマラソンのような長距離をうまく走り切るためには「全力で走らない技術」が必要です。筋力を温存し、使い切らない自制心が必要なのです。セルフマネージメントといってもいいでしょう。
ベストパフォーマンスを発揮するためには脱力する技術も必要です。ブレーキをかけたままアクセルを吹かす状態は長くは続けられません。その状態を避けるためには対になっている反対側の筋力を脱力しなければなりません。
肉体の運動は、筋肉が収縮して骨格系を動かして成りたっています。そして筋肉というものは主動筋と拮抗筋で吊りあって成り立っています。伸びる筋肉と縮む筋肉が対になっているのです。伸び縮みが対になっていないと、行ったきりで戻ってくることができません。このときの主動筋というのは「本人の意識の問題」です。脚を前に振り上げたい時の主動筋と、脚を振り戻したい時の主動筋は真逆になります。
理想的なのは主動筋だけに力が入って、拮抗筋は完全に脱力していることです。
脱力がどれだけ重要かは、たとえば柔軟運動でもよくわかります。柔軟運動で体を曲げるとき、曲げる筋肉を引っ張るよりも、伸びる方の筋肉をゆるめる方が、より体を柔軟に曲げることができませんか? まさしくこれが脱力のもつ力なのです。
りきんでいるというのは、主動筋、拮抗筋ともに力が入っている状態のことです。ブレーキを踏みながらアクセルをふかしているようなものです。自分で自分の力を殺しながら、いいパフォーマンスが発揮できるわけがありません。ですから力の抜き方を知っておくことも重要です。脱力も技術のうちなのです。
ヤジロベエ走法の場合、上半身の重さは脊柱に支えてもらうため、感覚としては上半身はフワッと浮いたようになります。腰椎がバランスをとって、ヤジロベエのように上半身を支えているのです。ヤジロベエ走法は「上虚下実」の状態です。腰椎の一点で上半身をヤジロベエのようにバランスをとって支えます。そして腹や背中の筋肉は相互ピストン運動を繰り返しています。上半身の力を柔軟に緩めることができれば、下半身の地震のような動きのなかでも、腰椎の一点でバランスをとる事ができるのです。まるでヤジロベエのように。
動的バランス走法はすっと通った一本の脊柱を動かさないイメージですが、ヤジロベエ走法では脊柱が動きます。大きな動きをする中で脊柱は動きますが、拮抗筋の運動でもとに戻って、ヤジロベエのように腰椎の一点でバランスをとるのです。むしろすこし脊柱を揺らした方がリラックスできるし、筋肉も動かしやすくなります。腰を落としたまま脊椎を揺らすのは難しいことです。脊椎を揺らそうとすれば、フォームは自然と腰高になっているでしょう。ヤジロベエは土台が動いてブレても、やがて元のバランスに戻ってきます。ヤジロベエがバランスをとって元に戻ってくるときの力を利用して、体をよじりながら反対側の足を前に出すようにします。背骨を左右によじりながら脚を繰り出すといえば伝わるでしょうか。
シャケが渓流を遡上するときには、背骨をよじって全身の力で流れに逆らいながら進んでいきます。そのようにランナーも脊椎まわりの筋肉をよじって使いながら走ります。姿勢を維持するために筋力をつかわないようにしてください。揺れたら揺れたでいいのです。頭蓋骨がバランサーとなっているから脊椎まわりの筋肉を思いきりダイナミックに動かしても倒れるまではいきません。
ヤジロベエ走法では、支点となっている腰椎から下は、すべて脚(移動するための推進装置)だと考えましょう。重力を利用して走る「動的バランス走法」にくらべると、ヤジロベエ走法は推進力を自分の力で生み出します。
「動的バランス走法」では脚が高くあがりません。前に倒れないように「おっとっと」と自然に足が前に出る走法は、どちらかといえばピッチ走法向きです。ストライドを伸ばすためにはヤジロベエ走法の方が優れています。つんのめっておっとっとと自然に足が前に出るよりも、フワッと腰から宙に浮く方がストライドを稼げます。
「動的バランス走法」は落下中の飛距離を計測しない遠投のようなものです。すぐに着地してしまうため、滞空時間がたりません。遠投の距離(ストライド)は落下時間も含めて計測された方が有利です。ヤジロベエ走法の方が大きなストライドには向いています。
ハサミは両方に開かれる・ヤジロベエ・フュージョン走法
他の著者が書いた市販のマラソン本には、「動的バランス走法」をランニングの極意のように紹介しているものがあります。しかし私は動的バランス走法を「活用すべきひとつの走法」だとは思っていますが、「ランニングの極意」「究極の走法」だとは考えていません。
その理由は「ヤジロベエ走法」の項で説明した通り、動的バランス走法はどちらかといえばピッチ走法向きの走り方で、ストライド走法向きの走り方ではないからです。ストライドは、全身を一本の棒のように斜め前に伏せていては稼げません。滞空時間が足りないからです。
ためしに100m全力疾走してみましょう。おそらくあなたの全力フォームは「倒れる一本棒」のようにはなっていません。上半身は直立し、フワッと腰から浮き上がるような走りになっているはずです。動的バランス走法のように、重力を利用して走るようなフォームにはなっていないはずです。全力ダッシュの時、体幹は直立・中立するのです。
短距離走者・スプリンターを見てみましょう。ウサイン・ボルトも桐生祥秀も骨盤が直立・中立したヤジロベエ走法です。動的バランス走法ではありません。100m走の全力疾走では、ほとんどすべての人が「上半身直立」になっているはずです。天秤の支柱のように脊柱が直立し、ヤジロベエのようにバランスをとりながら前に進んでいくのです。
落下中も飛距離を計測する遠投のように、上体を起こして腰を入れて走ると前足の滞空時間が伸びたぶん、ストライドが伸びます。膝を持ち上げる角度が同じでも、骨盤・脊椎を立てれば、膝は高く上がります。起点の角度が持ち上がるからです。そのぶん長いストライドで走ることができます。
また「動的バランス走法」では、身体を前に伏せたぶんだけ、運動エネルギーがゼロの上死点に近い場所で着地してしまいます。「ヤジロベエ走法」で体を起こせば大地とのあいだに離隔ができて「踵落としを効果的に決める」ことができます。宙に浮くために地面に力を加えやすいフォームだといえるでしょう。
ヤジロベエ走法では前後のバランスが取れた一瞬、脱力できるポイントがあります。振り子が一瞬静止するタイミングが、脱力できるポイントです。一瞬の脱力の時間が、左右交互にやってくるのです。ほんの一瞬ですが、一瞬の休憩をえんえんと繰り返すことが、大きな余裕をつくります。ずっと力こぶをつくっていたらすぐに疲労してしまいます。筋肉が弛緩しないと、肉体の隅々にまで血液を行きわたらせることができません。すぐに疲労してしまいます。
「ヤジロベエ走法」に「ハサミは両方に開かれる走法」を加えると更に効果的です。ヤジロベエ走法で中立・直立した脊柱と、支脚で蹴るのではなく遊脚を突き出す「ハサミは両方に開かれる走法」をあわせたフュージョン走法です。これを「ハサミは両方に開かれる・ヤジロベエ走法」と呼んでいます。ヤジロベエ走法でベースのフォームを作って、ハサミは両方に開かれる走法で大腿骨をダイナミックに前に突き出します。
「ハサミは両方に開かれる・ヤジロベエ走法」は、前に振り上げた遊脚の慣性の力を利用しながら、長い滞空時間で大きなストライドを実現する走法です。立てた骨盤がつくりだした地面との離隔が、踵落としを効果的に決める走法のように地面に強い力を加えて、その反力で宙に浮いて大きなストライドを稼ぐことができるのです。
骨格走法
「やってはいけないスクワット走法」の項で、筋肉が動いていることを実感するために最も有効なのは負荷を感じることだと説明しました。だからボディビルダーはバーベルの重みで不自然な負荷をかけて鍛える筋肉を意識しながら鍛えています。しかしスピード勝負のタイムレースの本番まで、なにも筋トレすることはありません。それは「無駄」です。
全身運動というのは骨格の動きによって成立しています。フォームは筋肉ではなく、骨格で維持しているのです。骨格がそれ自体で動けばいちばんいいのですが、それができないために二対の筋肉がついています。ひっぱる筋肉(主動筋)と緩む筋肉(拮抗筋)です。
この筋肉が強力であるほどパワーが出せるために、マラソンの教本では筋肉を鍛えることばかりに注意を向けがちです。しかしここでご紹介する「骨格走法」はそもそも発想が違います。むしろ「骨格に意識を向けて、筋肉のことは忘れる」のが骨格走法の特徴です。
具体的にはこういうイメージを持って走ります。いきなり全身骨格をイメージするのは難しいので、まずは膝から下の下腿を例に説明しましょう。
みなさんの多くは、下腿にはふくらはぎという走るために重要な筋肉がついていて、ふくらはぎをフル活用して走らなければ走れないという意識だから、ふくらはぎに意識が向いています。それに対して骨格走法というのは、骨以外は「ないもの」と意識から追い出してしまいます。すると、下腿は従来の意識よりもだいぶ前方に移動します。下腿の骨(脛骨と腓骨)はふくらはぎよりもずいぶんと前の方にあるからです。これが「骨格走法」の意識です。
従来の走り方では、たとえば太ももの場合、ハムストリングやお尻の筋肉で足を後ろに引いて大地をプッシュすることを意識しますが、骨格走法では大腿骨を太鼓のバチのように動かすことだけをイメージします。その際、どの筋肉を使っているかなどは一切考えません。ただ「ホネが動いているかどうか?」だけに注目します。フォームのイメージが、ハムストリングから大腿骨に変わったことで、意識すべきラインがすこしだけ前方に変わりました。すると自然とフォームが少し変わってきます。
従来の走法よりも骨格走法の方が意識するラインが前になった分だけ、実際にはすこし後ろまで脚を送らないと脳内イメージと実際のフォームが合致しないことになります。そうするとより長く地面をプッシュしていることになり速く走れるようになるのです。
骨格走法では、骨しか意識せず、筋肉のことは「無かったこと」にします。骨が骨だけで立つ時、筋肉のサポートは極限まで必要としないはずです。筋肉をただ意識しないだけではなく、物理的にも筋肉のサポートを極小化しているのが骨格走法です。いちばんいい走りを骨格にさせようとイメージする時、あなたはいいフォームで走れているはずです。なぜなら骨を動かすことこそが、人間の「動き」そのものだからです。
骨格走法は疲労を軽減させる走りです。筋肉は疲れますが、骨は疲れません。骨格走法は、筋肉のサポートを極小化して意識の外に追いやる走法です。疲れにくいからこそ、マラソンを長く走ることができるようになるのです。筋肉が働いているかをチェックしながら走るのではなく、骨格がいいフォームになっているかチェックしながら走ってみてください。それが骨格走法です。
筋肉への負荷を意識できないほど「楽に、軽く」の走りが達成されているかだけに意識を向けましょう。「楽に、軽く」こそが究極の正解です。だからこそ効率的に、速く走ることができるからです。
腰で走る走法
大きなストライドを確保するためには腰を使う必要があります。腰から下はぜんぶ脚だという感覚で走ればストライドはひろがります。
腰を使って走るためには、背中の肩甲骨を寄せて肩を落とします。すると胸が開いて肩の力が抜けます。そして背中がゆるみます。背中をゆるめると腰がつかえます。背中が突っ張ったままでは腰をダイナミックに動かすことはできません。腰は膝を持ち上げる腸腰筋の起点・付着部分です。腰をダイナミックに使うということは腸腰筋を使って大腿骨を持ち上げるということです。ついでに背中がゆるんで胸が開けば呼吸が楽になります。「腰で走る走法」はストライドを伸ばし、呼吸を楽にする、一石二鳥の走法なのです。
競走馬の足はとても細いですが、体幹はすごく太いですよね。人間は犬や猫にもスピードが劣ります。なんであの折れそうな細い脚にかなわないんでしょうか? 答えは簡単です。馬も犬や猫も体幹の筋肉を使って走っているからです。脚の太さは走力にあまり関係がありません。
下肢が欠損した障がい者ランナーもいます。やはり腰の筋肉を使っているから走ることができるのです。脚で走ろうとしないことです。腰で走る走法を心がけましょう。
「腰で走る走法」で走れば、着地の衝撃を腰で受け止めることができます。腰椎は柔軟性にとんだバネなので、着地衝撃を分散してくれます。それだけではありません。着地の衝撃を受け止めた時に力をためて、腰椎のバネを使ってそこからジャンプすればより速く走ることができるようになります。
着地の衝撃は、ボクシングのボディーブローのようなものです。強烈なボディーブローを食らうと、呼吸は一瞬とまってしまいます。しかし腰椎で着地衝撃を受けとめれば、肺は下から突き上げるボディーブローの衝撃をかわすことができます。衝撃に呼吸が止まることはありません。腰で着地の衝撃を受けとめ、腰から大きなストライドで走る「腰で走る走法」は「脚で走る走法」よりも長持ちします。腰は、体幹の太く柔軟性にとんだ部位なので、着地の衝撃にもつよく、パワーを出し続けることができるからです。
「くの字」走法
筋肉はゴムのように伸びたら縮むという性質があります。大腿骨を前に持ち上げる腸腰筋も同じです。腸腰筋も伸びたらバネのように縮みます。腸腰筋はお腹の深部の前側についていますので、その筋肉を伸ばすためには「くの字」に腹を張ることです。これを「くの字走法」といいます。
具体的にいいます。どうせ宙に浮くのですから、はじめから腰を高く保ちましょう。そして腰をぐいっと前に突き出します。脚とお尻は遅れて上半身についていくので、お尻が後ろにぐいと突き出されます。これで「くの字」の完成です。「くの字」に引き延ばされた腸腰筋は伸縮反射で縮もうとします。後ろに伸びた大腿骨が腸腰筋のバネ効果で前に戻ってくるのです。
この伸縮反射を利用すれば、楽にハサミを前にひらくことができます。自然と大腿骨が前に戻って来るので、その勢いを利用して大きなストライドが確保できるというわけです。
ランニングの呼吸。腹圧をかける走法
ここではマラソンの呼吸法、呼吸トレーニングについて書いています。基本的に肺というのはただの袋です。呼吸筋(横隔膜や腹横筋など)によって肺袋を伸縮、拡張させて、ふいごのように空気を袋から吐き出したり、吸ったりしているのだと考えてください。呼吸のトレーニングは「肺そのもの」を鍛えるというよりは、呼吸筋を鍛えるつもりでやったほうが効果があがります。結果として肺そのものを鍛えることも可能ですが、意識的に鍛えるのは難しいのです。肺が鍛えられれば、肺胞の毛細血管が発達してガス交換の効率があがり、呼吸が楽になります。しかし「おれ、肺の毛細血管を鍛えてるなあ」とは感じられません。それよりも呼吸筋を鍛える意識でトレーニングした方がいいでしょう。なぜなら呼吸筋は自分の意識で動かすことができるからです。苦しいときには呼吸筋によって意識的に大きな呼吸ができます。しかしどれほど頑張っても化学的な肺の換気効率を上げることはできません。だから「肺などはただの換気袋」ぐらいに思っていた方がいいでしょう。
呼吸がとまれば動きはとまる。
ランニングは球技の複雑さとは比較にならないほど単調な運動です。そして単純だからこそ研究し甲斐があります。なぜなら単純だからこそわずかな工夫が大きく効いてくるからです。わずかな差が大きな結果になってあらわれるのがマラソンという競技です。
たとえばテニスだったらサーブの時の筋肉の動きと、後ろに下がりながらロビング打ちする時の筋肉の使い方はぜんぜん違います。しかしランニングは単調なピストン運動で、走るためのフィジカル・システムが非常に分かりやすく、型にはめることが可能です。
走るスピードが限界に達した時、みなさんは体のどこが限界となりますか? すべてが同時に限界を迎えることはまずないと思います。どこか最も弱い箇所が、あなたの上限を決めているはずです。最弱点を鍛えるのがレベルアップの戦略になります。
私の場合は「肺」でした。まっさきに息が苦しくなって走り続けられなくなりました。肺の限界がスピードの限界でした。呼吸を止めれば人間は動きが止まります。ランニングにおいて呼吸は最重要課題です。走り続けるためには呼吸こそが根本の力なのです。わずかな工夫が大きな違いとなる以上、一回の呼吸でわずかでもいいから効率的に酸素呼吸をしたいと私は考えました。その工夫の結果が「腹圧をかける走法」です。
腹圧をかけて吐く息よりも吸う息を重視する
マラソンの呼吸に関して、たいていの本には「吸う息よりも吐く息を意識する」と書いてあります。ヨガも同様で、吸う息よりも、吐く息を重視しています。まずは肺の中の空気を吐き切れ、というわけです。ヨガのように体をねじる運動の場合は、肺を空にした方が、体をねじりやすくなる道理があります。肺がパンパンでは体をひねれません。しかしマラソンの場合はどうでしょうか。本当に吐き切ることを意識した方がいいのでしょうか。
私はそうは思いません。本書では、吐く息よりも吸う息に意識を集中します。それが「腹圧をかける走法」です。
肺の中の空気を吐き切ることを重視する人の理屈はこうです。「肺の中の空気を吐き切ってしまえば、しぼんだ肺が元の大きさに戻るときに空気を自動的に吸い込んでくれるから、吐くのを意識した方が効率がいい」なるほどもっともらしく聞こえますが、それは逆だって同じことです。「肺の中を空気でパンパンにして腹圧をかければ、膨らみきった肺が元の大きさに縮むときに自動的に中の空気を吐きだすから、深呼吸して大きく空気を吸い込むことを意識する」
肺を最大化して下腹部に圧をかけた状態のことを「腹圧をかける」といいます。腹圧をかけるということは、横隔膜を下に押し下げることです。つまり吸う息を重視します。酸素は腹の底の底、肺の下、横隔膜のところで換気します。いわゆる深呼吸をするのです。
そもそも息をするのは、酸素を吸うためです。吐くことよりも、吸うことに意識をおくほうが自然な発想です。肺の中に残っている空気(残気量)は、どうせゼロにはできないのです。吐き切るという努力は、動かない壁を押すような無駄な努力です。そこに力を割くべきではありません。持ち上がらないバーベルを無理やり持ち上げようと喘ぐと、余計に息が苦しくなってしまいます。楽に息するのとは真逆のことです。
それよりも思いっきり吸うことです。そのための走法が腹圧をかける走法です。肺を絞って痩せた人のように走るのではなく、腹はたるんたるんと力を抜いてだらしなく腹が太った人のように走ります。そもそも重力は下向きなのだから、横隔膜を下げることは理にかなったことです。それに対して、吐き切ることを意識すると、重力に逆らって横隔膜を持ち上げながら肺を絞らなければなりません。どちらが楽にできると思いますか?
肺まわりの筋肉をつかって肺の中の空気を絞り出すことはけっこうな重労働です。その重労働で呼吸はさらに荒くなってしまうのです。そのわりにあまり効果がありません。
腹の底から力が湧いてくる走法
肺は「袋」です。「ふいご」のようなものです。肺というのはアコーディオンのように換気しています。肺はそれ自体で空気を吸ったり吐いたりしているのではなく、「袋」を取り囲む周囲の筋肉を動かすことで、気圧差によって空気を押し出したり吸い込んだりしているのです。最大に呼吸するためには「肺」はパンパンに膨らませて使うべきです。「肺」は歪めたり、潰して使うと、最大酸素摂取力が発揮できません。
肺をパンパンにして使うために、腹圧をかけて横隔膜を下に下げます。肺を下から支える膜のような横隔膜は、トランポリンのような構造になっています。横隔膜が上がると肺の空気は押し出され、横隔膜が下がると肺に空気が入ってきます。横隔膜を下げてトランポリンを深く沈み込ませた状態のことを「腹圧をかける」といいます。内臓をおさめた腹腔に圧がかかっている状態です。
呼吸というのは酸素を取り込んだ赤血球が全身に巡ることで完結します。私たちが意図的にできることは、酸素(空気)と赤血球(血)ができるだけ触れるようにしてあげることだけです。深呼吸をすれば、肺を縮めて痩せた人のように走るよりも、太った人のように肺を大きく使うほうが、たくさんの酸素が赤血球に触れるのです。
もしもあなたがランニングで吐く息を意識して苦しかったら、逆に吸う息を意識して横隔膜を押し下げて「腹圧をかける走法」を試してみてください。
腹圧をかけると、腹の底から力が湧いてくるのを感じるでしょう。腹の底から酸素を取り込んで、腹の底からパワーを振り絞るのです。腹圧をかける走法は、腹の底から走るパワーを生み出す走法なのです。
「痩せた人」ではなく「腹の出ている人」のように走る
マラソン大会などで、たくさんの観衆に見られていると、つい格好つけてしまいますよね? 応援されると、本当はばてているのに、ちっともそんなことないような元気なふりをしてみたり。よくわかります。わたしもそうでした。
レース中にライバルを抜き去るときも同じです。本当は呼吸が乱れているのに、すこしも苦しくないようなふりをして、静かに呼吸をして余裕な顔して抜いたりとか……わたしもそうでした。ランナーはみんなカッコマンですね。
カッコつけたがりのランナーは、走っているとき「太った人」ではなく「痩せた人」のように見られたいものですから、ぎゅっとお腹をしぼって走ったりします。すると腰がグッと高くなって、しばらく調子よく走れます。もしかしてこのままお腹をしぼって走った方が速く走れるんじゃないかしら? そんなふうにさえ考えます。
しかし残念ながら、これは幻想です。しばらく調子よく走れますが、やがて反動がきます。痩せた人のように見せるということは、腹筋などをつかって内臓を無理に絞りあげているのです。無理は長続きしません。やがてそのフォームは維持できなくなります。
また肺をしぼることで痩せた人のように見せかけているので肺を目いっぱい使っていません。やがて酸素負債におちいり、呼吸が荒くなります。
たしかにマラソンは痩せた人の方が速い。これは真実です。なぜならランニングは宙に浮いて距離を稼ぐ競技なので、重力に逆らうからです。体重が軽い方が宙に浮くときに有利です。だから周囲から「マラソンが速い人」に見られたかったら、できるだけ痩せたシルエットで魅せたほうがいいことは確かです。そのために市民ランナーは、「にわかに痩せた人」のように腹をひっこめて走ろうとしがちなのです。周囲の目を気にして「痩せた人」のように格好つけて走るのは、レース全体から見るとパフォーマンスを下げます。痩せている人のように腹はへこませない方がいいのです。
そもそも本番レースではカーボローディングによっていつもより体が重たくなっているはずです。つまり「太った人」のような状態で本番レースは走っています。そうなのにカーボローディング前の「痩せた人」のイメージで格好つけて腹をへこませると、よけいに呼吸が苦しくなってしまいます。
本番レースで、腹をひっこめて走るのは間違いです。痩せるのはレース前までにすませて、本番レースではむしろ横隔膜を大きく下げて「お腹が出ている人」のように走ることをおすすめします。これが「腹圧をかける走法」です。
肩をいからせて走る人も間違っています。肩をあげて走ると腹の皮膚が吊り上げられてしまいます。横隔膜を大きく動かして腹式呼吸するためには、腹の皮膚はゆったりとしていたほうがいいのです。そのためには肩をさげて走ったほうがいいのです。その状態でなければ大きく腹圧をかけることができません。
また「ハサミは両方に開かれる走法」で大腿骨を大きく前に振り出して走るためには、腹をゆるめることが必要です。腹をきつく締めたままでは大腿骨はダイナミックに前に振り出せません。つまり「腹が固くひっこんでいる人」ではなく「腹が緩く出ている人」のように走るのが正解ということです。痩せた人ではなく、太った人であるかのように走った方が、市民ランナーのパフォーマンスは上がるのです。
「背が高い人」ではなく「背が低い人」意識で走る
腹圧をかける走法で走ると「背が高い人」意識ではなく「背が低い人」意識で走ることになります。理由は同じです。背が高い人意識で走ると、肺が細長くのびてしまいます。この状態では横隔膜の深いところで深呼吸できません。背が低い人意識で走れば肺が下がり、腹の底から呼吸できるようになります。内臓を吊り上げる筋肉がゆるんで、ゆとりが生じるためです。これが「腹圧をかける走法」です。
背すじを伸ばすための筋肉というのがあります。ぐっと背伸びをするための筋肉です。それを背伸びをするためにつかうのはもったいない。緩めればよじって推進力に利用することができます。
見た目は「痩せた人」「背の高い人」の方が速そうに見えます。だからつい「痩せた人」「背の高い人」のように格好つけてしまうのが市民ランナーですが、マラソン大会レース本番でそれをするのはやめましょう。それらは肺をしぼりあげることであり、やがて苦しくなって足がとまってしまいます。ベストパフォーマンスが発揮できるフォームではありません。むしろ腹圧をかけて「太った人」「背の低い人」であるかのように走る方が正解です。
「背が高い人のように走る」のは、動的バランス走法には有効です。体の後ろ側の筋肉をつかって地面を押して走る走法の場合は「背が高い人のように走る」方がいいでしょう。しかし「後ろに蹴るのではなく、膝を前に出す走法」(ハサミは両方に開かれる走法)の場合は、腹圧をかけて「背が低い人のように走る」方がいいのです。なぜかというと、大腿四頭筋というのは、脚の筋肉ですが実はお腹とつながっています。腸腰筋はお腹の筋肉ですが実は大腿骨とつながっています。このように膝を持ち上げる筋肉はお腹と繋がっています。つまり「背が高い人」のように腰を伸ばして走ると腹側から筋肉が吊りあがるため膝を持ち上げる筋肉にゆとり・余裕がなくなります。すると余裕がないぶん膝を遠く前に出せなくなります。「背の低い人」のように走れば、腰を伸ばさない分だけ膝を持ち上げる筋肉に余裕ができます。その分だけ膝を遠く前に出すことができるのです。
本書では、動的バランス走法ではなく、ハサミは両方に開かれる走法を第一フォームとして推奨しています。アスファルトを蹴りつけてケンカを売るよりも、空気に膝蹴りしたほうが返ってくるダメージがすくないからです。
大腿骨を大きく前に振り出して走るためには、腹をゆるめることが必要です。腹をきつく締めたままでは大腿骨はダイナミックに前に振り出せません。
つまり「腹がひっこんでいる人」ではなく「腹が出ている人」のように走るのが正解ということです。痩せた人ではなく、太った人であるかのように走った方が、ランニングのパフォーマンスは上がるのです。
いずれにしても「フォームを維持することに力を使いすぎてしまう状態」にならないように気をつけてください。武道ではよく「自然体」といいますが、カタをつくることに必要以上に意識を向けないということです。格好つけたくなる気持ちはよくわかります。でも本当の格好良さは自分史上最高の「ベスト・バージョン・オブ・自分」なのだと信じて、太った人であるかのようにゴールまで走り切ってください。
短距離勝負なのではなく長距離勝負
もしも呼吸が苦しくならないのだとしたら「痩せた人」「背の高い人」のように走った方が速く走れるでしょう。しかしマラソンは短距離走ではなくて長距離走です。いくら速くても息が苦しくてやがて足が止まってしまうのだったら意味がありません。そのために腹圧をかける走法があります。
別のスポーツを見てみましょう。たとえばボクシング。ボクシングでボディーブローが横隔膜に決まると、打たれた側は「ウッ」となって瞬間、呼吸が止まり、苦しそうにあえいでいます。
肺というガス交換袋は、呼吸筋によってふいごのようにガス換気しているわけですが、このように横隔膜のスムーズな動きは、外からの衝撃によって阻害されます。実はランニングも同じことです。着地の衝撃・振動が横隔膜に直接響くと、スムーズに呼吸できなくなります。
「痩せた人」「背の高い人」のように走ることは、脊柱と肺を薄くぴったりくっつけるようなものなので脊柱が受け持つ着地の衝撃から逃れられません。だから速く走れる半面、呼吸が続かないのです。本来、重力で下に下がるはずの肺や臓器が重力に逆らうためには、何か固いものにくっつけて持ち上げるしかありません。それが脊柱です。だから脊柱が受け持っている着地の衝撃、振動から逃げられないのです。
それに対して「腹圧をかける走法」は、脊柱と横隔膜をできるだけ切り離そうとする走法です。腹腔に圧力をかけて、腹腔が横隔膜を下から支えるような「腹圧をかける走法」ならば、脊柱が受け持つ着地の衝撃、振動から逃げることができます。着地の衝撃、振動はバネ構造がある脊柱に受けてもらい、骨格筋の運動とは別に独立して換気だけの仕事を肺に集中してもらえるのです。ボディーブローを食らったかのような衝撃・振動から呼吸筋を切り離すことができれば、呼吸が苦しくなりません。
腹圧をかける走法のためには、ランナーのお腹はガチガチに硬いシックスパックよりも、大きく膨らむ風船のような柔らかいお腹の方がいいのです。お腹が前に膨らむほど、下から突き上げる衝撃から逃げられます。
腹圧をかける走法は、重心が低くなるためスピードがすこし犠牲になりますが、呼吸が苦しくない分、長い距離を走ることに向いています。マラソンは長距離を走るのですから、スピードを犠牲にしてでも、呼吸が荒く乱れないことが重要です。そのためには腹をしめて臓器をぐっと持ち上げる最速のフォームを捨てても、着地衝撃によって呼吸が苦しくなることを防ぐ「腹圧をかける走法」を習得しましょう。
楽に呼吸をするためには着地の衝撃は骨盤(腰椎)で受け止めて、横隔膜に上下振動が及ばないように切り離すと、楽な呼吸で長距離を走ることができるでしょう。
また、スッスッ、ハッハッと繰り返す二歩一呼吸のリズム呼吸は間違った古い教え方です。リズムにこだわっていると、却って呼吸を荒くします。ランニングの呼吸は「したいときにする」のが正解です。足のピッチのリズムと呼吸を合わせる必要はありません。呼吸筋はゆったりと大きく動かします。自分のリズムで呼吸するのが正解です。力んで走ると酸素換気がうまくいかなくなります。走るフォームと同様に、マラソンの呼吸術でも、ベストフォームに執着しないことが大事です。
市民ランナーはベストフォームにしがみつくよりも、ベストフォームが維持できなくなってからでも走り続けることができるノウハウを持っている方が、結局、はやくゴールすることができます。フォームも呼吸も、崩れてからが勝負です。崩れてから、持ち直す技術が大事なのです。
ランニングの奥義「最高の走り方は、自分の肉体に聞け」
「ボールを遠くに飛ばすにはどうすればいいんですか?」と、ゴルフ映画を撮っていたタレントの武田鉄矢さんが、プロゴルファーの中嶋常幸さんに聞いたそうです。するとしばらく考えた後「そりゃあ……遠くに飛ばそうと思ってスイングすることだよ」という答えが返ってきたそうです。
禅の公案のようなこの言葉の深みがあなたにわかるでしょうか。これは「速く走りたければ、速く走ろうと思って走ることだ」と言ってるのと同じことです。頭であれこれ考えるよりも、肉体が成し遂げてしまうのが本当のアスリートです。肉体言語に秀でていれば、言葉で説明なんかする必要はないのです。
中嶋常幸さんの言葉の深みがあなたにもわかりますか? 100m走のような短距離を最高に速く走ろうと思ったら、もう死ぬ気で速く走るしかありません。「動的バランス走法」とか「アトムのジェット走法」とかいってる場合じゃありません。そんなことを考えているヒマがあったら死ぬ気で走ることです。速く走ろうと思って走ることです。速く走ろうという気持ちに、肉体が応える。それがあなたの答えです。
この境地のことを本書では「ランニングの奥義。あなたの最高の走り方はあなたの肉体に聞け」と呼んでいます。あなたの肉体はあなたよりも走る天分があるのです。
肉体が成し遂げた最高のパフォーマンス時の状態をあとで観察すれば、腰が高い位置にあったし、脊柱がヤジロベエのように直立・中立していたのです。最高のパフォーマンスの後から言葉ができたのです。技術や理論が先ではありません。
「そんなことはない。コーチの言葉で私のパフォーマンスは上がった」と言う人がいるかもしれません。しかしそのコーチはきっと自分の最高のパフォーマンスを言葉にして後輩のあなたに伝えているのです。あくまでも理論よりも肉体が先です。
あなたの肉体は、あなたの理論よりも、ずっとかしこいのです。最高のパフォーマンスをしている肉体にかける言葉はほとんどありません。あなたの肉体は、あなたのもっている運動理論よりもずっとかしこいのです。言葉をかけるとすれば「速く走れ。もっと速く、もっともっと速く走れ」と気持ちを鼓舞する言葉しかありません。ほらね。「そりゃあ……遠くに飛ばそうと思ってスイングすることだよ」 というプロゴルファーの言葉と全く同じではありませんか。
「百足(ムカデ)にそんなにたくさんの足をいっぺんにどうやって動かしているんだと聞いたら、百足は考えすぎて前に進めなくなってしまった」という逸話があります。複雑で瞬間の肉体の動きに言葉が介在する余地はほとんどありません。速く走りたければ速く走りたい気持ちになることだ、という言葉を発した人の境地が、私にはわかる気がします。
肉体のパフォーマンスを言葉でサポートするのがコーチの仕事です。言葉がイメージを伝えれば、パフォーマンスを再現することを助けてくれるからです。そのとき使う言葉がコーチングのセンスになるのです。指導のときに使う言葉がコーチの優劣を分けます。言葉のセンスがなければ、一流のコーチにはなれません。しかしコーチの言葉は人によってバラバラなので、戸惑う人もいるでしょう。あなたに合うコーチと合わないコーチがいます。実際、私のランニングを成長させてくれたのは「スーパーアスリートの言葉」ではありませんでした。「はじめは遅かったけれど知恵と工夫で速くなったサブスリーランナーの言葉」でした。
あなたにとって本書がそのようなものでありますことを祈っています。
あなたの肉体は、あなたよりも、走る天分がある
究極の走り方は、あなたの肉体が知っています。あなたがいちばん速く走れる方法は、あなたの肉体がいちばん知っているのです。だから理想のランニングフォームを追求するのならば、自らの肉体に問いかけて、自ら答えを導き出さなければなりません。
たとえば「大きく腕を振って走るフォームは正解か?」という問いがあります。超一流ランナーでもほとんど腕を振らずに走るランナーがいます。でもランニングコーチはたいてい大きく腕を振れと言います。果たしてどちらが正しいランニング理論でしょうか。
そういうときは、あなたの肉体に聞きます。あなたの答えは、あなたの肉体にしか答えられません。あなたが一番早く走れる方法は、実はあなたの肉体が一番知っているのです。
腕を振ることで「あなた」が調子よく走れるなら腕を振ればいいのです。逆に腕を振らない方が楽に走れる場面では腕を振らなくたっていいのです。瞬間瞬間でフォームは変わったっていいのです。それが「答えはあなたの肉体に聞け」という意味です。
こういうことは、ずっとカリスマコーチの言うことに従って走ってきた陸上部出身のエリートランナーには言えないことです。カリスマコーチというのは究極の走り方を追求する存在なので、おのれの理想のフォームを教えようとするからです。あなたが顎を上げて腕を振らない方が楽だと感じていても、コーチは「顎を引いて腕を振れ」と指導してきます。強制されたフォームを長年やっていると、やがて自由に走ることがわからなくなるのです。指導者に従いすぎると、自分で自分の身体に問うことを忘れてしまいます。
アスリート自身もまた究極の走りを追求する存在です。だからある部位が疲れきった時の第二フォーム、第三フォームを「フォームが崩れた」といって否定してしまうのです。
しかし市民ランナーが自己ベストを目指す場合、たとえマラソン後半でさえ、全身くまなく一律に疲労しているということはありえません。足を引っ張っているのは「ある特定の部位」だけで、その部位に負荷をかけない第二フォーム、第三フォームは持っていた方が結果がよくなります。究極の走り方を追求しているエリートは、なかなかこういう発想にはなりにくいようですが、これこそが究極の走り方ではないでしょうか。
これが「マラソンの極意。複数のフォームを使いまわす」です。このフォームを切り替えるタイミングはランナー本人にしかわかりません。だから「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」というのです。
ランニングは自由なものです。むりやり肉体に命令するのではなく、リラックスして肉体に「まかせる」。
自分のフォームが理想のフォームになっているかチェックしまくりながら走るのは最悪です。肉体との会話はたくさんのことを気づかせてくれますが、それは練習・トレーニング中だけにとどめておきます。本番レースで肉体とあまり会話しすぎるのはよくありません。肉体に命令するのではなく、リラックスして「まかせる」のです。天才なのは、あなたではなく、あなたの肉体だということを忘れてはなりません。
「ヤジロベエ走法」を意識しているときに、「動的バランス走法」の方が身体が楽だったら、無理やり「ヤジロベエ走法」に固執して矯正してはいけません。からだが要求することを素直に聞いてあげましょう。
ただし体は「休もう」とも要求しますので、その要求だけは断固しりぞけます。心のエネルギーはそこに集中させましょう。
あなたよりも、あなたの肉体のほうが賢いのです。心臓ひとつ、あなたは自分の意志で動かせないではありませんか。
ランニングフォーム矯正方法(二種のトレーニング意識革命)
走り方を自分の肉体に聴く方法を紹介します。筋トレランニングと決別し、自分のフォームを矯正する方法ですが、二つあります。
- 脱力ランニング=楽に、軽くだけを意識する。
- スピードランニング=スピードを出すことだけに集中する。
脱力ランニングかスピードランニングで練習を繰り返せば自然とあなたのフォームは矯正されていきます。肉体は天才です。あなたの意識よりも、あなたの肉体のほうがランニングの天分をもっています。ですからランニングフォームは、天分をもつ肉体にまかせることで矯正しましょう。
そのためには、筋肉をつかっていないことに意識を向けた脱力ランニングを心がけます。楽に、軽く、筋肉に負荷がかからないように意識して走ることで、勝手に肉体がランニングフォームを最適化してくれます。どこかに過剰に負荷のかかるフォームはいいフォームではないからです。ひっかかりのないフォームがいいフォームだと考えてください。
また、スピードを出すことだけに集中するのも有効な方法です。スピードというのは究極の達成目標です。陸上の常識を外れたどんなおかしなフォームでも、結果が出ればそれが正解なのです。だから「スピードを出すことだけに集中する」というのはゴールへ最短の練習法です。
フォームの改善は、この二種類のトレーニング意識革命で、肉体にまかせてしまえばうまく改善するでしょう。あなた以上に走る天分がある肉体に、フォームの矯正はまかせてしまいましょう。
スピード練習。スピードプレイ
スピード持久力を鍛えるにはふたつの方法があります。
1.レースペースで長時間走る。本番の動きを体に教え込む。
2.レースペースより速い走りを通じて、レースペースが余裕があると感じるぐらいまでスピードマンになる。
どちらもおすすめのトレーニングですが、どちらのトレーニングが楽しいかと聞かれたら、圧倒的に2.のほうではないかと思います。
オオカミ・ランニングのすすめ
オオカミランニングとは、のんびりとジョギング、LSDをしていた日でも、他の市民ランナーに抜かれた刹那、突如オオカミのように豹変し(?)、抜いたランナーに食らいつき最後には抜き返すという餓狼のような練習法です。スピードにフォームを学ぶ練習法のひとつです。
オオカミが獲物をしとめるように、抜いたランナーを追いかけて抜き返すまで食らいつくというスピード練習法です。獲物のランナーをペースランナーにして無理やりスピードをあげましょう。このオオカミランニングはあなたの走力を劇的に向上させてくれます。
あなたは抜かれるだけの存在ではありません。あなたにも抜く権利があるのです。きっぱりとお返しをしてやりましょう。抜いた以上、抜かれることもあると、きっぱりと教えてやりましょう。
オオカミ・ランニングを続けていると、勝ちぐせがついてきます。すくなくとも負けたまま何のお返しもしない負け犬根性とは決別することができます。オオカミは負け犬ではありません。抜かれて終わりという敗北の運命を認めようとせず、餓狼の精神で、獲物を追いかける本番練習法。それがオオカミランニングです。
ラビット走。ママチャリを追い抜け
英語圏ではマラソンのペースメーカーのことをラビットと呼ぶことがあります。肉食動物がウサギを追いかけるように、先行するペースメーカーを追いかけて、追いついて、仕留める。そんな情景をイメージしているのでしょうか。
スピードは外的要因に触発されて湧いて出るものです。心の内側ばかり見つめていても、そこからスピードは湧いてきません。速く走る方法が知りたければ、速く走ってみればいいのです。そのときあなたの身体がおのずとそれを教えてくれます。
さてわたしたちシリアス市民ランナーにとってのラビットとは何でしょうか? 実力のあるランナーなら、普段のトレーニングではいっそママチャリをラビットにしてみてはいかがでしょうか? 私は実際これをやっていました。
先行するママチャリを追いかけて、追いついて、抜き去る! この行為はいわば遊びです。スピードプレイ。競争することを楽しむのです。
ママチャリを追いかけて必死に走っている時、あなたの心は少年に戻り、子供がただひたすらにこの世界に生まれたことを楽しむかのように、野原を走り回っているかのように遊んでいるのです。
おばさんが乗っているママチャリは、サブスリーランナーのライバルにふさわしい存在です。速すぎず、遅すぎず、ちょうどいい速さでランナーを牽引してくれます。ロードバイクやクロスバイクではダメです。相手が速すぎて勝負になりません。ラビットにふさわしいのはあくまでもシティサイクル。ママチャリです。
自転車を追いかけて必死に走ると、スイッチが入ったかのように自分の走りが切り替わるのがわかるでしょう。走るということがどういうことなのか、あなたにもわかるはずです。これが「答えに教わる」ということの本質です。スピードを出す方法はスピードに教わればいいのです。
自分の走りに、自分自身が教わるのです。自分の肉体に、教えてもらうのです。
ヘルメスの靴。足についている宙に浮くための二種類のバネ
ギリシア神話には、ヘルメスという伝令の神様がいます。ヘルメスは羽根つきの靴を履いていて空を自由に飛び回ることができます。
ヘルメスの靴ほどではありませんが、人間の足にも二種類の空に浮くためのバネが備えつけられています。足底アーチのバネと、アキレス腱のバネです。人間の足に備わったこの天性の装置のことを、私は「ヘルメスの靴」と呼んでいます。神からあたえられたこの二つのバネを使って、宙に跳ね上がりましょう。
ヘルメスの靴その一。足裏のバネ
チンパンジーは偏平足だそうです。足の裏がべたっと真っ平らになっているのです。
それにくらべて人間の足には「土踏まず」があり、真っ平らにはなっていません。そこには「足底筋」が発達していて、アーチが形成されています。この足底筋のついたアーチこそが押すと跳ね返ってくるバネなのです。一歩ごとに神があたえた「ヘルメスの靴」で宙に跳ね上がることができる人類と、足の裏にバネがないチンパンジーでは、長距離走では雲泥の差がでます。
この足底のバネを利用しない手はありません。足底筋は、伸びると縮もうとします。上からぐっと踏み込むことで、ピョーンとはずむ力を得ることができるのです。これを利用してポンポン弾むように走ることができます。ヘルメスの靴を利用するというのはこのような意味です。
ヘルメスの靴その二。アキレス腱のバネ
アキレス腱もまた足にあるバネのひとつです。アキレス腱も伸ばすとバネのように伸縮反射するので、この「ヘルメスの靴」を利用して足を地面から弾くことができます。
着地の衝撃を吸収するためにもこの二つのバネは有効です。
前足部(フォアフット)から着地すると、足底筋とアキレス腱が伸ばされながら着地の衝撃を吸収してくれます。あたかもスキーやスノーボードのジャンプ選手が板の一部を先に着地させて衝撃を逃がしているように、踵が沈み込む一瞬の間に、膝にかかる衝撃を足底アーチやアキレス腱が受けとめてくれるのです。
そして着地した瞬間、伸びた足底筋とアキレス腱がバネの力を発揮するのと同時に、その反発力で下腿を持ち上げればいいのです。
足底筋とアキレス腱、あなたの足には二つのバネがついています。神から授かった伝説の道具「ヘルメスの靴」のようなものです。ヘルメスの靴を発揮するには足首は固定しましょう。やわらかい足首だと地面からの反力をグニャリと吸収してしまい、せっかくのバネがきかせられません。
マンガに学ぶ実走。竜巻走法
ひと昔前のギャグマンガでは、すごく速く走る人の脚は竜巻みたいに回転していました。上半身は普通に描かれているのに、下半身はクルクルと渦が回っていました。車輪のように脚を回転させることを、竜巻のように描いて、目にもとまらぬ速さで走っていることをマンガ家は表現して見せたわけです。そして私達はこの絵を見て「ああ、これはすごく速く走っているんだな」と認識します。いわば竜巻走法です。
漫画家が描いたこの絵はとてもよく「走るということの特徴」を捉えている側面があります。さすが観察眼が鋭いですね。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回す」で、ストライド走法からピッチ走法に切り替えたときに、リズムが崩れて戸惑いをおぼえることがあります。そのとき足をクルクル車輪のように回転させるイメージでピッチ走法に切り替えると、切り替えがスムーズにいくことがあります。脚を回転させるイメージをもつことでジャンプの意識を消すことができるからです。この竜巻走法では、膝を中心にクルクル回すように走ります。スムーズに膝を自転車のペダルのように回転させることを意識することで、ピッチが上がります。
「マンガのようにクルクルと足を回す」というのはあくまでも入力意識の問題で、物理的な動きとは別ですが、「マンガに学ぶ実走」はあなたのピッチをリズムよく回してくれるきっかけ(入力ワード)になってくれることでしょう。
ひたひた忍者走法
「ひたひた忍者走法」とは、投げ石が水面を切って低く飛ぶように、超低空飛行でひたひたと走る走法です。「ぬき足、さし足、しのび足」の走法です。忍者が音を立てないように走るように、足音を立てないように走ります。足音を立てないようにすることは、ランニングの着地衝撃をできるだけ受けないようにすることと同じです。まずそれにはとにかく足を高く上げないことです。「ひたひた忍者走法」とは大きなストライドで滞空する「ハサミは両方に開かれる・ヤジロベエ走法」とは真逆のピッチ走法です。
踵からガーンとヒールストライク着地せずに、つま先からそっと着地します。低空飛行という意識が大切です。「ひたひた忍者走法」は、着地筋のダメージを最小限に抑えるために存在します。スピードはピッチで稼ぐのです。
「ひたひた忍者走法」は前にジャンプして「飛び続ける」というよりは、「豪速ピッチで上半身の浮遊を支え続ける」走法になります。ハチドリがホバリングしているように、すばやい足の運びで浮遊して、重心の移動で前に進みます。
お尻や背中の筋肉を使って大きなジャンプをしないので、省エネで足を前に運ぶことができます。つま先を下にした足を低空飛行、地面スレスレに低く運びます。そしてつま先から着地します。まるでひたひたと音も立てずに敵に迫る忍者のように走るから「ひたひた忍者走法」と呼んでいます。膝を柔らかく使います。
「ひたひた忍者走法」は、マラソン向きの走法です。ただし豪速のピッチは疲れますから、自分の体調をよく観察しながら、疲れたらまた大きなストライド走法に切り替えて走りましょう。マラソンの極意は複数のフォームを使い回すことにあります。
言葉の力。「ランナーが走るときの意識」と「結果としてのフォーム」は違う
写真からランニングフォームを学ぼうとする人が多いので注意喚起したいと思います。写真からフォームを学ぶのはお勧めできません。写真というのは瞬間を切り取ったものなので、間違った解釈をする可能性があるからです。
「振り上げた脚」(往路)なのか「戻ってきた脚」(復路)なのか、写真ではわかりません。大地を蹴ったように見えている脚が本当に大地を蹴っているのか、大地を蹴ったように見えているだけなのか、写真からはよくわからないからです。
写真で振り上げた膝の高さを見て「ふむふむ、膝はここまで上げるのか」と思い込んでマネするのもよくありません。慣性の法則で結果として脚がそこまで上がっているだけで、実際のランナーの意識としてはそこまで上げようとしていないかもしれません。「結果としてのフォーム」と「ランナー本人の走るときのフォーム意識(入力ワード)」は、必ずしも同じではないのです。勢いで上がっている膝の高さと、アスリートが意識している膝の高さは同じではありません。それを「結果」のところまで意識して膝を上げようとするのは間違ったフォームの入力意識です。「その手前までの意識」なのに「結果のラインまで膝を高く上げようと意識」することは違います。
たとえば本書の「アトムのジェット走法」は、下腿を水平になるまで持ち上げるだけで楽に速く走れるようになるというものです。でも実際にエリートランナーを見ると、踵がお尻に着くぐらいにもっと折りたたんでいたりします。でもこれも「結果としてのフォーム」と「ランナー本人の走るときの意識」は、必ずしも同じではない、ということでしょう。鞭がしなるように惰性で下腿がお尻の方まで折れ曲がっているだけで、ランナー本人の意識として、そこまで曲げようと思っているわけではありません。
もうひとつ。たとえば「肘を後ろに引け」というのは、肘を引くこと自体に効果があると思ってはなりません。これも「ランナーが走るときの意識」と「結果としてのフォーム」が思わぬところに反映するいい例です。肘を後ろに引くのは、別の「結果としてのフォーム」を求めてのことです。肘を後ろに引くと、反動で上体を起こす効果があります。「動的バランス走法」で、前傾姿勢の状態を維持するには肘を後ろに引くことが有効です。肘を引く反動で上体は起き上がろうとして動的バランスが吊りあうのです。
「ヤジロベエ走法」でも、太ももを振り上げる反動に対抗してヤジロベエが吊りあうためには肘を引く反動が有効です。肘を引くからこそヤジロベエは吊りあうのです。
このように求める結果と入力ワードが直接結びついていないことがあります。これが言葉の力です。言葉という入力ワードで、結果としてのフォームをつくりだすことができるのです。
本書の新理論。言葉による走法革命とは、走っている時の入力ワードを変えるだけで速く走れるようになるというものです。言葉の力で速く走れるようになる、という本書の特徴がわかっていただけたでしょうか?
とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど、言葉による走法革命のやり方は効果的です。
ランニングは歯車が噛み合って回る機械のようなもの
この本では、ピッチ走法ではなくストライド走法、ヒールストライク着地ではなくフォアフット着地を基本的には推奨しています。基本的に、と断りを入れているのは「複数のフォームを使いこなす」というのが本書の核のひとつなので、ベストなフォームはその時々で違ってくるからです。
それよりも一番重要なことは「フォアフットで着地する」ということそのものよりも、実は「フォアフットで着地するためには、前に振った脚を戻してきて、重心直下にすこし膝を曲げて着地しないと難しい」というところにあります。
ランニングというのは歯車がかみ合って回る機械のようなものです。フォアフット着地という意識(歯車)が、重心直下にすこし膝を曲げて着地するという走り方(フォーム)を知らないうちに回してくれるのです。
機械を回すきっかけは、「アトムのジェット走法」でも「踵落としを効果的に決める走法」でも「ヘルメスの靴」でも構いません。要は、ひとつひとつのテクニックは、単体で独立したものではなく、次の動作へと流れるように繋がっていくものなのです。一か所の歯車が強く回り始めると、その勢いですべてが勢いよく回っていくのです。
自分の言葉をさがせ。究極の表現とは「あなた」自身が見つけるもの
たとえば「ヤジロベエ走法」のことを、かつて私は「天秤走法」と呼んでいました。しかし走り方を人に伝えるときに、天秤よりもヤジロベエと表現した方がわかりやすいだろうと思って呼称を変更したのです。表現は変わりましたが、求める境地は同じものです。
この本を読んでいる「あなた」は、どちらの表現でもいいので、もっとも自分がインスピレーションを感じた「イメージを伝える言葉」を意識して練習すればいいのです。
そしてこれが一番大切なことですが、最高の表現は「あなた」自身が見つけることです。あなたの経験に裏打ちされた、あなたの表現ほど、あなたにとってふさわしい言葉は他にありません。それが「自分の言葉」です。走りながら、他人の表現ではなく、ぜひ「自分の言葉」を探してみてください。
本書の筆者である私が、まず言葉で「ある境地」を表現しました。しかし「境地」をあなたが再現するときに同じ言葉を使う必要はありません。その「境地」を表現する「自分の言葉」を探してください。
それがトレーニングというものです。あなたのトレーニングは「自分の言葉」を手に入れてようやく完結するのです。
マラソン大会メインレースの選び方
マラソンは暑すぎても寒すぎてもタイムは出ません。市民マラソン大会なんて年に何回だってあるじゃないかと思うかもしれませんが、自己ベストを出せる大会はけっして多くはないのです。
たとえばホノルルマラソンや北海道マラソンで自己ベストを出したという人は少数派でしょう。レースの場所や時期がベストパフォーマンスで走るには暑すぎるからです。暑いと体が機械でいうオーバーヒート現象になって、動きを止めようという脳からの指令が無意識に働きます。その結果パフォーマンスが鈍くなるのです。もしあなたの自己ベスト記録がホノルルマラソンや北海道マラソンだったら、他の大会に出ればもっといいタイムで走れるのではないかと思います。
あと数秒でいいからタイムを縮めようと本気で狙うなら、勝負レースはどこでもいいというわけにはいきません。「ベスト・バージョン・オブ・自分」を狙うなら、出走レースを真剣に選びましょう。とくに開催時期とレースの高低差は最低でも調べておくべきです。
車でドライブをすると「知らない道は遠く感じる」ことがありませんか。逆に「知っている道は近く感じる」と思います。心理上の錯覚にすぎないのですが、この効果はマラソン本番レースに利用できます。毎年同じマラソン大会に出場すれば、見慣れたコースは、近く感じるというわけです。
先がわからないコースだと、人間はいざという時のために、無意識にエネルギーをためておこうとします。脳のリミッターが発動してしまうのです。いざという時のために無意識に力を温存したセーブモードで走ろうとするのです。
知っているコースならば、もうこれ以上エネルギーをつかわなくてもいいゴールポイントがわかっています。すると安心して全エネルギーを使うことができるようになります。脳が安心してリミッターを外してくれるのです。
新しいコースの方が、冒険があって楽しいものです。しかしあと一歩でサブスリーを逃している方は、見慣れたコースの大会に出れば、タイムの短縮が見込まれます。この効果を利用しない手はありません。秒単位で自己ベストを更新するためには、毎年、同じ大会に出ることです。知っている道は近く感じる効果を利用するのです。
そもそも同じ時期の同じレースに出場しなければ、自分の走力がどれぐらい伸びたか、測りようがないではありませんか。
暑すぎると体がオーバーヒートしてマラソンは走れません。しかしその逆もあります。人の体は化学変化によって動いています。物質が活性化するためにはある程度の温度が必要です。筋肉を動かすことも化学反応の結果ですから、寒すぎると化学変化が促進されないためにパフォーマンスが落ちてしまうのです。いわゆる寒さで筋肉が萎縮した状態になります。
一般に、人がマラソンでベストパフォーマンスを発揮できるのは、12℃前後と言われています。体温の三分の一前後と覚えておくといいでしょう。勝負レースは、体温の三分の一ぐらいの気温の時期に、なるべくタイムの出やすいフラットなコースを選びましょう。コース次第で1~2分ぐらいは軽くタイムが変わってきます。
たくさんの市民マラソンレースがあります。自分にとってベストパフォーマンスが発揮できる大会を選んで、そこにフォーカスして全能力をぶつけていくことがゲームを面白くする魔法の粉になるでしょう。
集団の前に出ないレース戦略「マラソン・プロトン戦法」
マラソンのレース中には、自然と集団が形成されますよね? みなさんも経験があると思います。ありえないほどの大集団が来たと思ったら、サブスリーペースのバルーンをつけたペースランナーだったり、女子のトップ選手だったり、著名な芸能人だったり、「ある人」を核として大集団が形成されています。
マラソン・プロトン戦法とは、この集団を利用する戦略です。集団の先頭に出ない、集団を引かない、というレース戦略のことです。集団に「乗っていく」戦法のことをいいます。
競技自転車ロードバイクの世界ではこの集団のことをプロトンと呼んでいます。ロードバイクはスピードが速いため風の影響をモロに受けやすく、とりわけ先頭の選手はもっとも風の抵抗によって消耗させられます。集団の先頭に立っているのは「最後に勝てる選手」ではありません。単なる「風よけ」なのです。ロードバイクの世界では、時速30kmを超えると、懸命に脚をぶん回したパワーの約80%は空気抵抗との闘いに消耗されてしまうそうです。速く走るほど空気が壁のように感じられます。その空気抵抗を押しのけるために、前に進むパワーの約80%が消耗されてしまうのです。
マラソンランナーもこの空気抵抗の大きさを知っておいてもいいでしょう。そしてロードバイクのレースのように、集団の後ろについて、先行ランナーに風よけになってもらいましょう。
自転車ロードレースの場合、集団の後ろにいる選手は、前の選手が空気を切り裂いたスポットに吸い寄せられるようにして走ります。ドラフティングとかスリップストリームと呼ばれる競技自転車特有のテクニックです。先行選手を風よけに使うというわけです。そして空気抵抗の小さくなったスポットに自分の体をねじ込みます。この効果はびっくりするほどで、単独走行ではとうてい無理なペースで楽に走ることができます。空気抵抗との戦いにエネルギーを消耗しないぶん、推進力にパワーを割り振ることができるからです。
マラソンの場合、自転車ほど風の影響を受けませんが、それでも「数秒でも削りたい」というランナーは、このドラフティングの技術を利用するだけで、速く走ることができるでしょう。
また、心理的にも集団の先頭には立たない方がいいと思っています。先頭は視界がひらけるために、どこを見ていいのか視点を定めなければなりません。目が疲れます。目が疲れると脳が疲労します。脳が疲労すると走れなくなるのです。景色が変わらないと、走っても走っても前に進んでいるような気がしません。このペースでいいのかと不安がよぎります。もがき、力んでしまいます。ただついていけばいい後続者の方が心理的にずっと楽なのです。
さらに後ろから急かされている感覚があせりを生みます。ハアハアと荒い息を吐かれて後ろにピッタリとつかれることは「あおり運転」をされているような状態ですから、心理的にリラックスできません。その状態から抜け出そうと、後ろを引き剥がそうと無理をしてオーバーペースになりがちです。市民ランナーが集団の先頭に立つメリットは何ひとつありません。
自分でペースをつくるよりも他人に任せてしまった方が絶対的にラクチンです。そもそも「速さ」というのは相対的なものなのです。自分の集団が遅いと感じたら自ら先頭に飛び出すのではなく、後続集団が追い抜いていくタイミングで、そちらの集団に乗り換えましょう。まるで「電車を乗り換える」ように集団を乗り換えて、上手にレースを走り切ってみてください。それがもっとも効果的なレース戦略だったりします。集団の前に出ないレース戦略「マラソン・プロトン戦法」を駆使して、あなたも秒単位でタイムを削り、サブスリーを達成してください。
そしてゴールまで走りとおせると確信したら、ラストスパートをかけましょう。集団とはここでお別れです。たったひとりゴールに向けてロングスパートをかけるのです。その瞬間に、自分の力を、生きている実感を感じることができるでしょう。人のいのちは瞬間かがやく煌めきのようなものです。ゴール前の一瞬のきらめきのために、集団の後ろでじっと我慢する戦法、それがマラソン・プロトン戦法なのです。
ネガティブ・スプリットは市民ランナーの現実的な選択だろうか
ハーフマラソンのタイムを倍にすれば、単純にフルマラソンのタイムになるものでしょうか。普通はそういうわけにはいきません。マラソンは、30kmを過ぎてからは異次元の世界であり、膝が上がらなくなってきます。ストライドが維持できなくなり、スピードは落ちていきます。体が生命維持のための防御反応に入るため、守りのパフォーマンスしか発揮できなくなるためです。この状態で攻めのパフォーマンスを発揮するには、よほどの鍛錬が必要となってきます。
マラソンは後半の方が遅くなることが当たり前です。しかし世の中には「ネガティブ・スプリットを刻む」というあり得ない言葉があります。これはマラソンの前半のタイムよりも、後半のタイムの方が早いことをいいます。
テレビのマラソン中継を眺めていると、エリートランナーがネガティブ・スプリットを刻んでゴールすることを見る機会がよくあります。このようなネガティブスプリットの戦略を市民ランナーがとることは、果たして正解なのでしょうか?
私はネガティブ・スプリットは市民ランナーの現実的な選択ではない、前半貯金型こそがとるべき戦略だと考えています。
ネガティブ・スプリットはマジックです。そしてマジックのようにタネがあります。力のある人が、前半その力を温存しているというのが、そのタネ明かしです。タネがあるといってもそう簡単なことではありません。必要以上にゆっくり走るとかえって疲れてしまいますからね。やはりこのワザはマジックなのです。
私も何度かネガティブスプリットに挑戦してみたことがあります。ただネガティブスプリットを成功させるだけなら簡単です。前半めちゃくちゃゆっくり走ればいいんですから。後半は残り全力で走って。
ところで、私は何のためにこんなことをしているんでしょうか? ネガティブスプリットを刻むために走っているのでしたっけ? 違います。忘れてはいけません。目的は自己ベストを更新することです。ネガティブスプリットそれ自体が目的ではありません。ネガティブスプリットを刻んで自己ベスト更新というのは容易なワザではありません。
人間、ゲームのように残りのHP(ヒットポイント)が視覚化できるわけではありません。体力温存といったって感覚的なもので、温存しているつもりがいつのまにやら尽きていたということはいくらでもあります。プロだってネガティブスプリットで自己ベスト更新するのは簡単なことではありません。ほとんどの選手は後半落ちていきます。だから成功したら「すごい」のです。
テレビでプロのマラソンランナーがネガティブスプリットで軽々と自己ベスト更新しているのを見ると、市民ランナーは「自分もできる」と思いがちですが、普通は「まずできない」と思ってください。
自己ベストを更新するための市民ランナーの現実的な選択としては、前半すこし貯金をして、後半できるだけ緩やかに落ちていくように、最初から後半落ちることを想定してレースに臨むことをお勧めします。
前半の貯金なしに、ネガティブスプリットでサブスリーを達成することは市民レベルでは難しいことです。ネガティブスプリットというマジックを目指すよりも、現実的に前半貯金に励みましょう。イーブンペースは気持ちの問題にとどめるのが賢明です。
厚さは速さだ。ナイキの厚底ランニング・シューズ
「人間本来の走り方をすればランニングで故障する可能性は低くなる。厚いソールでヒールストライク着地する走法は故障を誘発しやすい」というランニング理論があります。なぜなら裸足で走ると、誰もが自然とそっと足を置くフォアフット着地になるからです。
これは名著『BORN TO RUN 走るために生まれた』から世界中に広まった走法革命の理論でした。その世界的ベストセラー『BORN TO RUN』で主役をつとめたのはララムリ族。薄っぺらなゼロドロップ・サンダルで走る「走る民族」が、アメリカのトレイルランニングの王者に走り勝ってしまった実績が、薄底シューズこそが正解という根拠となったのでした。
ここでの主役がララムリのサンダルだとすれば、作中で悪役だったのはナイキ(NIKE)です。ランナーを人間本来の走り方から遠ざけて、脚の故障を誘発する厚底シューズを量産する営利優先企業として、作中にナイキが実名で登場しているのです。そもそもフォアフット着地こそが人間本来の走り方であって、ヒールストライク着地になるのは厚底のランニングシューズのせいだ、というわけでした。
ランナーのバイブルの中で、完全に悪役にされてしまったナイキですが、そのまま黙ってはいませんでした。『BORN TO RUN』のような本が売れてみんなが裸足感覚の薄いフラットソールを真似するようになると、その反動からか、逆のものがでてきます。
最近では「厚底のシューズの方がマラソンを速く走れる」と言われるようになってきました。仕掛けたのはナイキです。キャッチコピーは「厚さは速さだ」。これは明らかに「誰か(何か)」を意識したキャッチコピーです。世界中が裸足感覚のゼロドロップシューズに注目する中で、厚底こそ速く走れると真っ向から勝負を挑んできたのです。
そして実際に、世界でも、日本でも、ナイキの厚底ランニングシューズで、記録が更新されました。ナイキの逆襲です。「厚さは、速さだ」が 誰に向けて発したメッセージかもう明らかでしょう。『BORN TO RUN』であそこまで悪役にされなかったら、こんなキャッチコピーは生まれなかったに違いありません。それどころか厚底にこだわりぬいた新しいランニングシューズそのものが誕生していなかったかもしれません。私はここにナイキの意地を感じます。
「記録を塗り替える魔法の厚底シューズ」は、別名ドーピング・シューズとも言われています。自分の力以外のものを走るために利用しているからです。秘密は、靴底に仕込まれたカーボンファイバー製のプレートにあります。靴底に仕込まれているカーボンプレートの反発力を宙に浮くためのバネに利用しているのです。素材が元に戻ろうとする力=すなわちバネ。それを推進力に利用できれば、速く走ることができる理屈です。人工的な「ヘルメスの靴」だといえるでしょう。
「そんなシューズを利用してもいいのか?」と、みなさん思いますか。もちろんいいのです。ランニングシューズのソールにプレートが入っているのは昔からあったことです。プレートによって着地の衝撃を吸収するという発想は昔からありました。靴底のプレートのしなりを推進力に変えるという発想も昔からあったのです。ナイキはプレートの素材を変えただけです。完全に企業努力の範疇だと思います。
魔法素材のプレートの反発力を走る力に変えるためには、斜め前方にブーストできるように装着する必要があります。そのときに斜度(高さ)が必要なのです。つまり靴底の厚みが必要になってくるわけです。だから 「厚さは、速さだ」となるのです。
「見たか、クリストファー・マクドゥーガル!」ナイキ技術陣は叫んだことでしょう。ナイキの意地なしにこの魔法のシューズは完成しなかったに違いありません。
ところで、靴底にバネがついていても、それだけでは速く走れません。発明家ドクター中松のジャンピングシューズ「ピョンピョン」(カングージャンプス)みたいに靴底にバネがついていても、それだけでは速くは走れません。連続してバネの反発力を利用するためには、踏み込むタイミングが重要です。タイミングがあわないと踏み込むときの地面に加える力をバネが吸収してしまうからです。ジャンプする瞬間にバネが効いてくれればいいのですが、タイミングが合わないと、まるっきり地面からの反力を得られなくなります。走るリズム(ピッチ)がカーボンの反発タイミングにあっていればいいのですが、そうでなければシューズのサポートは邪魔になるだけです。
厚底シューズを履きこなすには、プレートの反発するタイミングと走者のピッチがあっていることが重要なのです。プレートの反発リズムにあった一定のピッチでゴールまで走りとおすだけの脚力が必要になります。この魔法の靴(量産型)を履く人は、靴が人間にあわせるのではなく、人間が靴にあわせて走らなければなりません。
また「厚さは、速さだ」 というのは、踵着地(ヒールストライク)を推奨しているわけではありません。厚底なのはカーボンプレートの反り返り(バネ)を発生させて斜め前方へのジャンプを助けるためです。厚底でもなおフォアフット~ミッドフット着地できる走法が必要なのです。というよりも、靴底のプレートの反発力を利用しようとランナーが意識すればするほど、結果としてミッドフット走法になっていることでしょう。実はソールのプレートは走法改善のきっかけにすぎなかったかもしれないのです。プラシーボ効果のように。
『BORN TO RUN』で描かれたのは、薄底シューズだと「速く走れる」といっているわけではありませんでした。薄底の方が「故障しにくい」と書いてあるだけです。故障しなければ練習量が増えて速く走れるようになるという理屈でした。
厚底シューズと薄底シューズ、あなたならどちらを選びますか?
マラソンは何歳から始めても10年はタイムが縮む
マラソンは何歳から始めても10年はタイムが縮むという説があります。
すくなくとも私の周囲では普通にそう言われています。どんなレベルからはじめても10年はその人なりにタイムが縮むと言われているのです。たとえ40歳からはじめても50歳までは、50歳からはじめても60歳まではその人なりにタイムがよくなると言われているのです。
この説、聞いたことありますよね? わたし自身や走友会のメンバーなどを見回しても当たっていると思います。膝の寿命、興味・集中力の持続時間など、諸要素が絡み合いますが、おおむね真実ではないでしょうか。
しかしこれを誰がはじめに言い出したのかわからないのです。みんな同様のことを口にするのに、文章になっているのを見たことがありません。
最初に言ったのは誰なのでしょうか。すくなくとも私ではありません。私も走友の誰かから聞いたのです。その人も走友の誰かから聞いたのだそうです。つまり文章になっているのを見たことがないランナー秘伝の概念ということになります。
42.195kmもの距離を走るマラソンは、練習量がものをいう世界です。走ることへの慣れや、走法の工夫などでタイムを縮めることができるので、はじめてすぐは何歳から始めてもタイムがどんどん縮んでいくのです。
肉体が若返るということではありません。やればやるほど「走るという世界」に慣れて、どんどんタイムが縮むという意味です。それは何歳から始めても。15歳から走り始めても、40歳から走り始めても。未熟な初心者だった50歳の自分よりも、走り慣れた60歳の自分の方がしっかりとゴールまで走り切ることができるのです。そこにやりがいがあります。年配のランナーが多い理由のひとつは、こんなところにもあります。
走り慣れて、走るための筋肉がつく。心肺機能が改善される。着地の衝撃に脳が耐えられるようになる。こうしてやればやるほどタイムが伸びていくのが市民マラソンの世界です。
「マラソンは何歳から始めても10年はタイムが縮む」というのは、有名な説なのだと思っていました。しかしもしかしたら私のまわりだけで、知らない人も多いのかもしれません。走友会などに所属していないと、活字化されていないこの口伝の概念のことは、知らないかもしれません。そう思ったのでこれを書き残しておくことにしました。
誰もが口にするが、どこにも書いてあるのを見たことがないランナーの口承です。それをここに書き残しておこうと思います。
はじめてこの説を聞いた人は、この説を信じて、10年は自分の限界に挑戦し続けてください。この説が本当だということを、わが身で証明してください。私もそれを証明した一人です。
そう、たしかに本当でした。この身がそれを知っています。
マラソン。サブ・エガって何だ?
ネット上で公開している私のマラソンコラムは「マラソン」「サブ・エガ」「達成難易度」という検索ワードで訪問してくださる方が非常に多いということがわかりました。ところで「サブ・エガ」 って何でしょう? 自分のサイトを自分が知らない言葉で検索されて閲覧されているのは気味が悪いものです。
さっそくサブ・エガとは何なのか調べてみました。ちょっと調べてみたらすぐにわかりました。
エガというのはタレントの江頭2:50さんのことでした。サブ(sub)というのは「~の下」という意味の英語の接頭語です。subwayは道の下だから地下鉄、submarineは海の下だから潜水艦。マラソン・サブスリーは完走タイムが三時間を下回ることです。
サブ・エガというのはマラソンの完走タイムが2時間50分を下回ることを意味します。
「空気が読めない」ことを「KY」と言うように、どこかの市民ランナーが言い出した言葉なんでしょう。それがSNSを通じてあっという間に広まったのでしょう。なるほど一度聞いたら忘れませんね。江頭2:50さんのことを知っていれば、の話ですが。
サブ・エガ。これはなかなかすごいタイムです。ハーフマラソンのタイムが1時間25分を切らなければなりません。現実的にはハーフ1時間20分を切る力がないと、ゴールまでサブエガで戻ってくることは難しいでしょう。
達成のノウハウ、難易度について
私のランニングコラムを「サブ・エガ」で検索して閲覧してくださった人たちは、どうすれば2時間50分を切ることができるのか、そのノウハウを求めていることでしょう。しかし残念ですが、そんなものはありません。「サブスリー養成講座」の中で私はすべてを惜しみなく出し尽くしました。それ以上のものを私はもっていません。
私はサブ・エガを達成したことは一度もありません。サブ・エガを目指したこともありません。昔はそんな言葉はありませんでした。言葉がないということは、概念がないということです。概念がないのですから目標にすることさえありませんでした。
「なんだ。こいつはサブ・エガを一度も達成したことがないのか。じゃあ読む価値なしだな」と思われたのなら、大迫傑か高橋尚子の書いたブログでも読まれるといいでしょう。そこにあなたの走力を向上させる何かが見つかったら本当にラッキーでした。
しかし残念ながらサブエガを目指すような市民ランナーが、エリートランナーの練習日誌から新しく何かを学べることはほとんどありません。もしエリートランナーから何かを学べるのならば、エリートランナーは星の数ほどいますから、走るノウハウも星の数ほど学べるはずです。星の数ほど学べるのに、どうしてあなたはこれまでに星の数ほど学んでこなかったのですか?
いじわるはやめましょう。私には理由がわかっています。かつては私もエリートランナーの書いた本などを読み漁った人間だからわかるのです。どんなエリートランナーの著作やエッセイを読んでも、どこかで聞いたような「ありきたりのこと」しか書いてないからですよね? 星の数ほど学べるというのは幻想です。実際には新しいことはほとんど何も学べないのです。特別なノウハウなんてないからです。
サブスリーを狙うのも、サブエガを狙うのも、考え方は変わりません。本書では、戦闘フォームと巡航フォームがあることを説明しました。走り方には「ダメージ回避を最優先した走り」と「ダメージを無視した走り」があるのです。それらを組み合わせて走ることを本書では「マラソンの極意。複数のフォームを使い回す」と呼んで説明しています。
サブスリーランナーがサブエガランナーになるには、巡行フォームの時間を短くして、戦闘フォームの時間を長くする以外にはありません。「ヤジロベエ走法」や「アトムのジェット走法」をつかって「速い走り」を「持続する」以外に方法はないと思います。
サブ・エガを達成したことがない以上、サブ・エガを達成するためのノウハウは語れません。しかしひとつだけ語れることがあります。
サブエガは超人ではない。普通の人間に達成できること
初マラソンで私は4時間も切れない鈍足ランナーでした。その頃の私にとってサブスリーランナーというのは「この世の超人」でした。自分がそんな超人であるはずがないと思っていました。
しかし膝を故障しランナー引退を余儀なくされ、神のめぐみで再び走れるようになった時、ダメでもともと、高い目標を掲げて走ろうと決意したのです。達成できなくてもいい。やるだけやってみようとサブスリーに挑戦しようと思いました。その結果、私はサブスリーランナーになりました。
そして自分がサブスリーランナーになった今、サブスリーランナーのことを今では「そんなに超人じゃなかった。ただの普通の人間だ」と思っています。
ランニング雑誌の取材で、私はマラソン2時間30分を切る市民ランナーを多数、取材してきました。2時間30分切りですよ。サブ・エガどころじゃありません。女子の優勝ランナーと互角の勝負ができる超人たちです。
取材前、私は彼らを超人だと思っていました。でも取材してみると彼らは自分のことを超人だなんて思っていませんでした。「普通の人間」だと思っていたのです。私が自分を「普通の人間」だと思うように。
そんな体験から私に言えるのは「サブ・エガ」だって普通の人間が達成できることだ、ということです。フルマラソン2時間50分なんてけっして超人の領域ではありません。今はそうは思えなくても、達成すればわかります。
ゴールしたら倒れる覚悟でマラソンゴールに走りこんでいた私には「サブ・エガ」がどんなにたいへんなことかよくわかります。それを目指そうというあなたのスピリッツを尊敬しています。
普通のあなただって、きっと達成できる。私はそう信じています。
第二章 ウルトラマラソンの走り方
フルマラソン以上の距離を走る長距離レースのことをウルトラマラソンといいます。距離は100km、100マイルあるいはそれ以上であったりします。
そんな超長距離をどのような心構えで走ったらいいのでしょうか。第二章ではウルトラマラソンの走り方について述べていきます。
フルマラソンを一度も走ったことなしに、いきなりウルトラマラソンに挑戦する人はいないと思います。ですから本書では、あくまでもフルマラソンをベースに、ウルトラマラソンではどのように意識改革、走法改革をすればいいのかを語っていきます。ここでのウルトラマラソンとは基本的に100kmのアスファルト道路を想定していることをご了承ください。市民ランナーのグランドスラムを達成するには10時間以内に完走することが条件です。
100kmウルトラマラソンを朝5時にスタートして10時間後にゴールするとすれば、ゴールは午後3時です。日常で考えると、朝食と昼食を食べている時間を含めてずっと走り続けるということになります。
マラソンは、ゴールまでギリギリ走り通せるスピードで、スタミナを削りながらゴールを目指します。あくまでもスピードを出そうとするのがマラソンです。「こんなスピードでゴールまで持つだろうか」というギリギリのところを見極めながら走るのがマラソンです。それに対して10時間も走りつづけるウルトラマラソンでは、限界ギリギリまでスピードを上げるという局面は一度だって訪れません。スピードという要素は「ない」といっていいでしょう。持久力勝負なのがウルトラマラソンです。
たとえばディズニーランドのアトラクション待ちの行列に4時間ぐらいならなんとか並んでいられるかもしれませんが、10時間も並び続けるのはそれだけで無理だと心が折れてしまうのではありませんか? その時間をずっと走り続けるのがウルトラマラソンなのです。なかなかの難易度だとご理解いただけたでしょうか。
マラソンの場合、どれだけ走りに集中できるか、集中力が勝負です。それにくらべるとウルトラマラソンはまるで観光旅行のようです。スピードを出さない分、呼吸も乱れません。景色を眺めている余裕があります。100kmも走ると、いろいろな景色が目の前に現れます。大会運営サイドもそのことをよくわかっていて、風光明媚な場所をコースにしていることが多いようです。ゴールした時にはまるで旅をして戻ってきたかのように感じるかもしれません。競争というよりは旅。そう考えると一緒に走るランナーが同じ旅程を行く旅の仲間だと思えるようになります。
ウルトラマラソンではランナーどうしが挨拶をしたり会話をしながら走ったりします。「競争ではなく旅だ」とまずは意識改革することで、走っている時間が特別な時間に変わります。このゲームを楽しく走り切るためには、まずはマラソンとは「別の競技だと認識し、ゲームの目的を変える」という意識改革からはじめましょう。
足を高く上げない着地筋温存走法
マラソンの場合は、空中に浮いてスピードを出すことを考えます。しかしウルトラマラソンの場合はスピードなんか気にしないで、とにかく肉体にダメージをあたえないことを最重要視します。ジャンプして速く走ることよりも、着地衝撃による肉体ダメージの方がレース全体から見るとトータルでマイナスになる可能性が高いからです。
ウルトラマラソンではスピードよりも疲労しない走りをすることのほうが重要になってきます。「スクワット走法」をぜったいにやってはいけないのはウルトラマラソンでも同じです。なにも筋トレしながら走ることはありません。
腰高フォームで走ります。すると歩幅が小さくなってスピードが遅くなります。しかし「スクワット走法」を避けられれば着地筋を温存できるので、それだけ長く走り続けることができます。結果として早くゴールにたどり着くことができます。これが持久走の醍醐味です。スピードはピッチで稼ぎます。マラソンではストライド走法で走りますが、ウルトラマラソンではピッチ走法で走ります。
このようにウルトラマラソンでは瞬間瞬間のスピードが遅くなっても、なによりも筋肉をもたせることを最重要視します。ウルトラマラソンの走り方は「脚を高く上げない着地筋温存走法」を採用することが重要です。
わざと遅く走るな
いくら「着地筋を温存」するからといって、わざと遅く走ることはおすすめできません。肉体へのダメージを減らすために、わざと遅く走る選択はすべきではありません。なぜならわざとゆっくり走ろうとすると「ふくらはぎの筋肉」など末端の小さな筋肉をつかって小さな走りをしてしまうことになるからです。
ウルトラマラソンでも大きな体幹の筋肉を動かして走るべきです。大きな筋肉を動かすと必然的にある程度のスピードが出てしまいます。末端の筋肉で小さく走るよりも、いやでも速く走れてしまいます。これが「わざと遅く走るな」という意味です。
しかし着地の衝撃を感じるほど宙に浮いて走るのはスピードの出しすぎです。ウルトラマラソンでは後半、着地筋がへたって走れなくなってしまうのですから「着地筋の温存」を第一に考えてください。目安は荒い呼吸をしないことです。息がハアハアするというのは心拍数が上がっている証拠です。すこしスピードを落とした方が完走への近道です。
スピードを出さないため、足が攣るような緊急事態はあまり起こりません。むしろもう走りたくないとストライキをはじめる肉体や脳を、意志の力でねじ伏せようとする心のたたかいが展開されます。意志力がなければゴールできません。そこがウルトラマラソンの面白いところです。自分を励まし、勇気づけてあげましょう。
マラソンが野戦だとすれば、ウルトラマラソンは籠城戦のようなものです。マラソンは野戦のように一気に決着がつきますが、ウルトラマラソンは食料貯蔵庫が尽きるまでは勝負が尽きません。水が尽き、食料が尽きるまでは戦う。まるで自分の体をお城に見立ててセルフ兵糧攻めをしているようなものです。疲労は確実に来ますが、なだらかになだめることはできます。これはそういうゲームなんだとウルトラマラソンでは意識改革をしてください。
ベスト状態でないのが普通の状態
ウルトラマラソンの場合、瞬間瞬間の肉体ダメージをマラソンほど強烈に感じることはないと思います。むしろ「もう走れない」と思う脳へのダメージが大きいでしょう。脳が感じる疲労には「これを感じるために走っているんだ」とポジティブに意識改革するしかありません。「来た来た、この状態になるのを待っていたんだ。これが醍醐味だ」と脳の警報を迎え撃つぐらいに、心のありかたを切り替えましょう。
そもそもベストな状態でウルトラマラソンを走っている場面の方が珍しいのです。ウルトラマラソンでベストな状態でいられるのは、レース前半の数時間だけでしょう。半分以上は「ベストでない状態」で走ることになります。つまり「ベストでない状態」で走ることは、むしろレースの前提ではありませんか?
だったら「ベストな状態でなくなったからリタイアする」なんておかしなことです。ゲームの目的はもう変わっているのですから。
マラソンなら「ベストな状態でなくなったからリタイアする」のもアリかもしれません。しかしウルトラマラソンはそもそも「ベストでないのが普通」「体調が悪い者どうしの競演」「ベストでなくなってから、どう工夫してねばれるかというゲーム」だとレースの目的を変えてしまうのです。その意識改革があなたを完走させてくれるでしょう。
プルス・ウルトラ。心理的限界と生理的限界
ウルトラマラソンでは苦しい時間が必ずおとずれるでしょう。リタイアするか否か迷ってしまうようなギリギリの状態におちいるでしょう。それでも諦めてはいけません。これはもう走れない自分を走らせる、脳を騙すゲームだからです。
最初、あなたはウルトラマラソンを「走るゲーム」「野戦のように攻めるゲーム」だと思っていました。しかし本書によって「籠城戦のような守りのゲーム」なのだと意識改革されました。
ここではさらに意識を変革して「もう走れない自分を走らせる、自分の脳を騙すゲーム」だと頭を切り替えてみましょう。「自分の脳を騙して」ギリギリの走れない状態からなんとか立ち直れないか工夫してみましょう。
もう走れない、と考えているのは実際には脳です。実はまだ肉体は本当の限界をむかえてはいません。スポーツ科学ではこれを心理的限界、生理的限界と呼んで区別しています。心理的限界とは脳からの運動停止命令のことです。「もう無理!」と思う心といってもいいでしょう。肉体的、生理的に限界になる前に、必ず先に心理的限界が来ます。これは命を守るシステムだからです。生理的限界が先に来る設計だったら、バタバタ突然死してしまいます。生きのびるために心理的限界が先に来て、人はそこで運動を止めるように設計されているのです。
つまり「もう走れない状態」というのは、「肉体はまだ走れるのに、脳がもう走るなと命令を出している状態」ということです。ここでは、この脳を騙すことを考えてください。自分で自分を騙すのです。心理的限界をみずから押し上げてやるのです。本当は肉体はまだまだ走れるのです。
血糖値が低くなったり、体温や心拍数が上がったりすると、脳はあんがい簡単に「もう走れない」と信号を出してきます。それが心理的限界なのですが、即座にこれに従っていたら誰もがリタイアしてしまいます。まずはその命令は嘘だと見抜いてやりましょう。そして脳をおだてて騙すのです。長距離ランナーは多かれ少なかれこれをやっているのですが、ウルトラマラソンはそれが主目的のゲームだと意識改革しましょう。
たとえば、延髄を冷やすとシャキッと意識が覚醒します。もうこれ以上走れないと思っていても、冷たい水を延髄にぶっかけると、神経がシャキッとして走る気力がよみがえってきたりします。体温が下がったという都合のいい嘘の信号を延髄にあたえて、脳からの「もう走れない」信号を撤回させたわけです。
脳からのもう走れない信号を撤回させるゲームだと「ゲームの目的を変える意識改革」によって、完走できなかったウルトラマラソンが、再び走りだせるようになったりするのです。
レースウエア選びは最重要
マラソンでシリアスランナーだった人がウルトラマラソンをやると、同じ調子でとにかく軽量速攻を考えますが、ウルトラマラソンはどちらかといえば登山に近い別の種目だと考えてレースウェアは充実させるべきです。ウルトラマラソンでは、距離に負けるのではなく、気候に負けることが多々あるからです。
たとえばあまりにも寒いと人は走れません。寒すぎると、人間はすべてのエネルギーを生命維持のため体温維持に回して、運動エネルギーには変換しないそうです。もともとスピードを出さないため、自分で発熱して暖かくなることもあまり期待できません。寒さに震えながら10時間を過ごすのはあまりにも無理があります。「完走は無理」ではなく「この寒空にこの薄着でいることが無理」という状態になることもあります。暑くなりすぎたら脱げばいいのですから、レースが寒くなりそうならば、もう一枚防寒着を余計に準備しておきましょう。
ウルトラマラソンの場合、走力の差ではなく、装備の差で、おおきくレース結果が変わってくることがあります。
また、ウルトラマラソンのレースでは、暑すぎることもあります。その場合、暑熱順化しておくだけでもレースの成績が上がります。暑さになれていないと、ただ外にいるだけでも厳しいことになりかねません。暑さにはある程度慣れることができます。それもまたウルトラマラソン対策のひとつです。
才能とか体質とかではなく「慣れ」でいける
ウルトラマラソンに対する適応は100km10時間以内ぐらいだったら「慣れ」でいけてしまいます。才能なんか関係ありません。長距離の才能とかエネルギーの変換効率とか、そんな言葉に騙されてはいけません。すべては「慣れ」です。
長時間外にいることに慣れる。立った状態でいることに慣れる。長時間歩き続けることに慣れる。血糖値が下がっても動き続けることに慣れる。長時間走り続けることに慣れる。すべては慣れです。
「血糖値が下がってしまったから走れない」ではなく、血糖値が下がった状態でも走れるように体と心を慣らしてしまえばいいのです。
ばあちゃん走法(内股高速ピッチ走法)
ウルトラマラソンのゴール地点を見たことがありますか?
「前半速く走りすぎた」と失敗レースを悔しがっている男性スピードランナーの姿を、ウルトラマラソンのゴール地点ではいくらでも見ることができます。
ゴール手前では、もはや走れなくなった若い男性ランナーの横を、女性ランナーやお爺ちゃんランナーがマイペースで淡々と追い抜いていく姿がいくらでも見られます。
「ひょっとしてウルトラマラソンという種目は、女性や老人の方が強さを発揮する競技なのではないだろうか?」そんな気さえします。ウルトラマラソンの着順は、フルマラソンの成績順というわけではけっしてありません。
なぜこのようなことが起こるのでしょう。距離が長くなればなるほど、女性や高齢者が相対的に強さを発揮するのには何か秘密があるはずです。
ウルトラマラソンで大事なのはスピードではありません。いかにダメージを蓄積せずに走るかが大事なのです。スタミナ切れというよりは、ダメージの蓄積により走れなくなるのがウルトラマラソンです。ノーダメージ走法が女性や高齢者の強さの秘訣なのです。
ランニングでは、とりわけ着地筋と呼ばれる太ももの大腿四頭筋が、エキセントリック収縮をするために筋繊維が切れてダメージを負います。エキセントリック収縮とは、ふつう筋肉とは縮みながら力を発揮するものなのに、伸ばされながら力を発揮するという状態のことです。この時に筋繊維は切れやすい状態となっています。筋繊維へのダメージが限度を越えると脳から「もう走るな」という命令が発せられて足が止まってしまうのです。ウルトラマラソンでは着地の衝撃を軽減させるフォームを採用することが基本戦略となります。
バアちゃん走法。内股高速ピッチ走法
若い男性スピードランナーがお爺ちゃんランナーに負けるのは、スピードランナーはストライド走法に頼って、レース前半で着地筋がズタボロになって、脳からストップランニング信号が出たたためだと私は判断しました。それに比べてお爺ちゃんランナーが走りきれたのは「ピッチ走法」のノーダメージ走法のおかげだと考えました。
市民マラソン大会で、おじいちゃんランナーと並走するとびっくりすることがあります。ものすごいピッチ数でちょこまかちょこまかと走っているのです。並走しているわけですからスピードは変わらないわけです。こちらは大きなストライドでポーン、ポーンと進んでいるところを、二歩でも三歩でも四歩でも高速ピッチを刻んで並走してくるのです。加齢によりストライドが維持できなくなったためだと思いますが、おじいちゃんといえば「ピッチ走法」と相場が決まっています。
ウルトラマラソンを好成績で完走するためには、新走法を編み出す必要があります。具体的には「ストライド走法」を捨てて「ピッチ走法」にキッパリと切り替えます。着地の衝撃が着地筋にダメージをあたえるのですから、比較的宙に浮いていないピッチ走法が脚にやさしいことは明白です。
また、女性ランナーが淡々とゴールできるのには、あの「女性特有の内股走り」に何か秘訣があるに違いないと私は考えました。
理論は後回しにしてまずは実践してみましょう。具体的には、膝が骨盤直下を通り過ぎるように、すこし内股ぎみに通らせます。いわゆる女の子走りです。すると大腿骨の上に骨盤が乗って、ぐいっと背が高くなったかのように腰が高く持ち上がります。腰が落ちていてはこの内股走りはできません。ストライド走法にくらべてほんのすこし膝を内旋させる意識で、骨盤直下に膝をくぐらせると、脚に体重が乗った走り方になります。腰が落ちないというだけでスクワット走法を避けることができ、長く走り続けることができるようになるのです。
この二つの分析の結果、編み出したのが必殺「ばあちゃん走法」です。女性のように内股で、おじいちゃんのように細かくピッチを刻みます。「ネエちゃんの内股走法」と「ジイちゃんのピッチ走法」との組み合わせであるため、これを「バアちゃん走法」と命名しました。
「バアちゃん走法」とは内股高速ピッチ走法のことです。筋肉にダメージをあたえないことを最優先に、足を高く上げないように注意して、内股かつ高速のピッチ走法で走ります。
ゆっくり走るウルトラマラソンでの走り方は、動的バランスよりもむしろ静的バランスに近いものです。そのため二本の足ができるだけ大地に着いているように細かいピッチで体重を支えて、宙に浮いて距離を稼ぐのではなく、大腿骨の切りかえしで距離を稼ぎます。
骨盤直下にかかってくる体重を、フラミンゴのように一本足で支えるために、大腿骨がなるべくセンターを通るように内股で走ります。そうすることで大腿骨の上に骨盤が乗りやすく、内転筋を使って走ることができます。
「バアちゃん走法」は、フルマラソン完走を目指す初心者ランナーの、バテた後半の最後の切り札にも使えます。あなたの七色のフォームのひとつにこの「バアちゃん走法」も加えてください。疲れ切ったときに、もう大きなジャンプで飛んで走れなくなったときに、きっとあなたを救ってくれるでしょう。
デスクワークの上半身を活用する走法
これまで下半身の運び方についていろいろと考えてきました。ここでは上半身について考えてみましょう。自分にとってもっとも「楽」な上半身の姿勢はどんなカタチでしょうか。あるいはもっとも楽な呼吸ができるのはどんなカタチでしょうか。
オフィスワーカーのみなさんでしたら、ほとんどの人は一日中、パソコンを眺めて仕事をしているのではないかと思います。
人間、普段やっていることがもっとも楽にできます。日常生活の中で常時その筋肉を鍛えているのと同じことだからです。
そうです。パソコンを眺める上半身の位置、角度、肺の位置で走るのです。これが「デスクワークの上半身を活用する走法」です。
デスクワークの上半身を維持する筋肉は、日常生活の中で常時鍛えられていますから、もっとも長持ちするはずです。必ずしも最善のフォームではないかもしれませんが、持続できない理想のフォームに固執してもしかたがありません。一番大切なことはいい姿勢を維持することに固執しないことです。ベストポジションに固執するより、むしろ力を抜いたほうがいいのです。
都市生活を送っている現代人が、まるでプレーリードッグが遠くを見て警戒するように、背筋をまっすぐに伸ばして首を立てることは、日常ではあまりありません。普段やりなれていないことを長続きさせようというのは市民レベルのランナーには難しいことです。
ウルトラマラソンの後半で疲れ果てて、もうどうにもベストフォームが維持できなくなった時に、お尻が落ちた「ゾンビ走法」になるぐらいだったら、普段から使い慣れている「デスクワークの上半身を活用する走法」で走りを長持ちさせましょう。スピードは必要ないのだから、ゴールまでもってくれればそれでいいのです。市民ランナーのウルトラマラソンでは、いちばん楽なフォームが、いちばんベストなフォームです。
逆に、普段の生活から骨盤を立てた姿勢でデスクに向かうように心掛ければ、それがあなたの「デスクワークの上半身」になります。普段から正しい姿勢を心掛けることで、ランニングを長く走れるフォームを常時鍛えていることになるのです。スポーツというのは、普段からの姿勢が大切なのです。
第三章 富士登山競争の走り方
「富士山に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という言葉があります。日本一の山に一度も登らないのはバカだけれど、二度も登るのはバカだという意味です。
なぜなら富士山はけっして登って面白い山じゃないからです。登り一辺倒で単調ですし、火山岩が剥き出しのはげ山で、太陽から身を隠す場所もありません。川や滝があることもなく、湖もお花畑もありません。なによりも「富士山に登っているときには、富士山が見られません」。優美な稜線あってこその富士山だと思いますが、富士登山中、そんなものは見ることができません。足元のごつごつした火山岩ばかりを眺めることになります。
そんな「くだらない」富士登山を何度も面白く登る方法があります。それが「富士登山競争」です。富士登山競争の参加者は、登るばかりで下らない富士山をよろこんで何度も登っているランニング・ジャンキーです。これが集団競争の魅力です。つまらない「富士登山」も「富士登山競争」なら面白く登れます。一度、歩いて登ったら、次は「富士登山競争」で競争しながら楽しんで登ったらいいのではないかと思います。
本書のサブスリーフォームは富士登山競争には通用しない
ラグビー部の走りと陸上部の走りは違います。ラグビーはタックルされるのが前提であるため、ぐっと腰を落として足を踏みしめて走ります。サッカーも、横からチャージされますし、フェイントを入れて走ったり、瞬時にボールを蹴る動作に入るのが前提であることから、腰をぐっと落として走ります。しかし陸上選手は走るのを邪魔されることがない前提なので、前に進んでいないと倒れてしまう動的バランスで、骨盤を浮かせるようにして走ります。しかし富士登山競争では陸上選手のこの走り方は通用しません。
本書の【第一章 マラソン・サブスリー養成講座】で解説した「動的バランス走法」も「ヤジロベエ走法」も、富士登山競争には通用しません。傾斜や悪路がありますので、動的バランスはつくれませんし、ストライドも確保できません。本書の「マラソンを2時間台で走るための走り方」のほとんどは、壁のような富士山の傾斜に跳ね返されてしまうでしょう。
ではいったい日本一の山を、どのように攻略していけばいいのでしょうか。
富士登山競争は渋滞する。しかし渋滞をつくっているのは「あなた」かもしれません
富士登山競争は中盤以降、渋滞します。一般登山者もいますし、コースが狭い上につづら折りになっていて、一般ランナーはまず確実に渋滞に巻き込まれることになるでしょう。
「本当はもっと速く登れるのに、渋滞しているから行けない」という状態になるのです。抜きたくても抜けるコースがなくて抜けない、という場面が必ずやってきます。ここが攻略のキモになります。
自分より走力の劣った集団が前を塞いだ場合、それ以降はずっと「前に進めない」気持ちを抱えたままイライラしながらレースをすることになります。
このピンチを根本的に解消する方法がひとつあります。それはスタートダッシュをかけて、可能な限り前に出た状態で「狭い登山道」を迎えることです。自分よりも実力が上の人たちがコースを塞ぐはずがありませんから、もう渋滞に巻き込まれることはありません。
いいレース展開でしょうか? いいえ、今度はあなたが道を塞いでしまっているかもしれません。あなたが渋滞の原因になっているかもしれないのです。
スタート地点から浅間神社の先につづくアスファルト道は、レース中はランナーに視界が塞がれて気づきにくいのですが、かなりの坂道です。レース中盤以降の渋滞を避けようとして、前半に全力を出して人混みを抜ける戦略はよほど注意が必要です。あの坂を調子に乗って飛ばすと後半バテバテになりますよ。
スタートダッシュ戦略を採用した場合、全力を出し尽くして渋滞を抜けた後、もはやあなたには周囲についていく力が残っていません。渋滞には巻き込まれませんが、ズルズルと後退していくことになります。こうなるとレースなんかもう楽しめません。
富士登山競争のスタートではあまり先頭に並ばない方がいいと思います。先頭にはとてつもない実力者が並んでいますから。彼等についていってオーバーペースになるぐらいなら、ゆったりとした気持ちでマイペースでいきましょう。
渋滞に巻き込まれたくない気持ちはわかります。でも実力以上の場所にたどり着いたとしても、長くはもちません。ズルズルと落ちていくぐらいなら、実力相応のポジションで我慢したほうがいいと思います。
「自分がレースの邪魔をしている」状態にはなりたくないものです。アスファルトのマラソンだと、いくらでも抜けるスペースがあるために、自分が邪魔ものだとは認識しなくて済んでしまいますが、狭い登山道で周囲のペースについていけないというのは邪魔者以外のなにものでもありません。もはや競争どころではありません。レースを投げ出してしまいたくなるでしょう。
実力相応の場所でレースをすると、渋滞には巻き込まれます。しかし自分が渋滞の原因になってストレスを感じつづけるよりはずっとマシです。
先導者を見つけて、登山道脇から抜いていく
富士登山競争で渋滞から抜け出す方法を教えます。
富士山の登山道は比較的歩きやすい「登山道」と、ごつごつして歩きにくい「登山道脇」で構成されています。
「登山道」が渋滞していて抜けないのならば「登山道脇」から抜くしかありません。
この「登山道脇」を行くには、独特の登山センスが必要です。行けるところと、難しいところがあるからです。
富士登山競争に出走している人は「マラソン」の延長で出ている人が大半だと思いますが、なかには「登山」「トレイルランニング」の延長で出ている人がいます。この登山系の出走者こそ山に慣れて、山の道を知り尽くした、あなたの「先導者」です。
先導者はすぐに見つかります。着ている服装やシューズ、ザックなどから「マラソン系」か「登山系」かは、すぐにわかります。全身から立ちのぼる雰囲気がまるで違います。
この先導者が渋滞を抜けるために「登山道脇」を登り始めたら、チャンス到来です。彼の足跡をそのまま踏んで後ろにぴったりとついていきましょう。
登山道脇は登りにくいからこそ多くの人が敬遠するところです。簡単に踏破できる場所ではありません。いいルートがすぐに見つからないと足が止まってしまいます。そして顔を上げてルートを探すのにいちいち時間を使います。
登山道脇をうまく進むには、どこに足を置いたらいいか、いいルートはどこか、瞬時に判断しなければなりません。その瞬時の判断は「マラソン系」の人よりも「登山系」の人の方が優れています。長年の経験から合理的なルートを選択する目をもっているからです。
この「先導者」は登山系であるがゆえに、マラソン系の人ほど走るのは速くありません。だから前半のアスファルト勝負では負けてしまい、後ろの方にいます。むしろ登山道に入ってからが本当の勝負という人たちです。こういう人をはやく見つけてください。本来、目と脳がおこなうルートを見つけるという面倒な仕事はすべてその先導者にまかせてしまいましょう。あなたは足を動かして、体を上にもちあげることだけに集中します。「先導者」の踏み跡をそっくり踏襲することだけに集中します。
あなたの選んだ「先導者」が確かならば、制限時間内に山頂までけん引してくれるでしょう。登山道脇をつかって、渋滞する一団のランナーたちを脇から追い抜くのです。それが富士登山競争制限時間内完走のコツです。
第四章 市民ランナーという走り方
人生は関門突破ゲーム。壁は人生をおもしろくするためにある
ロールプレイングゲーム(RPG)は、主人公がひとつひとつ小さな経験値を積み重ねて、最強の敵(ラスボス)に挑むという人生の縮図のようなゲームです。市民マラソンの世界もひじょうに似ていると思います。ジョギングからはじめて、すこしづつ強度の高いトレーニングを積み重ねて「昨日の自分」に挑むというところが。最強の敵とは自己ベスト、すなわち自分自身です。
RPGでは簡単にラスボスを倒してしまうと、ゲームが記憶に残りません。関門をあっさりクリアしてしまうと、ゲームは面白いものにはならないのです。
これは実人生にも言えることではないでしょうか。手ごたえや達成感あってこそのRPG、人生ではないでしょうか。「すばらしい人生のために、難しい関門は存在する」そういってもいいかもしれません。
本書ではその関門をいちおう「市民ランナーのグランドスラム達成」に置いています。しかし本当のことをいえば、あなたにとって難しい関門であれば、その目標は何だっていいのです。
世の中には私よりもマラソンを速く走れる人はたくさんいます。しかしはじめから痩せている人は、どうダイエットすれば痩せるのか実はよくわかっていません。はじめから走るのが速い人は、どうすれば速く走れるようになるのかを厳密には語れません。「変化」を経験していないからです。ダイナミックな変化を語れるのは、やはり変化を実際に経験した者だけでしょう。
初マラソンであっさりサブスリーを達成しちゃうような人よりも、私は何かを知っているし、何かを詳細に語れると思っています。だからこそ本書には書く価値があると信じているのです。
関門突破に失敗することは「敗戦」です。けれど記憶に残って、たくさんの「感情」をくれました。敗戦が人生を深く味わいあるものにします。勝ってばかりじゃ面白くないと思いませんか?
「運命に導かれるような生き方」とは、挫折した時に、力まかせに元の場所に戻ろうとするのではなく、失意のその場所から新しい道を選んで生きることです。
逆風に流されて、別の道に迷い込んだら、逆境にあらがって元の道に戻ろうとするのではなく、その道をそのまま進んで、そこでしか見つけられない新しい何かを見つけることです。失意の場所でこれまでにはなかった何かを見つけること。今まで以上の歓びを探すことが、運命を生きることです。
人生というものは想像もつかないものです。災害に遭ったり、愛する人を失ったり、自分の意思だけではどうにもならないものです。そこで人生に失敗したと思うか、そこでこれまでとは違う新しい自分を再生して、違う何かをつかみとるか。
転んだ場所で何かを見つけたとき、ここに導かれていたのかと思う瞬間が来るのです。
この書物は、ランニングの素晴らしさを伝えて、ひとりでも多くの人が明日から走りはじめてくれるようにと書いています。ただ「グランドスラムを達成するためだけの本」だったとすれば、グランドスラムが達成できなかったら、その本は役に立たなかったということになります。本書が目指しているのは、そういう書物ではありません。
挫折や嘲笑をおそれて踏みとどまるのではなく、挫折さえも運命になると信じて、勇気をもって新しい世界に踏み出していくこと。それが「走ることが私に教えてくれたこと」でした。
走れなくなったら、立ち止まって、その場所でまた新しい何かを探せばいい。この書物はそのようにして生まれました。
走り続けることの本当の意味は、人生をこのように生きることなのではないかと思います。輝いて人生を生きる人は、誰もがランナーなのだと思うのです。
ゴールがあるからこそ走ることができる
剣術について書かれた書物はたくさんありますが、どんな剣技も機関銃の前では無力です。どんな剣技も、もはや戦場では役に立ちません。そういう時代に、ただ剣術のテクニックだけしか書いていない書物にどれほどの価値があるでしょう。剣術を追求する先に「人生に通じる何か」「心を鍛える何か」が何もなかったとするならば。
マラソンの本でも同じことです。オートバイよりも速く走れる人は誰もいません。走る技術だけを書いた書物は、剣技だけを解説した剣術書と同じです。そこに精神性があってはじめて修行の意味が生きてくるといえるでしょう。
「ゴールがあるからこそ走ることができる」それがマラソンが私に教えてくれたことでした。目の前の誰かに走り勝っても、自分自身に負けてしまうようなレースでは意味がありません。
自己最高のパフォーマンスをするためには、ゴールを見据えた自制が必要となってきます。ペースを自制するのはゴールがあるからです。ゴールがなければ、自制はただ手を抜いているのと変わりありません。ベストバージョンの自分でゴールする気持ちがないならば、自制はただ手を抜いているのと同じです。全力を出し切るためには、ゴールが必要なのです。
ひるがえって人生はどうでしょうか? あなたの人生にゴールはありますか? あなたはマラソンに熱中するほど真剣に人生に取り組んでいるでしょうか?
ほとんどの市民ランナーは、リアルな人生に、マラソンほどの熱狂を感じられないのではないかと思います。私もそうでした。リアルな人生が、マラソンほど熱中できないのは、ゴールが見えないことが一因ではないでしょうか。
ゴールが見えないから勝敗がはっきりしないし、興奮することもできないのではないでしょうか。ゴールが見えないから「その日暮らし」の生き方になってしまうのではないでしょうか。ゴールがなければ、自制はただ手を抜いているのと同じなのです。
そして突然訪れる「死」にうろたえてしまうのだと思います。
このリアルな人生が、いつ、どの場所で、どのようにして終わるのかわかっていれば、それがゴールになるのですが、それは誰にもわかりません。
だからこそ自分でゴールをつくる必要があるのです。
マラソンがそうであったように、人生もゴールを決めることが重要です。ゴールがなければ走れません。ゴールがなければ戦略の立てようがありません。イーブンペースの魔法はゴールがあってこそ発揮できるものです。あなたの人生にゴールは決まっていますか?
ゴールがなければ、努力の成果を検証しようがありません。成功したか、失敗したか、そもそもゲームが成立しません。
ゴールのない人生に、私たちは耐えられません。そして人生のゴールは自分でつくるものなのです。
原始的な快楽は、文化的な快楽に勝る
膝を故障していたのにハーフマラソン大会に出たことがありました。とにかくレースには出たのですが、スタートからゴールまで歩き通しました。途中でゴールまで歩くのが嫌になりました。走れば充実感、満足感を味わえるマラソン大会が、歩くと嫌になってしまうのはどうしてなのでしょうか。
私たちは脊椎動物です。原始的な脊椎動物は、脊椎と口と腸と肛門しかないような姿をしていました。元来、脊椎動物が運動するということは、脊椎をクネクネと動かすことなのです。脊椎を揺らしながら移動するのが脊椎動物の本来の運動する姿です。
人間に最も近いといわれるチンパンジーはどうでしょうか? チンパンジーが楽しそうにしている時は、跳ねまわっているときではありませんか? 逆につまらなそうにしている時は、のっそりとしています。
遥か昔から、脊椎動物の本質的な生きているよろこびとは、脊椎をクネクネ動かして、背骨を揺らして世界を踊り跳ねることだったのです。
音楽を聴いたり映画を見たりするのは人間だけです。文化的な快楽も人間の快楽でしょう。しかし他のあらゆる脊椎動物に共通する原始的な快楽は、文化的な快楽に勝ります。
目や耳への神経刺激の受動的な快楽よりも、脊椎まわりの筋肉を大きく動かす運動刺激の能動的な快楽のほうが、生きているよろこびを全身で感じられるように脊椎動物は基本設計されているのです。
鳥が大空を舞うように、クジラが大海を泳ぐように、神からさずかった肉体でこの世界を駆けめぐることが生きがいです。神は、犬や猫にもこの世界を楽しむすべをあたえてくださいました。人間だって同じです。
そうはいっても肉体(バネ)がすべて
本書のメインコンテンツは「どうすれば速く効率的に走ることができるか」。言葉のイメージ喚起力で走行フォームを最適化して、同じ練習量でも速く効率的に走れるようになるというものです。世の中にマラソンの本はたくさんありますが、このようなコンセプトの本はこれまでになかったのではないでしょうか。
そうはいっても肉体(バネ)がすべて。
「身も蓋もない」ため、本書以外にこんなことを書いてある本はないでしょう。本を売るための戦略から外れていますし、人を努力から遠ざける言葉、人から希望を奪う言葉だからです。しかし書かざるをえません。それが「真理」だからです。
アスリートはどうして引退の時が来るのでしょうか。それは肉体が衰えるからです。肉体を突き動かしてきた「言葉のイメージ喚起力」が衰えたわけではありません。衰えたのは体のバネです。体のバネが弱くなると、ストライドが短くなります。その結果、昔と同じ速さで走れなくなるのです。
「マラソンは何歳から始めても10年はタイムが縮む」ということは、逆にいえば10年でタイムは伸びなくなるということです。
タイムが伸びたといっても、しょせんは長時間走るということに慣れただけです。長距離走の特別な才能が開花したわけではありません。青天井でタイムが伸びるわけがありません。膝には寿命があります。ランナー人生には賞味期限があるのです。「潜在的に出しうるタイムを出した」ところで頭打ちです。そのランナー人生の賞味期限が10年だと言われているのです。
テクニック不要。筋力がついたら、できなかったことが自然とできるようになった体験談
スポーツにおける筋肉の重要性について、ひとつのエピソードをご紹介します。
私の妻は学生時代に体操部の選手でした。体操部だった彼女は、最終的には鉄棒も得意になったのですが、体操はじめたての頃は「蹴上がり」ができなかったんだそうです。
蹴上がりというのは、ぶら下がった鉄棒から足を前に振り上げて、下がってきた勢いを利用して鉄棒の上にひょいと上がるという技です。
中学生になって、はじめて体操部に入った彼女は、体操部の顧問に筋トレばかりやらされたそうです。この顧問先生は体操経験者で指導実績がある先生だったのですが、体操のテクニックは一切教えることなく、最初はひたすら筋トレをやらせたそうです。
ランニングに比べると、体操ははるかに高度なテクニックが必要な運動ですが、これはいったいどういう意図だったのでしょうか?
さて、ここからが重要なエピソードです。
腕や腹筋が鍛えられてきたなあと実感し始めたころ、彼女が試しに蹴上がりをやってみたら、なんとあっさりできちゃったんだそうです。
何らのテクニックを教わったわけじゃないのに、筋肉がついたら、できなかったことが自然とできるようになっちゃった。
もちろん「蹴上がり」にはテクニックがあります。言葉のイメージ喚起力でそれを触発することも可能でしょう。しかしどういうタイミングでどういう筋肉の使い方をするかが分かっていても、足を振り上げる筋肉や、体を持ち上げる体幹力がなければどうすることもできません。
鉄棒の蹴上がりにおけるエピソードですが、サブスリーを狙うマラソンだって同じことです。
筋力さえつけば、走れなかった距離が走れるようになる。切れなかったタイムが切れるようになる。彼女の体操での経験は、そのことを教えてくれます。
齢をとると肉体はどうなるのか
齢をとると、筋力が失われていきます。筋力がついたら、できなかったことが自然とできるようになった体験と反対に、できたことがいつのまにかできなくなってしまいます。
齢をとると、筋肉が硬くなり体からバネが失われていきます。大きなストライドで走れなくなり、走るのが遅くなります。
筋肉は筋トレすればつけることができます。しかしいくら筋トレしても、バネは復活しません。多くのアスリートはバネを失って引退していくのです。
あなたは身体のバネを駆使して走っていますか? 現在、体のバネを最大限につかって走っていない人には、さらなる進化のチャンスがあります。本書の新メソッド、言葉のイメージ喚起力で走行フォームを最適化して、同じ練習量でも速く効率的に走れるようになるが、あなたのバネを刺激してストライドを大きく伸ばしてくれるでしょう。
市民ランナーに引退はないって本当か?
市民ランナーには引退はないといいいますが本当でしょうか。私はそんなことはないと思います。
「マラソンは何歳から始めても10年は(その人なりに)記録が伸びる」という説をご紹介しました。しかし逆にいえばそれは「10年以上経ったらなかなかもう記録は伸びていかない」という意味でもあります。膝には寿命があります。そして肉体にも。心の力にも寿命があるのではないでしょうか。魂にも老いや衰えがあると私は思っています。
もちろん自己ベストを更新することだけが走る目的ではありません。しかし去年の自分との競争、ライバルとの競争、その結果としての自己ベスト更新が強いモチベーションになっていたことは確かです。
引退がないのは最高の自分を追求しなかったランナーだけであり、限界を追求した者には、方向転換する時が必ず来ます。血尿がでるまで練習した市民ランナーには「引退」があるのです。
引退というと競技を完全にやめてしまうと捉えがちですがそうではありません。これはアスリートだって同じことです。実業団のランナーが引退を表明したときそれは「競技者としてやっていくことはやめる」と言っているだけで「もう二度と走ることはありません」と言っているわけではありません。
最近では元オリンピック選手が市民マラソン大会に一般枠で出場して優勝をさらっていくことも珍しい光景ではなくなりました。競技者として引退しても、むしろこれまで以上に生きる歓びや楽しさにフォーカスして走り続ける人だっています。
だからここでの引退とは「自分を限界まで追いつめて、他者と競争する世界からは身を引く」という意味です。
「市民ランナーに引退はないって本当でしょうか?」やっぱりわたしは引退はあると思っています。市民レベルのマラソンでは、もともと練習量が足りないから「老衰」を「練習量」で誤魔化せてしまいます。だから本当は肉体は老衰しているはずなのに、タイムがどんどんよくなっていくという現象が起こるのです。
だらしなかった体が引き締まってくるから「若返った」かのような錯覚を覚えます。これが「10年はタイムが伸びる」ことの正体です。
しかし「若返る」なんてことは夢なのです。タイムがよくなっていくのは、最初が遅すぎたからです。神の摂理を無視して若返ることなど誰にもできません。
オリンピッククラスのアスリートだと「老衰」を「練習量」で誤魔化すことができません。すでに限界まで練習しているし、競争相手も限界まで練習を積んでいるのです。人間のギリギリ、ピーク同士の頂点での勝負では、老衰は敗北、引退を意味します。
「これまでできたことができなくなった」「練習をどれだけやってもタイムが落ちていく」という現実を突きつけられて、アスリートは老衰を悟り、引退を決意するのです。
トップアスリートが引退を決意した平均年齢が、その競技での本当の意味でのピーク年齢だといっていいでしょう。肉体のピーク年齢は競技によってすこしづつ違います。たとえば体が軽くて柔軟性が大事な体操はピーク年齢はとても低いです。伝説のナディア・コマネチは14歳でした。
体操などにくらべて、マラソンのピーク年齢は高いです。14歳の子供がマラソンで金メダリストになるのは無理でしょう。筋力のピークだけでなく、心肺機能のピーク、そして精神力のピークが相まってマラソンランナーのピークは形成されます。マラソン競技のピーク年齢は三十歳前後ではないでしょうか。
わたしたち市民ランナーにとってトップアスリートの存在意義はいろいろありますが、引退もその一つだろうと思います。限界までつきつめた者にしかわからないことがあります。引退はそのひとつだといえるでしょう。その競技の肉体的な本当のピーク年齢を、トップ選手は引退によって教えてくれるのです。
さて、読者のみなさん。あなたはいったい何歳ですか? ピーク年齢から、どれぐらい遠いところにいるでしょうか?
もうすぐそこに引退の時は来ているはずです。人生は短い。別に走ることをやめてしまうという意味ではありません。いつか限界が来るから、そのことを忘れずに今シーズンを燃焼しろ、という意味です。
メメント・モリ。「死があるからこそ生が輝く」という知恵があります。限りある命だからこそ人は今という瞬間にすべてをかけることができる、という考え方です。もし永遠に若くいられるなら、去年と今年、来年の違いは何もなくなってしまいます。今年も来年も違いがないのなら、なんでこの瞬間がんばる必要があるでしょうか。永遠に老いないのならば、明日できることは今日しなくてもいいはずです。
しかし人は老い、やがては消滅します。この一瞬の輝きにすべてを賭けられるのは、この瞬間が人生のすべてだから。
「あれだけの練習はもう二度と出来ない」と胸を張って言えるほど練習した市民ランナーには「引退」の時が来ます。
人との比較ではなく、自分の限界を追求した。ベストバージョンの自分になれるように努力した。そういう市民ランナーにはきっと引退の時が来ます。
でもだからといって下を向くことはありません。自分の限界を追い求めた時間は、輝いていたでしょう。それは人生が輝いていたってことです。
人間はいつでも未完成です。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのです。「ベストバージョンの自分」を追い求めた旅路そのものが、あなたの人生なのです。
レースに出ないという走り方だってあります。
ミラノの早い朝、私はゴシック大聖堂まで走りました。ニューヨークの早い朝、セントラルパークを地元ランナーと笑顔で朝の挨拶をしながら走りました。バルセロナの朝のビーチで現地ランナーと競争になりサンダルで必死に走りました。ラスベガスの早朝、眠らないカジノホテルの中を走りました。伝説のアトランティスが沈んだとされるサントリーニ島の急斜面をトレイルランニングのように走りました。ルクソールの古都を、バリ島の森林を、ハワイの公園を、走りました。
タイムを競うのではなく、自分のピークに挑むのではなく、ただ楽しむためだけに私は走りました。最高でした。これからも私は走り続けるでしょう。レースとは別の場所で。たどり着かなくても、未完成でも、それが人生です。それでも走り続けようと思います。ひとりのランナーとして、そういう生き方をしたいと私は今、思っています。
失敗体験。敗北の体験を積み重ねると負のマインドセットになってしまう
アスリートと呼ばれるような人は、みんな成功体験をもっています。だからその体験を人に教えることができるのです。指導者として第二の人生を送ることができるのです。それは実績を残してきた成功の感触が身の内に残っているからなんですね。
ところが全盛期を過ぎた後も、試合に出続けて負け続けたらどうでしょうか。自分の持っているノウハウをいくら駆使しても、勝てないというマインドになってしまいます。肉体の衰えによって勝てなくなっているだけなのに、負ける体験を積み重ねると自分のハウツーに自信がなくなってしまいます。
これまでは自分のノウハウを駆使すれば勝てるというマインドだったものが、敗北の体験を積み重ねると、ノウハウを駆使しても勝てないじゃないかというマインドになってしまうのです。「負のマインドセット」そうわたしは呼んでいます。
ズルズルと負け続けると、その後の人生に響く
自分のノウハウを駆使しても勝てなかったという引退間際の記憶が鮮明すぎると、自分のノウハウに自信がなくなってしまいます。そうするとコーチになったり、人に教えたりすることができなくなります。自分のノウハウを疑いながら人に教えることはできません。
もちろん誰でも最後に一回は負けるわけです。どんなに優れたアスリートでも永遠に勝ち続けることはできません。また、負けを知らないのは本当の強さではないともいいます。負けてから踏んばって、もう一度挑戦して勝つのはすばらしい経験になります。しかし最後に一回や二回、負けるのはしょうがありません。それが勝負の世界というものです。
しかし引退の時期を伸ばしてダラダラと負け続けるのはよくありません。その後の人生に響くからです。
いくらやっても勝てないマインドになる前に、勝ったマインドのままに去った方がいいと考える。これがアスリートが引退して、二度と試合会場に戻ってこない理由のひとつでしょう。
〈コーチ論〉勝って実績を残してきた感触がこの身に残っているから人に教えることができる
将来、コーチや監督など、その業界の指導者としてやっていこうと考えているアスリートは、「勝てる」マインドを損なわないためにも、二度と勝負の場には戻ってこないのです。
市民ランナーの場合、もともと指導者になる可能性がなかったりしますので、自己ベストが更新できなくなっても、現役を続けることが多いようです。だから市民ランナーに引退はないと言われるんですね。
しかし私の場合は、マラソンの書籍を出版してやろうという気持ちをずっと持っていました。書物を出版するということは、一種の指導です。ある程度、上から目線でなければハウツー本なんて書けません。だから「自分のノウハウが通用しない」という負のマインドセットはしたくありませんでした。だから今も走り続けていますが、本気のレースには出ていません。何よりも最盛期の練習量をもはや維持できないというのが勝負しない最大の理由です。死ぬ気で走った思い出のレースに、ぶざまな練習量でのぞんで、ぶざまな結果を残したくないのです。記憶を上書きしたくありません。
おかげさまで出版したマラソン本(本書)はそこそこ売れています。お金を払ってでも私のノウハウを買ってくれる人がいるということです。こういう喜びを味わえる市民ランナーも少ないのではないでしょうか?
それは実績を残してきた感触がこの身に残っているからです。言葉のイメージ喚起する力でフォームを最適化して速く走れるようになった生き証人がこの本を書いていると広言できるからです。引退して、負のマインドセットになっていないからです。これがアスリートが引退して二度と試合会場に戻ってこない理由のひとつだったりします。
引退を考えている市民ランナーの方は、参考にしてください。
視覚障がい者の伴走ランナー・ガイドランナーのやり方・はじめ方
齢をとると筋肉のバネが衰えストライドが小さくなります。そして記録が伸びなくなって往年の自分に勝てなくなりアスリートは引退するのだと述べました。しかし市民ランナーが衰えを意識するようになるのは、フィジカル的な衰えよりもまず先に、去年の練習量を今年も維持することはもう無理だと感じるところから始まるケースが多いだろうと思います。
10年という賞味期限が切れて、去年の練習量が維持できなくなったら、自己ベスト更新はもちろん、去年の成績を維持することさえ難しくなります。それは走り続ける重要なモチベーションのひとつを喪失したということです。そこから先、どのようにモチベーションを維持するのか。その時、市民ランナーは大きな転換点をむかえます。
「若い人には負けて当然。でも同年代のライバルには負けない」と競争心は維持したまま、自分から他人に競争相手を変えるのもひとつの手です。マラソン大会には年代別順位を発表、表彰してくれる大会があります。そこで競い合うこともひとつの手です。
あるいは競争心は執着だと捨て去り、走ることそのものに喜びを見出す方法もあります。ただ走ることが好きな自分を見つめてレースとは距離を置いて走り続けるのもひとつのやり方でしょう。走ることそのものが心地よく瞑想のように感じられるとしたらレースに出なくても生涯走り続けることができます。走ることが生きがいになります。
アスファルトやトラックで勝てなくなったスピードランナーがトレイルランニングやウルトラマラソンなど別の種目にシフトするパターンも転身のひとつです。人間は持久力よりもスピードの方がはやく衰えます。ですからスピードが衰えても、持久力ならばまだライバルたちと対等に戦える可能性があります。実際にトレイルランニングやウルトラマラソンの最高実力者は、アスファルト上のスピード勝負に挫折して転向した人が多いのが事実です。マラソンではさほど芽が出なかったけれど100km走ったら優勝できちゃったという人がトレランやウルトラの世界のトップを走っているのです。「あなた」の適正もそちらの方にあるかもしれません。やってみなければわかりません。
いずれにしても、その時どんな変身をするかで「あなた」という存在がくっきりと浮き彫りになるでしょう。マラソン大会に出て自己ベストを目指すというステージを卒業した市民ランナーには、いろいろな転身が考えられます。
その一例として、ここでは「自分のためではなく、他人のために走る」という大変身を見てみたいと思います。具体的には障がい者の伴走ランナー(ガイドランナー)になるという方法をご紹介いたします。
障害のある人の伴走者、ガイドランナーとして走る
視覚障がい者をはじめとする障がいのあるランナーの伴走者、ガイドランナーとして走るという道を知っていますか。
障がい者ランナーの隣を走っているランナーを伴走者・ガイドランナーといいます。もちろん主役である障がい者ランナー以上の走力が要求されます。
ガイドランナーは全力で走るわけにはいきません。ある程度の走力の余裕が必要です。ガイドランナーはテザーというガイドロープでランナーとつながって走ります。テザーはキズナ(絆)という呼び方もされます。これでガイドするわけですが、自分勝手にロープを引っ張ればそれでいいというわけではありません。たとえば視覚障がい者ランナーには周囲の状況などを声で伝えなければなりませんし、水たまりなどを避ける場合には二人分迂回しなければなりません。そしてなによりも障がい者ランナーよりも先にゴールしてはなりません。先にゴールした場合、障がい者ランナーは失格となります。主役はあくまでも障がい者ランナーであり、伴走者は脇役に過ぎないのです。
しかしもはや自分の自己ベストは更新できなくても、横を走る「障がい者ランナー」はあなたの力をかりて自己ベスト更新ができるのです。彼らの喜びを自分の喜びとすることができれば、あなたは再び壁を乗り越えるという、自己ベストの感激を誰かと一緒にあじわうことができるのです。そしてそれをモチベーションに走り続けることができます。
ガイドランナーは、障がい者の特徴を知ることからはじまります。
たとえば視覚障がい者ランナーには先天的な人と、後天的な人がいます。周囲が見えなくなっておっかなびっくりなのは後天的な人で、先天的な人はそもそも光を感じたことがないから暗い世界をあまり恐れないのだと国際大会クラスのガイドランナーから聞きました。
闇をおそれる後天的なランナーはどうしても「そっくりかえったような走り」になることが多いそうです。何かにガツンと頭をぶつけたくありませんからね。マラソンで速く走るためには「動的バランス」を維持して顔から突っ込んでいく必要がありますが、目の見えない人にあなたは動的バランス走法を教えてあげることができるでしょうか?
伴走者は練習のときから「周囲が安全であること」を声で伝え、並走しながら主役のランナーを導びくのが仕事です。球技などと違い、もともとマラソンはそれほど目に頼った競技ではありません。だから走路の不安が払しょくされ、正しいフォームがイメージできれば、視覚障がい者ランナーは驚くほど速く走ることができるようになります。「あなた」を信頼することができれば、彼らは真の実力を発揮することができるのです。
伴走者は障がい者と一緒にメダルをもらうことができます。たとえば国際大会で障がい者が入賞すれば、伴走者もメダルがもらえます。障がい者がよろこび、自分もよろこぶ。よろこびは二倍になります。そのためには普段から一緒に練習して信頼されることが必要なのです。これはまたマラソンとは違った挑戦ではないでしょうか? やりがいのあることだと思います。
伴走者・ガイドランナーというのは、視覚障がい者に限ったことではありません。脳性まひなど、伴走者を必要としている障がい者の方は他にもたくさんいます。パラリンピックレベルから健康スポーツレベルまであなたの伴走を必要としている人がきっといます。
障がい者スポーツには、趣味、リハビリから、競技レベルまで、いろいろな段階があります。競技会では障がいのレベルによってクラス分けされています。伴走相手を選べば、全盛期の自分でなくても通用します。あなたのレベルに合わせた相手がいるはずです。
自己ベストを出せなくなった後の第二のランニング人生のモチベーションにこのような道を選択する市民ランナーもいます。
この奥深い世界を極めようと思ったら「パーソンスポーツ指導士」や「アスレティックインストラクター」などの資格を取ると、より障がい者によりそった伴走ができるようになるでしょう。しかし実は伴走者・ガイドランナーにとくに資格は必要ありません。伴走をやってみたい人はネット上で検索して、ブラインドマラソン・伴走練習会などに参加してみることからはじめてください。
一番大切なのはマッチングです。走力よりも、障がい者からの信頼を得られるか、安心して走れるように気づかいができるかなどの人間力が問われます。マラソンを完走する以上の大きな挑戦ではないでしょうか。
世界が美しく見える魔法。ランナーズ・ハイ
ランナーズハイは「苦痛をやわらげるためにモルヒネ状の物質が脳から分泌されて、いい気持になっている状態」と分析されています。走ると、苦しさをやわらげるために脳からモルヒネ状の物質が分泌されます。苦しさは最初のうちだけで、やがて慣れておさまります。しかしそれでも脳内モルヒネは分泌され続けるから、苦痛と快楽の均衡はやがて快楽一辺倒になります。これがランナーズハイといわれる状態です。
ランナーたちは、気持ちがいいから走っているのです。ときどきランナーはマゾヒストで苦痛を求めて修行しているように思っている人がいます。経験のない人のこのような発言には正直びっくりしてしまいます。ごほうびがなければ、誰も走りません。ごほうびとは、脳内モルヒネという快楽物質と、全身の血行が促進されることによる心身の覚醒に他なりません。
脳内モルヒネは副作用なしの自家製ドラッグです。副作用どころかむしろ健康にいいのです。麻薬をやると社会から怒られますが、走ると褒められますよ。ランニングがもたらす健康には社会の医療費を削減する効果があります。肥満解消になりますし、大金を払ってヤバい奴らに資金提供する必要もありません。走れば、無料で手に入ります。
脳内麻薬にハマると、ランニングがやめられなくなります。アヘン使用者がやがて薬物依存症になるように、私たちランナーは「ランニング依存症」になっているのかもしれません。
私は、走っているランナーを見かけると、カラダの奥がムズムズします。うらやましいのです。きっと身体が脳内モルヒネを渇望しているのでしょう。そのランナーが快感を感じているのがわかってしまうのです。自分も走りたくなってしまうのです。
この脳内モルヒネのとりこになった状態をランニング中毒といいます。走らないと気分が爽快にならないという人は、もう完全にランニング中毒にかかっています。
ランニング中毒になると、他の何をやっても気分が晴れません。走らないと何もやる気がしません。人生がつまらないと感じてしまいます。走らないと、生きている実感が感じられないのです。
走れば、世界がキラキラと美しく輝いて見えます。そして自分が「走るために生まれた」と感じるのです。
これまで走っていなかった非ランナーの人でも、これを聞けば自分も走ってみようと思ってくれるのではないでしょうか。快楽のランニングを体験してみたいと、新しいランナーが新たに走り出してくれることを私は期待しているのです。
走れば、世界が違って見えます。快楽のランニング、それは世界が美しく見える魔法です。
それが市民ランナーという走り方なのです。さあ一緒に走りましょう!
禅ランニング・瞑想ランニングのやり方
脳内モルヒネ・ホルモン幸福論
生理学者は生化学的な反応によって人は幸福や不幸、不安や安心を感じると主張します。豊かさや権力のような外的要因はきっかけに過ぎず、セロトニンやドーパミン、オキシトシンのような生化学物質(快楽物質)が脳内を駆け巡ることが幸福の状態だと定義しています。
私も生きる喜びは肉体を使うことでしか感じられないと思っています。ですからここに「肉体宣言」をしましょう。
【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそあります。身体をつかうことによって快楽物質が脳内に満たされるのが人間の幸福です。
人体はホルモンバランスです。快感は血流に乗って全身を駆け巡っているホルモンや脳内の電気信号に起因しています。
しかし過剰な脳内モルヒネもやがては落ち着きます。幸福感情にも恒常性(ホメオスタシス)がはたらくのです。幸福も不幸もやがては慣れて落ち着きます。
世界が美しく見える魔法も、長続きしません。一晩眠れば元に戻ってしまうのです。幸せな今を走るためには、毎日毎日、自分に魔法をかけなおす必要があるのです。日々、ランナーが走り続けるのは、これが理由です。毎日の瞑想ランニングによって、日々、世界は美しいのです。
禅ランニング・瞑想ランニングのやり方
マインドフルネス瞑想というものがあります。この瞑想では、まずは頭の中から雑念を払うために自分の身体の状態を注視します。すべての注意を「今」に向けることで、過去や未来に「今」が掻き乱されることをやめて、今この瞬間を生きることに集中します。夢を追いかけることとか、友だちとケンカしたこととか、そのような感情・感覚の追求をやめて、ただ呼吸に集中します。吸うことと、吐くこと。呼吸に意識を集中して無心になる。これが瞑想ですが、まさにこれはランニングそのままではありませんか。
この境地で走ることを禅ランニング・瞑想ランニングと呼びます。
ランニングは、野球と座禅のどちらに似ているか? と聞かれたら、明らかに座禅でしょう。座禅をはじめるにあたって能力を問われることはありません。長距離走に運動神経はいりません。同じ動作を延々と繰り返す長距離走を長く続けるには、運動神経とか器用さではなく、集中力とか内観力とかセルフマネージメントとか、もっと別の能力が必要なのです。
私は座禅瞑想を習慣にしたこともありますが、走った方がいいことに気づいてやめてしまいました。ランニングは瞑想のもっているものをすべて含み、それ以上のものをもっています。
瞑想ランニングでは、まずは自分の身体の状態をよく見て、呼吸の状態をモニタリングします。呼吸こそ生きることです。大きな呼吸で今を生きていることを実感します。全身の骨格をスキャンします。筋肉ではなく骨が身体を支えていることを感じましょう。
全神経を肉体に集中します。肉体とはあなた自身のことです。すべての注意を「今」に向けて、大地を駆けるこの瞬間を感じましょう。これが瞑想ランニングです。
ランニングと瞑想がそっくりだということがわかったでしょうか。しかし今この瞬間に感じる快楽、満足感は、瞑想ランニングの方が座禅瞑想よりもずっと大きいものです。ランナーズハイと呼ばれる脳内モルヒネが出るからです。
だからこそ走ることが幸福につながります。それが「世界が美しく見える魔法」です。そのための手段として瞑想ランニングがあります。
生きているよろこびを追求しなければ生まれた甲斐がありません。瞑想ランニングは生きているよろこびを追求するためにするものなのです。
今この瞬間の歓喜のために走りましょう。
走るために生まれた
私は今、一日一日を全力で走り切ることに生きがいを感じています。毎日がクリスマスであるかのように特別感をもって充実した毎日を過ごしたい、と常に願っています。誰もプレゼントをくれないのなら、自分で自分にプレゼントをあげればいい。
しかし現実には毎日をクリスマスのように過ごすのは、そう簡単なことではありません。今日は昨日と同じような日であり、昨日は一昨日とあまり変わることがなく、日常に変化は少ないものです。一日一日は、かわりばえのない平凡な日常の中に埋没していきそうです。
どうすれば、特別な毎日を生きてゆけるのでしょうか。
私はもう地球一周以上の距離を走り続けてきました。しかし実際には、間寛平さんのアースマラソンのように、本当に世界を走ったわけではありません。比叡山の千日回峰行者のように、真言を唱えながら草鞋で山道を歩いたわけでもありません。アスファルトの同じコースを、ランニングシューズでひたすら走っただけです。走りながら常に見ていたのは「自分の心の内側」でした。
長年、ランナーをしていると、思うことがあります。
暑い夏に、汗ビショビショになって走った後に浴びる冷水シャワーより気持ちのいいことって、この世の中にそうそうないなあって。ほてった身体から冷水に熱が奪われていく時は、ほんとうに気持ちがいいものです。スポーツマンだけが知っている快感かもしれません。
寒い冬に、白い息を吐いて走ってきた後、沸かしておいた熱い風呂に入るのより気持ちのいいことって、この世界にそうはないと感じます。お湯の熱さが発熱という仕事を代わってくれるから、ゆったりと身体は仕事を休むことができるのです。そのリラックス感は、この世で最高の快楽のひとつでしょう。
走って飢渇状態になった後の飲食は、この世で最高のもののひとつです。体中の細胞に水分や栄養がしみわたるのがわかります。走る前とは食べ物の味がぜんぜん違います。空腹こそ最高の調味料です。
すべての力をつかってレースを走り終え、疲れ切った身体をベッドに横たえた時以上の安楽の時間が、人生に果たしてあるでしょうか。これこそがこの世で最高の快楽なのだと思います。
頭を使うだけの頭脳労働では、この快楽を味わえません。私はこの人生に「体をつかうこと」以上の生きる歓びを見つけることができませんでした。もうじゅうぶんに長く生きてきました。これを私の人生の結論としましょう。
「人間は精神的な生き物なのに情けない結論だなあ」とあなたは思うでしょうか。
いいえ、人間もしょせんは動物です。原始的な快楽は文化的な快楽にまさると私は確信しています。動物の真実と人間の真実が違うはずがありません。それが私の結論です。
快楽というものは、同じことの繰り返しです。走り、飢え、食う。エネルギーを爆発させ、また補充する。その繰り返しです。生きることもまた繰り返しです。
そして走り続ける限り、ランナーはこの世界で最高の快楽をいつでも手に入れることができます。それこそが「Everyday Christmas」なのだと思っています。
身体をつかうことが、人生の基本であり、究極の快楽なのではないかと思うのです。
身体をつかわずに、自分の限界を知ることも、その限界を押し広げることも、難しい。
他人と競り合う時の燃える気持ちも。負けて悔しい思いをすることも。勝って自分の力を感じることも。全能感、絶対感に満たされることも。
生きていることの歓喜だけじゃなく、絶望だって味わってみたい。どちらも必要です。失望のない人生なんてあじけない。暗闇に迷わなければ、明るい道を進むよろこびはわからない。
人生がゲームだとしたら、自分の夢を追いかけて、挑戦して、挫折し、無力感を噛みしめ、ときに歓喜して、また絶望し、限界を知り、それでも生きている充実感を感じるゲームを楽しみたいと思います。
すべてはこの体を使うことで手に入れることができた感情です。
「世界が美しく見える魔法」とは「ハレとケ」「onとoff」が両方そろってこその快楽です。
走ることは気持ちがいい。でもその後のシャワーや休息や飲食を含めてこその快楽であり、スポーツの快楽だけを訴えている人の快楽論と私のものは違います。
結局、人生というのはハレとケなのでしょう。
ケばかりの人生なんて冗談じゃないけれど、ハレばかりではハレがハレでなくなってしまいます。
ビーチリゾートで寝そべって読書するのが楽しい人は、普段、本を読む暇もないほど忙しく働いている人でしょう。たとえば時間だけはたくさんある放浪の旅人は、そのような日々の過ごし方をしないものです。
退屈なケの日常を、わずかな時間でハレのパーティーに、お祭りに、クリスマスに変える方法を、私は知っています。
それは走ることです。
走ること、それは子供に戻る魔法。青春を取り戻す魔法です。
幻想の、イメージの中の友だちと並走するように走ること。トモダチを夢中になって追いかけること。それが「トモダチ走法」です。トモダチを追いかけるようなイメージで走ることは、笑顔になることであり、上体をぐっと起こすことです。友だちと一緒に走るのならば、自分だけ後れを取るわけにはいきません。トモダチを追いかければ今の自分よりも速く走ることができます。トモダチを思い浮かべれば、必死になって走ることができます。友達と一緒に走るように夢中になって走ること。自分と対話すること。すべてを忘れて熱中すること。世界が美しく見える魔法。それが走ることなのです。
走れば、平凡な一日の中にハレとケという起伏をつくることができます。いつもと同じ一日の中のハレ、それが走ることです。
走ることには魔法のような効果があります。全身の細胞が覚醒し、生きる気力を取り戻し、想像もしなかった一日をつくってくれます。
ケガで何度か、走ることを中断したことがあります。その頃は、鬱鬱として、何をやっていても面白くありませんでした。生きているのが、つまらなかった。何かが足りないとずっと感じていました。
それは走ることでした。走ることは快楽です。走っているからこそ、生きていると実感できるのです。走ることそのものに意味はありません。意味は生きることにあります。生きることが走ることだから走るのです。
そして走れなくなったときには、この世界とサヨナラするだけです。それまでは走り続ける。なぜなら生きることは走ることだから。走るために生まれたのだから。
あとがき
マラソンは手を抜いてちんたら走ってもぜんぜん面白くありません。
目標としているレース当日に、自己最高のパフォーマンスを発揮するために、計画的にトレーニングをして、タイムを縮める工夫を重ね、ゴールしたらその場所で倒れこむぐらいの気迫で、全力を出し切ってはじめて面白い競技だと私は思っています。
全力を出し切ってこそ、爽快感や生きている実感を感じられるのです。マラソンが人生に似ているといわれるのは、そういったシンプルなところだと思います。
市民ランナーにとってマラソンは「職業」ではありません。あくまでも「遊び」です。そしてつまらない「遊び」なんてやる価値はありません。自分の意志ではじめた「遊び」だからこそ、みなさんも楽しさを最大化してほしいと願っています。
ベストバージョンの自分、ベストバージョンの人生になるように全力で走ってこそ、人生だって楽しいのではありませんか?
たとえ人それぞれゴールは違っても、このスピリッツだけはみんな同じはずです。
ランニング業界にとって、アスリートが偉大なのは、今まで走っていなかった人を走らせる力をもっているからだ、と本書の冒頭に私は書きました。
この本は、アスリートでもないただの物書きが、言葉の力で速く走る方法を伝えようとして書いたものです。アスリートではない、物書きならではの言葉のイメージ喚起力、分析力が本書の特徴となっています。
しかし狙ったのはそれだけではありません。
これから走ってみたいと思っている人に、ぜひ本書を見せてあげてください。走る習慣のなかった人を新たにランナーにする力を、私はこの本に吹き込もうと全力を尽くしました。
アスリートのパフォーマンスが、スポーツに人を駆り立てるように、私はひとりでも多くの人が「アトムのジェット走法」や「ヘルメスの靴」といった本書の言葉に触発されて、街を輝きながら走るランナーになってくれることを願っています。
この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。
いち市民ランナーである私のランニングの師匠が、「瀬古利彦が一年間まったく走らなくて、おれが一年間みっちり走ったら、瀬古にも勝てる」とよく言っていました。まったくその通りだと思います。
オリンピックの選手をテレビで眺めているよりも、たかが市民ランナーであっても自分が外に出て走った方がいいのです。自分がどう生きるか、自分がどう走るか、大切なのはそこです。
カルペ・ディエム。今を生きろという哲学があります。
どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。大きな夢を抱くほど、夢が叶わないという現実と向き合うことになります。最終的な勝利者にはなれないのに、どうして走り続けるのか。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか?
勝てなくても走り続ける理由。私の場合は、それは生きることそのものがそういうものだと思うからです。どうせいつか死んでしまうからといって、生きることを諦めるわけにはいきません。
未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生だと思うからです。「ベストバージョンの自分」を追い求めた旅路そのものが、私の人生だからです。
どうして市民ランナーは走るのか、私なりの解答を本書では示しました。
あなたはどうして走るのですか?
一度きりの人生です。世界を子どものように楽しみながら、思い残すことのないように走り切りましょう。
走ることのご褒美は、走っていることそのものにあります。お返しはもう既にじゅうぶんにもらっているはずです。よろこびに満ち溢れた走りで、街を駆けましょう。あなたのその走りが、暗い街を明るくしてくれます。
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。
そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。
歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
世界がよろこびに満ち溢れたものになりますように。
アリクラハルト
奥付
書籍『市民ランナーという走り方』
マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座
著 者 アリクラハルト
初 版 2021年7月
copyright © 2021 arikuraharuto All right reserved.
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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。
(本文より)
【入力ワード】写真からランニングフォームを学ぼうとする人が多いので注意喚起したいと思います。写真からフォームを学ぶのはお勧めできません。写真というのは瞬間を切り取ったものなので、間違った解釈をする可能性があるからです。「振り上げた脚」(往路)なのか「戻ってきた脚」(復路)なのか、写真ではわかりません。大地を蹴ったように見えている脚が本当に大地を蹴っているのか、大地を蹴ったように見えているだけなのか、写真からはよくわからないからです。写真で振り上げた膝の高さを見て「ふむふむ、膝はここまで上げるのか」と思い込んでマネするのもよくありません。慣性の法則で結果として脚がそこまで上がっているだけで、実際のランナーの意識としてはそこまで上げようとしていないかもしれません。「結果としてのフォーム」と「ランナー本人の走るときのフォーム意識(入力ワード)」は、必ずしも同じではないのです。
【腹圧をかける走法】そもそも息をするのは、酸素を吸うためです。吐くことよりも、吸うことに意識をおくほうが自然な発想です。肺の中に残っている空気(残気量)は、どうせゼロにはできないのです。吐き切るという努力は、動かない壁を押すような無駄な努力です。そこに力を割くべきではありません。持ち上がらないバーベルを無理やり持ち上げようと喘ぐと、余計に息が苦しくなってしまいます。楽に息するのとは真逆のことです。それよりも思いっきり吸うことです。そのための走法が腹圧をかける走法です。肺を絞って痩せた人のように走るのではなく、腹はたるんたるんと力を抜いてだらしなく腹が太った人のように走ります。そもそも重力は下向きなのだから、横隔膜を下げることは理にかなったことです。それに対して、吐き切ることを意識すると、重力に逆らって横隔膜を持ち上げながら肺を絞らなければなりません。どちらが楽にできると思いますか?
【ストライド走法】ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
【踵落としを効果的に決める走法】私はカラテ素人ですが、サブスリーランナーとして、すくなくとも「踵落とし」を無力化する方法をすぐに思いつくことができます。答えはカンタン。攻撃側が踵を振り上げて止まったポイント(これを上死点といいます)に、自ら打撃ポイント(脳天など)を近づけていくことです。上死点では運動エネルギーがゼロになっているために、破壊力もゼロです。上死点から距離をとらないことで「踵落とし」というキックを無力化できます。
ストライドを稼ぎたいあまりに、未熟ランナーほど振り出した前足が最も伸びきったところで着地してしまうのです。つまり「膝が伸びきったまま」「踵から着地」してしまうのです。これは「踵落とし」の運動エネルギーがゼロになっている上死点で着地してしまっているのと同じことです。これでは速く走ることはできません。
言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論の書。言葉による走法革命。とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。本書はあなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法」「腹圧をかける走法」
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。
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