白瀬南極探検隊記念館。白瀬矗の夢はアジア人の誇り

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放浪の旅人の英雄
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平成31年4月28日(日)桜を追いかけて車中泊大遠征3日目

『車中泊族は車中泊賊』を提唱する私ですが、賊たるゆえんのひとつは人生の快楽に貪欲であるところにあります。

車中泊の快楽は沢山ありますが、朝の散歩もその中のひとつです。

ホテルに泊まるとなかなか朝の散歩ということにはならないと思います。私も昔はホテルに泊まって旅をしていましたので、その辺の事情はよくわかっています。温泉宿などに泊まると起きたらまずは温泉入浴が定番です。また、たいてい朝食がついているので、宿の朝食を7時ぐらいに済ませて、朝8時ぐらいから行動開始するというのがルーティーンではないでしょうか。

ところが車中泊賊の場合は早朝5時の太陽にたたき起こされて、5時半には行動開始です。さて、朝の6時前に何をしましょうか? ほとんどの人はまだ眠りの中です。どこの有料観光施設もまだ開園していません。施設入園料がかかるような場所は朝の6時からやってはいないのです。

答えは散歩です。散歩。朝の散歩は車中泊賊最大の快楽のひとつです。

なあんだ、朝の散歩なら自宅でもできるじゃないかと思うなかれ。散歩する場所が違います。車中泊賊は国立公園レベルの半端じゃない風光明媚な場所を散歩しているのです。

今日の朝もそのような贅沢な朝散歩のひとつ。出羽三山、羽黒山の朝散歩(朝登山)です。

自然の中の散歩は早朝派の特権です。まだ誰もいませんし、たいてい景色というのは早朝が一番美しいのです。仏教寺院は入場料を取るところが多く、早朝はクローズされている場合が多いので注意が必要です。その点、神社は空いていることが多い。

月山道路は厚雪により夏タイヤでの通行不可という表示が出ています。ええっ、羽黒山に行けないのかと焦りましたが、羽黒山に登るには、月山道路は使いません。

私は出羽三山の標高は三山ともだいたい同じだと思っていました。千葉の人間なのでよく知らなかったのです。ところが羽黒山414mに対して、月山1,984m、湯殿山1,504mです。標高が全然違います。登山靴程度の軽い装備で来てしまいましたが、これではとても月山など登れません。見ると月山山頂はまだ真っ白です。真夏なら別ですが、これでは本格的な登山のつもりで来ないととても登れません。手袋なしでは凍傷・指切断コースです。時間の都合で最初から羽黒山だけを登るつもりで来ているので大丈夫でしたが、出羽三山は残りの二山はそう容易ではありません。注意が必要です。

地・水・火・風・空の五輪からなる塔は国宝です

出羽三山の顔、一番有名な国宝の五重塔は羽黒山を登り始めてすぐの低いところにあります。パンプスでも行けるような場所にありますので、装備のない女性観光客でも五重塔までは行けます。ただし靴は汚れるでしょう。やはりおすすめなのは登山靴です。

万里の長城を思い出すような階段を上っていきます。延々と続くように見えますが、たかが標高414mです。羽黒山は修験道の道場だったということでした。宗教施設である以上、「誰でも登れる」ということは重要なことです。誰にでも門戸が開かれていなければ、宗教として大きくなれませんからね。

祭殿の豪華さよりも、手前の雪の高さにびっくり

羽黒山の三神合祭殿です。修験道というのは日本古来の「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう」山岳宗教と仏教・真言密教が結びついた宗教なのですが、現在では神社に寄せている感じがします。その証拠に羽黒山には鳥居がありました。鳥居というのは神道のものです。明治時代の廃仏毀釈や修験禁止令の影響だと思いますが、私は修験道の本質は登山だと思っていますので、どんな政令があろうとも修験道はこの国から滅びることはないと確信しています。

朝の散歩というにはややハードな羽黒山登山コースを下山して、やっと今回の車中泊の秘密兵器、携帯コンロの出番です。

私は登山家なので登山用のもっと軽いバーナーも持っているのですが、今回は重量を気にしなくてもいい車中泊の旅です。卓上コンロの火力で熱いお湯を沸かしてブルックスのドリップコーヒーを淹れます。

たぶん月山。同じ出羽三山なのに向こうは真っ白

同じコーヒーを飲むのでも、大自然の中で飲むと味が違います。室内で飲むだけがコーヒーじゃありません。これもまた車中泊賊のだいご味です。

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鳥海ブルーラインで鳥海山に登るが、雪のため通行止め

途中、休みながら北へ北へと向かいます。桜はまばらです。そもそもテレビでよくいう「桜前線」なんてものがあるのか疑問に思えてきました。桜前線なんてものは心の中の観念だけに存在するもので、実際にはそんなものはないのではないだろうか?

ちょっとした雪の大谷

鳥海ブルーラインで鳥海山を登っていきます。途中の雪の回廊はちょっとした『雪の大谷(立山黒部アルペンルート)』のようでした。過去、私は真夏に鳥海山の山頂まで登っていますが、その時に雪は見ませんでしたから、これらの雪も夏までには全部溶けてしまうということです。

しかし4月下旬にはまだ溶け切らない雪が道の左右に崖のようになっています。鳥海ブルーラインそのものが雪のため通行不能でした。むなしく折り返します。

鳥海山。名山です。あきらかに周囲の山と風格が違います。私は東京・八王子で、電車の車窓にあまりにも美しい山を見つけて思わず乗客のひとりに「あの山、なんていう山ですか?」と聞いてしまった幼少体験を持っています。(「あれが富士山ですよ」と見知らぬ乗客はやさしく教えてくれました)、鳥海山はあきらかに名山の風格で、知らなかったら地元の人に思わず名前を尋ねたくなるような威厳を備えています。

ちなみにこの旅でもう一座、そのような名山を見かけますが、それは「岩木山」でした。

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秋田名物ババヘラアイス。ババとはババアのこと(そのまんま)

休憩しながら北へと進みます。

ゴールデンウィークほど、道の駅に泊まっている車のナンバーを眺めるのが面白い時はありません。

ババヘラアイス。ババとはババアのこと。直球である。

大型連休のため、とても遠い所のナンバー車を見かけます。山形県で見た最高に遠いナンバーの車は「佐賀」でした。遠っ!

山形県から秋田県に入ると名物ババヘラアイスがわれら旅人を出迎えてくれます。ババヘラアイスというのはパラソルの下でばあちゃんがアイスクリームを花のようにコーンに乗せてくれる路上販売のことです。車のスピード次第で通り過ぎてしまい結構ゲットできないことの多いババヘラアイスであるが、この旅ではゲットできました。

ちなみにババヘラのババはババアのババである。案外直球のネーミングだ。「こんな商品名で売り子さんは嫌だろうに」とイロハは心配していう。今回アイスクリームをよそってくれた女性も中年ではあったがババアというほどではないと私は思った。ババアと思ってみると「それほど婆あでもないじゃん」と人は思うものなのである。美女だと驕れば貶められるが、婆あだと謙遜すればそうでもないと褒めてもらえると有名な聖者が言ったとか言わなかったとか。。。

ババヘラアイスなど寄り道しながら北へ進むと路上の看板に「白瀬南極探検隊記念館」の文字を発見。急遽、予定を変更して寄ることにする。白瀬を全然知らなかったイロハはびっくりしていたが、私は白瀬を知っていた。というよりもむしろ敬愛していたと言っていい。これは他の予定はキャンセルしてでも「白瀬南極探検隊記念館」には行かなくてはなるまい。

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白瀬南極探検隊記念館。放浪の旅人の英雄、白瀬矗

幼い頃『アムンゼンとスコット』という少年少女向けの偉人伝のようなものを読んだことがある。人類初の南極点到達を競争する二人の男の物語だった。ノルウェーのアムンゼンが犬ぞりで、イギリスのスコットが馬車で南極点を目指すが、アムンゼンは成功し、スコットは敗れた上に遭難死してしまうというはっきりと二人の明暗がわかれた物語だった。

ところが大人になって聞いたところによると、本当はこの物語は三つ巴であり、実は第三の男がいたというではないか。しかもその男は日本人だという。その男こそが白瀬矗(のぶ)

放浪者の英雄

私が白瀬矗を大好きなのは、そのぶっ飛んだ「先取り精神」である。生まれは江戸時代。1861年。学んだ場所は寺小屋である。寺子屋で北極点の話を聞いて探検家を志したという。最初は南極点ではなくて北極点を志したようである。

いやいやいや。。。ちょっと待て。ここはスルーしていいところじゃない。

寺小屋なんて「読み書きそろばん」の世界だ。写真なんてない世界である。そんな中でよくまあ北極点なんて志せたものだ。北極点どころかオランダだって行けないと思うのが常人だと思う。1872年の夢なのだ。北前船しかなかった江戸日本が黒船に驚いたのが1853年のことなのである。アメリカだって行けないと思うのが普通じゃないのか? それが北極を夢見るなんて。それも「ただ行く」だけではない。「人類初到達」を夢見たのだ。江戸時代生まれの少年が。

しかも夢見るだけでなく、白瀬は実際に行動もしている。

白瀬が南極点初到を目指して出航したのが1910年。アムンゼンの出航も、スコットの出港も1910年のことである。白人たちが世界を征服していく時代に、ひとりの東洋人が同じ年に地球の極点を目指して出発したということはそれだけで偉大なことではないだろうか。すくなくとも志において負けてはいなかったのである。

人工衛星などないこの時代は新しい領土を発見して「この領土は我が国のもの」と宣言したものが先占領有することができた。南極も同様で、南極条約以前は、国の旗を立てて「ここは我が国のモノ」と最初に宣言した国のものになったのである。だから国や軍も白瀬の夢に力を貸してくれたわけである。

結局、アムンゼンは1911年12月14日に人類初の南極点に到達し無事帰還するが、スコットは1912年1月17日南極点に到達するが帰路に全滅する。

一方、われらが白瀬は1912年1月16日に南極大陸に上陸するも、南極点を踏破することはなく、一帯の雪原を「大和雪原」と命名し、日章旗を掲げて先占領有の宣言(日本の領土宣言)をして帰国したのである。

白瀬が南極大陸に上陸した頃にはもうアムンゼンの南極到達は終わっていた。領土宣言して命名した大和雪原も実は大陸ではなく雪棚だったそうだ。しかし白瀬が領土宣言したのはスポンサーへの義理のためであり、領土のために冒険したのではない。人類初到達という純粋なおのれの夢のために旅立ったのである。

世界を白人が征服する時代に、白瀬はアジア人の意地を見せた英雄だと思う。植村直己のような冒険家の大・大・大先輩なのだ。江戸時代の寺小屋で北極点の人類初到達を目指すなんて、ハンパじゃありません。

今でいうグラビア写真を船室に貼って男たちは頑張ったのです。これが本当の初代・南極一号である。

白瀬のような人間は、忘れ去られるものではありません。

アメリカの南極点観測基地の名前は「アムンゼン・スコット基地」と言って彼らの物語を讃えていますし、日本の南極観測船「しらせ」は白瀬矗の名前が由来だと言います。

白瀬の魂は現在もちゃんと引き継がれているのです。

白瀬南極探検隊記念館 / 秋田県にかほ市
秋田県にかほ市金浦町 白瀬南極探検隊記念館
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ドライブ旅行にJAFカードのすすめ

秋田市では、ドーミーイン秋田がホテルに併設している温泉「中通温泉こまちの湯」に入りました。ここでもJAFカードの割引が使えました。

おそるべしJAFカード。この旅、何度目の割引であろうか。「白瀬南極探検隊記念館」でも使えた。

この車中泊ドライブ旅行の間、美術館や博物館など至る所で、JALカード割引が使えた。

ものすごく使えるカードである。

2人で200円の割引でも、施設利用の度に200円のお得となれば、年会費などあっという間に回収できてしまう。この際車中泊賊にはJAFカードの加入をオススメしたい。

われら車中泊賊ならば、確実に元が取れるカードです。

さて、本日も日本海そばの道の駅「道の駅あきた港」の駐車場にて宿泊です。おやすみなさい。

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プロフィール


温人ハルト。雑誌『ランナーズ』等に執筆歴のある物書き。サブスリーランナー。グランドスラム達成者(100kmサブテン。富士登山競争登頂)。スイス・ブライトホルン。台湾・玉山。南アルプス全山縦走など登山歴も豊富。キャンプ・車中泊マニア。西天取経の旅人

このサイトについて

はたして放浪のバックパッカーは社会復帰できるのか!? 自由と社会との折り合いを模索するブログです。

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