にしん御殿は見たことがあるが、ブルーベリー御殿ははじめて見た
毎年、ブルーベリー狩りに行っています。いなかで土地が安いのでしょう。とあるブルーベリー農家がじゃんじゃんとブルーベリー農園を拡張し、蛍の池をつくり、子どもの遊具を揃え、水遊び場やあずまやをつくって、アイスクリームまで販売しはじめました。
毎年同じ場所に行っているので、どんどん規模が大きくなっていく変化がわかるのです。
家族経営の農家なのですが、こうなると地域の一大産業です。ご近所のおばさんたちを雇って働かせているようです。
そのブルーベリー園の経営者の家が建て替えをしたのですが、そりゃあまあ大豪邸でして……まさにブルーベリー御殿という名前がぴったりの大きな家なのです。
和風の巨大な家。ちゃんと瓦葺の切妻屋根です。立派な木材の柱。家の前には巨大な鑑賞用の石が設置されて、庭には池があり、門には家紋が大きく掘られていました。
絵に描いたような「お大尽様の家」なのでした。
ブルーベリー御殿なのに、家紋にブルーベリーがないってどういうことよ?
ところで気になったのがその家紋。どこからどう見てもブルーベリー御殿なのに、家紋にいっさいブルーベリーが入っていません。ほんのワンポイントも入っていません。
ブルーベリー御殿なんだから、家紋にブルーベリーを入れればいいのに。
えっ? 家紋って決まっているんだよ。
先祖伝来のものがすでにあるんだよ。
うそ!? 家紋って「オレから」新設できないの?
田中角栄さん・真紀子さんの目白の豪邸にも、新潟の百姓の家紋をつけなきゃならないってわけ?
決まりだから、そうだと思うよ
木下藤吉郎が豊臣秀吉となったように、家紋は「私から」つくれないのか。。。豊臣家の家紋ってあるんじゃない? いつまでも木下家の家紋をつけていないと思うよ
民主主義の感覚からいって、家紋は祖法にて変えるべからず、はおかしいと思う
ウチの嫁のイロハさんは、戸籍とか住民票とかその手のことに詳しい人なので、なるほど彼女の言うことはもっともだという気がします。
しかし、私の常識感覚からいうと、先祖伝来の家紋を「自分の代から」変えられないというのは民主主義の感覚から言っても違和感があります。坂本龍馬が英語もわからないくせに英語教師の誤訳を指摘したというアレですね。これほど個人の自由が認められた国で、家制度の名残ともいうべき家紋は祖法にて変えるべからずというのは何かおかしいという気がします。
というわけで、疑問に思ったので調べてみました。
家紋というのは戸籍法とは関係なく、名字は法のもとに管理されていますが、家紋の管理はないそうです。つまり家紋は政府非公認のもので、届け出先もないことから、自由に変更が可能のようです。自分の印鑑をデザインするみたいな感覚で勝手に付けていいのが家紋なのでした。
オリジナル家紋「サンダルの家紋」サンダルは自由の象徴
ふーん。知らなかった。家紋は変えられるんだね。
でもブルーベリー御殿は先祖伝来の家紋が元々あったから、それをそのまま使ったんじゃない?
新しく家紋をつくると父親や祖父と揉める原因になるかもよ。
それはそうかもね。ブルーベリーで大儲けしたのなんて昭和か平成ぐらいだけれど、家紋はもっと昔の江戸時代ぐらいからあったかもしれないからね。
うちの家紋もあるよ。
ハルトの家にもあるんじゃない?
見たことも聞いたこともない。たぶん明治のはじめに急ごしらえでつくった由緒正しくない家紋があるかもしれないけれど、興味ないなあ。
でもおれから家紋を作るなら「放浪の旅」をイメージした家紋がいいなあ。その象徴はサンダルかなあ。
サンダルの家紋ね……って子孫がいないだろ!
家紋は子孫がいてこそ意味があるんじゃない?