暇で退屈な日常を面白くするおすすめの趣味とは?
個人的な趣味を公表するだけでなく、趣味とは何か? なぜ趣味は楽しいのか? なぜ趣味は必要なのか? ということを分析しています。自分の趣味を通じて「いい趣味」とはどんなものかを検討します。結論を先に述べると、いい趣味とは「生きていくこと」に直結しているものだ、というのが私の答えです。やって楽しいこと、意義を感じることは、わたしたちの先祖たちが「よく生きるためのもの」「暮らしをよくする行為」が変化したものが多いのではないでしょうか。
参考例。セッ●スが快楽だから、人間は生きのびることができた。
趣味ではありませんが、「いい趣味」を検討するための参考例として、セッ●スのことを考えてみたいと思います。快楽の代表的な存在です。セッ●スが苦痛だったら、人間はとっくの昔に滅び去っていることでしょう。快楽だから、生きのびることができたのです。生き延びるために必要なスキルは、脳には「快楽」としてインプットされているものなのです。生き延びるために必要なことを楽しいと感じるからこそ、生きのびることができたのです。楽しいからこそ、誰もがそれをやろうとします。人にそれを教わるから、世代を経てもスキルは劣化しないのです。さらにより楽しい方向に発展していきました。
最高の趣味とは、生きていくということなのです。
趣味その1。小説の執筆。ブログの公開。
随筆『ドラクエ的な人生・アリクラハルト作品集』は1500編ちかくのコラムを発表してきたブログ『ドラクエ的な人生』から珠玉のコラムを自薦しようとするものです。その紹介文として私の趣味の筆頭にあげなければならないのは、小説、コラム、ブログの執筆でしょう。まさに今、私は趣味の時間のまっただなかということになります。収益化して黒字ですが、趣味であることは違いありません。Amazonキンドル本で小説も発表しています。そこそこ売れています。執筆という趣味の快楽は、自分が何を考え何を求めているのか、自分の中で明確に言語化して、自分を表現、解放するところにあります。誰も他の人が言わないことを世間に発表することは、自分の存在を証明し、それが生きがいとなります。これほど「ほかの誰にもできない。おれにしかできない」という唯一無二の趣味は他にないのではないかと思います。趣味として強くお勧めしたいですね。書くことはいくらでもあり、書いても書いても尽きることはありません。いくら時間があっても足りません。いくらでも時間が潰せます。
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(本文より)
カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。
「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」
金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。
あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。
あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。
人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。
むしろ、こういうべきだった。
その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。
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趣味その2。マラソン・ランニング・散歩・ウォーキング
私は市民ランナーの三冠王・グランドスラムの達成者です。走ることで血と汗と体液を循環させて心身を覚醒させ、すすんでみずから脳内モルヒネ中毒となることで、生きるよろこびとなっています。コラム執筆の内容も走りながら思い浮かぶことがほとんどで、もはや私の人生を回転させるのに不可欠な趣味となっています。プロのライターとしてランニング雑誌で記事を執筆していたこともあり、マラソン本も出版しています。本気でマラソンの自己ベスト更新に取り組んだ場合、走っても走ってもいくら練習しても練習しすぎるということはありません。いくら時間があっても足りません。いくらでも時間が潰せます。また、ランニングのダウンサイズした趣味としてウォーキングも大好きです。私にとってアウトドア生活というのは焚き火を眺めながらキャンプチェアに座っていることではありません。太陽や風や自然を感じて屋外を走ったり歩いたりすることなのです。
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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論。言葉による走法革命のやり方は、とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。あなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法」
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は?
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。
(本文より)
・マラソンクイズ「二本の脚は円を描くコンパスのようなものです。腰を落とした方が歩幅はひろがります。腰の位置を高く保つと、必然的に歩幅は狭まります。しかし従来のマラソン本では腰高のランニングフォームをすすめています。どうして陸上コーチたちは歩幅が広くなる腰低フォームではなく、歩幅が狭くなる腰高フォームを推奨するのでしょうか?」このクイズに即答できないなら、あなたのランニングフォームには大きく改善する余地があります。
・ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
・鳥が大空を舞うように、クジラが大海を泳ぐように、神からさずかった肉体でこの世界を駆けめぐることが生きがいです。神は、犬や猫にもこの世界を楽しむすべをあたえてくださいました。人間だって同じです。
・あなたはもっとも自分がインスピレーションを感じた「イメージを伝える言葉」を自分の胸に抱いて練習すればいいのです。最高の表現は「あなた」自身が見つけることです。あなたの経験に裏打ちされた、あなたの表現ほど、あなたにとってふさわしい言葉は他にありません。
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趣味その3。読書
読書もまた私の趣味のひとつです。死ぬときに後悔したくないので、死ぬまでに読むべき古今の名作とされているものは、必ず読み終えようと思っています。そこに何か人生の真理のようなものが見つかればいいし、何も見つからなくても人類の英知を知った上で冥途に旅立つのと何も知らずに死ぬのでは、満足度、納得度がぜんぜん違うのではないかと考えています。歴史の試練を経ていない現代の娯楽小説はほとんど読みません。むしろ古今の文豪の作品を読んでいます。いくら読んでも読み終わらないぐらい名作はたくさんあります。人生は短い、だから読みたい本から読んでいくべきです。それでも次から次へと読みたい本が出てきます。いくら時間があっても足りません。いくらでも時間が潰せます。
私的個人的・世界十大小説。読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの本
趣味その4。旅行
旅行も私の趣味の柱のひとつです。すでに日本中を回っていますし、世界もこれまでに約30カ国を回ってきました。旅行とは一篇のこれまで読んだことのない本を読んでいるようなものです。外国に行くとバスの乗り方ひとつわかりません。乗りこみ方も、支払い方法もわからず、自分が子供に戻ったかのような気になります。また事件に巻き込まれて盗難にあったり、飛行機に乗り遅れたりするなど、トラブルを関門突破ゲームのように楽しんでいます。いわばリアル・ドラゴンクエスト。何もできなかった無力な少年時代に戻って、いわば人生を二度生きているようなものです。それが私にとっての海外旅行です。行きたい国はいくらでもあり、いくら時間があっても足りません。いくらでも時間が潰せます。
趣味その5。映画、動画鑑賞
映画や動画鑑賞も趣味のひとつです。映画はこことは違う別の世界に連れて行ってくれます。それはサムライの時代だったり、エルフの住む異世界だったり、カジキを釣る遠洋漁船だったり、神さまと英雄の冒険物語だったり、エキゾチックな美女との恋愛だったりします。そのような体験をしてみたいのはやまやまですが、どうやらこの人生ですべてを実現するのは無理みたいです。でも何もしないでは人生はあまりにも長く退屈で、あらゆる体験を楽しみつくすには人生はあまりにも短すぎます。だから映画というものがあるのです。いわば疑似体験です。どれだけ身を乗り出して仮想空間に入り込めるかが勝負です。味わってみたい体験はいくらでもあり、いくら時間があっても足りません。いくらでも時間が潰せます。
映画『リメンバー・ミー』へのツッコミ。なぜヘクターは消滅しないのか。ボーカルの力を軽視しすぎじゃないか?
趣味その6。自転車・ロードバイク(乗り物=肉体で感じる普段とは別の感覚)
映画は体験したことのない異世界へと私たちをいざなってくれますが、実際にはただ椅子に座っているだけです。視覚聴覚などの感覚世界だけで別世界を体験するのが動画体験ですが、私はそれだけでは人生はものたりないと考えています。この肉体を使ってこそ生きている実感を味わえるのであって、肉体を使うことこそがこの世に生きる最高のよろこびだと思っています。
たとえばスポーツ全般がこの「肉体で感じる普段とは別の感覚」に該当します。テニスをやるのもいいでしょう。アイススケートもおすすめです。水泳もいいですね。脳がいつもと違う角度に揺れて、普段とは別の感覚を味あわせてくれます。
そういう趣味をおすすめしたいのですが、私の場合はランニングだけで肉体を過剰に酷使していますので、ここでは乗り物を使って普段と違う感覚を味わいたいと思います。
具体的には、セグウェイに乗ったりとか、電動キックボードに乗ってみるとか。スノーモービルで雪原を駆けたり、クルーザーで大海原を進んだり、パラグライダーで大空に浮かんだり、水中ジェットスクリューで海を魚のように泳いだりといったことです。ただしこれらは資格が必要だったり、値段が高かったりします。
だからその代わりに私はロードバイク(自転車)に乗っています。ウサイン・ボルトよりも速く走ったり、スイーッと横に流れるように滑るように転がる感覚はまるでスーパーマンが飛んでいるような気分です。コーナーで車体が斜めになるのはランニングではけっして味わえないジェットコースター的な感覚を脳に味あわせることができます。オートバイを趣味にしている人には私の言っていることがわかると思います。バイクは普段とは違う感触を味わうことができるのです。これもドラクエ的ですが、なにか道具を使って移動することそのものを楽しむと、まるで世界がロールプレイングゲームのフィールドマップになったかのような気になります。いくら時間があっても足りません。いくらでも時間が潰せます。
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ロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。
※本書の内容
●通勤バイク四重苦とは?
●ママチャリ・ダンシング最強伝説
●スピードこそロードバイクのレーゾンデートル。通勤レースのすすめ
●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。体重ライディング理論。体重ペダリングのやり方
●アマチュアのロードバイク乗りの最高速度ってどれくらい?
●ロードバイクは屋外で保管できるのか?
●ロードバイクに名前をつける。
●アパートでローラー台トレーニングすることは可能か?
●ロードバイククラブの入り方。嫌われない新入部員の作法
●サブスリーランナーはロードバイクに乗っても速いのか?
●スピードスケートの選手がロードバイクをトレーニングに取り入れる理由
●デブでうんち(運動音痴)だからロードバイク乗りなのか?
●インポテンツになるという噂と対策
●スティーブ・ジョブズ「知の自転車」。論文の嘘を暴け
●旅サイクリングのやりかた
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趣味その7。英語。外国語学習
趣味の海外旅行で使う場面があるということもありますが、英語の学習を趣味にしています。最近ではYouTubeなどオーディオコンテンツが充実したこともあって「英語が理解できると、もっと世界が楽しめるのに」という時代になってきました。長く生きていると日本語そのものからはもはや刺激を受けないという状態になりがちです。ところが英語の世界だとまだ小学生レベルなので、ひとつひとつの表現に驚いたり、感心したりします。同じことを言い現わしたくても外国語だと独特の表現を使います。それが面白いのです。脳活にもなります。バイリンガルはモノリンガルよりも頭がいい(ボケにくい)らしいですよ。外国語を学習することには、もう一度学生時代に戻れるような効果があります。母国語を喋れない人がいないように、語学というのは頭の良しあしではなく慣れの問題です。語学学習はやればやるほど上達します。したがっていくら時間があっても足りません。いくらでも時間が潰せます。
趣味その8。DIY。自給自足。何でも自分でやってみるという趣味
DIY(DO IT YOURSELF)という言葉があります。あれも創意工夫の趣味と捉えられがちですが、もともとは生きていくことをできる限り自分でやるという生きることそのものの生活必需の行為でした。買うという行為だけだと何を買っても結局同じことなので人生に退屈してしまいます。でも自分で料理をしたり、何かを修理したり、いろいろなことを自分で工夫してやりだすと、いくら時間があっても足りません。いくらでも時間が潰せます。生きていくということを自らの手に取り戻す行為をDIYというのではないでしょうか。
DIYの究極は「自給自足」です。すべて自分でやることは究極のDIYです。しかし自給自足のためには割かなければならない時間、労力が半端じゃありません。自給自足がどれほど生きている実感を感じさせてくれるとしても、とてもじゃないがランニングや旅行や読書や執筆をしながら自給自足することは不可能です。だから私は「新狩猟採集民族」を提唱しています。これは「商品を買う」という行為に頼りながら経験値をもとめて移動して生存権を広げていくという生き方です。
……私アリクラハルトは「ヒッピーの末裔」なんだなあと、自分のことをつくづく思うのです。ギターでも弾ければ最高なんだけどな(笑)。
最高の趣味は、生きていくということ。
そのように考えると、私の趣味はすべて「生きていくこと」に直結しています。やって楽しいことは、先祖たちが「よく生きるためのもの」「暮らしをよくする行為」です。そのようなことを楽しいと脳にインプットされているからこそ、世代を経てもスキルは劣化しないし、生きのびてくることができたのでしょう。
いい趣味は「生きていくこと」に直結しています。最高の趣味とは、生きていくということなのです。

