トイレを書斎にする。これを自宅魔改造といいます。
ここではトイレを書斎化した自宅魔改造について語っています。
トイレを書斎とする。独居房トイレ
鉄腕アトムを描いた手塚治虫先生は、トイレで読書して、トイレで漫画のアイディアを編み出していたと聞いたことがある。
手塚治虫に限らず、学者や芸術家などトイレで読書、思索する習慣があったという人は古今東西それなりの数にのぼるようだ。
ウチのトイレにも本棚がある。初期設定ではない。わざわざ設置したものだ。
私はときどきそこで本を読む。もちろんお尻は丸出しの状態で。
ちなみに私は獄中文学者が大好きである。オタクな人は相当程度自分を獄中文学者に投影できるはずだと思う。
私は牢獄に入ったことはないが、刑務所の中でも本は読めるようなのだ。
ホリエモンなんかは独房でメチャクチャ読書しまくっていた。『刑務所なう』という本がある。
サド侯爵をはじめ昔から獄中作家という人たちがいる。
有名なオスカーワイルドとか佐藤優とか大杉栄とか『獄中記』というタイトルの著作をものにしている。
ドストエフスキーの『地下室の手記』『死の家の記録』なども狭いところに閉じ込められた系の作品である。
独房という世間に誘惑されない環境を利用して読んで書きまくった。
独房読書で身につけた教養で、その後の人生を生き抜いた人だっていたのだ。革命家などにそういうタイプの人が多い。
独房読書とトイレ読書は、お尻を出しているかどうかぐらいの差しかないのかもしれない。
動物には狭い所を愛好する本能がある。そこは安全な場所なのだ。
しかし子供に部屋を取られてしまった夫など、自室がない人の場合、トイレは精神衛生上有効な独房となりえるかもしれない。
猫は狭いところが大好きで、せっかく広い部屋があるのに、わざわざ狭い場所に閉じこもっていたりする。
動物には狭い所を愛好する本能がある。そこは安全な場所なのだ。
トイレを書斎に魔改造する人たちは、狭い場所本能を満たそうとしているのかもしれない。
人は安全な場所でないといいアイディアは湧いてこない。安心安全で、心が自由でなければ、新しい発想は生まれない。
本日、書斎読書をしていたら、こんな言葉に出会った。
「幸せとは、旅の仕方であって、行き先のことではない」ロイ・M・グッドマン
「人生には二通りの生き方しかない。ひとつには、奇跡などないかのような生き方。もうひとつは、すべてが奇跡であるかのような生き方」アルベルト・アインシュタイン
いつまでも青年の心を忘れず、昔の自分に語りかけるような言葉をつむいでいきたい。
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このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
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