『コンビニ人間』村田沙耶香

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「ぼくの精巣すら、ムラのものなんだ。あんたの子宮だってね、ムラのものなんですよ」

こんにちは、ハルト@sasurainorunnerです。

ここでは村田沙耶香著『コンビニ人間』について語ります。

物語のあらすじを紹介することについての私の考えはこちらをどうぞ。

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「ものごとの一面しか見ることができない欠陥人間」主人公

第155回芥川賞受賞作である。芥川賞というのは直木賞と違ってとてつもなくつまらない作品が選ばれていることもあるから要注意。しかし『コンビニ人間』は面白く読むことができた。

主人公は「正常」ということがよくわからない女性(古倉恵子)である。青い小鳥が死んで周囲が泣いているのに焼き鳥にして食べようと言ったり、小学校の男子のケンカを「止めて!」と言われたら、男子の頭をスコップで殴ってケンカを止めてしまうといった「ものごとの一面しか見ることができない」欠陥人間としてセットされている。

「当たり前」とか「普通」が理解できない、まるで人工知能AIのようなキャラクターである。アスペルガー系なのだ。「そんなのあったりまえじゃーん」が通用しない相手だ。

だからコンビニ店員として働くと決めると、ちゃんと働ける。社会の部品として、コンビニの店員の役割を演じろと命令があれば、ちゃんと演じることができるのだ。

でも延々とそれができるのは、他の何事も斟酌することなく、ものごとの一面しか見ることができないせいだろう。

普通の人は様々な理由から「一生コンビニの店員でもいい」とは思わないものだ。けれど主人公女性は「それでいい」と思っている。むしろまわりが「おまえそれでいいのか?」と心配してくれるのだが、どうして自分が心配されているのか、理解できない女なのだ。

様々な理由とは、たとえば20歳が恋するのはいいが、80歳が恋をすると色惚け老人と呼ばれてしまう。この場合、80歳は恋をすべきでないと判断したのは自分の側(こちら側)ではない。社会の側(あちら側)である。

老人は恋などすべきでない、という「あったりまえじゃーん」から外れると「頭がおかしい」とレッテルを貼られてしまうのだ。社会の側(あちら側)の理屈によって。

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社会の側(あちら側)の理屈と折り合って、普通の人になるのだ

普通の人間は、社会の側(あちら側)の理屈と折り合って生きていく。社会の側の理屈を受け入れることで「普通の人」とされ、社会に受け入れられることができるのだ。

しかし主人公・古倉は、全体としての価値判断ができず、ものごとの一面しか見ることができないから、修正できず、社会的な「普通」からどんどん外れてしまう。

何がおかしいのか、何がいけないのか、本人にはわからないのだ。

「アルバイトは高齢になったら将来不安だから、正職員の道を探すべきだ」とか「女なら結婚して子を産むべきだ」ということが理解できない。そういう命令は誰からも受けていないからである。

逆に「そろそろ結婚するべきよ。それがジョーシキよ」と言われると、愛がなくても、結婚という行動をしてしまう。「何も考えていない」というよりも「考える発想すらない」のだ。ものごとの一面しか見ることができないから。

そこに「人生を社会に強姦されている」男、白羽が登場する。古倉と白羽は利害関係が一致し、奇妙な同棲をすることになる。古倉は女友達や職場の同僚や家族から「結婚もしないで、おかしな女(あちら側の女)」と思われずに済む。白羽は「働け、稼げ、子を作れ」という社会の側からの強姦から身を隠すことができる。

男と同棲したことで古倉は女友達に「こちら側の理解できる人間」として受け入れられる。同棲前は「あちら側の理解できない人間」だったのだ。36歳独身処女のコンビニアルバイト店員は。

しかし受け入れられたら別の問題が発生した。「あちら側にいるなら相手にする気はないから放っておくが、こちら側なら受け入れる代わりに正常とは何かアドバイスさせてもらうよ」という干渉である。

なんで無職の男を部屋に住まわせているんだ。何でアルバイトなんだ。何で入籍しないんだ。何で子供をつくらないんだ。大人としての役割を果たせ。。。こちら側の人間だとわかったと同時に、こちら側の人間たちはおせっかいな干渉してくるのだ。

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「ちょっと何言ってるのかわからない」サンドウィッチマン状態

「ちゃんと生きろ」とまで年下に言われる。しかし古倉は「ちょっと何言ってるのかわからない」サンドウィッチマン状態である。さすがアスペルガー系!

このあたりから読者は「あれ? 男は働けと言われているけど、それは疑いもない正義か?」「女は子を産めと言われているけど、それは疑いもない正義か?」と「正義」とか「普通」とか「常識」を疑い始めるのだ。作者はそのように仕掛けている。

白羽の要求でコンビニをやめた主人公・古倉は、基準を失ってしまう。これまでの生きる基準は、コンビニにとって合理的か、コンビニにとっていいことか、であった。

そのコンビニを辞めたことで、何を目印に決めればいいかわからなくなってしまうのだ。まるで仕事を失った仕事人間のように。

生き方を忘れてしまうが、ふと入ったコンビニで、主人公・古倉はコンビニ感覚がよみがえるのである。それは社会の部品として生きている感覚であった。何もない自分ではなく、何かある自分。社会の要求する役割をぴったり演じることができる自分。居場所を見つけた安心感。

主人公は最後にコンビニと再会し、社会の一員であることを取り戻すのである。

社会の一員としての歯車はふたたび回り始めたのだ。社会に組み込まれ、まわってこそ歯車なのである。

しかし本当にそれでいいのか? 歯車でいいのか? 人間性はどうなった?

ものごとの一面しか見ることができない欠陥人間を主人公に据えることによって、作者は人間性とは何かを問いかける。

精神病棟で患者の無垢さにふれて、狂っているのはどっち側なんだろう? こっち側こそ狂っているんじゃないか、と社会に疑問に抱く人のように。

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