ドラクエ的な人生

ヘルマン・ヘッセ『クヌルプ』放浪の魂の真髄

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ヘルマン・ヘッセ著『クヌルプ』放浪者を主人公にした作品

ヘルマン・ヘッセ著『クヌルプ』は放浪者を主人公にした作品です。タイトルのクヌルプは主人公の名前です。

黄色は『クヌルプ』から。赤字が私の感想になります。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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クヌルプ

クヌルプは長期にわたる計画を立てたり、約束をしたりするのを好まなかった。訪ねてくる日々が自由に使えないとなると、気分が悪くなるのであった。

#me too といいたくなります。この主人公クヌルプというのは私のことでしょうか?

マラソンランナーも、登山家も、放浪旅行者バックパッカーも、やっていることは同じ

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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

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旅職人の免状をきちんと用意しておく。目立つ点と言えば頻繁に滞在地が変わっていることに見られる放浪癖。仕儀とをもたない浮浪人の違法な人に蔑まれる生活。

クヌルプはいちおう旅職人という職業の肩書をもっています。しかしいっさい仕事をしようとはしません。

放浪の大先輩。山下清のルンペン旅。天才画家の乞食行脚

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ネコは自由の象徴。

クヌルプはどこでも大手を振って歩けたが、たとえていえば、どこかの過程で美しい猫が一緒に暮らしているようなものだ。こういう猫はおおめに見てもらえる。気苦労のない上品なお偉方のような無為の生活を送るのである。

あらゆる手仕事に通じている。「旅をしていれば、いろいろと覚えるものさ」

「じつに幸福な男だな」働いて前進するものにくらべて、クヌルプは子供のように誰にでも声をかけて好意をよせられ毎日を日曜日と考えている。

私はネコを飼ったことがありませんが、古今東西ネコ=自由と感じる人がたくさんいるんですね。

自宅待機に最適なペットはハムスター

恋が終わることがあれば死ぬ時だと思ってきたが、私は死ななかった。二人が離れて暮らすなんてあるはずがないと思っていた友情も、別々に暮らすようになって久しい。満たされること少なくたちまち消えてゆかなければならない人間のよろこび。

女の子ばかりを追い回した。何もかも男女を意識しての話し。

史上最高の恋愛小説『マノン・レスコー』恋愛至上主義

ラテン語学校に行っている恋人なんか御免だわ。まともな人間が出ないもの。私の恋人はちゃんとした男じゃなきゃだめ。

人間と人間のあいだの深淵。そこに応急の橋を渡すことができるのは愛情だけ。

サマセット・モーム『人間の絆』人生という絨毯にカッコいい模様を描こうぜ!

ラテン語学校をやめたがすべては徒労だった。それ以来、人の約束に信頼を置くことをしなくなった。約束で自分自身を縛ることもなかった。自分の気に入った生活をし、自由や美しいものにこと欠かなかった。それでもずっと孤独だった。

長い放浪の年月がいまではささやかでつまらぬものに見える。それに反して少年時代の神秘な日々が新しい輝きと魅力を帯びてきたのである。

あの夏の花の魅力あふれる輝きにくらべれば無にも等しい。医者のマホルトも少年であったころとくらべれば取るに足らぬ存在ではないだろうか。

プライマル・スクリーム(原初からの叫び)

若い盛りの頃は人々に好かれもしたが、病気のときや、こんなふううに老けてくると孤独な存在だ。

あんたはその気になれば、こんな浮浪人よりはましな人間になれたはずだ。あんたは他の人間よりはすぐれた才能をもっていた。それなのにあんたはどうにもならなかった。

このセリフはあくまでも定住者スクエアからの発言です。しかし実際には「ありふれた定住者」よりも放浪者の方が実力がなければやっていけないのは明白です。しかしそれを誇れるわけでもなく、バカにされ蔑まれるのが、放浪者が自由と引き換えに甘受しなければならないものなのです。

ザ・ダルマ・バムズ(禅ヒッピー)。生きる意味をもとめてさまよう

気の毒がってもらうには及ばない。人間一度は死ななければならないんだ。あんたにしても昔は違うことを考えていた。おまえはなぜ区裁判所判事にならなかったのか? などと神さまはおたずねにはならないだろう。

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みんなが同じ生き方をしているとき、そうでないものの生きざまはそれだけで価値がある

そしていよいよ作品のエンディング。クヌルプは臨終に際して心の中で神と対話します。

十四歳で女に捨てられたことで何かがこわれたというが、その後の人生のすべてが無に等しかったというのか?

あの当時の私のように杯をあげ、ダンスに興じ、恋の夜を祝ったものはそう数多くはおりますまい。あのときで終わりにすべきでした。

さあもう満足するがいい。何ひとつとして改めるべき点などない。おまえは人なみの暮らし、親方となって妻子をもち新聞でも読むような生活がしたかったというのか? そんな生活に入ってもすぐに逃げ出しけっきょくは放浪ぐらしに戻るのではないか?

ヒッピー&バイク映画の最高傑作『イージー・ライダー』ワイルドにトリップする映画

神の名において、おまえはさまよい歩き、定住する人々に、いささかなりとも自由への郷愁を伝えなければならなかった。神の名においておまえは愚行をおこない、嘲笑されなければならなかった。

すべてがこれでよい。すべてがあるべき姿をみせている。

クヌルプは自分の選んだ生き方に満足して死んでいったのでした。野たれ死にのように見えて意義のある価値のある生き方だったと思います。みんなが同じ生き方をしているとき、そうでないものの生きざまはそれだけで価値があると私は思います。

定住し税金を取られる生活をしている者が、放浪しあたりまえの価値観に染まらないクヌルプを憧れの目で見つめたのは、そして軽侮の目で見つめたのは、あたりまえのことでした。

今の自分じゃないなりたい自分になるために、今の自分を認めて許してあげるために。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。

たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。

あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。

作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。

人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。

しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。

作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
認識とか、発想とかで、人生はそう変わりません。だから相手が世界的文豪でも、しょせんは年下の小僧の書いた認識に対して、おまえはわかってないなあ、と言えてしまうのです。それが年上だということです。涅槃(死。悟りの境地)に近いということなのです。
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