インバウンド規制緩和
京都の金戒光明寺の山門を拝観してきた。例によって撮影禁止である。アフロ仏陀を見に行くのが最大のねらいであったが、山門もまた素晴らしいものであった。有名な南禅寺の山門よりも絶景である。
京都は普通の市民が神社仏閣の近所に普通に暮らしている。一般市民のプライバシー保護のために山門のような高いところからの撮影は一切禁止なのだそうだ。
理由を聞いて納得した。なるほどそれなら仕方ないね。
だったら山門の内側ならいいだろうと思ったが、やはり撮影禁止である。
山門の内側には一般市民のプライバシーなんてない筈なのに、どうして撮影禁止なのだろう。
外国では地上の至宝クラスが撮影OKなのに、もったいぶって撮影禁止にするのはやめてもらいたいものだ。
ここはイノセントな白人旅行者のインバウンド規制緩和に期待したいところだ。
日本人は彼らのあとに続いて門戸を大きくこじ開けるべし。
ボランティアガイドの話しは絶対に聞くことをおすすめします
無意味な撮影規制のせいで写真を見せることができないのだが、山門の楼上内部には天井画の龍と、釈迦の弟子の16羅漢の像が安置されていた。
楼上では会社を定年退職した年齢のシルバーボランティアさんが、楼上から見える景色を無料で案内してくれた。
こういうガイドに耳を貸さないでさっさと先に行ってしまう人がいるが、わたしは絶対に聞いた方がいいと思う。
私などは自分とは全く関係のない観光ツアーのガイドさんが説明しているときも、一緒に聞くことにしている。
「ささ、あっちに行きましょう」と、ときどき嫌な顔をされることもあるが、パブリックな場所で大声でしゃべる方が悪いのだ。「聞かれて困るなら大声で喋るんじゃない」と言いたい。
山門からは天王山と洞ヶ峠が見えた。筒井康隆の『筒井順慶』が読んでみたくなった。京都に住むということは、歴史と繋がるということなのだなあ、と思う。
金田一春彦先生が「国学者は京都に住まなきゃ」と言っていたが、その通りだと思う。
コイン駐車場を探して、車で京都の狭い路地を走っていたら「本能寺跡の碑」を偶然見つけた。テレビで織田信長の最期をやるとよく見かけるあの碑だ。
いたるところで歴史にぶつかる。それが京都なのである。
十六羅漢の最後の弟子は「おでかけですか?」レレレのレ~
ところで釈迦の弟子のことである。十六羅漢とも呼ばれている。阿羅漢である。お釈迦様の弟子の中でも特に優れていた十六人のことだ。
当然ながら、全員インド・ネパール人である。
羅漢の筆頭ビンドラバラダジャは「撫で仏」で有名な「びんづるさま」だという。へえ~!
賓度羅跋羅惰闍ビンドラバラダジャと言われただけじゃわからない。この人が「びんづるさま」だとわかったのはガイドの説明のおかげだ。
羅怙羅ラゴラは親の七光りと呼ばれないように必死に修行した釈迦の実の子だとか。へえ~!
Wikipediaには、釈迦が出家して5年後に生まれたと書いてあるが、計算が合わない。
ワンピースの鬼の子エースのように妊娠期間がやたらと長かったのか、もしくは我慢できなくてやっちゃったのか?
もしかしたらお釈迦様は親鸞さまのような人だったのかもしれないな。そもそも原始仏教ではアレが禁止じゃなかったのかもしれない。
バカボンのレレレのおじさんのモデルが十六羅漢の中にいると聞いたのがなにより驚いた。
「掃除」で悟りをひらいた注荼半吒迦チューラパンタカこそがレレレのおじさんのモデルだということだ。
釈迦の弟子中、もっとも愚かで頭の悪い人だったため、掃除のような簡単な仕事ばかりさせられていたが、掃除の中でも悟りを開いて阿羅漢になった人物なのだそうだ。へえ~!
そもそもバカボンは「薄伽梵(ばぎゃぼん)」が語源で、「悟りを開いた者」ブッダをあらわしているらしい。
本当にそこまで赤塚先生は考えていたのだろうか。考えすぎじゃないか?
赤塚不二夫の『これでいいのだ!!』人生相談で、赤塚先生の凄みは知っているが、いくらなんでも偶然の一致じゃないのか?
名セリフ「これでいいのだ」も仏教的な悟りの境地を表現したものだという人さえいた。過大評価しすぎじゃないか?
バカボンはバガボンド。自由なさすらい人
私としてはバカボンはバガボンドに由来していると考えたい。
バガボンド=放浪者。漂泊者。ワンダラーズ。エグザイル。エクスプローラー。と同じ意味である。
一定の所にとどまるのを好まず、転々と渡り歩く者。
私のいうサンダルマンも同じだ。
自由なバカボンのパパにピッタリではないか。
そう言えばバカボンのパパも、雪駄みたいなサンダルを履いていたのではないか。
ただ阿羅漢を眺めているだけでは、おっさんが十六人並んでいるだけであった。
ガイドの説明のおかげでこうして一編のコラムが書きあがるほどイメージの世界が広がったのである。
やっぱりガイドの話しはよく聞いた方がいい。