もしも韓国に妹がいるのなら、オッパと呼んでほしい。
親の海外赴任で、私は帰国子女という存在になりました。父親の会社の都合で転勤・転校したのですが、その父親の会社というのが「三井物産」でした。言わずと知れた日本有数の大企業です。
ソウル日本人学校の偏差値レベルと韓国語。卒業生の進路と有名人。同窓会と将来
先日、ニュースを眺めていると、たまたま三井物産の記事を見つけました。2023年の年収が高い会社ランキングの第五位に三井物産が入っているというものです。平均年収は1783万円だそうです。ものすごい高給取りです。うちの父もこんなにもらってたのか、と感慨深いものがありました。そして一抹の疑問を感じます。
三井物産というのは老舗の大企業です。2023年にすい星のごとく登場した新興企業ではありません。私が就職活動していた頃も文系男子の就職希望先ではマスコミ各社と人気第一位を競い合っていました。昔から給料も高かったと思います。幼い頃の私ですら、父の会社が潰れることは絶対にないだろうなあと思っていました。総合商社というのは輸出も輸入も取り扱っています。円高なら輸入部門が、円安なら輸出部門が稼いでくれます。エネルギーや食料品など人が生きている限り絶対に必要な商品も取り扱っています。どう考えても仕事がなくなるということは考えられません。日本政府も総合商社という大手企業を必要としています。中小企業ばかりでは政府の大きな仕事をこなせないからです。
そのような家に育ったために、私は三井物産という優良企業に勤めた会社員の暮らしというものを熟知しています。実家の暮らしがつまりはそれですから。
三井物産の生活と年収額マジック。家族の暮らしと貯蓄額の現実。
高給取りのはずなのに、お金持ちだった実感がない
ところがこれほどの高給取りの父親をもちながら、実家の暮らしを「うちって金持ちだなあ」と思ったことは一度もありません。「うちって貧乏だなあ」とひもじい思いを感じたこともありませんが。新興分譲住宅地に住んでいたのですが、ご近所さんと同じような暮らしをしていました。とりわけリッチではなかったと思います。投資でワンルームアパートやゴルフ会員権をもっていたようですがバブルが弾けて赤字で売却したそうです。他に持っているのは新興住宅地と車一台のみ。車もベンツじゃありません。フツーの国産車です。資産があるとすればキャッシュでもっているはずです。
大学生の頃、独り暮らしでアパートを借りるために父親に保証人になってもらいました。アパート契約書には保証人の年収を書く欄がありました。父の年収は2000万円を大きく超えていました。2023年の平均年収1783万円というのは若手社員を含めたあくまでも平均額ですからむべなるかなでしょう。
実家の暮らしは普通の一言でした。玄関に飾ってあるおおきな青磁が韓国がえりを思わせますが、この青磁器は売ってもさほどの金額にはならないそうです。家じまいをしたソウル日本人学校の同級生から二束三文でしか売れなかったと聞いています。
日本を代表する企業の商社マンとしてもらっていたはずの高い給金と、生活レベルが合わないのです。財産はどこへ消えたのでしょうか?
贅沢していないだけで、通帳の数字はものすごいのでしょうか?
疑問だったので父に直接聞いてみたことがあります。
しかし「貯金はあまりない。暮らしていけないわけじゃないが、年金額は十分ではない」との回答です。「生命保険に入っており、死亡保険金500万円があるからすこし安心できる」なんてことを言います。500万円って……5000万円ぐらいは残して当然なのではなでしょうか。
高給取りでありながら、どうしてうちにはそんなにお金がないのでしょうか? 贅沢な趣味など何もしてきませんでした。現役の頃はおつきあいゴルフもしたようですが、老後の趣味は詩吟です。ゲートボールの方が金がかかると思います。
もしかしてウチの父は韓国に隠し子がいるのではないか? そう思いました。そう考えなければ平均の何倍ももらっていた高額サラリーがどこへ消えたのか説明がつきません。
ソウルに現地妻、子どもがいて、こっそり仕送りしているのではないか?
ソウル赴任中に家族に内緒で現地妻をつくり、子供もできて、こっそり仕送りしている。そう考えるのがもっとも納得のいくシナリオです。韓国の家族も養っているのならば、高給取りだったのにお金がない現状をうまく説明することができます。
謹厳実直に見える父からは、ソウルに隠し子がいるようには見えないのですが、ありえないことではありません。今の豊かな韓国しか知らないと想像できないと思いますが、父のソウル赴任当時、日本と韓国の経済格差は凄いものがありました。当時は日本人というだけで圧倒的に金持ちだったのです。韓国人運転手つきの車を乗り回し、使用人もいる暮らしをしていました。ありえない話しではありません。金持ちは女性にモテるのです。それが現実です。
「怒ったりしないから、もし韓国に妹がいるのなら、正直に告白してほしい。もし本当にそうなら仲良くするよ。妹がいたらソウルに会いに行けるじゃないか。お兄ちゃんだよって」
父に私は言いました。弟の可能性もあるのに妹と決めつけているのは、弟だと慕ってくれなそうだからです。ソウルに住んでいたガキの頃にはよく韓国人と公園の広場を巡ってケンカしたものでした。だからあまり仲良くできるイメージが浮かばないのです。家族ぐるみの付き合いをするには妹であってほしいという私の願望なのでした。弟だったら話しは聞かなかったことにしましょう。私は妹にオッパと呼ばれたいのです。
経済格差があった頃だったら、縁故社会の韓国では、日本にひとり縁故ができると一族郎党みんな来日しちゃうという話しを聞いたことがありますが、それはもう過去のイメージです。妹も昔なら日本に来たかったかもしれないが、もう今はそうは思わないでしょう。どっちかといえば私が韓国に行きたいぐらいです。妹の家なら遠慮なく泊まれるし、妹なら日本に遊びに来てもらってうちに泊まってもらえます。想像すればするほど夢がひろがってゆきます。もしもオッパと呼んでくれる妹がいるのなら韓国語も必死に勉強しておぼえましょう。妹に姪っ子がいてなついてくれたなら、おみやげ持って毎月だって韓国に通うかもしれません。
日本語と韓国語。英語とフランス語。どっちが近い言語か? 似てるのはどっちか。
隠し子のことは、若かった頃なら隠さなければならなかった思いますが、ソウルにもうひとつ父の家庭があったとしても、今更うちの家族が壊れることはないと思います。なぜか分与する財産もないみたいだし、むしろ妹がいてくれた方が面白いとさえ私には思えるのです。
もし本当にそうだったらすてきでしょう。国と日本に虹がかかります。
謎の「消えた資産」は、日韓の架け橋として使ったわけではない
もし本当にソウルに妹がいたら、父母を連れて、私が今のソウルに連れていきましょう。貧しかったあの頃の韓国と違って、母も今なら韓国を楽しめるでしょう。時代は変わったのです。
このようなことを熱弁し、私は父に真実の告白を迫りました。
しかし父は笑って、そんなものはない、と静かに首を横に振ったのです。嘘をついているようには見えませんでした。
韓国に私の妹(弟)はいないみたいです。残念です。
実家の「消えた資産」は謎のままですが、すくなくとも日韓の架け橋として使われていたわけではないのでした。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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