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相手の土俵で勝負。ときには「人まかせ」にすることで自分をアップデートする

海外で日本食を食べるか、現地の食べ物を食べるか?

みなさん今日も楽しい旅をつづけていますか?

ツアー旅行に参加していると、旅先でも日本食ばかりを食べたがる人っていますよね。

みなさんはいかがでしょうか。

私は基本的に現地の食べ物しか食べません。外国で日本食を食べるなんて勿体ないと思っています。多くても一日三食しか食べられないのに、それを食べ慣れた日本食(しかも本場日本よりもまずいものを)で満たそうだなんてもったいない。

かつて三都物語というツアー(ロンドン、パリ、ローマ)に参加したのですが、アテンダントが「何か質問はありますか?」と聞くと、必ず和食レストランの場所を聞くジイちゃんがいて、あまりに毎回聞くのでみんなの失笑を買っていたものです。この人、和食しか食えないのかしらん?

こちらの趣味に相手を染めるのではなく、相手の趣味にこちらが染まる

思い出すのは、修業時代の若い頃、いろんな女性とお付き合いをする中で、すこしでも相手に受け入れてもらえるように、こちらの趣味に相手を染めるのではなく、相手の趣味にこちらが染まって、相手の土俵で交際をしようと努力していたことです。

洋楽が好きな人とつきあっていた時は、こちらも元々それほど好きではない洋楽を聞きました。

テニス好きの人とつきあった時は、こちらもテニスを始めました。

インターネット通販をやろうとしていた人とつきあった時は、サイトを一緒に立ち上げたりしましたね。

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(本文より)

カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。

「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」

金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。

あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。

あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。

人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。

むしろ、こういうべきだった。

その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。

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食べ物と対人関係。対象が変わっても、対峙する姿勢は同じ

海外での食事を和食にするか現地の食べ物にするか、という問題は、異性とつきあったら自分の趣味を押しつけるか、相手の趣味に染まるか、という問題に似ています。

私の場合は、現地の食べ物と酒で楽しむようにしています。女性と付き合うときも同じスタンスでした。

食べ物と対人関係。対象が変わっても、対峙する姿勢は同じなんだなあ。

ときには「人まかせ」にすることで自分をアップデートする

先日、小学校時代の同窓会をやったのですが、旅の仕方を「人まかせ」にしたら、とても勉強になりました。

自分とは違うやり方で旅する人に「まかせる」ことで、自分のやり方にバリエーションが増えたと感じています。これまで触れてこなかったeSIMだとか、Airbnbだとか、新しいテクノロジーもどんどんシャワーのように浴びて慣れていこうと刺激を受けました。

ソウル日本人学校の偏差値レベルと韓国語。卒業生の進路と有名人。同窓会と将来

人間、中学生ぐらいから、本質的なところは大人になってもそんなに変わらないと思いませんか。

スキルよりもスピリッツのほうが大事だということでしょう。

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