新しく物を買うということは今使っている古いものと決別するということ
とうとうやってしまいました。パソコンの解体。あれほど大切に使っていたパソコンなのに、新機種が届いたと同時に置き場所がなく、邪魔になり、とうとう解体実験へと送られたのでした。さらば旧パソコンよ。
まあ、覚悟していました。私にとって新しく物を買うということは今使っている古いものと決別するということでもあります。
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どうして私はパソコンを解体せずにはいられないのか?
使用済みとなったパソコンをどうして私は解体せずにはいられないのでしょうか?
そもそも私のパソコンはBTOパソコンなので、すべてのパーツがもともとは自分の選択です。自分でチョイスしたものを組み立ててもらった成果品を購入したのでした。
いちから組み立てるのはハードルが高いにしても、ぶっこわすのならばなんとかできそうだと考えました。いくら半可通でも解体ぐらいできるでしょう。
私にとってパソコンというのは魔法の箱です。魔女の大釜の気味の悪い汁の正体を知りたくなるように、この魔法の箱の中身を知りたいと思ってしまうのです。
パソコン解体新書です。これはデスクトップならではの楽しみ方でもあります。ノートパソコンにはデスクトップパソコンほど部品をばらす面白さはありません。
パソコン解体新書。解体せずにはいられない
メモリーの救済・再利用
パソコンのメモリ増設は容易です。スロットに差し込むだけです。新しいパソコンを買うたびにいつも思うのですが、旧パソコンのメモリを新パソコンに引き継げないものでしょうか。古いパソコンからメモリを引っこ抜いて、それを新しいパソコンのスロットに差し込むだけだと思うのですが……。
臓器移植するようにメモリーを新パソコンに移植したいといつも考えます。しかし……いつもダメなんだよなあ。
私はパソコンはいつも中の上というよりは上の下ぐらいのスペックのパソコンを購入しています。それなりに高い買い物になりますが、パソコンの前に座っている時間が人生の大半を占めるので、そこはお金を出し惜しみしないようにしています。そしてその上の下の高スペックPCをできるだけ長く使うという使い方をしています。通常5~7年ぐらいパソコンは使いますね。
すると……旧パソコンのメモリーを新パソコンに引き継げないのです、いつもいつも。5~7年ぐらい経つとメモリのスロットの規格が変わってしまっているからです。今回もまた解体してトライしてみたのですが駄目でした。メモリを引き抜いて、差し込もうとする新パソコンのスロットの形状が、従来のものと変わってしまっているのです。マイッタなあ。いつもこの調子です。旧パソコンのメモリー臓器移植手術に成功したためしがありません。
パソコンは電源と、マザーボードと、CPUとファン、HDDとメモリからできている。
CPUというのはファンの下に隠れています。この小さな半導体がパソコンの複雑な仕事をこなす頭脳なのかと思うと驚きを禁じえません。そのCPUをダイレクトに冷やすようにファンが設置されています。それらのベースとなるのがマザーボード。このボードのスロットにメモリーが差し込まれています。
これらマザーボード系一式とは別に、電源ユニットと、ハードディスク系のユニットがあります。パソコンというのは、これらひとつひとつの部品を繋いでいるだけです。
これらの部品を自分で選んで自分で組み立てるのを自作パソコンといいます。マニアの領域ですが、それほど難しいことではありません。基本的にはつなぐだけです。
パソコンが魔法の箱である本当の秘密はひとつひとつの内部、細部にあります。その内部までは一般人の立ち入れる場所ではありません。車の修理工が部品を交換することで車の整備をすることができても、内燃機関の内部まではどうにもできないのと同じです。
日本のテクノロジーの凋落の原因は、もはや見て真似できるレベルではないからじゃない?
私は日本の科学技術が世界のトップを走れなくなった原因はもはや半導体テクノロジーが「真似できるレベル」ではないからではないかと思っています。
火縄銃とか、洗濯機とか、それぐらいのテクノロジーだったら、目で見てマネできたと思うんですよ。ちいさな部品に分解して、部品をそっくり真似して、それを同じように組み立てれば、同じ火縄銃や洗濯機が完成するはずです。車のエンジンも複雑ですが、まあ大企業のエンジニアが解体して真似できるレベルだったんだと思うんです。だってひとつひとつの部品が目で見える範囲の大きさだったから。
そうやって日本の家電製品は世界トップの地位を走ったのではないでしょうか?
しかし半導体は違います。これはもはや微生物レベル、遺伝子レベルで、部品の細部を目で見ることができません。細かいところがどうなっているのか、目で見て真似することができません。だからもう半導体技術レベルになると、もう市井の研究者レベル(本田宗一郎とか松下幸之助とか)がどうのこうのできるレベルじゃないと思うんです。
それが日本が真似して改良する電器産業の限界だったんじゃないかな、とパソコンを解体しながら考えたのでした。
解体するとパソコンに対する知識が深まる
車とかバイクを解体する剛の者もいますけど、私の場合はパソコンです。いつも旧パソコンはサヨナラする前に解体しています。解体すると、すこしだけパソコンに対する知識が深まりますよ。
そしてつくづく不思議だなあ、と思うのです。こんな小さなパーツになんでパソコンみたいな複雑な作業ができるのか。それは解剖学者が脳みそを前にして抱く感慨と同じものかもしれません。