死ぬときに後悔したくないから、今おれは本を読んでいる
先日、小学校時代の同窓会があって「今、何に熱中しているのか?」と問われた。これが十年前だったら「メチャクチャ走っている」と答えたところだ。
でも今は、もう死ぬ気で走る場所からは一歩引いている。もう自己ベストは出せない。そんな状態でいつまでも昔の夢にしがみつくのはおれの生き方じゃない。
コーチ理論と引退哲学。ズルズルと負け続けると負のマインドセットになって自分のノウハウに自信を失い、よい指導者になれない。
新しい場所で、新しい夢を見てみたい。「走る」という世界から一歩引くことができたのはマラソン本を書き上げたことが大きい。魂を込めた著作によって、なしとげた、けじめをつけた、と思えるからだ。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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だから旧友に「今何をしているのか?」と問われたときに、今は「メチャクチャ本を読んでいる」と答えた。すると「なんで本なんだ?」とさらに質問された。「死ぬ時に後悔したくないから」とおれは答えた。抽象的な回答だったため級友は理解できなかったみたいだが、これは本心だ。死ぬときに後悔したくないから、今おれは本を読んでいるのだ。
「どんな本がおすすめか?」と聞かれたので「夜と霧」と答えた。
そしてこう聞かれたのである。「『失われた時を求めて』は読んだ? あの長いのは?」と。
登山といえば富士山、マラソンといえばホノルル、読書といえば「失われた時を求めて」
その質問を受けたときに「きたか」と衝撃を受けた。
わかっていたのだ、おれには。そう問われるであろうことは。
おれが決然と走り始めた頃「マラソンをやっている」というと「じゃあ、ホノルルマラソン走ったことある?」と聞かれたものだった。門外漢にとってマラソンといえばホノルルマラソンだったのである。最近じゃ東京マラソンに代わっていると思うが。
ランニング・イラストの最高峰。ホノルルマラソン「君の名は?」
その世界には代名詞というものがある。登山をやっているといえば富士山に登ったことあると聞かれるようなものだ。
それと同じように読書といえば「失われた時を求めて」なのであろう。なにせ長い、とにかく長い、ものによっては全十四冊の大著である。THE読書である。読書家でなければ読めない。ふつうの人は背表紙を見ただけで読む気がしない。ていうか読み通せる気がしない。読み終わるまでの時間が確保できない。読み終えるだけの根気が続かないだろうと容易に想像できる。だから手を出さない。読まない。それが普通の人間だ。でも「読書家っていうぐらいなら、あれを読んでいるのだろう」と、そう思うのであろう。
これまでに読んだ最長の本は何ですか?
アポロニオス『アルゴナウティカ』アルゴ探検隊の大冒険。本当の主人公はイアソンではなく魔法少女メデイア
だからまだ「失われた時を求めて」は読んでいない。あれに挑戦するには覚悟が必要だ。でも世の中っていうのは、こういう聞かれ方をするものなのだ。
たとえば「赤川次郎の著作をぜんぶ読んでる」方が「失われた時を求めて」全巻よりも、ほんとうははるかにたくさんの文章を読んでいるのは確実だ。でも「赤川次郎をぜんぶ読んだ?」とはまず聞かれない。それが試金石ではないからだ。「失われた時を求めて、を読んだ?」と聞かれるのだ。紋切型だがそれが真実だ。おれはシャーロックホームズシリーズを全部読んだが「ホームズ全集読んだ?」と聞かれたことはない。それがTHE読書じゃないからだ。THE読書は「失われた時を求めて」なのである。
ホームズ・ワトソン・スタイル。シャーロックホームズ60編の読むべき順番
あなたがこれまでに読んだ最長の本は何ですか?
ところであなたがこれまでに読んだ本で最長だったのはどの本ですか?
私の場合はおそらく『カサノヴァ回想録』ではないか、と思う。文庫によっては全十二巻にもなる大著であった。いやあ、時間がかかったよ。
ジャコモ・カサノバ『回想録』世界一モテる男に学ぶ男の生き方、人生の楽しみ方
全十二巻が終始おもしろかったかというと……決してそんなことはない。筆者が伝説の色事師カサノヴァでなかったら読んでいないと思う。日本の新人が書いた本だったら「おもしろくない」と絶対に途中で放り出していると思う。
色事師で、詐欺師で、自由を愛する旅人で、エカテリーナ二世や、サンジェルマン伯爵のような華麗な脇役を配している本ですら、最後まで読むのにはかなりの根気がいったのだ。
それをただのプルーストが書いた全十四巻の本を読み通せるだろうか?
読書はマラソンに似ている。
マラソンランナーだった私にはわかるのだ。読書はマラソンに似ている。マラソンだってはじめはジョギング程度しか走れなかったのだ。でもすこしづつ走れる距離を伸ばして、走るスピードを上げて、いつしか人から褒められるほどのスピードでフルマラソンを完走できるようになった。
読書だって同じだ。最初は長いものは読めない。読むのも遅いし、それほど根気も続かない。でもだんだんと長いものが読めるようになっていく。難しいものが読めるようになっていく。それはマラソンが上達する道程とまったく同じだ。
そして……思うのだ。おれもこれだけ読んできたのだ。そろそろ「失われた時を求めて」に挑戦してもいいかな、と。今なら挑戦できるのではないか。気力体力充実している今なら。むしろ今だからこそ挑戦できるのではないか。おれならば読破できるのではないか?
たぶん……とっても退屈すると思うんだよな。フランスの社交界の話しでしょ? 自分の状況とかけ離れすぎているし、終始ワクワクして読めるような本ではないだろう。そんなだったらみんな読書家になってるよ。そうじゃないから本離れが叫ばれるんだ。
そういう本はたくさんある。大文豪の書いた本はたいてい退屈だ。ノーベル文学賞をとっていると知っているから読み通すけれど、どこの誰ともわからない日本の新人が書いた本だったら途中で放り出しているだろうという「読んで面白くない世界の名著」は山ほどたくさんある。
だから読んで芸術にふれるのではなく自分の人生を芸術にしたいと思っているタイプの若者は決して読書家なんかにはならない。波乱万丈な人生を楽しみたいと思っている人はきっと「失われた時を求めて」なんかに挑戦すらしないだろう。
でもおれは自分の人生が退屈でも別にいいと思っているんだ。読んで退屈でも、それで「もともと」だと思うから。だから読めると思う。こういうおれだからこそ読めると思う。
かつてわたしは「若いと、読めない」という読書コラムで、読書には読み手の熟練が必要だと説いた。
でも年をとりすぎても駄目だと思う。マラソンの走る力が落ちたように、読書力もまたいつか落ちるだろう。たとえば老眼で字が読みづらくなるなどもそのひとつだ。
でも今のおれなら挑戦できるだろう。そして最後まで読み通せそうな気がする。むしろ、このタイミングを逃したら、一生読む機会はないかもしれない。
クラス会で旧友に「『失われた時を求めて』は読んだ? あの長いのは?」と聞かれて、ハッとした。そうだ。今、挑戦しなければ。ずっと昔からそう思っていたのだから。
だからおれは、今日からおれは、THE読書の最長不倒距離『失われた時を求めて』に挑戦します! ゴールまで、きっと走り通してみせるぞ。
※追記。2023年12月。『失われた時を求めて』読破しました!