マルセル・プルースト『失われた時を求めて』の内容、あらすじ、書評、感想

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岩波文庫の編集を高く評価する。

岩波文庫でマルセル・プルースト『失われた時を求めて』を読んでいます。編集がとてもいいですね。とくに脚注が同じページにあるのがひじょうに読みやすくていいです。編集方針を高く評価したいですね。

林芙美子『放浪記』老境の改作は改悪。作品はいちばん売れたバージョンこそ残すべきだ

私の場合、読書は疾走感を重視してるので、注釈は後ろにまとめて表示されてあってもいちいち読みに行きません。編集上は注釈は後半にまとめる形式のほうが編集者の仕事としては楽だと思うんですが、当該ページにある方が読みやすいものです。ぜひ他の書籍も見習ってほしいと思います。とくにこれからはデジタル書籍がライバルですから、クリック一つで注釈に飛べるデジタル機器とたたかうのなら、そのぐらいのサービスの労はとるべきでしょう。

また絵画通のプルーストが地の文で言及される絵画が、その都度紹介されているのもひじょうにいいと思います。現在はインターネット画像検索で当該絵画をすぐに探せますが、それでもとても読みやすいと思いました。

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マルセル・プルースト『失われた時を求めて』

ところで岩波文庫『失われた時を求めて』は全14巻です。長い! じつは「もっとも長い小説」としてギネスブックに登録されているそうです。

これまでに読んだ最長の本は何ですか? 読書はマラソンに似ている。

当座、ここで紹介しているのは1巻~6巻までの内容です。世界最長の本を読み通せるか不安だったのですが、この調子で少しづつ読んで行けばどうやら読み通すことができそうです。このコラムは時間をかけて完成させていきます。

今後、随時内容を追加していきます。なぜ途中で公開するのかというと、ラストまで読み通すにはまだまだ時間がかかりそうですし、別にブログなんて途中段階のものを公開したって構わないと思うからです。同じことを『私的世界十大小説』というコラムでもやりました。本当の俺的世界十大小説はこれからも追加されていくだろうから、完成を待っていたらいつまでたってもコラムは完成しません。

私的個人的・世界十大小説。読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの本

ちなみに私的世界十大小説に『失われた時を求めて』が入ることはないと思います。四巻まで読んでそう判断しました。

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【まんがで読破】失われた時を求めて。大長編のあらすじを先に知る

なにせ大長編です。まずは漫画であらすじ、内容を頭に入れておきましょう。

中年作家が昔のことを思い出す設定です。コンブレーのふたつの散歩道は、お金持ちのスワン家の方と、由緒ただしいゲルマント家のほうの二つがあります。人気あるユダヤ人スワン。恋するのは高級娼婦オデットで後に妻となります。主人公は娘のジルベルトとの初恋を経験します。ゲルマント家のシャルリス男爵は男色でした。その恋人のシャルル・モレル。

サン=ルー公爵は女優のラシェルにあしらわれています。そのサン・ルーはなんとジルベルトと結婚するのです。モレルとの男色も経験します。

海辺の娘アルベルチーヌはレズビアンでした。夏の終わり。楽しかった日々を思い出す。アルベルチーヌを手に入れるが今は愛していないのでした。別れた直後に事故死してしまいます。喪失感、愛していたと泣きます。

ウィルパリジ公爵は祖母の同級生でした。主人公は社交界で人気者になろうとします。さあ挨拶してこよう。ただ会話するだけだから大丈夫。ヴェルデュラン夫人から招待状を受け取ります。

時が過ぎていきました。

戦争が人の心を焼きつくしてしまいました。脳卒中のシャルリス男爵。ヴェルデュラン夫人は再婚どうしでなんとゲルマント大公夫人となっています。

以前と違う。これは……私の失われた時だ。

感じたものを書き残せばいいんだ。その幸福感を、感じたものすべてを。失われた時の中から見出せばいいんだ。主人公は作家たろうとします。

サン・ルーとジルベルトの娘。それはスワン家とゲルマント家の融合でした。二つの散歩道だった貴族とお金持ちの道はひとつになっていたのでした。彼女は私の青春そのものでした。今や私は時空を超える存在となったのだ。

永遠の命は芸術にも人にも約束されてはいない。あの感覚……あの瞬間! 音も味も感触もすべて思い出すことができる。今まで一度たりとも止まることなく流れてきた時間……それは私だけのものではなく、この世のすべての人々に今も脈々と流れ続けているのだ。

こうして私は再び歩み出す。失われた時を求めて。

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『失われた時を求めて』の内容。書評、感想。

まんがで読む名作シリーズを読んだ結果、おもしろそうだと判断しました。私は読書はマラソンに似ていると思っています。一歩一歩です。さあ、スタートです。いっしょに読み始めましょう。

スワン家のほうへ(コンブレー)

どんな人たちと付き合える地位なのか。生まれたときから両親の階級に位置付けられ、例外的な経歴や望外の結婚といった偶然がなければ、そこから抜け出して上位のカーストに入ることはできない。

すると突然、想い出が私に立ちあらわれた。その味覚は、マドレーヌの小さなかけらの味。味わうまではなにも想いだすことがなかった。長い間放置されたさまざまな想い出にはなにひとつ生き残るものがない。匂いと風味が想い出という巨大な建造物を支えてくれるのである。

→ 匂いや味覚によって過去を思い出すという有名なシーンです。『失われた時を求めて』は時間や記憶といったものがテーマとなっている文学なのです。

フランソワーズの女中仕事のわずらわしさと苛立ち。本を読んで涙した記述と同じ苦痛を現実に目の当たりにしても、不平や嫌味しか思いつかない。

年老いてすべてを諦め、サナギの中に閉じこもって死をむかえる準備をすること。長寿の人の生涯の終わりによく見かけることである。恋人も友人も、ある年から旅行や外出をしなくなり、手紙のやり取りも途絶え、もうこの世で連絡を取り合うことはないと悟るのだ。

作曲家ヴァントゥイユ。お嬢さんのために生き、お嬢さんのために死んだのに、報われなかった。

スワン家のほうへ(スワンの恋)

(スワンは)オデットを愛するようになってからというもの、女に響き合うものを感じ、ふたりで一心同体となるべく努力するのが実に心地よく、女の好きなものを気に入るように努め、女の意見を我が意見として採用することにきわめて深い歓びを感じた。

女にモテるただひとつの方法

今や嫉妬のおかげで勤勉だった青年時代の真実探求の情熱がよみがえったのである。ただし真実といっても自分と愛人のあいだに介在する真実である。完全に個人的な事実であり、オデットの行為や交友や今後の計画やこれまでの過去を対象とし、それに無限の価値をあたえ、そこに無私の美が存在すると考える真実である。

愛想よくしていればよかったんですよ。そうしていれば、いつまでもここに居られたのに。どんな年をとった人にも、お仕置きは役に立つんです。

オデットへの嫉妬、関心や悲しみもおのが心の中に病気のように存在するだけで、病気さえ治れば、オデットの行為や他の男に与えたかもしれない接吻も、他の女のそれと同じく無害になるのが理解できた。

すべてを疑ったあげく、疑いようのない現実はひとりひとりの嗜好だけ。

大勢が集まる場所に出かけたスワンが、いまや人嫌いになり、ひどく傷つけられたからといわんばかりに男たちとの交際を避けるようになった。あらゆる男がオデットの恋人になる可能性があるというのに、どうして人嫌いにならずにいられようか。

恋心などは本人にとってしか存在しないもの、それが実在する外的証拠はどこにも見いだせない主観的状態にすぎない。

辛かったのはオデットが完全に不在の場所にいつまでも追放の身になって閉じ込められることだった。

おれを愛していたはずの数か月の間ですら、すでにオデットはおれに嘘をついていたのだ。

土地の名ー名

告白する歓びを断念することでいっそう相手の好意を惹こうとする。これなどは日本の庭師が一輪の見事な花を咲かせるために残りの花はどんどん摘んでしまうのに倣ったものといえよう。

→ プルーストは独特な比喩をもちいます。たとえばこのように急に日本の庭師の話しを持ち出して状況を説明しようとするのです。すると読者は状況の理解が深まるばかりでなく、急に日本の庭園の風景が頭に浮かんで、文章が多彩で豊かになるのでした。

※お手伝いさんが主人の行動を断片的に観察して間違った結論を導き出すことは、人間が動物の生態に関してしていることと同じである、というように比喩るわけです。

あるイメージの思い出とは、ある瞬間を哀惜する心にほかならない。そして残念なことに、家も、街道も、大通りも、はかなく消えてゆくのだ。歳月と同じように。

花咲く乙女たちのかげに(スワン夫人をめぐって)

粋筋の女(高級売春婦)オデットとスワンは結婚します。

スワンとオデットの娘ジルベルトに主人公は恋をします。そして相手の気をひこうと「もう会わない」行為にでます。そしてジルベルトの心をいろいろ想像するのでした。そこに反映しているのはジルベルトではなく「自分の心」だというのに。

高揚して書いた文章の高揚感は、読む人にも伝わるはずだと思っていた。ところがノルポア氏には伝わらなかった。

アラブのことわざ「犬が吠えるのを尻目に正体は進む」(ねたむものにはいわせておけ)

(自分に)惚れてる男には何をしても構わない。ばかなんだから。

私は「時間」の外にいるのではなく、むしろ時間の法則に縛られているのではないかという疑念である。小説家は時間の流れを感じられるように読者に二十年、三十年という歳月をわずか二分で通過させる。突然、私は自分が「時間」の中にいることに気づき、悲しみを感じた。本の最後に「男はますます田舎を離れられなくなり、とうとうそこに住みついてしまった」などと書かれる人物になったような悲哀を感じたのである。

理性などそれ自体としてはさして重要でない手段に過ぎない。知的な人には愚か者と異なる健康管理が必要とはとうてい思えなかった。

ひとりきりなのはうわべだけで、スワン夫妻の気に入ってもらえそうな言葉をひねりだし、目の前にいない相手の立場に立って自分で自分に架空の質問を投げかけ、当意即妙に答える。このような訓練はやはり会話であって瞑想ではなく、孤独とはいえ心の中でサロン通いしているに等しい。

サロンって何だ? 社交界って何だ?

この人たちの軽はずみなおしゃべりを憎んだ。害をあたえようとか役に立とうとかの意図があるわけではなく、理由もなくただ話したいだけ。

けだし人が語るのは自分が言いたいと感じていることで、それが相手に理解されることはないから、つまるところ自分のためだけに語っているにすぎない。

「結婚は人生の墓場だ」は男女の脳差の断絶に絶望した者が言った言葉

本人のそばにいないと始終、不安をおぼえることになるからだ。こうして女はわれわれに新たな苦痛を強いて支配力を増大させる。

二人の婚約のためにジルベルトが誰かにとりなしを頼むだろうと想像する。

想い出があるからこそ私はジルベルトに戻ってほしいと願っていたのである。しかし私はそのような過去の死滅からはいまだほど遠い所にいた。

花咲く乙女たちのかげにⅡ

私は、官房長の息子。エリート。

友だちとのおしゃべりに二三時間を費やし、相手が私の言ったことに感心してくれても、私はひとりきりになっていよいよ仕事にとりかかる準備をしなかったことに一種の後悔と無念と徒労を感じた。

そんな時間は幸福に思わなければならない。幸福を感じなかっただけにその幸福が永久に奪われることがないよう強く願わずにはいられなかった。人が何よりも自分の外部にある宝の消失を恐れるのは心がその宝をが我がものにしていないからである。

→ 仏陀が説法につかいそうな典型的な悩みの例です。こういう場合、仏陀は、その幸福に執着するから苦しむのだ、と語ったのでした。過ぎゆくものをあるがままに見つけるだけで拘泥しないことを悟りだと言ったのですね。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』人生の意味、意義はフィクション。おのれが選んだ物語

妬みが侮辱的発言となって顕在化する場合「あんなやつとは知り合いになりたくない」(情念)という文言は「あの人とは知り合いになれない」(知性)と翻訳しなければならない。相手との差を抹消するには、それで十分。

実際には未知の快楽などは存在しないのかもしれず、近づけはその神秘も消滅し、つまるところそれも欲望の投影にすぎず、蜃気楼にすぎないのかもしれない。

よろこびを欠くからといって文章の価値を否定することはできない。もしかするとあくびをしながら書かれた傑作だってあるのだろう。作品を書きあげる目的を、どんな快楽よりもはるかに重要と考え、自己を制御していた。

ある女性を愛しているとき、われわれは相手に自分の心の状態を投影しているだけであり、それゆえ重要なのはその女性の価値ではなく自分の心の状態の深さであり、それゆえつまらぬ娘のあたえてくれる感動の方が、すぐれた人と話したり、あたえられる喜びよりも、我々自身のずっと内密で個人的な、また深遠で本質的な部分を意識の上に浮かび上がらせることがあるのだ。

→ 岡本太郎のピカソのエピソードのようです。「岡本太郎を泣かせるピカソって凄い」といった人に岡本は「同じ絵でも君は泣いていないじゃないか。凄いのはピカソじゃない。泣くオレが凄いんだ」と言ったとか。惚れた女が凄く魅力的なんじゃなくて、そこまで惚れることができることが一種の才能なんだというわけです。『マノン・レスコー』ではマノンが凄いんじゃなくて、そこまで惚れ切った騎士グリューが凄かったんですね、やっぱり。

史上最高の恋愛小説『マノン・レスコー』の内容、書評、あらすじ、感想

つぎつぎと激しい不安が湧き起こり、それだけでほとんど何も知らないその女性が愛の対象となる。その愛に現実の女性がほとんど関与していないことなど一顧だにされない。不安こそ愛のすべて。

それほど恋愛においては、われわれのもたらす寄与が、愛する相手が我々にもたらしてくれる寄与をはるかに凌駕する。

あっというまに期待するものが何もなくなり、身体が柔軟さを失って動かなくなり、もはや思いがけない変化のありえない時期がやってくる。あらゆる希望が失われる時期である。この輝かしい朝があまりにも短いがゆえに、人は貴重なパイ生地のように肉体がいまだ発酵しているごく若い娘だけを愛するようになるのであろう。

→ 熟女もいいもんだと思うけどなあ(笑)。

熟女いちご狩り。食べ頃イチゴの見分け方

ある顔は——女の顔というより兵士の顔に見える。ある人は使徒の顔になる。別の顔は長年にわたる試練と波乱を経て老練な船乗りの顔になり、着ているものでようやく女だとわかるにすぎない。

楽園で一日を過ごすために、社交場の楽しみ、友情の楽しみを犠牲にする。友情は自己を放棄することにほかならない。会話も浅薄なたわごとであり、なんら獲得するに値するものをもたらしてくれない。生涯の間喋りつづけても空虚を無限に繰り返すほか何も言えない。それに対して芸術創造という孤独な仕事における思考の歩みは深く掘り下げる方向にはたらく。

友人のそばにいると心の奥底への発見の旅をつづける代わりに自己の表層にとどまって退屈を感じないではいられない。

人間というのは、外からさまざまな石を付け加えてつくる建物ではなく、自分自身で上層に葉むらを伸ばしていく樹木のような存在である。

こうしてアルベルチーヌははかない記憶から脱げ出し、私の目の前で再構成されるのだった。

私はいつか死ななければならず、その死の後も自然の永遠の力は生き残り、私などは一介の塵にすぎず、私の死後も世界はやはり存続するのだと教えてくれたとしても、私は憐憫の冷笑を浮かべたことだろう。どうしてそんなことがありうるのか? 私が世界の中に紛れているのではなく、世界が私の中に閉じ込められているのだ。

アルベルチーヌに接吻しようとすると呼び鈴を鳴らされる。私が受けた屈辱。

アルベルチーヌの考えを知りたいという好奇心も本人に接吻できるという確信が消え失せるとともに消滅した。さまざまな夢想と肉体所有の願望とは無関係だと思っていたのに、その夢想は肉体所有の願望から糧をあたえられなくなったとたんアルベルチーヌから離れた。

私の恋心の核心はこのときの印象をつうじて形成されはじめたからである。

ゲルマントのほうⅠ

私の志望が文学であると知って、うちにいらしゃればいろんな作家と会えますよ、と言い添えてくれた。

どの召使も私の性格の飛び出た部分によって痛めつけられることがないように、自分の性格の対応する箇所にそれを受け入れるへこみをつくる。

→ 私の男女論と同じことを言っています。男女の魅力は絶対値ではなく相対値、男と女は鍵と鍵穴です。

勉強ができるよりも、異性にモテる方が、よっぽど人生を幸せにする

人間とはわれわれの決して入り込めない影、その影を直接に知りうる手立てはない。発言も行動も不十分な情報でしかなく、そもそも相互に矛盾しているから、どちらをとっても真実らしく思える。

(ゲルマント夫人に)恋したとたん、自分が人知れず所有する特権をすべて愛する女性に知らしめたいと願う。

沈黙は愛されている側の人間によって意のままに行使されると恐ろしい力を発揮する。待つ者の不安を募らせるのである。

→ 友達に「しかと」されて辛いのは、その友達を必要としているからでしょう。必要のないどうでも相手だったら、別に沈黙されても何とも思いません。

夢の中で突然、愛人が悦楽の瞬間にいつも断続的に規則正しく漏らすあえぎ声がはっきりと聞こえてきたという。

脚注に登場するフランソワ=オスカル・ネグリエ。アンドレ将軍。ベルばらの名前はここから採ったのかしら?

当時は時代の最先端で珍しかった電話の描写が登場します。顔を見ないで声だけ聴くという体験が新鮮で、電話シーンに数ページを費やしています。会って話している時の印象と声だけの印象は違うことがたんねんに描かれています。今の作家が絶対にやらないことです。

私からすれば祖母はいまだ私自身であり、祖母を見る時は必ず私の心の中の常に変わらぬ過去の場所にそえつけ、もろもろの思い出の透明なプリズムを通して見ていた。それが別の場所に浮かび上がり、あっという間に消え去った。

→『失われた時を求めて』というのはこれがテーマなんだろうと思います。最終巻まで読み続けましょう。

男がそのために生き、苦しみ、自殺する相手の女たちの多くにしても、その女自身は、またほかの男たちの目から見たその女は、私にとってのラシェルと同じようなものかもしれない。(娼婦の)ラシェルがどんなに多くの男と寝ているか、私はそれをロベールに教えてやることもできた。 →だから鍵と鍵穴なんだってば!!

私はいらいらした。私としては——それは間違いだったが——そんな俳優とくらべて愛人の方が劣っていると思い込んでいたからである。われわれは隠れた天賦の才にたいしてではなく、既得の地位にたいして相応の敬意を払うことを求めるからである。

ゲルマントのほうⅡ

人は出身階級ではなく、自分の精神が属する階級の人たちと同様のしゃべりかたをする。

私としては貴台のごとき高名なおかたがあらかじめ負け戦とわかっているものに乗り出されるのを放置するわけにはゆかないのです。

国家も利己主義と策略のかたまり。友人や家族との関係なりは不動のように見えてもそれはうわべだけで、じつは海と同じように果てしなく揺れ動いていることである。おしどり夫婦、離婚の噂、愛情、刎頸の友、卑劣な悪口、仲直り、国同士の同盟関係も同じ。

自分の行動でもごく身近の人にさえ知られることがないのに、言ったことさえ忘れているようなこと、いや一度も言わなかったようなことが、別世界にまで伝わって哄笑を引き起こすのだ。他人の抱くイメージが当のわれわれ自身の抱くイメージと似ても似つかぬのは、あるデッサンと下手な転写が似ていないのに等しい。

ほんのきっかけで真逆の判断をする。それでも私は数時間の差はありながら、同一の人間だったのである。

結局われわれは自分の暮らす樽のそこで、ディオゲネスよろしく人間を求めているのだ。我々がベゴニアを育てるのも次善の楽しみというべきで、ベゴニアがされるがままになるからそうしているにすぎない。だがわれわれは、その労に見合うなら、むしろ人間という灌木に時間を割きたいと思う。

社交界には出入りしないことだ。あなたが歓迎されるにふさわしいすべての館の門を開く鍵は吾輩が握っておる。

奇癖をもたぬと大得意ですが、自分には自分だけの奇癖があって、そのおかげでべつの奇癖を持たずにすんでいるとは考えもしない。あらゆる宗教を創始し、あらゆる傑作をつくったのは、神経症の人であって他の者ではありません。

祖母。尿にたんぱくがでる。尿蛋白。そういう病気が、1900年ごろにはもう知られていたのは驚いた。まだ紫外線療法なんかやっているのに。

死んだ作家は、その名声も本人の墓石のところで止まってしまう。永遠の眠りについて耳は聞こえず栄光に煩わされることはない。

世界は一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家が現れるたびに何度も創造しなおされる。女たちも昔の女とは違って見えるが、それはルノワールの描く女だからであり、ルノワールの描いた森と今やそっくりの森を散歩したい欲求にかられる。この世界はさらに独創的な新しい画家や作家がつぎの地殻の大変動をひきおこすまでつづくだろう。

不安げな、嘆くような、取り乱した目つきとなり、それはもはや昔の祖母のまなざしではなく、くどくど繰り言を言う老婆の陰鬱な目つきであった。

長い歳月がすこしづつ破壊したはずの、無邪気な陽気さがただよっている。生命は、立ち去るにあたり、人生の幻滅をことごとく持ち去ったのだ。死は、中世の彫刻家のように、祖母をうら若い乙女のすがたで横たえたのである。

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作者プルーストの現実

プルーストは母親からユダヤの地を受け継ぎ、同性愛者でもあったという。ユダヤ人ブロックや同性愛者シャルリスには自分の心が仮託されているのであろう。

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テーマは「無意志的記憶」

「無意識的記憶」が『失われた時を求めて』のテーマだと言われています。冒頭のマドレーヌがその代表選手ですが、自分で思い出そうとしたのでもなく、意識的に覚えていたわけでもないのに、ふとした匂いや味覚をきっかけに、自分でも忘れていた昔の記憶がよみがえること。プルーストはそのことを表現するために、この膨大な小説を書いたのだといいます。

そのことをあじわうためには、ゆっくり読むことが大切です。長いからってすっ飛ばして読んでいては、プルーストの無意識的記憶を一緒に追体験することはできないでしょう。

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★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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このブログ著者の小説『ツバサ』
小説『ツバサ』
主人公ツバサは劇団の役者です。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
Bitly
小説『ツバサ』
主人公ツバサは劇団の役者です。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
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