英語飲み会。聞けるのに、話せない。金縛り体験
英会話教室の飲み会に行ってきました。元JICAの大学教授とオランダ人の英語の先生がペラペラと英語で喋りまくっているのを、アホみたいに目の前でひたすら聞いていました。なんとか喋ろうと思ったのですが、ひとことも口を挟めませんでした。

酔ってるせいかしら?
教授の会話のレベルが高かったからではありません。喋っている内容はほぼ100%すべてわかりました。しかし口がまったく動かないのです。言葉が口から出てこないのです。これはかなりショックでした。

自分の脳ミソを疑いました。機能障害か?
これは英語がわからないというショックではありません。それはただ勉強不足なだけで、納得できることです。
私が感じたのは、これほど聞き取れるのに、これほど喋れないとは……というショックでした。ものすごい違和感を感じました。この感覚は、これまでの人生で経験したことがありません。
おそらく母国語をはじめて習得した時も、はじめは聞き取れるけど喋れないという状態を経てきたのでしょう。しかし幼い頃は、ペラペラ喋れるという体験をしていないため「く、口が動かない」とは思わなかったはずです。違和感は感じなかったでしょう。
しかし大人になって感じるこの違和感は、ものすごいものでした。まるで金縛りにあったみたいです。頭の中に返答の内容、つまりコンテンツはあるのですが、それが言葉になって出てこないのですから。まるで自分がおしになったみたいな気持ちでした。意見や感情があるのに、それをまったく言葉にできないのです。
聞き取れるけど喋れないのは、読めるけど書けない漢字に似ている
それにしてもなんで私はこれほど口から言葉が出てこないのでしょうか? 英語で理解したことのリアクションをなんで英語でできないんでしょう。聞くことと、喋ることは、これほど違う脳の部位の処理なのでしょうか?
聞き取れるけど喋れないのは、読めるけど書けない漢字に似ています。聞くほうが喋るよりも守備範囲がひろいのはあたりまえのことです。
しかし聞く守備範囲が100なのに、話す守備範囲が0というのは、いくらなんでも乖離が大きすぎるんじゃないでしょうか? こんなことってあるの?
英語のcomeとgoの使い方。西洋人を自己主張の強い、自己中心主義者という偏見で見すぎていた
それ自体が楽しいことをしながら、ついでに英会話も習得する学習法
私は50代で、いいトシなんですが、なんとなく英語の習得に自信がありました。
勉強前にひとつだけ決めていたことがあります。それは、ひたすら英単語を暗記するような、お受験みたいなつまらない勉強は一切やるまいということです。具体的には「映画」のようなそれ自体が楽しいことをしながら、ついでに英会話も習得するというものでした。楽しくなければやる意味がありません。私たち世代のお受験の英語学習は失敗だったと思っています。だから私はいまだに英語が喋れないわけですから。
昔と同じことをするつもりはありませんでした。だから、私の英会話学習には「単語の暗記」「書く」はありませんでした。「聞く」がメインで、「読む」はサブタイトルで目にすることがあるという程度でした。この学習法で1年間やったところ、かなりの英語を聞き取れるようになりました。現に大学教授の英語を100%聞き取れました。もっとも彼の英語もしょせんは日本人が喋る英語なのでネイティブ英語にくらべたらはるかにやさしいものだったのですが。
これほど聞き取れるのだから、それなりに喋れるだろうと思いこんでいたのです。しかし実践の場ではまったく口から何も出てきませんでした。
これはつまり、これまでの勉強法では限界があるということです。なにがいけないのでしょうか?
マラソンを走れるようになったやり方で、英語の習得を試みる

私はかつて4時間を切れないような鈍足マラソンランナーだったのですが、脳ミソをつかってライバルたちに走り勝ってやろうと試行錯誤して、市民ランナーの三冠王になったという過去があります。そのマラソンを走れるようになったやり方で、英語の習得をしようと思っていました。その成功体験のイメージがあるから、なんとなく英語も習得できるだろうと自信があったのです。
2時間台でマラソンを走るための練習法には、大きく分けて二つあります。ひとつは「ゆっくり長く走る」スタミナの養成。もうひとつは「速く、力強く走る」スピードの養成です。
私が英会話でまったく口から出てこなかったのは、ダッシュ力の不足に他なりません。瞬発力が足りないために、その場で何も言えなかったのだろうと判断しました。その場では喋れなかっただけで、答案用紙を前にした受験の時のように時間があったら、なにがしかの表現ができたはずです。
パッと言えないのは、いちいち日本語から英語を組み立てているからですが、ここはもう仕方がないと思っています。究極的には思考から独り言からすべて英語でやるという、第一言語を英語に代えてしまうという究極の学習法もあるのですが、おそらく私には無理でしょう。日本語と英語のレベルが違いすぎるためです。

それは空を飛べる鳥が、これからは歩くことだけで生きていこうと決意するようなものです。
いよいよ私もスピード練習に手を出すときなのかもしれません。はああ。気が重いなあ。スピード練習って楽じゃないんですよ。では、英語のスピード練習とはどういうものなのか、お話しします。
【本番練習法】通りすがりのランナーに勝手に練習パートナーになってもらうオオカミランニングのすすめ
定型文。つなぎ言葉。あいづち語
どうすれば喋れるようになるのか。聞くことと話すことはどこがどう違うのか。
熟達者にはこんなことを言っている人もいました。スピーキングは舌や唇の運動だ、筋肉に動きを記憶させなければとっさに動けないものだ、と。私の今の状態は、水泳の泳法ビデオを見ているだけで、実際に水に入らない人のようなものだとたとえる人もいました。
つまり聞いてるだけじゃ喋れませんよ、ということです。

なるほど、そうですか。喋ることは運動ですか。運動ならば、マラソンのやりかたが使えるはずでしょう?
私の考えでは、瞬間的に言うには、もう定型文に頼るしかないと思いました。
Why does it 動詞?
のような定型・パターンをいくつか覚えること。同時に、You know とか let me thinkとかUm……といった英語特有のつなぎ言葉を覚えて時間を稼ぐしかありません。
定型文さえ即座に口から出るようになれば、なんとかギリギリ、路傍の石の傍観者からは脱することができます。
あいづち語もいくつか覚えておきましょう。I see. I know. Exactly. Really? Uh-huh など。聞き取れるんですから、向こうに喋らせれば何とか会話が成立します。

ア~ハ~!
子供表現が最強。

私は日本語では「人の言わないことを言う」「他人が表現できないことまで表現する」ことを得意にしてきました。ただ、それを英語でやろうとすると無理なんですね。英語力がまったく追いつきません。大学教授との会話で私が何も言えなかったのは、英語力に比して難しいことを言おうとしすぎたせいだったのでしょう。インテリ教授が相手なので久しぶりに全力で喋ろうかと思ったのですが、英語力がまったくお粗末で無理でした。
英語の場合、「ちょっとおかしな英語を使う人」「小学生ぐらいの簡単なことしか言わない人」ぐらいに自分を認識しておくぐらいでちょうどいいようです。
哲学、オピニオンを語ることはきれいさっぱりきっぱりと諦めて、小学生レベルの子どもの表現を心がければ、言えないことが言えるようになったりします。これをパラフレージーズ(言い換え)と言ったりします。
たとえばここまで日本語で書いてきたようなことを、すべて微妙な襞まで英語で表現するのは無理というものです。強大すぎる壁の前で、なすすべもなく立ちつくしてしまうのです。
純粋でピュアな、単純な小学生みたいな表現ならば、この内容も三行ぐらいで言えるでしょう。
咄嗟に主語を切り替えるテクニック
もうひとつTIPSですが、あるイメージが伝えられないとき、反対のことを言えばクリアできることがあります。
たとえば「端っこの席は嫌だ」と言えなかったら「真ん中の席がいい」と逆のことを言えばいいのです。
人を主語に言えなかったらモノを主語に切り替える。目的語を主語に言い換える。なども咄嗟にできれば有効です。たとえば、
①夏は、怪談にふさわしい。
②怪談が合うのは夏だ。
③私たちは怪談を夏によく聞く。
①~③は同じ内容ですが、主語が①夏②怪談③私たち、と違います。
①が言えなくても、②か③だったら言えたりします。主語を切り替えると、同じ内容でも言えなかったことが言えるようになったりします。
私のこれからの英語戦略
①定型文、つなぎ言葉、あいづち語、の三種の神器に頼る
②子供の表現を心がける。子供の言わないことは言わない。
③言葉に詰まったら、反対語のような言い換えに切り替える。
この三つを頼りに、すくなくとも頭の中に白い霧がたちこめているような状態から、なんとか抜け出してみようと思います。
語学は能力ではなく、生き方、日々の過ごし方だと言う人がいました。英語なんて、アメリカ人ならバカなガキでも喋れるのです。能力の問題ではなく、過ごし方の問題だというのはまったく正しいと思います。
私にとって英会話はゲームのようなものです。心の冒険、インナースペースアドベンチャーです。
スピード練習、やってやるぜ。
