ドラクエ的な人生

【ガチンコ対決】作家・ライター・ブロガー vs 文章生成AI・チャットGPT

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2023年10月現在。物書きと文章生成AIがガチンコ対決してみた

このブログの書き手・アリクラハルトは、お金をもらって雑誌などに記事を書いていたプロのライターです。小説を出版している作家でもあります。物書きを名乗る以上、他の誰も書いていないものを書きたいと常に思っています。

知識を伝えるような記事は他の誰かが必ず書いているし、知識は上書き更新されていくものだからどんなに凄い記事を書いてもそれは一過性のものです。物書きである以上、100年先の人が読んでも読んだ甲斐のある記事を書きたいと思っています。

「どうせ書くならおれにしか書けないものを」それが物書きとしての私の気概であります。その最上のものはおのれの体験記、あるいは小説です。作家の文章というのは作家の体臭のようなものです。うまくハマった場合は、その人の書いた文章なら何でも好きというようなことになるのです。村上春樹太宰治のような熱狂的なファンがいる作家は、その作家の書き方(つまりは体臭)が気に入られているのです。このような境地に達した場合、他の作家では替えがききません。文章生成AI・ChatGPTがどれだけ頑張っても作家の体臭にはかないません。独特の人間臭さというものは、その人にしか出せないものだからです。

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主人公ツバサは小劇団の役者です。

「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」

恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。

「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな

アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。

「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」

ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。

「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」

惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。

「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ

劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。

「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も

ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。

「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」

ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。

「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」

「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」

尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。

妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ

そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。

「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」

そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。

「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」

そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。

「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って

Bitly

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執筆動機は愛情。文章生成AI・ChatGPTが苦手なのは『愛』だ

そのアリクラハルトのブログ【ドラクエ的な人生】では1500以上の記事・コラムを発表しています。玉石混交ですが、なかにはスマッシュヒット・私にしか書けない記事というものがいくつも存在します。

その中のひとつがこちらの記事。

ソウル日本人学校の偏差値レベルと韓国語。卒業生の進路と有名人。同窓会と将来

たくさんの人に読まれている記事です。個人的な体験を書いたものなので、文章生成AI・ChatGPTに書けるような内容ではありません。それよりも何よりもそもそもの執筆動機が愛情だということが決定的に作家・ライター・ブロガーを勝利させていると思います。

文章生成AIには愛情なんてありません。事実を述べることしかできないのです。

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グーグル検索 vs ChatGPT

先日、私は『ヒゲの魅力。イエスは髭づらなのに、ブッダは顎髭がないのは何故だ?』というブログ記事を書きました。イエスもブッダも宗教の開祖です。どちらも「人は心だ」という宗教です。「人は見た目だ」という宗教ではありません。厳しい修行者であったイエス像が髭づらなのはよくわかります。問題はブッダのほう。日本でもタイでもたいていの仏像は顎ひげが生えていません。でも実際には達磨大師のようにひげが生えているのが正しいんじゃないでしょうか?

ヒゲの魅力。イエスは髭づらなのに、ブッダは顎髭がないのは何故だ?

「イエス像には髭が生えているのに、ブッダ像には髭が生えていないのはなぜですか?」とグーグル先生に尋ねても答えは返ってきません。それはつまりこのような疑問に答える記事を書いている人は、日本中に誰もいないということです。Google先生は既存の記事から内容が合致しそうな記事を引っ張ってくるだけですので。ためしに検索してみてください。私の記事しか出てこないはずです。このような記事は「アレ、なんかおかしいな?」という推理小説の探偵のような感受性があってこそ書けるのです。

この記事を書かせたのは私の愛情でも、個人的体験でもありませんが、すくなくとも日本で私一人しか書いていない記事を書けたことにとても満足しています。これも一種の「私にしか書けない記事」が書けた実例だと言っていいでしょう。

ところが……いちおうChatGPTに同じ質問をしたところ、なんと答えが返ってきました。その答えを下記に転記します。誰かが書いたブログをそのまま転記するのはルール違反ですが、ChatGPTなら問題ありませんので。(それがここでの本筋ではありませんので)

【ChatGPTの回答】

イエス・キリストと仏教の創始者であるブッダ(シッダールタ・ゴータマ)の髭の有無に関する違いは、彼らの宗教的背景や文化的な要因に起因しています。以下に詳細を説明します:

  1. イエス・キリストの髭: イエス・キリストはキリスト教の創始者であり、彼はユダヤ教の影響を受けた人物です。ユダヤ教では、男性が髭を伸ばすことが一般的で、信仰や伝統に合致しています。そのため、多くのキリスト教の伝統的な表現やイメージでは、イエス・キリストは髭を生やした姿で描かれます。
  2. ブッダの髭: ブッダは仏教の創始者であり、彼の教えはインドで発展しました。仏教の伝統では、僧侶(仏教の修行者)は髭を剃り落とすことが一般的であり、清潔さと修行の象徴として髭を剃ることが奨励されます。そのため、ブッダは一般的には髭が生えていない姿で表現されます。

この違いは、宗教的な慣習や伝統に基づいており、両者の宗教的背景に合致しています。髭の有無は、宗教的なイメージと象徴としての意味を持っていますが、イエスとブッダの教え自体はその髭の有無に関わらず、その思想と教えが重要です。

なんと見事に疑問に答えてくれました。お見事!! グーグル先生 vs ChatGPT の勝負は圧勝でChatGPT先生の勝ちだと言えるでしょう。

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文章生成AI・ChatGPT 対 作家・ライター・ブロガーの執筆

では作家・ライター・ブロガーを代表する私の記事とくらべてどうでしょうか?

私の記事ではブッダ像がどうして髭が生えていないのか明確な答えを示せていません。「おかしいだろ!」というツッコミだけで終わっています。そういう意味ではChatGPTに軍配が上がったと言えそうです。

しかし私の記事では「アフロ仏陀」を写真入りで紹介しています。このアフロ仏陀というのは座禅修行に没頭するあまりに髪を切ることを忘れたブッダの髪が伸びてアフロマンになってしまっているという像です。それほど修行に没頭して偉いね、というのが感動ポイントなのですが、やっぱり髭が生えていません。それっておかしいじゃん! 髪は気にしないのにヒゲを剃る余裕はあるのか? 髭を剃る暇があるなら髪を剃る暇もあるはずです。修行に没頭しろよ! そもそも僧侶は髪をそり落としてツルツルにしているのだから、ブッダだって髪をそり落としてツルツルにしていないと回答の辻褄が合わないじゃん! とChatGPTにはツッコミを入れたいところです。

このツッコミを受ける余地があることと、アフロ仏陀のような具体的でおもしろい例を提示したところで、この勝負はいちおう互角ということにさせていただきます。

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文章生成AIの謎。その回答をどこから持ってきたんだ?

「イエスは髭づらなのに、ブッダは顎髭が生えていないのは何故ですか?」という類似の記事がまったくない(Google検索でヒットしない)質問内容について、いったいChatGPTはどこからその回答・知識を持ってきたのでしょうか? 謎です。

もしかして学術論文を読み込んでるの? あるいは英語の記事を翻訳して回答しているのでしょうか? Google日本語検索がクロールしないような記事から答えを引っ張ってきているとしか思えません。だってグーグル先生に聞いても答えがヒットしなかったことに答えを出しているのだから。日本で唯一の私の記事とは結論が違いますし。

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作家、ライター、ブロガーの文章が、ChatGPTを凌駕するケース

また私は『日本語と韓国語。英語とフランス語。どっちが近い言語か? 似ているのはどっちか?』という記事を書いたことがあります。

日本語と韓国語。英語とフランス語。どっちが近い言語か? 似てるのはどっちか。

こちらの記事もそもそも私の疑問から生まれた記事です。自分が疑問に思ったことは他の誰かも疑問に思うだろう。自分が検索した内容は他の誰かも検索する需要があるだろうと思って、このような記事を書いています。

日本語と韓国語。英語とフランス語。どっちが近い言語か? という私の疑問に関しては、執筆当時、グーグル検索しても明確な答えは出ませんでした。このような記事を書いている人は(日本中探しても)他に誰もいなかったからです。

さあ、私の出番です。この記事をものにすれば、日本中でこの内容の記事を書いているのは私だけということになります。物書き冥利につきますね。

でも私は韓国語もフランス語も喋れません。日本語と韓国語、英語とフランス語が比較的近しい言語だということは知っていましたが、どっちが似ているのかはまったく知りませんでした。全く知らないことは書けません。

そこでChatGPT先生に同じ質問をしてみました。すると「どちらが近いか、そのようなことは言えません(超訳)」との回答でした。だろうね、そう言うと思った! これでは何も言っていないことと同じです。

そこで私は両者の習得時間で比較することにしました。日本語話者が韓国語を習得するまでの平均的な学習時間と、英語話者がフランス語を習得するまでの平均的な学習時間を比較することでどちらが近い言語かに答えを出そうという発想です。もちろん言語的に近い言葉の方が習得時間は短くて済むはずです。英語を習得する場合、フランス語話者の方が、日本語話者よりも短い時間で習得できるのです。それは日本語よりもフランス語の方が英語に近いからです。そして私はイギリス人がフランス語を習得するよりも、日本人が韓国語を習得する方が時間がかかる。だから英語とフランス語の方が、日本語と韓国語よりも近い言語だ、と疑問に対して結論を提示しました。

この対決は「一概には言えない」と回答を避けたChatGPTではなく、作家・ライター・ブロガーを代表する私の記事の勝ちとさせていただきます。このようにChatGPT・文章生成AIの記事を作家、ライター、ブロガーの記事が圧倒・圧勝することもあるのです。

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文章生成AI・ChatGPTがグーグル検索、作家ライターブロガーに圧勝した実例

「マレーシアがイスラム教なのは何でだろう?」かつて私は疑問に思ったことがあります。マレーシアはポルトガル、イギリスと西欧キリスト教国が長い間植民地支配していました。西欧の海外進出は貿易とキリスト教宣教がワンセットになっているのが通例です。フィリピンがキリスト教国になったようにキリスト教化しているのが普通だと思うのですが、マレーシアではイスラム教が一般的です。これは何故でしょう? ザビエルみたいな人が布教活動するのが普通だと思うのですが……。

マレーシアの国教がキリスト教ではなくイスラム教であることの不思議

そのことを記事にしようと思ったのですが、グーグル検索しても理由はよくわかりませんでした。全く知らないことは書けません。例によって疑問を提示するだけで答えのない記事になっています。しかしChatGPTに同じ質問をしてみたところ、見事な答えが返ってきました。「西欧の海外進出は貿易とキリスト教宣教がワンセットになっているのが通例」というのが思い込みにすぎず、必ずしもそうじゃないというのがその理由でした。このように凡百のブログを蹴散らすだけの力が文章生成AI・ChatGPTにはあります。このケースでは文章生成AI・ChatGPTの勝ちと判定させていただきます。

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血の通った人間の、個人的な体験が聞きたい。作家の文章は不滅

以上、2023年10月現在の、物書き対チャットGPTのガチ対決の結果でした。

文章生成AI・ChatGPTは、質問に対してきちんと正しい答えを出そうとします。だから明確でないものは「一概には言えない」と回答を避ける傾向があります。それが無難です。ある意味で正しいことを言っているかもしれません。でもその答えが、本当にあなたが求めているものなのでしょうか?

たとえば「人生の意味って何ですか?」と質問したときに「人によって違います。人それぞれです。一概には言えません」と回答されたら、それがあなたの求めていた答えですか? そうではないと思います。「私はこう思う。こう信じて私は道を切り開いてきた」そんな血の通った人間の、個人的な体験が聞きたいんじゃないでしょうか? 真実はいつも個人的なものなのです。

文学の頂点。ユダヤ人強制収容所の記録『夜と霧』

個人的、具体的な、たくさんある人生の意味を知る中で、あなたは自分に相応しいものを自分で選択すればいいのです。たくさんの選択肢があること。それが作家が小説を書く意味でもあります。個人的体験に裏打ちされた唯一無二の作家の文章は不滅です。

ChatGPTにはひとつの答えしか出せません。一般論しか述べられません。だから「一般的には答えられない」という回答が多発します。それが正しいかもしれませんが、こっちが聞きたいことはそういうことじゃないのです。結論を出さないのは逃げと見なされてもしかたがありません。

時々、文章生成AI・ChatGPTはものすごい知識を披露して、ダイレクトに疑問に答えてくれることがあります。たしかに知識を知るだけならば、作家、ライター、ブロガーが駆逐される日が来るかもしれません。

ロシアの軍事ブロガーって何者だ? なんでブログにそんなに影響力があるのか。

しかし私は文章生成AIの回答に満足できない人が、必ず作家、ライター、ブロガーの記事を求めるだろうと思っています。ChatGPTに質問する方が、ググるよりもいいと評価が定着しても、だからと言って私たち物書きが何も書かなくなるかというとそうではありません。疑問を解決できればそれでいいというものではないからです。

私たち物書きは表現者です。体を使って何かを表現することが表現者の本質です。キーボードを叩いて感情を吐露することそのものに意味、意義があったりするのです。たとえ読者が一人もいなくなっても、私は何かを書き続けるだろうと思います。それが物書きの本質なのです。

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