聾唖の旅人。いい人ばかりだから、旅をつづけることができる

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。『バックパッカー・スタイル』『海の向こうから吹いてくる風』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』Amazonキンドル書籍にて発売中です。

聾唖の旅人。いい人ばかりだから、旅をつづけることができる

世界を放浪していると、色々な旅人に出会います。いろんな背景の人と出会いますが、ツアー旅行者に驚かされることは少ないですね。ツアー客はたいてい新婚旅行か、仕事をリタイアした老人か、サラリーマンが有給休暇を取って来たという人がほとんどですから。

しかし放浪旅行(個人旅行)系の人たちの中には、本当に驚くような人がいます。年単位で旅行している人。あまりにも無計画な人。所持金があまりにも少ない人。いや、本当に驚く人たちがいます。

そんな中でも、私がいままでで一番驚いた旅人はモロッコで出会った聾唖の旅人です。はじめてモロッコのカサブランカに降り立った時は、本当に心細かったです。文字通り、右も左もわからないとはこのことです。あれほどいた東洋人が一人もいません。いや、白人もいません。見渡す限りイスラム教徒のアラブ人しかいないのです。言葉も一切通じませんし、書いてある文字も読めませんし、イスラム教徒はどことなく怖くて話しかけられないし、Uターンして日本に帰ろうかと思ったぐらい心細かったです。いや本当に心臓が絞めつけられるぐらい心細かったです。

そんなところに日本人の聾唖の旅人がいたんですから、本当に驚きました。忘れられません。

世界の果てで、どうすりゃいいのか?

ここからどこへ行けばいいのか。マラケシュに行ってフナ広場でミントティーを飲もう。サハラ砂漠でラクダに乗って星を見よう。大まかなプランはありましたが、予約は一切していません。行き当たりばったり、現地でどうにかしようといういつものスタイルでとうとうモロッコまで来てしまいました。

これまでどこの国でも行き当たりばったりで何とかなったのです。モロッコでも。。。と思っていましたが、いや明らかに異邦人ですオレ。中国や韓国にいるような溶け込み方は一切できません。アラビア語なんて読めませんし、話せません。ほぼ英語も喋れませんし、そもそもモロッコ人も英語を解しません。勇気を振り絞って話しかけても、何ら共通項のない我らは、結局会話に詰まり「ありがとう。じゃあ!」と、気まずい思いで別れるしかないのです。

とくに女性はブルカという目しか出ていない真っ黒装束で、その姿はテレビで見た爆弾テロリストそのまんま。

(;^ω^) おおっ。怖っ。

テロリストじゃないことはもちろんわかっているのですが、決してフレンドリーな雰囲気を醸し出しているとはいえません。恐怖が旅に価値を与えるといったのはカミュですが、恐ろしいにもほどがあります。

「どうすりゃいいんだ。おれはこれから……」

空港を出ていきなり足がすくんで立ち尽くしていたことを覚えています。

そのときもガイドブック『地球の歩き方』だけは持参していたので(地図を見ない旅はしない主義です)、本の情報をたよりになんとか旅を続けるうちに、モロッコの国情にも慣れて、最後にはサハラ砂漠のキャンプでラクダに揺られることになるのですが、これまで行った国の中でもとりわけ難易度の高い国だったことは間違いありません。

飲みたかったアボガドミルクを注文したら、オレンジジュースが出てくる。ムカついて、無言でその場を離れると水をぶっかけれられたりしました。

そんな国モロッコで出会った聾唖の日本人バックパッカーには、心底びっくりしました。3人組でしたが、彼らは全員聾唖者でした。現地の人はおろか、私達とも筆談しないと会話ができないのです。

30カ国ほど放浪旅している私たちでさえ不安になるような異国中の異国ですよ。そこを喋れない・聞き取れないというハンディキャップを持った彼らが個人旅行しているなんて。。何て強いハートの持ち主なのでしょうか?

健常者である私達もどうせ言葉が通じないのです。むしろどうせ言葉が通じないだけ健常者との落差はなくなっているかもしれませんが…それにしてもこんなところまでよく来たものです。私たちは「ふざけんな。コノヤロ-」「大使館に連絡しろ!」と日本語で叫ぶことができます。日本人にとって日本語ほど通じる言語はありません。怒るときは英語で怒ってもダメ。日本語で話せば、心がこもります、魂が言葉に宿ります。その魂が通じるのです。

でも、聾唖の旅人は日本語で叫ぶことさえできません。大丈夫か、この人たちは。困っているようなら助けてあげようと思いましたが、彼らは助けを求めるそぶりも見せず、誇り高い旅人でした。異国中の異国で、不安にさいなまれるどころか、楽しそうに笑いあっていた姿が忘れられません。筆談とジェスチャーで、安宿に泊まり、バスや電車に乗り、現地の人とふれあって。。。

きっと私が旅行に英語力なんて全く関係ないと思っているように、彼らも聾唖であることなんて一切関係ないと思っているのでしょう。いやむしろ異国の人と通じるための何かを彼らは私達よりも持っていたのかもしれません。

『若いうちの苦労は買ってでもしろ』といいますが、人間、経験を積むほどに自分が確立し、それが壊れるという恐怖心が出てきます。それこそが旅に出発できない最大の原因であり、恐怖に打ち勝つ勇気に比べれば、言葉をしゃべれることなんて小さなことにすぎません。なにか壁のようなものがコナゴナに砕け散ったような気がしました。

ありがとう。聾唖のバックパッカーたち。君たちに出会えてよかった。結局、私たちの旅というのは、クレジットカードひとつとってもわかりますが、好意、善意のうえに成立しています。向こうが悪意をもって来たら、ほとんど太刀打ちできません。

いい人ばかりだから、旅をつづけることができるのです。

心が揺さぶられるような感動をありがとう。彼らが今日もこの地球のどこかをさすらっていますように。

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