小説作法『近代マンガの演出法』

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心の放浪者アリクラハルトの人生を走り抜けるためのオピニオン系ブログ。

書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』。『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』。小説『ツバサ』。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべき名作文学 私的世界十大小説』『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』。Amazonキンドル書籍にて発売中。

このページでは『まんがで読破シリーズ(イースト・プレス社)』のおもしろさについて書いています。

このシリーズは古今の名作文学を漫画で読んでしまおうという、いってしまえば誰でも思いつく企画ですが、原作小説と比較すると、なかなかどうして面白いものがあります。

『近代マンガの演出法』を取り入れて、原作小説を脚色しているので、原作小説よりもはるかに面白かったりします。

決定的にそれを感じたメルヴィル『白鯨』を通じて、『近代マンガの演出』について考えてみたいと思います。

原作小説では、エイハブは、自然にはまったくかなわず、ごみのようにただ死んでいく人でした。人間がクジラ(自然。神)に負ける、という話しにしか読めないものでした。

しかし「近代マンガの演出」をくわえたマンガ版は、それだけではありませんでした。

わたしにとって大切なのは「おまえなんか恐くねえぞ。バッカヤロォおおオオオ!!」と叫ぶちっぽけな人間の魂なのです。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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まんがで読破シリーズ(イースト・プレス社)』のおもしろさ

傑作文学を親しみやすい「まんが」で知ってもらい、読者と原作との橋渡しをしようという企画もす。たぶん著作権の切れた原作には使用料を払う必要がないのでしょう。一定数売れることが見込めるし、儲けも見込める。そういう意図もあるのでしょうが、いい企画だと思います。

作品の真髄をとらえて、それを漫画的に脚色しています。バラエティ・アートワークス社が漫画化を担当しているようです。これほどすばらしい脚色に、脚色担当者の名前がキャプションされないとは……いや、サラリーマンて辛いね。マンガ化したのも誰だか不明です。

もちろん漫画で大筋の流れを知って、原作小説を読むというのが、本来の王道です。傑作文学の命は、あらすじにあるのではなく、細部や行間にこそあるのですから……。

しかし『まんが』だけで完結してもいいような質の高さです。もっといえば原作を越えているものもあります。

もっともわたしがそれを感じたメルヴィル『白鯨』を例に、シリーズの質の高さと『近代マンガの演出法』についてここでは解説しています。

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メルヴィル『白鯨』のあらすじ

実はわたし、かつてメルヴィル『白鯨』の読破に挑戦し挫折したことがあります。なんで挫折したのかは後で述べます。

ところがこのたび、原作小説をちゃんと読破することができました。「まんが」であらすじを知ったから、原作を読めたんだな、と思うでしょ? ところがそうではありません。

今回、原作小説を読めるようになったのは、あらすじを知って読んだからではありません。『おとな読書』の態度を身につけたからです。

実は最初の挑戦から、物語のあらすじは知っていました。『白鯨』のあらすじは、さほど複雑なものではありません。

海の怪物、モビーディックという名の白いマッコウクジラとたたかう銛打ち(捕鯨漁師)の話しです。

かつてモビーディックに片脚を奪われたキャプテン・エイハブが、狂気の復讐に燃えて白鯨を追いかける。とうとうモビーディックを見つけて勝負を挑むが、自然の象徴ともいうべき巨大なモビーディックにはかなわず、破れて海に死ぬ……ただそれだけの話しです。

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物語のあらすじを述べることについて

物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちらをご覧ください。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじを読んで面白そうと思ったら、実際に照会している作品を手に取って読んでみてください。ガイドブックを読むだけでなく、実際の、本当の旅をしてください。そのためのイントロダクション・ガイダンスが、私の書評にできたらいいな、と思っています。

私は反あらすじ派です。作品のあらすじ、主題はあんがい単純なものです。要約すればたった数行で作者の言いたかった趣旨は尽きてしまいます。世の中にはたくさんの物語がありますが、主役のキャラクター、ストーリーは違っても、要約した趣旨は同じようなものだったりします。

たいていの物語は、主人公が何かを追いかけるか、何かから逃げる話しですよね? 生まれ、よろこび、苦しみ、死んでいく話のはずです。あらすじは短くすればするほど、どの物語も同じものになってしまいます。だったら何のためにたくさんの物語があるのでしょうか。

あらすじや要約した主題からは何も生まれません。観念的な言葉で語らず、血の通った物語にしたことで、作品は生命を得て、主題以上のものになるのです。

作品のあらすじを知って、それで読んだ気にならないでください。作品の命はそこにはないのです。

人間描写のおもしろさ、つまり小説力があれば、どんなあらすじだって面白く書けるし、それがなければ、どんなあらすじだってつまらない作品にしかなりません。

しかしあらすじ(全体地図)を知った上で、自分がどのあたりにいるのか(現在位置)を確認しつつ読書することを私はオススメしています。

作品のあらすじや主題の紹介は、そのように活用してください。

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『おとな読書』とは、必要ないパートは読み飛ばしていいという態度

『おとな読書』とは、わからないところは読み飛ばしていいという態度です。

若い頃は「難解なパート」でも、自分が未熟だから読めないだけかもしれないと思って、いっしょうけんめい我慢して読んだものです。読んだ知識は、今は必要なくても、将来、必要となるかもしれません。だから我慢して全部読むというのが旧来のわたしの読書スタンスでした。これを【こども読書】と呼びます。

しかし今はもう「おとな」です。傑作文学も作者によっては「読んでいる私の方が年上」ということも珍しくなくなっています。

もう「自分が未熟だから読めない」という言い訳は通用しません。っていうか今日まで必要なかった知識はきっと今後も必要ないでしょう。なにも頑張って読破して習得しなくてもいいのです。おもしろくないパートは読み飛ばしていいのです。それが「おとな読書」というスタンスです。

さてメルヴィル『白鯨』の原作小説ですが、非常に読みにくい小説です。衒学的というか、捕鯨文化について語る百科全書のような部分が非常に長く、なかなか物語に入っていきません。いったい自分は何を読まされているのだろうと思ってしまうのです。このクジラ文化の知識披露のパートがあまりにも長くてわたしはかつて読破を挫折してしまったのでした。モビーディックが全然でてこないのです。作品のラストもラスト、最後のパートにならないと白鯨は登場しません。こっちはエイハブとモビーディックの戦いの物語だと思っているのに、いったい自分は何を読まされているんだか……こうしてわたしは読破に失敗したのです。【こども読書】をしていたからでした。

学生時代にはもしかしてわたしは将来捕鯨船に乗り込んでクジラ獲りになる可能性があったかもしれませんが、もうおとなの私は今後いっさいクジラ獲りやクジラの研究者になることはないでしょう。つまりクジラのうんちくについて語っている部分は、別に読み飛ばしても構わないということになるのです。それが「おとな読書」です。

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『近代マンガの演出法』漫画版では初っ端からモビーディックが登場

はやく見たい海の怪物モビーディックがなかなか出てこないばかりか、なかなか陸から船出すらなかなかしない原作小説に対して、イースト・プレスのまんが版では作品冒頭で白鯨が登場します。

「神が創り給いし生あるものの中でもっとも強大なるもの。力のみが支配する嵐の海ですべてを統べる海の王……彼の名はリヴァイアサン(巨鯨)……」というインパクト大の説明とともに白い巨体がいきなり登場します。

これが『近代マンガの演出法』です。ラスボスの姿を一番最初に見せてしまうという手法です。

読者に読む進めてもらわなければ意味ないわけですから、作品冒頭から最も興味があるモビーディックが登場するのです。

この怪物リヴァイアサンとやがて戦うと思えば、読者は最後まで読み進んでくれるでしょう。

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原作には「ない」と予想。主人公イシュメールの叫び

「おまえなんか恐くねえぞ。バッカヤロォおおオオオ!!」

物語のラストで、絶対にかなわない海の怪物モビーディックに主人公イシュメールは叫びます。

作品は19世紀後半。江戸幕府の終わりごろです。黒船ペリー提督は捕鯨船の基地を求めるために幕府に開港を迫ったのです。『白鯨』には日本近海がよく登場します。鎖国しているので立ち寄りませんが……。

まだ原子爆弾はおろか、飛行機さえない時代です。大自然の化身であるモビーディックに捕鯨船(人の力)はまったくかないません。

「神は我々をあざ笑っているのだ。人に死の恐怖を植え付け、命に縛り付ける。白鯨は片足だけでなく誇りをもむしりとっていったのだ」

エイハブはモビーディックを殺すことが生き甲斐の狂気の人です。捕鯨船ピークオッド号の船長。かつて白鯨に足を奪われて片足の男です。58歳ぐらいの設定です。

大自然や神の摂理に人間が逆らってもどうしようもありません。それが人間の運命です。

しかしそれでも命の危険を承知で白鯨を追いかけ、そして海に呑み込まれて最後にエイハブは死にます。エイハブは自分の運命を知っていましたが、それでもモビーディックに挑まずにはいられませんでした。

モビーディックを追いかけ、雌雄を決することが、誇りを砕かれたクジラ獲りの、身体の底から湧いてくる生きている実感だったからです。この世界に生きている限りエイハブは打ち砕かれた誇りを取り戻そうとしていました。

「死よ、汝の、たとえ暗いにせよ傲岸な誇りが、わしの魂を揺さぶってやまない。汝の名状しがたい混沌が、今わしの足元を流れておる。さらば海をたたえよ、とこしえに海をたたえよ、おお、海よ!」

作品『白鯨』の真の主人公ともいうべきエイハブ船長ですが、原作小説では意外とあっさりと死んでしまいます。もう「ぜんぜん自然の象徴たる白鯨にはかなわない」という感じで、ごみクズのように海に消えていくだけです。

ここに『近代マンガの演出』はありません。ところがイースト・プレスまんが版は違います。

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『近代マンガの演出』法

原作小説でエイハブはただごみクズのように海に消えていくのに対して、イースト・プレスまんが版ではエイハブの死骸が白鯨と一緒に海面上に浮かび上がります。銛綱にしめられて絞殺された姿ですが、モビーディックの上で立ったまま死んでいるのです。死にざまをちゃんと見せてくれているのです。こんなシーンは原作小説にはありません。これが近代マンガの演出です。

エイハブを退け、ピークォット号を粉砕した怪物モビーディック。原作小説では海に漂流しているところを九死に一生を得て助けられるだけですが、イースト・プレスまんが版ではそうではありません。

イシュメールは海に投げ出されて、恐ろしい怪物モビーディックと目があいます。恐怖に震えるイシュメール。かつてイシュメールはサメにさえ食い殺される恐怖でおびえていたのでした。

恐怖を受け入れろ。心の声がします。

「わかったよ……おまえにゃかなわねえ……。おまえの勝ちだ」

恐怖を知らぬものは愚か者だ。心の声がします。恐怖を受けれ入れてイシュメールはモビーディックに呟きます。

「どうしたっておまえを殺すことなんかできねえ」

しかし海に逃げ場はない……立ち向かえ! また心の声がします。

「でもなあ……」

勇気あるものとは恐怖から己の命を守り通すものだ! 勇気を奮い起こすような心の声がします。

「おまえなんか恐くねえぞ。バッカヤロォおおオオオ!!」

恐怖を噛み殺してイシュメールはモビーディックに叫ぶのです。

白鯨は一瞥をくれて海の底に去っていきました。

これが近代マンガの演出法です。

このまんが版のラストシーンがわたしは大好きです。このイシュメールの叫びがあって初めて名作だといえるでしょう。恐ろしい自然、かないっこない自然、神の摂理の偉大なる生命。死の象徴たる化け物。

それを目の前にして、恐怖を感じながらも、啖呵を切るのです。

「おまえなんか恐くねえぞ。バッカヤロォおおオオオ!!」

ちっぽけな人間の勇気がわたしは大好きです。

でもこれは「近代マンガの演出」です。たぶん原作小説にはないんじゃないかな。そう予想していました。

メルヴィルの原作小説を読んでみたら、ラストの「感動的な叫び」はやっぱりありませんでした。これはイーストプレスのまんがの演出です。

メルヴィル『白鯨』

原作をそこなわないで、そのスピリッツを近代マンガの演出をつかって、劇的に盛り上げているのです。

まんが版の脚色は素晴らしいものがあります。

わたしが一番感動したのはイシュメールの叫びですからね。その叫びはマンガ版にはあって、原作小説にはないものです。

もっとも感動するセリフがない原作小説の方が、まんが版よりも優れているとは必ずしもいえません。

「わかったよ。おまえにはどうあってもかなわねえや。でもな……おまえなんか恐くねえぞ。バッカヤロォおおオオオ!!」

大自然を象徴する巨大なクジラに、小さな人間が叫ぶ。

このシーンがあったからこそ、小説を読む気にもなったのです。

ないだろうな、と思っていたら、案の定、ありませんでした。ないと予想したのは、近代のマンガ風の演出だなあ、と思ったからです。

演出術は進歩しています。

ダンテ『神曲』を読むなら原作小説ではなく谷口ドレ版を読め、とわたしがいうのは「わたしは愛。わたしは光……」というラストシーンの感動的な演出が原作小説にはないからです。

演出術は進歩して、同じ内容でも劇的に盛り上げられるようになっているのです。

谷口江里也・ギュスターヴ・ドレ。ダンテの『神曲』の素晴らしさ
実際に書物が光り輝くわけがなく、すべては目の錯覚なのですが、これが本当に本が光っているかのようによくできています。 ドレの挿絵なしでも、江口の超訳なしでも、本そのものが芸術作品であるような『神曲』は、完成しなかったでしょう。この感動をぜひ味わっていただきたいと思います。

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イースト・プレスのまんが名作を全力でおすすめします

『白鯨』をネタに「近代マンガの演出法」がどれほど物語を盛り上げるか、を解説しました。

『白鯨』だけではありません。ゲーテの『ファウスト』などもイーストプレスのマンガ版はめちゃくちゃ面白かったのですが、たぶん原作小説を読んでも、ここまで面白くは感じられないんじゃないかなと思います。

というのはやはり「近代マンガの演出」がされているからで、おそらくこのシーンは原作小説にはないだろうなあ、と思われるシーンが多々あるからです。まるでイシュメールの最後の叫びのように。

まだ原作を読んでいないのに、どうしてそんなことが言えるのかって? それは……やはり近代マンガの演出だと思うからです。ゲーテには無理なんじゃないかな。

いきなりおとな読書で原作小説を読むのもいいのですが、「近代マンガの演出」で極限まで面白くなっているイーストプレスのマンガ版を先に読んでみてはいかがでしょうか。

演出法だけでなく、感情そのものも、人間は進歩しているかもしれません。

近代マンガの演出によって付け加えられたイシュメールの叫びが作品に決定的な意味をもってくるように、演出次第で過去の作品を新たによみがえらせることも可能です。

古事記とか源氏物語なんかも演出次第でいくらでも面白くなるだろうと思います。

原作小説では、エイハブは、自然にはまったくかなわず、ごみのようにただ死んでいく人でした。人間がクジラ(自然。神)に負ける、という話しにしか読めないものでした。

しかし「近代マンガの演出」をくわえたマンガ版は、それだけではありませんでした。

わたしにとって大切なのは「おまえなんか恐くねえぞ。バッカヤロォおおオオオ!!」と叫ぶちっぽけな人間の魂なのです。

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

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★★

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説 (民明書房) | アリクラハルト | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
Amazonでアリクラハルトの読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説 (民明書房)。アマゾンならポイント還元本が多数。一度購入いただいた電子書籍は、KindleおよびFire端末、スマートフォンやタブレットなど、様々な端末でもお楽しみいただけます。
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◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Amazon.co.jp: 帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル (民明書房) eBook : アリクラハルト: 本
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随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
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韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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ドラクエ的な人生
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