ダンテの『神曲』は原著よりも、谷口ドレ版を読むべき

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ここはダンテ『神曲』について語っているページです。

というよりは、谷口江里也・ドレ・ダンテの共作の『神曲』について語っています。

通常、ダンテ作『神曲』として語られることが多い『神曲』ですが、私が取り上げるのは、ほぼ別の作品としての谷口・ドレの『神曲』です。

なぜって原作よりもずっとすばらしいからですよ。

どっちかしか読めないのならば、断然、谷口・ドレの『神曲』の方をおすすめします。

もしこれから歴史的なダンテ『神曲』を読もうとする人がいるのならば、まずは最初に谷口江里也・ドレ・ダンテの共作『新曲』を読んでいただきたいと思っています。

谷口・ドレの『神曲』は、ダンテの原著『神曲』の何倍も感動をあたえてくれます。

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【この記事を書いている人】

瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのサンダルマン・ハルトと申します。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。

初マラソンのホノルル4時間12分から防府読売2時間58分(グロス)まで、知恵と工夫で1時間15分もタイム短縮した頭脳派のランナー。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。月間走行距離MAX600km。ランニング雑誌『ランナーズ』の元ライター。『言葉の力で肉体を動かす(市民ランナーという生き方)』(グランドスラム養成講座)を展開しています。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。

また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。

そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。江戸川左岸の撃墜王(自称)。スピードが目的、スピードがすべて。ロードバイクって凄いぜ!!

山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。

その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。ソウル日本人学校出身の元帰国子女。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。

登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。

千葉県在住。夢の移住先はもう決まっています!!

※この稿の内容は以下のとおりです。

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【書評】ダンテの『神曲』について

通常、ダンテ作『神曲』と語られることが多い『神曲』ですが、私が取り上げるのは、ほぼ別の作品としての谷口江里也・ドレ・ダンテの共作としての『神曲』です。

なぜって原作よりもずっとすばらしいからですよ。

谷口江里也・ギュスターヴ・ドレの『神曲』は、ダンテの『神曲』よりもずっと素晴らしいものです。

もしこれから歴史的なダンテ『神曲』を読もうとする人がいるのならば、まずは最初に谷口江里也・ドレ・ダンテの共作『新曲』を読んでいただきたいと思っています。

永井豪デビルマン』のコマには、ドレの挿絵がそのまんま使われている箇所があります。

私はダンテの原著(翻訳ですが)も両方読みましたが、谷口江里也・ギュスターヴ・ドレの『神曲』は、ダンテの原著『神曲』よりもずっと感動しました。

このコラムはその感動を伝えようとするものです。

音楽では編曲によって原曲がとてつもなくいい曲になることがありますが、谷口・ドレの『神曲』は、まさにこのパターンです。

最初に神曲について述べた後で、谷口・ドレ版がダンテ原著よりもどれほど凄いのか、ということを、後半に書いています。

物語のあらすじを述べることについての私の考えはこちら。

物語のあらすじを紹介することについて
あらすじは地図のようなものです。読書のだいご味はディテイルにあります。文学にはあなたが感じたけれどうまく表現できなかった思いが表現されているはずです。あらすじを手に、原著に当たってください

ダンテ『神曲』はミルトン失楽園』と並んでキリスト教文学の金字塔とされているものです。

聖書ではないのに、全世界のキリスト教徒の天国や神の概念に、多大な影響を与えている文学作品です。

神に叛逆した堕天使「暁の明星」悪魔サタン。奴隷生活の平穏無事よりも、苦難に満ちた自由を選ぼう。
叛逆の堕天使ルシファーこと悪魔サタンが、ルネッサンス的な英雄に見えてしまうミルトン『失楽園』について解説しています。「天国において奴隷たるよりは、地獄の支配者たる方が、どれほどよいことか」「絢爛たる奴隷生活の平穏無事なくびきよりも、苦難に満ちた自由をこそ選ぼうではないか」

『神曲』というのは、作者ダンテが地獄と天国を視察研修して、その研修レポートを詩の体裁で提出した作品です。

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「インフェルノ(地獄編)」

ヒドイ!! イエス以前に生まれ死んだ人はみんな地獄にいる。よくて煉獄だ。

小説のはじまりは「怒り」。詩聖ホメロス『イリアス』
もしかしたらホメロスの作品制作の動機も「怒り」だったのかもしれません。怒りというのは物事を成し遂げる大きなエネルギーとなります。怒りがなかったらアキレウスは英雄になることはなく、また若くして滅ぶこともなかったことでしょう。

そんなのってずるくない? 人類の歴史はすくなく見積もっても50万年以上あるのに、直近、2千年に誕生したキリスト教徒しか救われないっていうのは!!

何億人というBC時代の人たちはみな地獄にいるのだ。そんな設定ひどすぎる!!

キリスト以前のご先祖様たちの中でも作品に登場するのは、わずかな人たちだけである。

【禅・瞑想ランニングのやり方】今この瞬間の歓喜のために走る
瞑想ランニングのやり方を文字で書くと、座禅の瞑想のやり方と完全に一致します。信じられないかもしれませんが、走ることが幸福につながるのです。それが【世界が美しく見える魔法】走るために生まれた、ということの意味なのです。幸福を追求しなければ「走るために」生まれた甲斐がありません。瞑想ランニングは幸福追求のためにするのです。

アキレウスも、ヘレネも、イアソンも地獄にいる。ギリシア神話の英雄たちだ。

当然、紀元前の人物たちである。(トロイア戦争は紀元前1260年から1180年)

伝説上の架空のキャラクターとされていたが、トロイアの遺跡が事実発掘された以上、実在の人物だったかもしれない可能性がある。

ダンテは地獄や天国で見てきたことを詩でうまく表現できるように、ミューズアポロンに祈ったりする。

しかしこれでいいのかね? キリスト神一神教の文脈に、ギリシア神が登場しちゃってるけど。

ミノタウロスも、メデューサも、ハルピュイアも、ギガンテスも、アラクネも登場する。

みんなギリシア神話を彩るモンスターたちだ。プロ野球オールスターゲームのように登場する。

なんだか別の作品のキャラクターが登場しているような違和感が否めない。

たとえば『ワンピース』に『キン肉マン』のキャラクターが登場して戦うような違和感である。

『神曲』はルネッサンス(再生・復活)の曙光を告げる文学作品とされているので、キリスト教一色だった中世にギリシアの文明を復活・再生させたという意味では画期的だったのかもしれない。

そうした半面、キリスト教の中世的な面が色濃く残っている。

キリスト教徒以外は救われないというテーゼだから、異教徒は全員地獄いきである。

いちばん有名なのはイスラム教の開祖マホメットが腹を縦に裂かれ地獄でのたうち回っている姿であるが、釈迦も孔子も天照大神も作中には登場しないけれど基本的には地獄にいるはずである。キリスト教の洗礼を受けていないから。

木馬の計略は人を欺く詐術だからと、オデュッセウスも地獄にいる。

ダンテの師匠ウェルギリウスの出世作『アイネイアス』がトロイ側の英雄だから、ギリシア側は地獄なのだろう。

ユリシーズとオデュッセイア
ここで書こうとしているのは「創作」「物語」のことである。「文学」ではない。文学だと「人間の真実を追求する」臭が漂う。 すると「この僕(=作者)」の現実の中に、戦争や未知の世界への冒険なんてひとつもないから、私にとってそういうものはリア...

そしてダンテ自身の仲間や政敵など、14世紀のフィレンツェの人々が詳しく登場する。

誰だ、お前は?

過去から現在の実在の人物がたくさん出てくる。そして基本的にダンテの味方が天国に、敵が地獄にいる。

いや、どうも。そんな作品でいいのかねえ。自己正当化ばっかりしていないでちょっとは自己批判しろよ。

快楽・肉体主義者のエピクロス学派もまとめて地獄だ。

ルネッサンス(復活・再生)を告げる文芸作品とされるダンテ『神曲』であるが、キリスト教色はメチャクチャ濃いものがある。

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著名人がたくさん登場するから、みんなにウケた

『神曲』には著名人がたくさん登場する。やったもの勝ちである。

織田信長と源頼朝が戦争したら、とか、東郷平八郎が太平洋戦争を戦ったら、とか、今でもそういう作品は制作されている。現代人が自衛隊ごと過去にタイムスリップしたら、とか、ナポレオンとアルカポネとイワン雷帝が同僚だったら、とか、過去の実在の人物を作中に登場させてしまう作品は現代ではお馴染みだが、ダンテ『神曲』がハシリなのではないだろうか。

すでに知っている人物をキャラクターとして登場させることができるならば、作者は彼のキャラクター造形に力を割かなくてもいいのだから、これは作品の成功に非常に有利なことである。

『神曲』が非常に商業的にも成功した要因のひとつに、作品に、みんなが知っている人たちがジャンジャン出てくることがあっただろう。

漫画『巨人の星』に王貞治や長嶋茂雄が実名で登場するようなものである。

最初からキャラ立ちしている人物を登場させればいいのだから、こんなに楽チンなことはない。

架空のナインで「プロ野球」の話しを書くのと、イチローや大谷翔平や野茂英雄やランディ・バースでチーム編成して、地獄で鬼を相手に試合する作品と、どっちの作品が面白そうでしょうか?

誰もが知っているキャラクターを登場させた方が大衆受けするに決まっています。本人の有名な言葉なんかを援用しちゃったらポイントが高いね。ズルい! としかいいようがない。

インフェルノ(地獄編)はまるでお化け屋敷のようだ。

毎回、人を脅かしに自動で登場するお化け屋敷の幽霊人形みたいに、律義にその場所で誰かが通るのを待っているかのようだ。ケルベロスプルトン(=ハデス)も毎回地獄ドラマに登場してたいへんだな。引く手あまたで忙しかろう。

ホメロスも、ソクラテスも、アレクサンダー大王も地獄にいる。クレオパトラも、地獄だ。

ゲーム『ファイナルファンタジー』ファンの方には、第二十一歌に出てくる鬼の名は、FF4のゴルベーザ四天王に採られたおなじみの悪魔スカルミリョーネバルバリシアルビカンテカイナッツォが登場する。ファンタジーの悪魔の名前ってダンテの『神曲』からとられていたんですね。カルコブリーナもいる。

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一切の希望を捨てよ。我が門を過ぎる者!

ロダン考える人』でおなじみの地獄の門を抜けて、ダンテは地獄めぐりをする。

自殺した人も地獄にいる。キリスト教が自死を禁止しているからだ。

暴力をふるったもの、神に逆らったもの、甘言や権力に尻尾を振ったもの、快楽におぼれたもの、地獄に行く人の条件は洋の東西を問わず、だいたい同じである。

インフェルノの地獄絵図はグロいが、ダンテの地獄よりも、日本の地獄の方がずっとグロい。

天国と地獄。日本のダンテ『神曲』と言えば源信の『往生要集』。日本人の地獄観を決めた作品
伊豆半島に『伊豆極楽苑』という面白い施設があります。エンターテインメント系の観光施設なのですが、人によってはおそろしく考えさせられます。 テーマは天国と地獄。日本人の死生観に沿ったジオラマが展開されていきます。ここで描かれることは、ど...

往生要集に由来する日本の地獄絵図の方がよっぽどグロいので、ダンテの地獄は少し控えめな感じが現代日本人にはするかもしれない。

地獄の最下層には美貌の堕天使ルシフェルが悪魔の姿で氷漬けにされている。

それはいいのだが、なぜが口に主イエスを裏切ったユダを罰するように咥えているのが謎である。

裏切者ユダは悪なのだから、彼を罰するのは正義の仕事ではないのか?

なぜ悪の堕天使が、悪のユダをかみ砕いているのか、その理屈がよくわからない。

両者ともに苦しんでいるから、それでいいのか?

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天国編

通常、ダンテの『神曲』はこういわれる。

「パラディーゾ(天国編)」よりも「インフェルノ(地獄編)」の方がずっとおもしろい、と。

作家や脚本家がモノを書くときに「パラディーゾ(天国編)」を書いても面白いものにはならないんだから、「インフェルノ(地獄編)」を書け、というように引用されたりします。

調和した人間関係や、ハッピーな人物を描くよりも、人間関係がぐちゃぐちゃだったり、誰かが苦しんだり恨んだりした方が、ドラマは面白くなるという意味です。

人間はみんな幸福を求めているはずなのに、この嗜好は、いったいどうしたことでしょうか?

……私はダンテの原著も読みましたが、たしかにインフェルノの面白さにくらべると、パラディーゾは面白くありませんでした。

キリストを信仰することの正しさを突き詰める衒学的な記述が多く、読んで面白いものではありませんでした。

天国のカタルシスもありません。

ところが……ところが、ところが!!

谷口ドレ版だと、天国編こそが最高の見せ場に変わります。

天国編が、もっとも面白い。

天使には鳩の羽根が、悪魔には蝙蝠の羽根が生えているのですが、ドレの挿絵では、天使がだんだん「神々しい光」と混然一体になっていきます。

「どのように在るか、ということが全てなのです。私たちは、ここで光るのです」

「光を見ようとすれば、私もまた光にならなければならない」

「まばゆさとは、私の目の奥にひろがる私の闇と光との落差なのだ」

「あえてわかろうとはしないことだ。どこから、誰が、何のために、そんな言葉は私の鏡をくもらすだけだ」

そんな感動的なセリフが続きます。

ダンテの原著に同じセリフが出てくるのかと思いましたが、原著にそんなセリフはありませんでした。

谷口江里也さんの抄訳、意訳だと思います。

エリヤ、あなたは預言者か!?

「在るべき事を、為すべき事を、見るべき事を、あなたと共に」

「あり得る事を、なし得る事を、求め得る事を、あなたと共に」

ダンテは夭逝した最愛のベアトリーチェとともに、天国を眺める。

「あるべきことを、なすべきことを、みるべきことを、あなたと共に」

そしてダンテはとうとう天国の主催者の前に立つのだ。

「ありえることを、なしえることを、もとめうることを、あなたとともに」

江口ドレ版ほどの感動をダンテ原著はあたえてはくれない。

このようなセリフは原著にはない。

光降る。
歌声響き光降る。
智は光。
愛は光。
光は全て!
私は愛……
私は光……

そしてこれまで暗かった書物が光り輝くのである。

江口ドレ版『神曲』は、本そのものが芸術作品のようだ。

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××はレベルが上がった(まとめ)

ドレの挿絵なしでも、江口の超訳なしでも、本そのものが芸術作品であるような『神曲』は、完成しなかった。

この感動をぜひ味わっていただきたいと思う。

ダンテの原著をいくら読んでも、この感動はあじわえない。

特に天国編のラストのカタルシスは、天国と地獄ほども違う。

感動したいのならば、江口ドレ版でないとダメなのである。

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