作家の必修科目。作家になるには、どのような体験、人生修行が必要か?
作家になりたいと思っていました。おかげさまで小説や実用書などを出版しています。
ところで作家になるには、どのような体験、人生修行が必要でしょうか。おそらくたくさんの本を読むということも作家の必修科目のひとつでしょう。
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あるいはたくさんの旅をして世界を知っていることもそのひとつでしょう。
小説というものは人間を描くものなので、作家は「人間通」でなければ話しになりません。作家の資質としてもっとも最適なのは「特異な体験をしている」ことではないかと思います。たとえば芸能人というのはこの範疇に入りますね。一般人じゃない(芸能人)ということは特異な体験です。特異な体験があれば最低でも一冊は面白い書物が書けるでしょう。
運転免許一発取り消し実体験。1トリップを都道府県で重複して罰していないか?
裁判を傍聴するというのも「人間通」となるひとつの手段、作家の必修科目のひとつといってもいいかもしれません。なぜなら裁判では人間のトラブル、人間の欲望、エゴ、利害関係が剥き出しになっているからです。『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』の作者、北尾トロ氏もそのようなスタンスで裁判の傍聴をはじめたのだろうと思います。その気持ちが私にはとてもよくわかるのです。
北尾トロ『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』の魅力、内容、あらすじ、感想、書評
人間とはどんなものか、人生とはどんなものか、取材を重ねる中で北尾トロ氏は「裁判の傍聴」にたどり着きます。
傍聴歴2年。月に4、5回。ざっと100日。平均滞在時間3時間。そんなことをする理由はひとつしかない。おもしろいからだ。
→ ちなみに私も裁判の傍聴をしたことがあります。ぶっちゃけ映画よりも面白いと思いました。お手軽に人間の生のリアル涙が見られます。
思わぬ掘り出し物。犯罪ドラマ。人間関係ドロドロな骨肉の争い。露出する性癖。爆発する殺意。まさに人生まる出し。ワイドショーとは比較にならないリアルさ。
涙、怒り、悲しみ、喜び。最悪死刑まである。これ以上にリアルな場所が他にあるだろうか。
→ 手錠、腰紐姿の被告人をはじめて見たときにはビックリしました。
人生劇場。ノートと筆記具。被告の顔を強く意識して傍聴する。顔からはこれまでの生き様みたいなものがにじみ出てしまう。傍聴は被告人の顔がよく見える位置に座るべき。
「私を公判の、その、検事側証人として立たせてください!」もう誰にもタバラの言っている意味などわかりはしない。だが、場は確実に盛り上がった。
がんばれオヤジ、息子をブチ殺した連中に思い切り呪いをかけろ! こっちまで涙がこみあげそうになる。
→ はじめて裁判の傍聴したとき、廊下で関係者から恐ろしい目で睨まれました。「この物見遊山の部外者が」という露骨な軽蔑の視線でした。あんな目で他人から見られることも普段の暮らしの中ではありません。心に残りました。
傍聴マニアもいるらしい。できれば傍聴マニアのような人と知り合いたい。喫煙所で知り合う。喫煙所で裁判官や弁護士、検事、被害者の親族と会話する。「これを機会に仲良くやりましょう」いやー喫煙者で良かった。5時に法廷が終わったら、日比谷の喫茶店で今日の裁判の感想とかを言い合う。
判決はドラマの最終幕なのである。
交通事故も見た方がいいよ。意外に盛り上がることがあるから。一瞬の出来事で金はなくなり、下手すりゃムショ送り。
→ 私が裁判の傍聴と出会ったのは「運転免許一発取り消し体験」があったためです。この件では検事に呼び出され略式裁判となりました。本当は争いたかったのですが、社会的な立場があったことから、おとなしく罪に服したのです。
だめな女は人間関係を断ち切って人生をリセットするのが苦手なのかもしれない。
地裁の門前で抗議活動する人たち。阿修羅のヤス。みずからの民事裁判経験を自費出版して裁判所の門前で販売している。裁判を根底から直していかないとこの国はめちゃくちゃになる。どうせ狂った人生ならば、とことんやるのが男ってもんよ。平穏無事などクソ食らえ。人にどう思われようと進めマイウェイ!
なに、露出だと! なぜ触らず出すかね。個人的に触ってみたいと思ったことはあったが、露出など頭にすら浮かばなかった。
→ 『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』は、罪人の姿を見て反省するという道徳の教科書みたいな本ではありません。むしろ物見遊山に徹しています。通うのはただ「面白いから」。ふまじめな態度で傍聴しています。でもだからこそ面白いのです。
殴ったら負けってことだ。どんなに激しいケンカになっても、絶対に手を出すのはやめよう。
周囲の傍聴人は全員ヤクザ。
そんなにセコいから脅迫されるんだ。せめて、このオレがガツンと言ってやろうかしら。
→ 裁判傍聴の経験者の立場から言えば別に不真面目な態度(興味本位)で傍聴しても構わないと思います。裁判とはそこが密室になってはならず、誰か第三者がいることで公正さが保たれるのです。傍聴人は実は必要な存在だと感じました。
気の毒な夫は、なぜ絞められるのかさっぱりわからないままあの世へ旅立ったことになる。「ちゃんと説明しろ」と言いたかったと思う。説明したら、たぶん女は殺人などせずに済んだはずだ。なんでそうなるかなあ。なるのだ、ある種の女は。
→ 実社会では自分に理解できない存在は敬して遠ざけておしまいです。しかし傍聴ではそのような理解不能な人たちに直面することになります。でも劇場の舞台を眺めるだけで実生活に影響はありません。そこが面倒がなくていいのです。
裁判業界の女たち。裁判所の女たちの美形度は一般レベルより数段高い。天は人に二物を与えるのだ。女裁判官や弁護士のレベルの高さには唸ってしまう。
→ 私も美人の裁判官を見ました。一番ブサイクなのは被告で、弁護士や検事、裁判官の女性レベルは一般よりも高いと感じました。
弁護士なら前歯ぐらい入れようよ。弁護士すべてが高給取りとは思わない。
娘ほど年齢の離れた少女たちを夢中になって追いかける男たちは後を絶たないのだ。
だからあ。それだけはしたくなかったんだよ。ばかげているとしても頼らないことが被告のプライドだったに違いない。
→ 被告の心情を作者が想像してこう書いているわけですが、小説が書けそうですね。こういう場面に遭遇することで、作家の何かが刺激されて、物語を綴ることができるのです。
× × × × × ×
主人公ツバサは小劇団の役者です。
「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」
恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。
「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」
アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。
「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」
ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。
「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」
惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。
「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」
劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。
「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」
ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。
「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」
ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。
「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」
「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。
「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」
そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。
「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」
そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。
「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」
そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。
「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
× × × × × ×
弁護士は商売。長引くほど金になる。でも公務員である検事はそうじゃない。人間の一番弱い時につけこむような職業はどこか怪しいところがあるよ。お金いらないっていうなら別だけど。嫌われ役をやる検事の方が正直。金銭欲で検察官になる人はいないと思う。
ポッカリ時間が空いたから裁判所にでも行くか。
→ うん。お金を払って映画を見るよりも、裁判の傍聴の方が無料だし面白いかも、と私も思います。
最高の人間ドラマ。自分で足を運んでみるしかない。自分というものがうっすらとわかってくる。
→ これが『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』の結論です。
ほらね、どんなに他人の争いや人生や苦悩を見ているようにみえても、最後には自分と向き合うことになる。これはまさしく文学そのものではありませんか。
だから裁判の傍聴は、作家の必修科目のひとつかもしれませんよ、というのです。
× × × × × ×
主人公ツバサは小劇団の役者です。
「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」
恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。
「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」
アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。
「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」
ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。
「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」
惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。
「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」
劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。
「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」
ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。
「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」
ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。
「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」
「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。
「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」
そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。
「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」
そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。
「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」
そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。
「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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