ドラクエ的な人生

読書家の定義。登場人物の名前の覚え方・テクニック

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毎日、新聞を読む人は読書家か? 読む内容は何でもいいのか?

読書家と言われる人がいます。読書家って何でしょうか? 人はどれぐらい読むと読書家になるのでしょうか?

私はブログをやっていて、メインコンテンツのひとつに「書評」がありますが、それだけで読書家と名乗っていいのでしょうか。このような私は読書家でしょうか。

毎日すこしでも読む人はたとえ数ページでも読書家でしょうか?

毎日、新聞を読む人は読書家でしょうか? 読む内容は何だっていいのでしょうか?

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このブログの著者が執筆した純文学小説です。

「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」

本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

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書物によって人生が変わった人は読書家だ。

読書家の定義は人それぞれだと思います。私だったらこのように定義したいと思います。

書物によって人生を変えられた人、読書が人生にあたえた影響の割合がすごく高い人。そういう人を私は読書家と定義したいと思います。

私に決定的な影響を与えた本はこちらです。

『サド侯爵夫人』三島由紀夫の最高傑作

私が放浪の旅人になったのも、こちらの本の影響です。

人生を変えた本『旅に出ろ! ヴァガボンディング・ガイド』リアル・ドラゴンクエスト・ガイドブック

そういう意味では、書物は私の人生に決定的な影響を与えており……私は読書家といっていいのでしょう。

でもこの定義だと、一生に決定的な影響を与えたものが「親」とか「友達」とか「先生」とか「先輩」の場合、どれだけ本を読んでも読書家ではないということになってしまいます。

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週に二冊も読めば読書家だ

深田久弥が「山が高ければそれだけで尊しというわけではないけれど、山というからには標高だって重要な評価の要素だ」と『日本百名山』を選定する際にしたように、読書家の定義を決めるからには、やはりある程度、読む本の冊数の基準は欲しいところです。

私の感覚だと週に二冊も読めば「読書家」と言っていいのではないか、と思います。そういう意味でも……現在の私は読書家と言っていいのではないでしょうか。

※私の読書履歴は過去ログをご覧ください。

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読書家なのに、キャラクターの名前が覚えられないという悩み・欠点があるのだ。

そんな読書家の私ですが、登場人物の名前が覚えられません。

純文学・物語の読み手ですが、ミステリーを読むのがとても苦手です。とくに登場人物の多いミステリーはお手上げです。キャラクターの名前がぜんぜん覚えられないからです。登場人物の数は五人ぐらいにおさめてほしい……(笑)。

実用書などはその点ひじょうに読みやすいですね。そんなに登場人物がいませんから。ほとんど一人称で作者の語りだけだったり、徳川家康松下幸之助などすでに知っている人物について言及している場合は、人名を新しく覚える手間はありません。

みなさん、どのようにしてキャラクター名をおぼえているのでしょうか?

このコラムでは、読書家の私の登場人物の覚え方・工夫について書いています。

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人の名前(人間関係)は生き伸びるための最重要知識。本来、最優先で覚えるのが脳のデフォルトだが……

私は現実の人の名前を覚えるのも苦手です。芸能人の名前を覚えるのも苦手です。しかし本の登場人物ほど苦手ではありません。人間にとって他人の名前を覚えることほど重要な知識はないのです。人の名前(と付帯する人間関係)は生き伸びるための最重要知識であり、最重要事項はとにかく覚えるように人間の脳はできているはずなのです。

親の名前や、上司の名前は、人が生きていくうえで重要な情報だということです。

現実の人物には体温、体臭などリアルな感じがありますし、とにかく最重要知識ですから、身近な人のことは覚えることができます。

芸能人の名前となると生きていくのにそれほど重要ではありません。だから現実の人間にくらべると極端に名前を思い出せません。そもそも覚えようとさえしていないこともあります。私のリアル・ライフには関わりのない人達だからです。ただ会話のネタにのみ存在するのが芸能人です。だからなかなか覚えられません。それでも顔や芝居を見ていますので、小説中の人物よりは覚えやすいとに思います。

ところが芸能人に対して、書物の登場人物ははじめから顔が見えていません。いちおう初登場シーンで容姿の描写があったりしますが、作者の指定した容姿であることははあまり重要ではありません。ホームズの相棒のワトソンが長身やせ型であろうが、チビで太っちょだろうが、犬の姿をしていようが、別にどうだっていいことです。ストーリーには何の関係もありません。

登場人物のイラストまで描いてキャラクターの容姿を把握しようとする人がいるみたいですが、……作者のイメージよりも、読み手(自分)のイメージを重視していいんじゃないでしょうか。痩せている人物と本に書いてあっても、太った人物にしか読めなかったら、そこは太った人物でイメージして読めばいいと思っています。

映画化されたときに、作者のキャラクター指定とは似ても似つかないキャストが選ばれることがよくあるじゃないですか。それと同じことです。

服装などの細かい指定を追いかけることにあまり意味はないと思います。あまりに描写が細かいとわたしは読み飛ばしてしまいます。

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小説の登場人物の容姿はあまり重要ではない。重要なのは職業、肩書、人間関係

そういう考え方をしているので、細かい容姿の描写はいつも読み飛ばしています。すると容姿のイメージがぜんぜん頭に浮かばないことになって、いつまでも名前(登場人物)が覚えられません。ドストエフスキーなんかヤバいですね。同じ人間があだ名や略称や正式名で呼ばれたりしていて、ただでさえ登場人物が多いのによけいに混乱してしまいます。

私の場合、たいてい名前の代わりに家族の中の立ち位置、肩書、職業名で覚えています。それほど職業や肩書は人間のパーソナリティーだということです。イケメン、美女、肉体派なども覚えるためのタグになります。これも重要なパーソナリティーです。

ただキャラクターを覚えられても、名前は覚えられません。

ドストエフスキーの小説の登場人物の名前なんて読み終えた直後には覚えていますが、しばらくたつと忘れてしまいます。ニコライ・スタヴローギンは『白痴』の主人公だったでしょうか、『地下室の手記』の主人公だったでしょうか、『罪と罰』の主人公だったでしょうか、『悪霊』の主人公だったでしょうか??

話しのスジはおぼえていたとしても、主人公の名前を忘れていたりします。

私の場合、父親とか息子の恋人とか、職業、肩書、人間関係図で覚えていることが多いようです。好きとか嫌いとかのベクトルで人間関係を図にしたものを脳裏に描いて読み進めています。

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キャラ名が覚えられない工夫、対処法。人間関係相関図を書く。初登場シーンに付箋を貼る。

机で読書する場合、メモにとって人間関係相関図を書くという手が最強手のようです。机で読書する人はこちらをおすすめします。しかし私はベッドで枕をクッションにしてヘッドライトで読書しています。メモは苦手です。

そこで付箋の登場です。キャラクターの初登場のシーンに付箋を貼っておくのです。たいていキャラクターのフルネームや容姿などは初登場シーンで紹介されるので付箋を貼るなら初登場シーンがいいでしょう。

あとでもう一度読み返したくなるような重要シーンにも付箋を貼っています。

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最初からあらすじを頭に入れて主役クラスだけ覚える記憶術。せっかく覚えたキャラクターがモブだったら残念過ぎる

またはじめて登場する人物が、今回限り登場する脇役なのか、物語の進行に決定的に影響を及ぼす準主役なのか、それも気になりますよね。せっかく覚えたキャラクターがモブだったら残念過ぎます。(モブ=ワンシーンだけ登場する脇役)

その場合、わたしの工夫をお教えします。具体的に読みやすくなった具体的方法です。

文学などは、最初からあらすじを頭に入れてしまって読んでも文学の価値はそこなわれません。ストーリーがわかっていてもなお読んですばらしいものが文学です。今後の流れがわかっていれば、重要な伏線的な感情の流れに気づいたりできますので「お勧めの読書法」です。そしてあらすじから、主人公に影響を及ぼす重要人物だけを最初にピックアップして覚えてしまうのです。

犯人捜しの探偵小説でこれをやってはダメでしょうが、文学ならばまったく問題ありません。文学の場合、どこから読んでも名作は名作ですし、重要なのは作品のオチよりもひとつひとつの表現だったりします。極端なことをいえば作品の中途から読んでも名作でなければ文学とはいえないと思っています。

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ビジネスパーソンは、大切な顧客の顔と名前をどうやって憶えているのだろうか?

優秀なビジネスマンが、顧客の顔と名前を覚えるテクニックをつかって、小説のキャラクター名を覚えることはできないでしょうか?

誰もが一度は考えつくことです。ところがこれはうまくいかないのです。

ビジネスマンがつかう名前を覚えるテクニックというのは「顔の印象から名前を連想していくタイプのテクニック」なので、読書には直接的にはつかえません。顔というビジュアルがあった上で、名前というサウンドを思い出そうとするテクニックだからです。

読書では名前からキャラクターを思い浮かべなければならないのです。名前というサウンド語感から、役柄というキャラクターを思い出さなければならない。名前の印象、語感から、役柄を思い出さなければなりません。

だからビジネスマンのテクニックは通用しません。

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外国人の名前は日本語化してしまうテクニック

ビジュアルが介在しないことが、読書の登場人物の名前をますます覚えにくくしています。だから対処法としては、無理やりビジュアルを介在させてしまうという手があります。

名前というサウンドからビジュアルを思い浮かべて、キャラクターにつなげるのです。

先日『潜水艦カッペリーニ号の冒険』というテレビ番組をやっていました。イタリア人の潜水艦乗りが日本で暮らすというストーリーなのですが、イタリア人のアベーレは安倍さん、シモーネは下根さん、アンジェロは安寿さんと日本語化していました。これは私も時々読書で使う方法です。

ドストエフスキーが現代によみがえったイエス・キリストを描こうとした『白痴』のムイシュキン侯爵のことをわたしは無意識侯爵と脳内変換して読んでいました。清純無垢すぎて白痴とも呼ばれるてんかん持ちのキリスト侯爵なので「無意識」こそがもっとも聖なるものに近いとイメージしたのです。

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既知の名前の人物イメージを無理やりだぶらせる方法。

すでに知っている人物のイメージを無理やりキャラクターにだぶらせる方法があります。ルネというキャラクターが登場した場合は、無理やりルネ・デカルトの顔をだぶらせて読むという方法です(笑)。

この方法は、どれだけ「既知のキャラクターをもっているか」で効果が違います。

登場人物がポールだったらマッカートニーの顔を無理やりあてはめます。そうすれば忘れません。ジョンだったらもちろんレノンです。

ジムならモリソンの顔を、ミックならジャガーの顔を、ルイならサッチモ(アームストロング)の顔を、ベリンダならカーライルだし、テイラーならスウィフトの顔を思い浮かべると一発で頭に入ります。

この方法はひじょうに便利ですが、私の場合、すでに知っている外国人の名前が音楽家に偏っているため、ともすれば小説が『ウッドストック』とかWe are the Worldみたいなパーティーになってしまうという欠点があります。作品によっては、やばいほど豪華なフェスになってしまう時があります。

そういう場合は、ジョージだったらハリソンではなくワシントン。ブルースならスプリングスティーンではなくウィリス。マイケルならジャクソンではなくジョーダンの顔を思い浮かべて変化をつけるのです。

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語呂合わせで覚えるテクニック

たとえばドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の主人公はアレクセイというのですが、私は「あれ(ゾシマ信神父の遺体)臭え!」と覚えていました。

カラマーゾフの兄弟『大審問官』。神は存在するのか? 前提を疑え! 

キリスト教の教義の本質は、この肉体この意識のままで死者が復活して永遠の命を得るということにあるのですが、皆から尊敬されていた神父の遺体が腐って臭うことで、この肉体で復活、この意識で永遠の命というキリスト教への信仰に疑いが生じるという有名なシーンがあるのです。

だから「あれ(ゾシマ信神父の遺体)臭え!」でアレクセイ。

キリスト教の本質は、この肉体この意識のまま死者が復活すること、そして永遠の命を得ることができるということ

このようにキャラクターの名前を語呂合わせで覚えることもあります。

共通していえることは、語感のイメージからでも、語呂合わせでも、とにかくビジュアル化して関連付けるということです。

たとえばジョン・レノンの顔で関連付けたジョンという人物が悪いやつなら、いくらジョン・レノンがキリストみたいな顔をしていても「悪い顔をしたジョン」でイメージすることです。

そうやってキャラクターと名前を関連付けて覚えます。

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わからなくても気にしないで読み続けるという読書法

最後にもう一つ。わからなくても気にしないで読み続けるという読書法があります。

このブログでは書評をしているのですが……結局、自分が忘れてしまったシーンは自分にとって大切なシーンではなかったという考え方をしています。

そもそも物語の登場人物には「物語以前」「物語以降」の人生があるはずですが、それを切り取って瞬間で表現しているのが芸術作品です。だからどこから読んでも、途中からでも読めるものでなければ、本当の意味での名作とはいえません。

登場人物の名前が覚えられなくても、それでも読み進めるというのもひとつの手(読書術)です。

自分の感受性にひっかからないところは無視して読み進める、というのもひとつの読み方だと私は思っています。

その本が自分にとって大切ならば、二度、三度と読み返すうちに、まるで友達の名前を覚えるように、キャラクターの名前をいつのまにか覚えてしまうことでしょう。

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このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。

「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」

「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」

※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。

アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。

Bitly

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