裁判傍聴芸人になろうと思うのだ
えっ? 旦那が今さら裁判傍聴芸人に?
あ。すまん。芸人は言い過ぎた。阿曽山大噴火さんがおもしろかったものだからつい芸人と言ってしまった。裁判の傍聴をしてみたいだけだよ。
裁判傍聴体験記
というわけで(どういうわけだ?)、裁判の傍聴に行ってきました。裁判所公式サイトや傍聴経験者たちのネット情報調査によると、裁判所には「金属探知機での危険物チェック」や「傍聴者氏名記帳」などがあると紹介されていましたが、埼玉県の地方裁判所には何もありませんでした。素通りでした。埼玉弁護士会の会長はあの尾崎豊さんの実兄の尾崎康さんが就任しているのでもしかして会えるかもと期待していたのですが、ぜんぜん別の弁護人でした。残念。
自分が裁かれるわけではないとはいえ、はじめて裁判所を訪問したときにはすこし緊張しました。しかし裁判所にいるのは裁判官や検事や弁護士ばかりではありません。一般事務員も数多くいて彼らは普通の人です。国家公務員ですので、わからないことがあれば聞いてみましょう。東京地裁はどうだか知りませんが埼玉地裁は傍聴人がレアなのでお客様扱いで優しく教えてくれました。傍聴席にはいつ入室しても、いつ退出しても構わないそうです。しかし初体験なので途中退席は失礼かと思い最初から最後まで通しで見ることにしました。少し早めに待っていようと決められた時間よりも早く傍聴人席に入室したところいきなり「被告人を懲役1年6カ月に処する」と裁判長のお言葉。は? まだ前の裁判が終わっていませんでした。その後「ただし執行を3年間のあいだ猶予する」という言葉があるかと待っていたのですが何もありません。
ガーン! 入っていきなり有罪の実刑判決です。なんて初体験だ。被告はまだ二十代のやんちゃそうな男性。行儀よく真面目なんてできやしなかった、という尾崎豊タイプのお兄さんでした。罪名は詐欺罪でした。判決の後、三人ほどいた刑務官が被告を取り囲み手錠をかけて腰ベルトに紐を吊るします。ときどき子供を紐でつないで犬みたいに勝手にどこかに行っちゃわないようにする子供用ハーネスが売っていますが、あんな感じです。腰縄というらしいです。目の前で手錠をかけられる人を見てギョッとしました。こっちはなにせ判決バージンなもので。やさしくしてね。
次の裁判が本命です。詐欺師が判決だけでどういう状況なのかさっぱりわからなかったのに対して、新件なので事情をぜんぶ初めから説明してくれます。覚せい剤使用で逮捕された女性が被告でした。やはり手錠と腰縄状態で入廷してきます。刑事事件はこれがデフォルトなのかしら? 判決が下るまでは推定無罪だと聞いていましたが、とても推定無罪の人には見えません。これでいいのか?
しかし裁判中は拘束具はすべて取り外されて自由の身です。しかし武器を持った三四人の刑務官に四方を取り囲まれていますので、梶原一騎の劇画の空手の達人でもない限り逃走するのは難しそうでした。
被告女性が覚せい剤使用の事実を認めます。身元引受人として母親が証言します。双方ともに泣き出しました。傍聴人は私ひとりでした。私の他にもうひとり傍聴人がいると思っていたのですが、その人は被告の親、裁判の証人だったのです。関係者でした。
気まずい。でも裁判がきちんと公正に行われているかチェックするために傍聴人制度があるのです。傍聴人の私がいることで裁判長の権力が暴走することを抑止する一定の効果があるはず。無意味ではないのです。
判決に人生がかかっている被告には申し訳ありませんが、ぶっちゃけ面白い。ひさしぶりに興奮しました。人が罪を悔いて泣くところを始めて見ました。銃をぶっ放しまくるアメリカ映画を見るよりもずっと面白かったです。芝居のようなこみ入った人間関係、状況設定はすべてリアルなものです。それが罪の温床となっているのです。その中で生きる人間が無料で見られます。
裁判の傍聴、意外とおすすめだな、と思いました。
覚せい剤女性は初犯だったので執行猶予つきの有罪となりました。裁判が終わって私はすぐに退出しました。彼女が手錠をかけられる姿を見たくありませんでした。さっきの詐欺犯と同様に彼女も手錠、腰縄を駆けられて元の場所に戻っていくのでしょう……と思ったら、何の拘束もなしに廊下に歩いて出てきました。ふつうに出てきたのでビックリ! 白昼の逃走かと思いましたが、周囲を弁護士や刑務官が取り囲んでいます。どうやら執行猶予がついたので手錠はもういらないみたいでした。ああ、ビックリした! 手錠腰縄で裁判所に入ってきたのに、出て行くときには拘束なしとは……執行猶予がつくというのはこれほど大きなことなんですね。そりゃあ必死に更生を訴えるわけだ!
帰る前にもう一件だけ覗いてみようと離婚訴訟の傍聴をしてみました。これも途中からだったので状況はよくわからなかったのですが、どうやら証言台に座っている女性は離婚をしたくないみたいです。旦那はすでに他の女と暮らしているそうです。裁判長が「もしも旦那さんが心を入れ替えてあなたと暮らすと戻ってきたら、一緒に暮らしますか?」と聞きました。女性は言葉に詰まってしばらく沈黙した後「ここまで来たら、考えたいと思います」と答えました。離婚したくはないけれど、一緒に暮らすつもりもないらしい。愛しているわけじゃないけれど、おとなしく離婚する気はないんですね。込み入っていますね。いや面白いね。その部屋には私の他にも三人ほど傍聴人がいました。おそらく老夫婦はその女性の両親で、もうひとりの女性は友だちのようでした。裁判後、廊下で老夫婦とすれちがったのですが、女性の母親が私を刺すような軽蔑の目つきで睨みつけてきたのが印象的でした。あれほど露骨に軽蔑の視線を向けられたのもひさしぶりです。ぞくぞくしました。おそらく娘のプライバシーを物見遊山で見物に来た唾棄すべき暇人とでも思ったのでしょう。いやね、そりゃそうかもしれないけどさ。第三者の傍聴人が聞いていることで裁判長がムチャクチャやることを抑止する効果があるんだってば。その証拠にこうしてブログで報告してるじゃないの。判決を握られている関係者は裁判長より弱い立場だから言われたまま泣き寝入りするしかないようなことでも、無関係の私ならば「あの裁判はおかしい」と世間に訴えることができるんですよ。夫婦間暴力は第三者がいる場面ではできません。それと同じことです。
弁護士の著作で「引用の議論」をすれば弁護士なしでも対等に議論ができる
そもそも何で私が裁判の傍聴なんてしようと思ったのか。その理由をお話しします。これまで生きてきた中で私は二度ほど裁判沙汰になるかなというケースに遭遇しています。
一度目は離婚したとき。元妻が弁護士をつれて離婚条件を話し合いに来ると脅しをかけてきました。こっちも弁護士を立てなければならないかとビビったのですが、読んでいた離婚本の著者が離婚弁護士であることに気づいた私は、弁護士とサシで議論しようと決意しました。「この本にこう書いてありますよ」と引用の議論をすれば私が言っているのではなく弁護士が言っているのと同じです。ものごとのよしあしを決めるのは裁判長であって弁護士ではありません。相手が法律家だからって負けたと思う必要はありません。
免許取り消し事件の怨みが私を法廷に惹きつける
二度目は免許取り消し処分を受けたとき。
運転免許一発取り消し実体験。1トリップを都道府県で重複して罰していないか?
私の体験をお話しする前に、ひとつのたとえ話を聞いてください。
たとえばA県からB県にながれている川を下っている舟の中で、私が人質立てこもり事件を起こしたとします。上流のA県で通報されてA県警に取り囲まれていたのですが、立てこもっているうちに船が下流に流されてB県に入ると、B県の警察も応援に駆けつけてきました。そして最後はA県とB県の警察によってたかって取り囲まれて鎮圧されてしまいました。
長時間に及ぶ人質立てこもり事件でした。罪を犯したことは認めます。しかしA県警とB県警でダブルに罪をきせられて、普通なら懲役12年で済むところを2倍の懲役24年を求刑されたらどう思いますか?
いや、ちょっと待て。と言いたくなるのではないでしょうか? 「窃盗の罪は認めるけれど、やったのは一回。二回じゃない」と主張したくなるでしょう?
私のスピード違反も同じ状況でした。東北自動車道でスピード違反したのですが、オービスを宮城県と福島県で光らせてしまい、それぞれの県警に呼び出され、それぞれから違反点数と罰金をちょうだいしたのです。
「スピード違反の罪は認めるけれど、やったのは一回。二回じゃない」と私は主張したかったのでした。検事に呼び出された時、法廷で争おうかと真剣に考えたのですが、いろいろと怖気づいて罪を認めました。判例法もあって今さら争っても無駄だろうなと思いました。しかし今なら争ったと思います。
悪いことをしていないと言っているわけではありません。家に帰るというひとつの行為・ワントリップにたいしてA県とB県でダブルに罪を着せるのは、罪の重複カウントではないか?
あのとき法廷で争っていたらどうなっていたのでしょうか? そのときの無念があって、私は裁判を傍聴しようという気になったのです。
つまらなかったらこれっきり最後と思って行ったのですが、想像以上に刺激があったので、また行ってみようかと思います。強烈なケイベツの眼差しにさらされるかもしれませんが、それも刺激があっていいでしょう。
軽蔑の眼差しにさらされて心がすさみそうだけど大丈夫?
事件のない人生なんて退屈じゃん! 自分が事件を起こすわけじゃないからいいでしょう。ウクライナ戦争をウォッチしている軍事ブロガーみたいなものだよ。