書籍の出版。タイトルは『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
このブログではたくさんの韓国ネタの記事を書いています。私はソウル日本人学校出身の帰国子女でして、韓国を完全無視しては生きていけない人間です。
実は今、韓国ネタを集めた書籍の出版を計画しています。『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』というタイトルにする予定です。書籍はこれまでソウルと関わって生きてきたことの集大成となるものにしようと思っています。それで自分の中の韓国に決着をつけたいと思っています。何か書き残したことはないか……取りこぼした記事はないかと探しだすと、まだ大切な視点を書いていないことに気づきました。
それはうちの母親の「韓国ぎらい」です。四年も住んだのに母は今での韓国のことが嫌い。父親はそうでもないのですが……。
このコラムはなぜうちの母は韓国がきらいなのか。そのことについて書いています。
ウチの母親が四年も住んだ韓国を嫌いなわけ
うちの家族が韓国ソウルに住んだのは1979年から1982年のこと。子どもの私は人格形成期にあたりました。だから韓国ソウルのことを第二の故郷だと思っているわけです。しかし母親はもう立派な大人でした。名古屋で生まれ東京で暮らし有名女子大を出て高級サラリーマンの妻になった専業主婦です。そういう経歴、目線の女性にとって当時の韓国はどのように映っていたのでしょうか?
三井物産の生活と年収額マジック。家族の暮らしと貯蓄額の現実。
パク・チョンヒ大統領の暗殺事件。「逆・関東大震災」の虐殺を恐れる
ソウルに赴任してすぐにパク・チョンヒ大統領の暗殺事件がありました。その頃ソウルにいた日本人は「逆・関東大震災」に遭うのではないかと怯えて家から外に出ない日々を送ったのです。
※1923年、関東大震災の混乱に乗じて朝鮮人が反乱しているという流言飛語が飛び交い実際に虐殺まで起こった事件がありました。その逆パターンを韓国に赴任していた人たちは恐れたのです。関東大震災の混乱のどさくさに朝鮮人虐殺があったように、朴大統領暗殺事件の混乱のどさくさに日本人虐殺があったってすこしもおかしくありませんでした。
平和な日本から韓国に来て「なんて国に来てしまったのだろう」と母が考えたとしても不思議はありません。夫の赴任先で暴徒に虐殺なんかされたらたまったものじゃありません。
「日本製は良くて韓国製は悪い」というのがあたりまえの時代だった
アメリカやフランスに父が赴任していたら母だって赴任先の国を愛したかもしれません。しかし不幸なことに韓国でした。1980年の一人当たりGDPは日本9463ドル、韓国1715ドルだったようです。およそ5.5倍の差がありました。しかもうちの父は高給取りだったのでもっと格差があったのです。
一人当たりGDP。いつのまに、なんで韓国に追い抜かれたのか?
かつて日本は韓国を植民地にしていたこともありました。その怨みのせいで日本人は韓国人からよく思われていませんでした。滞在中ずっと肩身の狭い思いをしてきたのです。そのくせ資金格差が5.5倍もあればとうぜん「いい国ニッポン、いまいちな韓国」という頭になるのはやむを得ないことでしょう。日本をいい国だとみる傾向は私にさえもあります。アメリカ帰りの帰国子女だったら真逆の見方をしていたかもしれません。関東大震災の虐殺事件もそういう精神構造が差別を生んだものでしょう。
さらに今とは違って、ウチの母親がソウルで暮らしていた頃は、たいへん不便な暮らしをしていたみたいです。不潔だったので魚も肉も野菜もそのへんの市場で買い物はできなかったそうです。たしかにハエ捕りガムテープにハエの死骸が真っ黒にくっついていたのを見てギョッとしたのを私も覚えています。わざわざ明洞の高級デパートなどに出かけてまとめて買い物をしていました。そのときは会社が自動車を回してくれたそうです。当時は地下鉄もなく、移動はバスかタクシーでした。とにかく不便だったんですね。韓国語もわからないからテレビも楽しめません。生活必需品の質も韓国製と日本製の差は歴然で、ノートも、インスタントラーメンも、服も、ボールペンひとつとってもいちいち日本製の方がいい品物でした。貧乏ごっこを楽しむような感受性がなければ辛いだけだったでしょう。名古屋の実家(私の祖母、母の実母)からダンボールの船便でいろいろ日本のものを送ってもらっていました。水道水も飲めなかったのでミネラルウォーターを購入していました。最近ようやく日本でも流行っているウォーターサーバーを料理につかっていました。とにかく「日本製は良くて韓国製は悪い」というのがあたりまえの時代でした。そういう時代に、自分が好きで行ったわけでもない国のことを好きになれというのがどだい無理な話かもしれません。日本に帰りたいとずっと思い続けていたのかもしれません。
「みんな整形。昔はあんな子たちはひとりもいなかった」と母は吐き捨てる
BTSをはじめ韓流スターが世界中で人気ですが「みんな整形。昔はあんな子たちはひとりもいなかった」と母は吐き捨てます。四年も韓国に住んでいた人がこういうのですから一定の真実があるんでしょうね。俗に経済力が上がると美人が多くなると聞きますが、そういうことかもしれませんね。
韓国人蔑視の理由はキムチ。ニンニク臭いからだった
そんな母親の言葉で忘れられないものがあります。実はウチの母親はソウルに赴任する前から韓国人にはあまりいい印象をもっていませんでした。その理由は「韓国人はくさいから」。韓国人街に行くと独特のくさい臭いがして嫌だったといいます。当時、母だけではなく「韓国人はくさい」とみんなが思っていたそうです。
しかし自分がソウルで暮らして、理由がわかったそうです。その臭さの原因はキムチのニンニクでした。キムチを食べるから口がニンニク臭かったというわけでした。韓国人街がくさいのはキムチのニンニク臭だったのです。
韓国人がキムチを食べるなんてことは今の人はみんな知っていますが、関東大震災の頃はテレビもラジオもなかったし、昔の人は知りませんでした。知らないからこそむやみに恐れ、差別したのです。たとえば今の人はビーツとかケールという野菜を知っていると思いますが、おそらく四十年前の人はほとんどの人が知らないし食べたこともなかっただろうと思います。今では知れ渡っていることも、当時はわかっていなかったんですね。
はっきりいうと、くさい人が好かれないのはやむをえないかな、と思います。人種に関係なく、日本人だって口が臭かったら好かれはしないでしょう。においが原因で韓国人が差別されやすかったというのは理屈が通っています。
キムチのせいで韓国人はくさかった、とにおいの正体はわかったのですが、だからといって母が韓国人を好きになることはありませんでした。一度、嫌いと定まったものは、合理的に頭で説明されても容易にはくつがえりません。男女のことでそのことはよく知っています。男と女も一度好き嫌いの評価が定まってしまうと、なかなかその第一印象はくつがえりませんからね。
このように我が家では韓国が嫌いじゃない父と、嫌いな母と、いわくいいがたい感情をもっている私、そして何とも思っていない弟の四人がいます。弟が韓国を何とも思っていないのはまだ幼すぎて赴任中のことを何も覚えていないからです。
私が韓国ぎらいにならなかったことは今思えばさいわいなことでした。嫌いであっても、好きであっても、このような本(『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』)は書けなかったでしょう。いいがたいような複雑な感情をもっているからこそ書こうと思うのです。書くことができるのです。他の誰にも書けないようなことが、自分には書けると思えるのです。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前に変えたらいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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